やさしさと健康の新世紀を開く 医歯薬出版株式会社

はじめに
 漢方(本書ではとくに断らない限り,日本の漢方と中国の中医学をひっくるめて「漢方」と呼びます)のもつ本当の力を現代にも活かすには,すなわち漢方を真の意味で普及させるには,普通の医師がこれを使いこなせなければならないでしょう.しかし,現在一般に行われているやり方ではなかなか難しいように筆者は思います.その理由は何でしょうか.
 第一に,医師の感覚の問題があります.現代医学のように診断方法が精密を極めてくると,それまでには見つからなかった病気が当然見つかることになります.すると医師はこぞって高度な検査の習得に走るので,問診や理学的診断法などの原始的な診断法は二の次になり,そのレベルが下がるのはある程度しかたがないことでしょう.漢方では四診という原始的で単純な診断をし,しかもそれが治療に直結します(弁証論治・方証相対)が,医師の五感がすべてであり,これが鈍ければ診断の精度,治療効果が落ちます.しかし人は現在のように便利な世の中に生きていると,自然の微妙な変化に鈍感になってくるものです.五感が鈍感になっているのです.2,000年前には,医師は微妙な脈証の変化だけであらゆる病気を弁別できたと『傷寒論』には書いてありますが,われわれ現代の医師にこれを求めるのは無理でしょう.しかし残念なことに,現代の多くの漢方書は,われわれが昔の医師並みに敏感であることを前提に書かれていると筆者は感じています.
 第二に,漢方の世界が独特な風を持っている点でしょう.漢方は診断・治療技術が客観性に乏しく,口移しで,あるいは手取り足取り伝えるのに適しています.そのためか漢方界には師弟制度(徒弟制度?門閥?)がこの現代には珍しくまだ残っていて,新参者に決して門戸を大きく開いているわけではないと筆者は感じています.学問の世界には権威も門閥も不要ですが,漢方が学問であるのならば,その診断・治療技術はどこででも通用し,誰もが学べるものでなければなりません.そうでなければ漢方の普及・発展はおのずと阻害されるでしょう.
 極度に難しい理論はこれを易しくマスターできるようにし,高度な感覚を磨いて初めてなしうる診断方法は,これを多少鈍感な人でも可能にするようなものにしなければなりません.また,一部の秘伝として伝わる知識や技術はできるだけ公開し,誰にもアクセスできるようにして,よいものは皆で共有し,また公の批判に曝すことでこれを磨き,医療における人類の資産としなければならないとも思います.
 筆者は,そのような問題点を解決するつもりで『漢方・中医学講座』シリーズを執筆してきたのですが,今回の『診断学編』では,筆者がいろいろな漢方医の診察に立ち会って吸収したこと,あるいは日常の臨床で苦心惨憺しながら得た診察のヒントなどを,できるだけ伝えるようにしました.そのため,文章では無理な部分は画像を用いることにしました.『鍼灸編』と同じくDVD方式を採用し,下手な診療をお見せすることでその目的を達したのではないかと思います.
 本書は診断学習得のためのきっかけに過ぎません.決して第一級の内容ではありません.しかし,いろいろな流派を横断してみた結果,これくらいのことを身に着けていれば,読者諸氏が将来それを礎としてなんとか発展させていけるのではないかと思う次第です.
 本書ではとくに,類書には少ない望診・聞診・問診の充実を図りました.法律上,脈診・腹診は医療行為に当たり,医師でなくては行えないものですが(舌診も微妙なところだと思います),望診・問診は誰にでも行える「診察」行為です.実際に多くの患者を「治療」する薬剤師の方などはこれをどんどん極めていただきたいと切に願います.
 腹診は,やはり漢方の最重要な診断技術であり,医師ならば比較的誰にでも習得できる技術であるにもかかわらず,筆者はこれまでの「講座」では軽く紹介したに留めていましたため,今回はここにも大きな力点を置くことにしました.また,脈診はテクニック習得が困難ですが,できるだけ簡明に記述してみました.これをヒントに脈診にも少しずつ強くなっていただければ幸いです.舌診も同様です.
