やさしさと健康の新世紀を開く 医歯薬出版株式会社


 本書執筆時点において,わが国は超高齢社会を迎えており,2024年10月の高齢化率は29.3%と,約3人に1人が高齢者という状況にある.近年は高齢者の嚥下障害,フレイルといった問題も取り上げられており,咀嚼機能の回復に伴う審美や摂食嚥下といった機能の充実が求められ,義歯の質的需要も高度化している.また,高齢者歯科医療とともに緩和ケアが必要な在宅歯科医療も増加傾向となっている.無歯顎症例に対する義歯治療は「歯科疾患のターミナルケア」であり,老人医療の概念からすれば口腔介護を必要とする段階にあると考えられる.その一方で,製作の主な担い手たる歯科技工士数は減少の一途をたどっている.
 これらの背景から,総義歯治療も単なる口腔内欠損を補う補綴装置ではなく,栄養摂取,嚥下,発音,心理状態にまで影響する“口腔内人工臓器”として捉え,生体に調和した機能を発揮することが求められている.同時に,より簡便で,かつ客観的な根拠に基づく,効率のよい製作システムの供給も望まれる.したがって,各ステップの製作システムを客観的に捉え,患者の神経筋機能と協調させることが基本となる.
 そして,この観察・分析には,解剖学・発生学・生理学といった視座からの考察を欠かすことはできない.なぜなら,無歯顎へと至った過程や,現在の口腔・精神状況,ゴールとして目指すべき状態は患者個々に異なるためである.口腔内に調和した咬合と咬合様式を付与することが成功への鍵となる以上,固有の条件に対する客観的な分析は欠かすことができないものである.
 また,患者にとって何が快適であるか,いかに使いやすいかも重視しなければならず,心理学的な面でも配慮が必要である.この点,歯科医師,歯科技工士,歯科衛生士といった歯科関係職種,さらには医師,薬剤師,看護師,言語聴覚士,管理栄養士,介護士などの在宅歯科医療の場も含めた情報連携が重要である.
 本書は総義歯製作カテゴリーの臨床的エビデンスについて,臨床家の歯科技工士および歯科医師の先生がたと共有することを目的として刊行した.執筆にあたっては,国内外の著名な臨床家の先生がたや歯科技工士の諸先輩からいただいた多くのご指導を基礎に,BPSデンチャーのガイドラインを参考にした.臨床家諸氏,そしてこれから臨床に携わる歯科医学生・歯科技工学生が,単なる人工物ではない,医療と生活をつなぐ義歯製作を追求するうえで役に立つ書になれば幸いである.
 2025年9月5日 佐藤幸司
I編 デジタル時代でも変わらない総義歯の原則
 1章 総義歯の“哲学”
  変わるテクノロジーと変わらない哲学(フィロソフィー)
  臨床総義歯補綴学の原則
   1 粘膜負担と口腔周囲筋との調和
   2 デンチャースペースを踏まえた外形
 2章 総義歯製作に関わる生体の要素
  デンチャースペースを決める要素
   1 口腔周囲筋
   2 咬合高径(咬合採得)
  下顎位の分類と設定
   1 下顎位の分類
    (1)中心位
    (2)咬合位
   2 下顎位の設定
  仮想咬合平面の基準
   1 咬合平面の基準
    (1)カンペル平面
    (2)フランクフルト平面
    (3)ボンウィル三角
    (4)バルクウィル角
   2 咬合平面の設定基準面
   3 咬合彎曲の基準
    (1)スピーの彎曲
    (2)ウィルソンの彎曲
 3章 総義歯製作論の基本
  咬合様式の種類 (1)静的咬合(Static occlusion)
   1 静的咬合を決める要素
   2 咬頭嵌合位での咬合様式
   3 対向関係に応じた咬合様式の決定と人工歯モールドの選択基準
  咬合様式の種類 (2)動的咬合(Dynamic occlusion)
   1 両側性平衡咬合
    (1)フルバランストオクルージョン
    (2)両側性平衡咬合
   2 片側性平衡咬合
   3 有歯顎の咬合
    (1)犬歯誘導咬合
    (2)グループファンクション
  咬合調整の原則
   1 Step1 中心咬合位の咬合調整
    (1)MUDLの法則
    (2)中心咬合位の調整手順
   2 Step2 側方運動の咬合調整
    (1)BULLの法則
    (2)側方運動の調整手順
   3 Step3 機能的な調整法のチェック(側方力低減のための調整)
   4 Step4 咀嚼周期に調和した主溝の調整
   5 Step5 前方運動の咬合調整
    (1)DUMLの法則
    (2)前方運動の調整手順
  歯肉形成
II編 満足度を向上させる患者情報の適正入手
