やさしさと健康の新世紀を開く 医歯薬出版株式会社

はじめに
 近年,摂食嚥下障害へのケアの需要は高まる一方であり,看護の役割においてもその専門性がますます求められるようになった.精神疾患患者の摂食嚥下障害は発生頻度も高いため,看護が担うべき役割や課題も明確にされつつある.
 DSM-IV-TRによると,精神疾患とは,個人に起こる重要な行動的,あるいは心理学的な症候群または様式で,苦痛の存在もしくは機能障害と関連するか,死・苦痛・機能損傷あるいは自由の喪失を引き起こす危険の増大と関連する,と定義づけられている.
 そもそも,内科や外科といった身体科では,症状(symptoms)と徴候(signs)が明確に区別される.症状とは主訴(主観的)であり,徴候は血液検査の結果や画像所見(客観的)によって明らかとなる.一方,精神疾患患者は,幻聴が聞こえていても(症状),医療者に訴えないことがまれではないため,症状と徴候を厳密に区別するのではなく,双方を精神症状と呼び,いくつかの症状が同時に認められる場合やともに出現しやすい症状の組み合わせを症候群と呼ぶ.
 精神疾患患者は症状を看護師に教えてくれない.だからこそ,看護師は徴候(つまり症状)を察知するために観察やアセスメントに時間を要する.特にアセスメントの際は,看護師が過去に遭遇した事例から得られた経験も,今の事例が抱える問題を解決するための貴重な判断材料の一つとなる.だからこそ,摂食嚥下障害と精神症状を関連づけてアセスメントし,問題解決を図る際には,情報の偏り,倫理的配慮の壁に,看護師は多くの困難を抱えるようである.
 施設でも地域でも,精神障害者が安全に食べるためには,精神症状に合わせた支援が必要である.それは,見守りや本人からの聞き取りのレベルでよい場合もあれば,積極的な介入支援を必要とする場合もある.「精神疾患患者の摂食嚥下は難しい,手が出せない」という医療者の声を聞くことが多いため,少しでも現状を打破するためには,精神疾患患者の摂食嚥下障害をケアするためのヒントになる教材を作成する必要があると考えた.そこで,今回,医師,歯科医師,看護師,薬剤師など多職種の先生方にご協力を得ながら,本書では,精神疾患悪化ならびに向精神薬の有害反応による摂食嚥下障害の特徴とその支援,精神科で遭遇しやすい事象とその支援,チーム医療やリスクマネジメントに関する内容をご執筆いただいた.
 摂食嚥下障害の評価・診断・治療・看護については,多くの成書で情報を得ることができるが,精神疾患患者の摂食嚥下障害に関連する書籍は数少ないのが現状である.精神科領域では患者に寄り添い共感する姿勢で接することが原則であるため,主体はいつも患者である.患者のペースに添いながら支援を進めることは,医療者にとって困難を伴うこともある.だからこそ,精神疾患患者への摂食嚥下支援に迷った際はぜひ本書を参考にし,患者にとっても医療者にとっても実りある実践を展開していただければ,編者著者一同にとって,このうえなく嬉しいことである.
 2014年8月
 著者を代表して
 髙橋清美 戸原 玄
 はじめに

第1章 精神疾患
 1.統合失調症(寺尾 岳)
  1)統合失調症とは
  2)統合失調症の治療
 2.うつ病(寺尾 岳)
  1)うつ病とは
  2)うつ病の治療
  3)大うつ病性障害と双極スペクトラムの鑑別
第2章 精神疾患悪化による摂食嚥下障害の特徴とその支援
 1.常同行為や精神運動興奮による食行動の変化(枝広あや子)
  1)常同行為や精神運動興奮による食行動の変化とは
  2)常同行為や精神運動興奮による食行動の変化に関連した摂食嚥下の問題
   (1)常同行為による食行動の変化 (2)認知機能障害による食行動の変化
   (3)精神運動興奮による食行動の変化
  3)観察・アセスメント・ケアのポイント
   (1)観察のポイント (2)アセスメントのポイント (3)ケアのポイント
  4)評価のポイント
 2.昏迷状態による食行動の変化(中村清子)
  1)昏迷とは
  2)昏迷による食行動の変化に関連した摂食嚥下の問題
   (1)精神状態の悪化 (2)脱水および低栄養 (3)抗精神病薬の有害反応
   (4)活動性の低下(長時間の同一姿勢)
  3)観察・アセスメント・ケアのポイント
   (1)観察のポイント (2)アセスメントのポイント (3)ケアのポイント
  4)評価のポイント
 3.幻覚・妄想状態による食行動の変化(髙橋清美)
  1)統合失調症にみられる幻覚・妄想(精神病症状)とは
  2)幻覚・妄想(精神病症状)による食行動の変化に関連した摂食嚥下の問題
   (1)精神病症状悪化を原因とする摂食嚥下障害 (2)原疾患に合併した摂食嚥下障害
