134巻6号 2019年5月25日 p.715-715
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緩和ケア,エンドオブライフケアにおける食のケアの可能性 | ![]() |
序文
池永昌之,藤井映子
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特集にあたって | ![]() |
治療としての栄養,ケアとしての食事
患者の日常を支えることが看護・ケアの基本となる.日常を支えるとは毎日の当たり前のこと,日々変わらない営みを支えるということである.人はこの世に生まれたそのときから,何かを食べて生きてきた.食べることは当たり前のこと,日々変わらぬ,そして生きるために重要な営みであり,楽しみである.しかし,医療の現場はこの食べることに,どれほど関心をもってきただろうか.確かに栄養療法という視点から,病態の治療としての食事については大きな力を発揮している.しかし,栄養としての食事の捉え方は,ときに本人の願望や選好を制限するものになることもある.治療の一環として,食べたいものを我慢する,ほどほどに制限する,食べなければならないものを食べる.しかし,医療は本来,病気にともない低下したQOL(quality of life)を向上させ,奪われた自由を回復することを目的にしている.したがって,病態の改善のためとはいえ,患者の自由を奪い,日常生活に制限を加えることは,本来の医療の目的に逆行するともいえる.批判を恐れずにいうと,好きなものを好きなだけ,好きなときに食べる,それでも健康であることは,すべての人が求めるものであり,医療がめざすべきものではないかとも思う. 本特集号では,栄養と食事に関係するスタッフの方々に,緩和ケアがめざしているものについて知っていただくことを第一の目的とした.緩和ケアの目標は患者のQOLをできるだけ向上することである.QOLの向上は患者の選択肢の幅をできるだけ広げることともいえる.食事に関していえば,できるだけ食べられるものの範囲を広げ,そのなかから食べたいものを自分の意向で選ぶことができるということである.そのうえで臨床現場における食事提供を通してのケア(食のケア)の可能性について,取り組んでおられる専門家の方々にも執筆をお願いしている. 食べたいものを食べられるということは,日々の生きる喜びにつながる.食べるということの意味を今一度考え,私たちが提供しようとしているケアを見直したいと思う.ある人が何かを食べるという行為の裏には,気持ちを込めてその食事をつくった人が必ずおり,食べたいと選択した食事にはその人の何らかの想い出がある.生きることを支える現場において,食事を通してより豊かに人を支えるケアを実践していくことを,読者の皆様と考えていくことができればと願う. 2019年5月 淀川キリスト教病院 緩和医療内科 池永昌之 甲南女子大学 医療栄養学部(前淀川キリスト教病院 栄養管理科) 藤井映子 |