やさしさと健康の新世紀を開く 医歯薬出版株式会社

緒言
 我が国の医療安全を巡る議論は,1999 年の二つの医療事故を契機に始まりました.特に,2004 年4 月の広尾病院院長に対する最高裁判決は,医師法21 条は憲法38 条で規定された自己負罪拒否特権に反するという主張を退けるもので,病院長が同条違反により有罪とされました.このことは,多くの医師に衝撃を与え,同年9 月に,日本医学会の基本領域19 学会から「診療行為に関連して患者死亡が発生したすべての場合について,中立的専門機関に届出を行う制度を可及的速やかに確立すべき」とする共同声明が発表されました.これに答えるかたちで厚生労働省の補助事業として,「診療行為に関連した死亡の調査分析モデル事業」が開始されました.第三者機関による医療事故調査が緒についたのです.
 私たち,公益財団法人 生存科学研究所 医療政策研究会では,この当時から,医療過誤の責任のあり方を研究するとともに,第三者機関による調査もさることながら,病院が主体的に公正中立に事故調査を行い,真相究明と再発防止に努めることの重要性を強調してきました.病院自体が主体的に事故調査に取り組むことにより,組織として医療安全文化が醸成され,現場に即した再発防止策が可能になると考えられます.厚生労働省が新しく死因究明制度に関するあり方を検討し,大綱案を提出した時にも,私たちは,一貫して,院内事故調査の重要性を説いてきました.そして,2009年には院内事故調査をどのように行っていくべきかについて,『院内事故調査の手引き』を刊行し,各病院が主体的かつ公正性,透明性を確保しながら院内事故調査を行っていく方法を示しました*.
 この大綱案は法制化されることはなく,医療界が,死因究明をする機関設立を求めて10 年以上の時を経ました.そしてようやく2014 年6 月の医療法の改正により,2015 年10 月から,すべての医療機関を対象とした公的な医療事故調査制度が始まることになりました.医療を受ける立場と医療を提供する立場では,その主張に大きな隔たりがあったとはいえ,この制度は.すべての人に待ち望まれた制度と言っても過言ではありません.
 この医療事故調査制度は,「医療事故調査・支援センター」の設立を伴うものですが,あくまでも医療事故調査の主体は,医療事故が発生した病院です.すなわち,医療事故調査の基本が院内事故調査にあることには変わりありません.
 私たち医療政策研究会は,メンバーの多くが長年医療安全の現場で働いてきた,また,働いてきている医師,看護師です.この2 年間,新制度の中での院内事故調査の在り方およびその方法について,厳しい議論を繰り返し,ようやくこのマニュアルの完成をみました.
 本書は,院内事故調査の経験がない診療所など小規模医療機関から,すでに経験がある医療機関まで,すべての医療機関を対象に院内事故調査をどのように行うべきか,現場の疑問に即してまとめたものです.
 院内事故調査を進めていくに当たり,最低限すべきことと,逆にしてはならないことを明確にしました.さらには,これまで院内事故調査を経験している大病院において,いかにして公正性,透明性を確保するか,より進んだ方法を読み取れるように記載しました.さらに,事故が起こる前の準備として,日頃から備えておくべきことも明記し,医療事故が起こる前の心構えも明らかにしました.
 また,医療安全管理者が病院長や患者家族からの対応に困るような場面を設定し,コラムで,その時の対応を整理してみました.
 この「院内事故調査マニュアル」が院内事故調査の公正性・透明性を高め,医療安全文化の醸成に役立つことを願っています.
 平成27 年8 月
 監修 中島 勧
 研究会代表 神谷惠子
1章 院内事故調査と法令にもとづく手続き
2章 院内事故調査委員会の目的と役割
3章 重大有害事象発生時の初期対応
4章 緊急対応会議
5章 院内事故調査委員会設置基準
6章 院内事故調査の準備と事務局体制
7章 院内事故調査委員会の組織
8章 院内事故調査委員会の進め方
9章 原因分析の進め方
10章 事故調査報告書の書き方
11章 事故調査報告書の取り扱いと公表
12章 患者・家族への対応
13章 有害事象を経験した医療者への支援
14章 再発防止策の策定と実施状況の検証
 【巻末資料1】根本原因分析(RCA)の進め方
 【巻末資料2】 特定機能病院の医療機能評価機構に対する医療事故報告の範囲及び方法
 【巻末資料3】 改正医療法新旧対照表(改正法・省令・通知等 完全整理)
 【索引】