 1章 患者応対の基本と収集する情報
  顔貌観察と口腔観察
   1 顔貌観察
    (1)正面観からの考察
    (2)側方面観からの考察
   2 口腔内情報の確認
    (1)顎骨・上顎結節の大きさ
    (2)レトロモラーパッドの周囲
    (3)顎堤粘膜の状態
    (4)唾液腺の位置と状態
  歯科的既往歴と性格
   1 患者の既往歴
   2 義歯経験の有無
   3 患者の心理状態
  全身的既往歴とライフスタイル
   1 全身的既往歴
    (1)年齢,性別,全身状態
   2 ライフスタイル
    (1)楽器演奏者の患者
    (2)多言語話者の患者
 2章 概形印象と個人トレー
  概形印象の目的・役割
   1 概形印象
    (1)概形印象の目的
    (2)概形印象採得のポイント
  個人トレーに求められる要件
   1 維持力の要素
    (1)Adhesion
    (2)Cohesion
   2 ランドマークと外形線
   3 義歯の外形線に関わる筋組織解剖
    (1)上顎の周囲筋組織
    (2)下顎の周囲筋組織
  個人トレーの製作
   1 上顎個人トレー
    (1)上顎の解剖学的ランドマーク
    (2)上顎個人トレーの確認と調整
   2 下顎個人トレー
    (1)下顎の解剖学的ランドマーク
    (2)下顎個人トレーの確認と調整
  精密印象(機能印象)
   1 機能印象の目的・役割
   2 無圧印象と機能印象の違い
    (1)歯肉頬移行部付近の形態
    (2)粘膜面の形態
 3章 咬合採得と下顎位
  咬合採得の目的・役割
  客観的な下顎位の決定法
  垂直的顎位の設定
  水平的顎位の決定
   1 咬合床の問題
   2 ゴシックアーチ描記法の利点
  咬合器への装着
   1 フェイスボウトランスファーを行う場合
   2 フェイスボウトランスファーを行わない場合
 4章 人工歯の選択
  人工歯の目的・役割
  人工歯の種類
   1 有咬頭人工歯
    (1)解剖学的人工歯
    (2)機能的人工歯
   2 無咬頭人工歯
  人工歯の選択
   1 前歯部人工歯の選択
    (1)顔貌から決定する方法
    (2)模型から決定する方法
   2 臼歯部人工歯の選択
   3 人工歯材質の選択
 5章 患者固有の人工歯排列
  咬合平面,咬合彎曲の設定基準
   1 咬合平面の設定(骨格および咀嚼筋の走行)
   2 咬合彎曲の考察
    (1)咬合彎曲の付与の実際
   3 頬舌的位置関係の考察
    (1)パウンドライン
    (2)デンチャースペースコアによる考察法
   4 咬合様式の考察
    (1)咬合接触関係の決定
    (2)平衡咬合関係の決定
  人工歯排列の基本事項
   1 前歯の排列
    (1)前歯の排列位置
    (2)前歯の被蓋関係
   2 臼歯の排列
  I級骨格の排列
  II級骨格の排列
  III級骨格の排列
  患者のライフステージに合わせた調整
  義歯重合システム
   1 義歯床用レジンの組成
   2 義歯重合システム
  重合後の研磨と完成
 6章 チェアサイドとの情報共有
  チェアサイドとの情報共有の重要性
  ラボサイドからの提案
 7章 オーバーデンチャーの概要と咬合理論
  臨床におけるオーバーデンチャーの意義
  オーバーデンチャーの概要
   1 オーバーデンチャーの利点と適応条件
   2 埋入に関する条件
   3 荷重に対する条件
  IODの維持装置
   1 バーアタッチメント
    (1)バーアタッチメントの利点
    (2)バーアタッチメント設計の留意点
   2 ロケーターアタッチメント
    (1)ロケーターアタッチメントの利点
    (2)ロケーターアタッチメント設計の留意点
  オーバーデンチャーの人工歯排列
   1 IODの咬合様式
   2 アバットメント,アタッチメントの設定
III編 総義歯臨床のフィロソフィー
  総義歯臨床のフィロソフィー
  臨床総義歯補綴学で押さえておきたいこと
   1 Philosophy:義歯製作の哲学
   2 Concept:義歯製作の概念
    (1)Conceptの考え方
    (2)義歯床が安定する三大原則
   3 Theory:義歯製作の理論
    (1)支持
    (2)保持
    (3)安定
   4 Reference:総義歯製作の基準
    (1)総義歯製作のカテゴリーと基本的な基準