  3)観察・アセスメント・ケアのポイント
   (1)観察のポイント (2)アセスメントのポイント (3)ケアのポイント
  4)評価のポイント
 4.抑うつ気分,興味・喜びの喪失が強いうつ状態による食行動の変化(髙橋清美)
  1)うつ状態とは
  2)うつ状態に関連した摂食嚥下の問題
  3)観察・アセスメント・ケアのポイント
   (1)観察のポイント (2)アセスメントのポイント (3)ケアのポイント
  4)評価のポイント
 5.陰性症状が強い統合失調症患者における食行動の変化(花木かおる)
  1)陰性症状が強い統合失調症とは
  2)陰性症状が強い統合失調症に関連した摂食嚥下の問題,食行動の変化
   (1)食事への無関心 (2)歯牙の欠損 (3)低栄養・脱水
   (4)薬剤による過鎮静
  3)観察・アセスメント・ケアのポイント
   (1)観察のポイント (2)アセスメントのポイント (3)ケアのポイント
  4)評価のポイント
 6.切迫的摂食による食行動の変化(臼井晴美)
  1)切迫的摂食とは
  2)切迫的摂食による食行動の変化に関連した摂食嚥下の問題
   (1)摂食嚥下の問題 (2)食物形態について
  3)観察・アセスメント・ケアのポイント
   (1)観察のポイント (2)アセスメントのポイント (3)ケアのポイント
  4)評価のポイント
  [事例] 常同行為や精神運動興奮による食行動の変化(枝広あや子)
  [事例] 幻覚・妄想状態がある患者への口腔機能支援(松尾賢和)
  [事例] 抑うつ気分,興味・喜びの喪失が強いうつ状態の患者へのケアの工夫(後藤悌嘉)
第3章 向精神薬の有害反応による摂食嚥下障害の特徴とその支援
 1.導入─向精神薬
  1)向精神薬とは(種類と作用・有害反応,多剤併用の問題)(山本敏之)
   (1)向精神薬の種類と作用 (2)向精神薬の有害反応
   (3)多剤併用の問題
  2)簡易懸濁法と口腔内崩壊錠(三鬼達人)
   (1)簡易懸濁法 (2)口腔内崩壊錠
 2.抗精神病薬(メジャートランキライザー)の有害反応(山本敏之)
  1)抗精神病薬とは
  2)抗精神病薬の有害反応による摂食嚥下と食行動に関する問題
  3)観察・アセスメント・ケアのポイント
   (1)観察のポイント (2)アセスメントのポイント (3)ケアのポイント
  4)評価のポイント
 3.抗不安薬(マイナートランキライザー)の有害反応(木村郁夫,小林健太郎)
  1)抗不安薬とは
  2)抗不安薬の有害反応による摂食嚥下と食行動に関する問題
  3)観察・アセスメント・ケアのポイント
   (1)観察のポイント (2)アセスメントのポイント (3)ケアのポイント
  4)評価のポイント
 4.抗うつ薬の有害反応(松浦大輔)
  1)抗うつ薬とは
  2)抗うつ薬の有害反応による摂食嚥下と食行動に関する問題
   (1)モノアミン神経伝達の活性化による有害反応 (2)その他の薬理学的特性によるもの
  3)観察・アセスメント・ケアのポイント
   (1)観察のポイント (2)アセスメントのポイント (3)ケアのポイント
  4)評価のポイント
 5.抗てんかん薬の有害反応(大森まいこ(松本真以子))
  1)抗てんかん薬とは
  2)抗てんかん薬の有害反応による問題と摂食嚥下と食行動に関する問題
  3)観察・アセスメント・ケアのポイント
   (1)観察のポイント (2)アセスメントのポイント (3)ケアのポイント
  4)評価のポイント
 6.向精神薬に特徴的な有害反応
  1)錐体外路症状(EPS)(松永髙政,富田 克)
   (1)錐体路と錐体外路 (2)錐体外路症状(EPS)の特徴と対策
   (3)抗精神病薬以外の向精神薬と錐体外路症状(EPS) (4)錐体外路症状(EPS)の評価方法
  2)口腔乾燥症状(中山渕利,戸原 玄)
   (1)口腔乾燥が及ぼす影響 (2)投薬内容の変更による対応 (3)対症療法
  [Column] 嚥下によいとされる薬剤(山脇正永)
第4章 精神科で遭遇しやすい事象とその支援
 1.盗食(横山 薫)
  1)盗食を引き起こす要因と対応
   (1)認知能力の低下 (2)特別食(腎臓病食・糖尿病食など),嚥下調整食,禁食などの食事制限
   (3)食欲亢進,過食 (4)収集癖,窃盗癖 (5)多飲症・水中毒
  2)盗食によって引き起こされる問題
   (1)血糖値の上昇,体重の増加 (2)窒息 (3)誤嚥
 2.同じ訴えを繰り返し(不安が強い),リハビリテーションの導入がしにくい場合(中川量晴)
  1)不安神経症とリハビリテーションの導入
  2)不安神経症患者へのアプローチ
