やさしさと健康の新世紀を開く 医歯薬出版株式会社

刊行に寄せて
 人のいのちの終わりが近いことを予知する兆候はいろいろあるが,本人の苦痛はもとより,介護者にとっても辛い思いを味わうものの一つは嚥下障害である.栄養の低下と脱水症状が起きるので,なんとか水分補給をしようと試みるが,誤嚥による肺炎のおそれや窒息の危険性が高いので,つい経口摂取の努力を鈍らせることになる.
 筆者の経営する特養ホームでも,1984年ころまでは協力病院に入院していただいたが,あるときふと気づいてみると,入院したほとんどの人が帰らぬ人となっていたのである.もちろん,それぞれが重い病気をもっていたので,死は免れえなかったといえばそれまでだが,どうもそれだけではないのではないか,入院させたこと自体に原因があったのではないか,という思いがつのるのであった.きっと老人たちは,私たちが口で言わなくても,自分の容態が施設では手に負えないほど重いので,介護をあきらめて入院させられたと思ったのではないか.その結果,自分はもうダメだと,死を早めてしまったのではないかという反省であった.
 介護とは,単に身の回りの援助だけでなく,心の部分まで支えていることを改めて認識するとともに,口から食べることが,どれほど大きな生き甲斐になっているかということを発見したのも,大きな収穫であった.
 このような経緯があって介護食の研究は始まったが,嚥下に障害があれば鼻経管や完全静脈栄養が現在も当たり前に行われている状況のなかで,口から食べさせる研究は皆無であり,どこから手をつければよいかわからなかった.幸い,久留米大学医学部耳鼻咽喉科学教室(主任・平野 実教授)が,早くから嚥下障害について研究していることを知り,文献の恵与を受け嚥下メカニズムの理解を深めることはできたが,当時はまだ口から食べさせる研究は前人未到の領域であった.
 その後,介護食の調理法や体位の保持,食べさせ方の工夫など,試行錯誤のなかから多くのことを発見し介護食を完成させたが,その陰には手嶋教授や椎野管理栄養士など,たくさんの方々のご協力があったことを改めて感謝したい.
 ともあれ今後の高齢社会では,痴呆や脳血管障害に合併する嚥下障害は避けられない課題であり,その場合,介護食はきわめて有用な役割を果たすことになると考えられる.というのは,高齢者の人権を尊重し,QOLという視点から考えると,現在一般化されている非経口的栄養管理は,いつか見直しを迫られ,食事や水分摂取の基本は,あくまでも経口的であるべきという風潮が高まるのではないかと思われるからである.
 慶應義塾大学医学部消化器内科の石井裕正教授は,「栄養は経口的ルートで補給される場合と,完全静脈栄養などの非経口的ルートで行う場合とでは,免疫ネットワークへ与える影響に大きな差異が生じる.完全静脈栄養は食事摂取の不十分な患者の栄養管理に広く応用されているが,その結果,腸管の粘膜萎縮をきたし,さらに感染症への抵抗力を減少させる」と述べ,さらに「長期間,完全静脈栄養でラットを飼育すると,T細胞数の減少を伴うパイエル板の減少が顕著に見られる.これは経口摂取の刺激がGALT(消化管リンパ組織)の機能と形態を維持するのに,いかに重要かを示唆している」と述べている.その意味で,非経口的栄養管理に依存するのは極力避けるべきであり,高齢者を終わりまで人間らしく支えるうえで,介護食は欠くことのできない食事であることを強調しておきたい.
 高齢者総合福祉施設 潤生園 時田 純

第2版の序
 本書『介護食ハンドブック』の初刊は,介護保険法がわが国ではじめて制定された記念すべき年,2000年のことであった.あれからまだ10年しか経っていないのかと思うほど,世の中の様相は激変した.人口高齢化はますます進展し,要介護者の増加により,国をあげて高齢化対策に取り組まざるをえなくなり,とくに,認知症や嚥下障害の問題が大きな社会問題になってくるのは自明のことである.
 この介護食ハンドブックが上梓された1999年の高齢化率は16.7%であり,わずか10年足らずの間に6ポイントも上昇し22.7%となった.今後の人口予測をみても2025年には28.7%が高齢者になることが予測されている.とくに75歳以上の後期高齢者は10%を超え,医療・介護・福祉・在宅の場では,食事を普通に口から食べられない人や低栄養の人への対応がますます緊急な重要課題になってきた.
 摂食・嚥下障害に関わるあらゆる職種の人々は,口から美味しく食事をするための努力を惜しまず,最大の努力をしていかなければならない.
 国としての対応は,2005年10月の介護保険法改正により,介護老人施設において管理栄養士による栄養ケア・マネジメントが施行されることになり,要介護高齢者の低栄養状態を早期に発見し“食べること”を通して低栄養を改善し,自分らしい生活の確立と自己実現を支援することを目的に,個別に対応した栄養管理を実施する取り組みがはじまった.摂食・嚥下困難な施設入居者の「口から食べる」ための取り組みに“経口移行加算”が創設されることになり,また2006年4月から“経口維持加算”も追加された.
 また,懸案になっていた“嚥下食の基準化”の問題については,2008年に厚労省により設けられた「特別用途食品制度の在り方に関する検討会」のなかで,これまでの高齢者用食品は「えん下困難者用食品」になり,基準I・II・IIIの3段階のレベルが設けられ,2009年4月1日から新制度による認可が消費者庁においてはじまった.
 施設や在宅の摂食・嚥下困難な療養者に提供する食事は,個々の摂食・嚥下機能に応じた食形態の食事で対応をする必要がある.しかしながら,その標準となる基準マニュアルがこれまでないため,各施設ではさまざまな名称の食事(嚥下食,介護食,やわらか食,ソフト食,刻み食,ブレンダー食など)が提供されており,その食種をだれがどのようにして決めるのかなど,早急に解決すべき介護食をめぐる問題点が多くある.
 医療や介護に携わる専門職は,療養者とともに納得できるよいケアがどうすればできるのかと,日夜頭を悩まし続けている.
 本書の基本となっている“介護食”のコンセプトは,最後まで人間としての尊厳を維持し,口から美味しく食べられる食事によってQOLを維持することにある.
 本書の改訂にあたり,初心を忘れず,介護食のもつ意味をさらに深めていけたらよいと願っている.
 2010年9月
 編著者代表 手嶋登志子