 2009年春
 著者識
 はじめに
 《DVDのご使用にあたって》
第1章 漢方の診断学とは
 1.本章のはじめに
 2.四診とは何か
  1 四診で何がわかるのか
  2 四診の運用について
  3 四診で診察,診断を行うことについて
  4 四診が拠って立つ理論とは
  5 四診の科学性_-現代医学でいうところの何を見ているのか
 3.本章の終わりに-漢方・中医学の診断学の歴史的変遷について
第2章 漢方・中医学の診断学を支える理論
 1.本章のはじめに
 2.陰陽五行論〔理論の復習1〕
  1 陰・陽理論
  2 虚実・寒熱・表裏
 3.気・血・水(津液)理論〔理論の復習2〕
  1 気・血・水(津液)の病理
  2 気・血・水(津液)異常の治療原則
 4.臓腑理論〔理論の復習3〕
  1 臓腑の生理機能
  2 臓腑の病理
 5.五行理論〔理論の復習4〕
  1 人体における相生・相克とは何か
  2 陰陽五行理論の弾力的解釈と運用
   (1)肝と心
   (2)心と脾
   (3)脾と肺
   (4)肺と腎
   (5)腎と肝
   (6)肝と脾
   (7)脾と腎
   (8)腎と心
   (9)心と肺
   (10)肺と肝
  3 臓と腑の関係:臓腑が表裏(陰陽)をなす
  4 腑-腑の関係
  5 臓腑異常の漢方治療の大原則
 6.病の原因について
 7.本章の終わりに
第3章 望診
 1.本章のはじめに
 2.望診とは
 3.望診の実際
   (1)全体像
   (2)眼
   (3)顔
   (4)全身骨格・姿勢・歩行状態
   (5)皮膚・頭髪
   (6)その他排泄物など
 4.望診のまとめ
 5.本章の終わりに
第4章 舌診
 1.本章のはじめに
 2.舌診のもつ重要性
 3.舌診で何をみるのか,何がわかるのか
 4.舌診のしかた
   (1)舌の色調
   (2)舌の形状
   (3)舌苔
    ・(補)血おの特徴的な所見
   (4)舌の動き
 5.舌診における注意点
  1 採光
  2 姿勢
  3 食事内容など
  4 舌証変化
 6.舌診のトレーニング
 7.舌診四診への統合
 8.本章の終わりに
第5章 聞診
 1.本章のはじめに
 2.聞診とは何か
 3.聞診の実際
  1 聴覚によるもの
   (1)声の性質
   (2)口数
   (3)呼吸に関するもの
   (4)消化管
   (5)その他
  2 嗅覚によるもの
 4.聞診で何が分かるか
 5.聞診の限界
 6.本章の終わりに
第6章 問診
 1.本章のはじめに
 2.問診の重要性
 3.漢方の問診
   (1)問診票
   (2)寒熱
   (3)疼痛
   (4)食欲の異常
   (5)睡眠の異常
   (6)便の異常
   (7)気分の異常
   (8)汗の異常
   (9)頭の異常
   (10)耳の異常
   (11)眼の異常
   (12)鼻の異常
   (13)喉の異常
   (14)呼吸・胸部の異常
   (15)口の異常
   (16)腹の異常
   (17)生殖器の異常
   (18)皮膚の異常
   (19)四肢の異常
   (20)感覚の異常
    ・よく食べる飲食物について
    ・嗜好品
   (21)月経の異常
 4.問診のまとめ
 5.問診の四診への統合
 6.本章の終わりに
第7章 切診その1 脈診
 1.本章のはじめに
 2.切診全般について
 3.脈診について
  1 脈診の欠点
  2 脈診の客観性・再現性はないのか
  3 脈診のもつ重要性
 4.脈診のしかた
  1 脈診にかかる時間
  2 脈を区別すること
 5.基本脈
   (1)数・遅〈病の寒・熱を知る〉
   (2)浮・沈〈病の表・裏の位置を知る〉
   (3)虚・実〈病に対する体の抵抗を知る〉
 6.その他の基本脈
   (1)大脈・小脈(洪脈・細脈)
   (2)緊脈・緩脈
   (3)滑脈・渋脈(しょく脈)
   (4)長脈・短脈
 7.その他に覚えておくとよい脈証
   (1)促脈・結脈・代脈
   (2)それ以外の脈(複合脈)
    a.動脈
    b.牢脈
    c.濡脈
    d.弱脈
    e.こう脈
    f.散脈
    g.革脈
 8.五臓と脈
 9.四診の中の脈診
 10.本章の終わりに-脈診のトレーニング
第8章 切診その2 腹診
 1.本章のはじめに
 2.腹診とは何か
 3.腹診の歴史-なぜ腹診は漢方で重要なのか?
    ・漢方+中医:ハイブリッド東洋医学のすすめ
 4.腹診の長所と短所
   (1)簡単であること
   (2)再現性があること
 5.腹診のしかた
  1 立ち位置と患者の姿勢
   (1)立ち位置
   (2)患者の姿勢
  2 腹診1.腹部の観察
   (1)腹壁外観の異常
   (2)腹部の膨満・陥凹
   (3)蠕動不安
   (4)心下満
   (5)小腹満
  3 腹診2.腹部全体の腹力・緊張
   (1)腹力と緊張
   (2)腹壁の解剖
   (3)腹壁の緊張と虚実
  4 腹診3.部位別の異常所見
   (1)胸脇苦満
   (2)心下痞
   (3)胃内停水の振水音
   (4)腹裏拘急
   (5)臍周囲の動悸
   (6)臍周囲の硬結・圧痛
   (7)正中芯
   (8)少腹(小腹)拘急・弦急
   (9)小腹不仁(臍下不仁)拘急
   (10)小腹急結
 6.腹証の科学的意味
 7.腹証と処方
 8.臍傍部圧痛点と経穴について
 9.本章の終わりに
第9章 四診以外の診断法
 1.本章のはじめに
 2.耳診法とは
 3.漢方診療にも西洋医学的検査を導入する
 4.本章の終わりに 第六感による診断?

 索引
 あとがき