やさしさと健康の新世紀を開く 医歯薬出版株式会社

はじめに 今と昔で留学の意味は変わったのか?
 「医学のあゆみ」に連載された留学にまつわる対談シリーズ「“教養”としての研究留学」をもとに,8人の留学経験者へのインタビューを書籍としてまとめるにあたり,留学を切り口に文章を書き下ろしているといろいろなことに考えがおよび,あらたに10章のエッセイにまとめることになりました.各章とも留学に広い意味で関連したトピックを扱っていますが,すべての章に共通するのは,若者に留学を勧める大人に知って欲しい「わたしの斜めからの目線」です.斜め上からでも斜め下からでもなく,水平に斜めからの相対的視点をこころがけました.これまで大学や学会に招待されて留学について講演するなかで,わたしはこの「斜めから目線」を披露してきました.その際,多くの“大人”たちから,わたしもそう思っていたんだという共感のお言葉をいただきました.本書でお話しする内容の多くは,若者の留学離れを嘆く“大人”なら無意識にわかっていることかもしれません.ですから,もしわたしがすることに意味があるとすれば,留学を勧める“大人”ならすでにわかっていることを,あえて言語化・文章化することにより,あえて意識化する機会を作ることかもしれません.

留学して良かったこと,残念だったこと
 わたしは研究員としてボストン留学を始めましたが,その後ハーバード大学大学院で教員として仕事をする機会を得て,結局13年間ボストンに留学していました.留学して良かったことは,大袈裟に聞こえるかもしれませんが,当時(一九九八年)はスマホもWi-Fiもなく,言葉も通じない異国の地でゼロから生活や仕事を始めるなかで,鮮やかな生(せい)のリアリティーを実感することができ,さらに“成功循環モデル”のグッドサイクル(第2章参照)に便乗することにより,自分の実力の何十倍もの仕事を達成できました.そして長期間海外に滞在することで日本を外からみることを経験し,相対的視点を育むとともに,日本に蔓延する同調圧力としての空気から長いあいだ解放され,いい意味で空気を読まない力を身につけました.
 留学をして残念だったことは,アメリカの“選択の自由という呪縛”に疲れたことです.渡米前,日本ではいろいろ悩んだ末にハーバード大学留学という選択をし,やっとボストンに到着すれば,とても多くの選択すべき事柄がわたしをまっていました.アメリカではなんでもかんでもたくさんの選択肢があり,主体的に自分で選ぶことで自由を行使することが正しいという価値観が君臨しています.関西で普通の日本式教育を受けて育ったわたしは,自分で選択することがあまり好きではありません.選択するのが面倒臭いと思うし,選択の結果としての責任を負うことにもストレスを感じます.にもかかわらず,在米中は意思の力で多くの重要な選択をし,そのストレスに耐えてきましたが,とても疲れました.そもそもレストランに入って肉の焼き具合や,付け合せのサイドメニュー,正直まったく味などわからないワインの選択など,本当はしたくないのです.社交のために練習してできるようになりましたが,本心では,どの店に入るかぐらいは自分で決めるが,料理はすべて大将のお任せでお願いしたいのです.

悩んだ末に押し切られるように留学の選択をせよ
 “自由意志による選択とその選択に伴う自己責任”という米国の考えに無理やり合わせて生きていましたが,ずっとその価値観には違和感をもっていました.そんななか,安富歩氏の『生きるための経済学』をきっかけに,哲学者ハーバード・フィンガレットが行った孔子の道に関する研究を知りました.西洋ロマン主義の考え方では,人生を道にたとえれば,要所要所に分岐点(分かれ道)があり,人は各分岐点で自由意志により理性的な選択を繰り返しながら,自分の到着点を決定していきます.いまの自分の到達場所は,自らの無数の理性的な選択の結果であるので,責任は自分にあるというのが新自由主義の根底にある考え方です.しかし,フィンガレットによる孔子の道の解釈は,人生という道は“a way without crossroads”であり,分岐点はありません.分岐点はあるにはあるのですが,その分岐点に達したときには,自分が選択できる道はすでに決められているのです.
 これはどういうことかといえば,選択肢は複数あり,そのうちのひとつを自由意志により積極的に選ぶというのは欺瞞であり,人は重大な選択を迫られ,そのなかで否応なしに選択をするのが自然の姿であるということです.論理的に考えて,人は合理的選択をするというのは幻想です.最近の行動経済学の研究が明らかにしているように,数値で表しきれない価値観に関する選択や判断は理性ではなく,感情により行われます.人は理性的であろうとし,最後まで選択を粘りますが,所詮理性には価値判断をする力はないので,最後は感情に任せるしかないのです.留学するかどうか悩んでいる皆さん,できるだけ理性的であろうとし,とことん悩んでください.しかし,損得勘定で理性的に判断することは端から無理なので,最後は状況に押し切られるような状態に自分を追い込み,感情を起動させ,留学をするという価値判断をしてください.

