やさしさと健康の新世紀を開く 医歯薬出版株式会社

刊行にあたって
 近年,歯科医療においては患者中心のケアが強く求められるようになり,単に疾患の治療にとどまらず,患者の心理的背景や行動特性に着目したアプローチの重要性がいっそう高まっている.特に,治療に対する不安や恐怖,受診回避,セルフケア継続の困難といった問題には,従来の歯科医学的手法のみでは十分に対応できない側面が少なくない.こうした課題に対して注目されるのが,行動科学や心理学の知見を応用した「心理・行動科学的アプローチ」である.
 本書では,歯科医療における行動や感情の理解と支援に焦点を当て,理論と実践の双方から多角的に解説する.

 基礎編 第1章では,人間の行動がいかなる学習機構によって形成・維持されるかを概説し,古典的条件づけ,オペラント条件づけ,ならびに強化子の活用が患者の行動改善にどのように資するかを示す.第2章では,歯科診療においても不可避なストレスの概念を整理し,ストレス反応とその対処法,さらに心理社会的視点からの支援の意義を論じる.第3章では,患者の行動変容を支える理論的枠組みとして,保健信念モデル,トランスセオレティカルモデル,認知行動療法などを紹介し,変化を支援するための具体的な理論的視座を提供する.続く第4章では,診療現場で応用可能な各種行動変容技法を取り上げ,実際の不安軽減,動機づけ支援,行動の定着に向けた方法を具体的に解説する.最後の第5章では,これらの支援の前提となる医療者と患者との信頼関係構築に焦点を当て,ヘルスコミュニケーションの基本とその実践を整理する.
 さらに本書では,これらの理論や技法を実際の臨床場面にどのように適用するかを具体的に学べる症例編を設けている.ここでは,行動科学的なアプローチが必要となる歯科医療現場で遭遇しやすい多様なケースを取り上げ,行動科学のアプローチを実践する方法を解説している.

 ヘルスコミュニケーションの基本と実践を整理するにあたり,本書では【患者中心の医療(Patientcentered medicine)】の方法と,【生物心理社会モデル(Bio-psycho-social model)】を応用した.
 患者中心の医療は,Enid Balintにより提唱された方法であり,(1)病・疾患・健康の探求,(2)全人的理解,(3)共通の理解基盤の形成,(4)患者-医療者関係の強化,の4つの構成要素からなる 1).
 生物心理社会モデルは,「病気や症状は生物学的要因のみならず,心理的・社会的要因が相互に作用して成立する」とする包括的枠組みである 2).
 患者中心の医療における「病・疾患・健康の探求」(図1)と,生物心理社会モデル(図2)は,いずれも3つの輪で構成されており,ヘルスコミュニケーションの基本を整理するうえで有用であるため,本稿ではこの3つの輪を採用した.さらに読者が歯科医療における心理行動科学の視点と技法を体系的に理解できるよう,両者を合理的に組み合わせ,新たに「健康の探求」の中に「心理社会モデル」を位置づけることを提案し,臨床応用を容易にした.医療と心理・行動の接点を見直すことで,より温かく,かつ効果的な患者支援が可能となるであろう.
 2026年1月 著者一同

 文献
 1)Balint E. The possibilities of patient-centered medicine. J Roy Coll Gen Pract. 1969; 17: 269-276.
 2)Fillingim RB. Concise encyclopedia of pain psychology. CRC Press. 2005.
 刊行にあたって
 序論:StewartによるBalintの4つの構成要素
基礎編
序章 《基礎編》の構成と概要
基礎編1 行動の成り立ち
 古典的条件づけ・オペラント条件づけ
 強化子
基礎編2 ストレス(心理・環境)と健康
 ストレス
 ホームズ社会再適応評価尺度
 ストレスコーピング・認知的評価
 バーンアウト・燃え尽き症候群
 障害受容モデル
基礎編3 行動変容における理論
 保健信念モデル
 破局的思考
 トランスセオレティカルモデル
 認知行動療法
 認知的不協和理論
 計画的行動理論
 COM-Bモデル
基礎編4 行動変容の技法
 エクスポージャー
 コラム法
 メリット・デメリットの分析
 行動実験
 変容ステージに基づく行動変容
 動機づけ面接法
 対人関係療法
 アクセプタンス&コミットメントセラピー
 ファミリーベーストトリートメント
 コーチングスキル
 ナッジ理論
 回想法
 両面メッセージ
 5A・5R
基礎編5 ヘルスコミュニケーション
 言語的コミュニケーションと非言語的コミュニケーション
 情報の非対称性
 アクティブリスニング
症例編
序章 Patient Oriented Dentistryの方法
症例編1 糖尿病と重度の歯周炎があるが,病識が乏しい患者への指導
症例編2 コラム法を活用した歯周炎の進行を心配する患者への指導
症例編3 改善状態を維持するための指導
症例編4 行動実験を用いた口臭恐怖症患者への対応
症例編5 健診時の歯科衛生士によるショ糖制限と虫歯予防の動機づけ面接
症例編6 ショ糖制限と行動のコントロール
症例編7 禁煙指導

 あとがき