 3.病識が欠如しているため,リハビリテーションへの動機づけが困難な場合(寺本浩平)
  1)精神疾患を伴う摂食機能障害(認知型と機能型)
  2)認知症患者への4つのアプローチ
   (1)治療型アプローチ (2)代償型アプローチ (3)環境改善型アプローチ
   (4)心理型アプローチ
  3)希望につながる支援への模索
 4.恋愛妄想,関係妄想,被害妄想などで,医療者との信頼関係の構築が困難な場合(阿部仁子,齋藤暢是)
  1)俗語としての「妄想」と精神科領域における妄想
  2)信頼関係構築の妨げとなる妄想の特徴(関係妄想,被害妄想,恋愛妄想)
  3)妄想をもつ患者への対応
   (1)否定も肯定もしない中立性 (2)患者と医療者の心の距離
   (3)患者の個人的特性を把握するための情報収集 (4)二重見当識の理解
  4)妄想による摂食嚥下機能への影響(機能的な問題でない場合)
  5)精神疾患患者の口腔内環境を把握し支援することの意味
 5.攻撃性,暴言,他害があり,身体拘束中の患者への口腔ケア(藤井隆行)
  1)身体拘束とは
   (1)精神保健福祉法における規定 (2)身体拘束の対象となる患者
  2)暴力のリスクアセスメント
  3)身体拘束中の患者に実施する口腔ケア
   (1)両上肢を拘束している場合 (2)片方の上肢および両上肢の拘束を外して行う場合
   (3)口腔ケアに対して拒否がある場合
 6.亜昏迷で希死念慮があり身体拘束中の患者への摂食支援(鳥山哲郎)
  1)食事の意味
  2)司法精神看護領域における身体拘束下にある患者の摂食支援
   (1)身体拘束下にある患者の食行動に関する身体機能面でのアセスメント
   (2)激しい衝動性や精神運動興奮に伴う行動に関するアセスメント
  3)身体拘束下にある統合失調症患者への摂食支援の実際
 7.スムーズな歯科診療の導入(横山 薫)
  1)歯科診療の特徴
  2)精神疾患の歯科治療への影響
  3)抗精神病薬の有害反応にかかわる歯科的問題点
   (1)口渇・口腔乾燥 (2)錐体外路症状(EPS) (3)傾眠・鎮静
  4)精神疾患別の特徴と注意点と対応
   (1)統合失調症 (2)うつ病 (3)神経症 (4)認知症 (5)摂食障害
  5)精神疾患患者の歯科診療時の身体抑制
  6)特別な対応が必要な患者の歯科診療を行う専門診療科
   (1)歯科訪問診療(在宅歯科診療) (2)障害者歯科,スペシャルニーズ歯科
   (3)心療歯科,口腔診療科,ペインクリニック
第5章 精神疾患患者の摂食嚥下障害に対するチーム医療
 1.チームアプローチとスタッフ教育(福島素美)
  1)慢性精神疾患患者(とくに統合失調症患者)のセルフケアレベルの特徴
  2)慢性精神疾患患者における口腔ケアに対するセルフケア
  3)慢性精神疾患患者に対する口腔ケアの取り組みの実際
   (1)精神疾患患者の摂食嚥下機能の実態調査の結果 (2)口腔ケアへの取り組み
  4)スタッフ教育について
   (1)口腔ケアに対するスタッフの意識・実態について
   (2)精神科病院での口腔ケアの工夫
  5)口腔ケアを実施しやすい職場づくり
 2.精神疾患患者の摂食嚥下障害に対するチーム医療(髙橋清美)
  1)はじめに
  2)アサーティブ・コミュニケーションについて
  3)看護場面の実際
  4)描写することを意識したコミュニケーションの工夫
  5)双方向性のコミュニケーション
  [Column] 看護師同士の連携を大切にするための3つの工夫(鈴木 愛)
第6章 リスクマネジメント
 1.精神科での摂食嚥下ハイリスク要因とその予防(横山 薫)
  1)窒息のリスクと摂食嚥下に関連した問題
  2)精神疾患患者の窒息のリスク要因と予防
   (1)食物による窒息 (2)食物以外による窒息
  3)精神疾患患者の誤嚥のリスク要因と予防
   (1)嚥下機能・喀出能の低下 (2)誤嚥物が多い,誤嚥物内の細菌量が多い,誤嚥物のpHが低い
   (3)身体の免疫能の低下
  4)食事に伴うリスク
   (1)著しい偏食 (2)多飲症と水中毒
 2.医療安全管理(原 厳)
  1)医療安全管理の考え方
   (1)インシデント・アクシデントとは (2)インシデントレポートの実際と流れ
   (3)アクシデント発生時の対応 (4)リスクマネジメントからセーフティマネジメントへ
  2)精神科患者の口腔領域における安全管理
   (1)精神科における安全管理 (2)精神科患者の口腔領域における医療事故と予防策
  [Column] 飲みやすい剤形と在宅からみた薬剤コンプライアンス(森 直樹,酒井孝征)

 索引