苦い良薬を飲むことを許される優雅な贅沢
 “良薬口に苦し”とは,長期的に人を幸福にすることは,短期的には人をいったん不幸にすると解釈できます.たとえば,日本経済を長期的に改善し,きたるべき財政破綻を防ぐためには(=長期的に幸福になるには),いま増税やリストラなどの構造改革(=短期的な不幸)を受け入れなければなりません.しかし,短期的な不幸や苦痛が大きすぎると,人はそれを受け入れることができません.長期的な効果が出るのが何十年も先のことであれば,苦い良薬を飲み続けることはなかなかできないのです.その代わりに,短期的に効果のある痛み止めをついつい服用してしまいますが,痛み止めの常用は長期的には状況を改善しないどころか,むしろ死期を早めてしまうかもしれません.また,苦い良薬を飲み続けられないことの慰めとして,甘い毒薬(=毒まんじゅう)に食らいついて,進んで破滅してしまうかもしれません.“苦い良薬”を飲み続けるためには,常に医師が横につき,苦さの意味,つまり将来的なベネフィットを患者に訴え続けなければならないのです.
 いまの日本では大学改革の嵐が吹き荒れ,人文系学部は廃止や再編の対象にされ,危機に晒されています.生存のために,いかに社会に目にみえる貢献ができるのか,説明責任を問われています.わたしは大学の人文系学部は“苦い良薬”であると考えています.いまの日本を支える偉大な人材の多くは,人文系学部出身者です.そのような偉人たちも,大学を卒業してすぐに頭角を現したわけではないでしょうから,人文系学部の人材育成効果は,短期的にはゼロからダブルマイナスぐらいかもしれませんが,長期的にはトリプルプラスの可能性もあるわけです.ですから,いま政府から要求されている人文系学部の目にみえる社会貢献(=短期的な効果)はゼロからダブルマイナスの間なので,正直に答えれば短期的効果など示せるわけがありません.いままでの日本は経済的・精神的余裕があったので,短期的なマイナスを許容できました.いまは苦い薬も,将来の健康を手に入れるために耐えて服用してくださいと説明してくれる医師に相当する人物が,政治の中枢にかつては何人かいて,人文系学部での人材育成は短期的にはマイナスでも,長期的にはトリプルプラスに転化されるという神話を擁護してくれていたはずです.どうして神話かというと,教育の長期的効果は原因と結果の間が長すぎるため,効果を科学的には証明できない「脱連結」だからです(第8章参照).いっけん無駄にみえる回り道も結局はプラスに転化するという神話が,教育効果の脱連結を正当化するためには必要なのです.しかし,余裕のなくなったいまの日本では,その「苦い良薬を飲む」神話を擁護してくれるmedicine manに相当する人物はいないのです.
 留学の長期的効果も,厳密には証明できない神話です.留学から帰ってきた人みんながすぐに英語がしゃべれたり,グローバル人材になるわけではないので,冷静に考えれば短期的な効果はマイナスであるかもしれません.その意味では,留学という人材育成も,人文系学部と同じく政府の仕分け対象になってもおかしくないのですが,現実にはまったく逆に,政府は学生の留学を後押しするという奇跡が起こっています.余裕のない日本でこのような奇跡が起こるのは,留学という回り道をしたほうが結局は遠くまで行くことができ,多くを達成できるという神話を擁護してくれる人物がまだ政府の中枢にいるからでしょう.「回り道の神話」を擁護する人は,自分自身が回り道の価値を身をもって体験してきた人たちでしょう.「回り道の神話」は本当にあります.苦い良薬は実在するのです.でも,回り道は余裕がないとできません.余裕がないとできない回り道は,優雅な贅沢です.留学はいま奇跡的に政府が後押しする優雅な贅沢なのです.

留学で復讐する
 本書のタイトル「優雅な留学が最高の復讐であるLiving Well Abroad Is the Best Revenge」は,カルヴィン・トムキンズのエッセイ『優雅な生活が最高の復讐であるLiving Well Is the Best Revenge』へのオマージュです.この「優雅な生活が最高の復讐である」は辛辣なスペインの諺なのですが,ここで使われている復讐Revengeという言葉の語源は,「自らの正当性を立証する」という意のラテン語vindicareに由来します.したがって本書のタイトルには,留学とは,鮮やかな生(せい)のリアリティーを実感するなかで自分の力を試し,日本を外からみることにより相対的視点を確立することを通して,多少の承認不足では揺るがない「自らの正当性を立証する」優雅で贅沢な機会であるという思いが込められています.
 二〇一五年六月
 島岡 要
 はじめに
第1章 留学はするな─留学のベタ,ネタ,メタ
第2章 やりたいことのない「普通」のあなたに留学を勧める理由
第3章 留学というプロジェクト
第4章 生存戦略としての留学
第5章 Let It Goの罠と留学
第6章 「グローバル化」という中空構造
第7章 大人が「グローバル人材育成」に貢献できること
第8章 大学教師はじまりの物語
第9章 「脳トレ」としての英語─英語で頭を鍛えて賢く長生きする
第10章 なぜわれわれは若者に留学を勧めるのか
対談編
 1 椛島健治
 2 藤井直敬
 3 色平哲郎
 4 窪田 良
 5 矢倉英隆
 6 別役智子
 7 今井由美子
 8 山本雄士

 解説(門川俊明)