 「お食事はいかがですか?」「おそうめんですけど,ぜひ召し上がってみてください」――その“おそうめん”は,つけ汁と一緒に寒天で寄せられて,水ようかんのようにお皿の上にきれいな彩りで盛りつけられていました.食べられなければ,“刻み食”,“ミキサー食”,“チューブ栄養”,そして“点滴”という光景を見慣れていた十余年前の私と“介護食”との衝撃的な出合いでした.
 この特別養護老人ホーム潤生園では,認知症のお年寄りでも“人間らしく”最後まで口からおいしく食事をすることができるように,咀嚼や嚥下障害の程度に合わせた食物形態に調理し,それもどろどろのままでなく,きれいに再成型した食事をケアワーカーの方が敬語をつかって食事介助しているのでした.
 「あなたが食べたくないもの,おいしくないものを,どうしてお年寄りが食べてくれますか」「信頼感がないと,なかなか口を開けてくれませんよ」.介護食を考案されたという時田施設長は,優しそうなお顔をちょっと厳しくして話されました.
 すっかり,“介護食のとりこ”になってしまった私は,多くの方々,とくに栄養士の方々にぜひ知ってもらいたいと考え,月刊誌「臨床栄養」に取材をお願いしたのですが,当時は病院中心に取材していたこの雑誌の担当者は,「老人ホームでは撮影場面が足りないのでは」と,はじめは断られたのです.しかし,「高齢社会ではもっとも重要になるテーマですよ」という“熱心な口説き(?)”に応えて,やっと編集部のN氏が小田原に出かけてくださり,“介護食”の4回連載が実現したのです.この連載は医療や介護の場で,日夜お年寄りの食事に関わっていた心ある人々に,大きなショックと感動を与えたものでした.しかし,まだ一般の栄養士には嚥下障害に対する知識や関心はほとんどなかったのです.
 その後,本書の著者たちは当時,聖隷三方原病院リハビリテーション科長であった塩浦政男先生とともに,“嚥下障害のある老年者のための食事(介護食)の開発−介護食による栄養管理とテクスチャー”というテーマで研究助成を受け,共同研究を行い,報告書(すかいらーくフードサイエンス研究所による研究助成)をまとめました.そこで,これをベースに本をつくり,“嚥下障害と食事の関わり”,“介護食の意義”,“介護食のレシピ”を少しでも世に広めることができないものかと考えました.
 しかし,時間を食いつぶす悪魔の仕業(?)なのか,多くのアクシデントがつぎつぎと本書の完成を妨げ,企画から完成までに予想以上に年数が経過してしまい,皆様に多大なご迷惑をおかけしてしまいました.それでもやっと,介護保険のスタートを前になんとか発刊することができました.
 本書の刊行にあたって,老年栄養学に開眼させてくださった元浴風会病院副院長 篠原恒樹先生,絶大なるご支援を賜った潤生園理事長 時田純先生,聖隷三方原病院栄養科長 金谷節子先生,多くのことをお教えいただきご協力くださった職員の方々やお年寄りの方々,そして私どもを励まし根気よく出版までこぎつけてくださった医歯薬出版編集部に心から感謝申し上げます.
 一人でも多くの方々の“口から食べる幸せ”を願って
 1999年10月
 著者代表 手嶋登志子
 刊行によせて
 第2版の序
 序
 はじめに
1 高齢化と摂食・嚥下障害(手嶋登志子)
 1−人口の高齢化と要介護高齢者の増加
 2−高齢者の栄養状態に影響する要因
 3−高齢化に伴う摂食・嚥下機能の低下
  1)老化と食事摂取
  2)老化と嚥下機能の低下
  3)咀嚼力の低下
  4)食欲不振
  5)コミュニケーション障害
2 嚥下のメカニズム(塩浦政男)
 1−先行期
 2−準備期
 3−口腔期
 4−咽頭期
 5−食道期
3 嚥下障害とは(塩浦政男)
 1−嚥下障害の原因
  1)静的障害
  2)動的障害
 2−嚥下の各期別の問題
  1)準備期および口腔期
  2)咽頭期
  3)食道期
4 嚥下機能の評価(塩浦政男)
 1−臨床評価
  1)臨床症状
  2)病歴
  3)神経学的診察
  4)血液検査等
 2−嚥下造影検査
 3−その他の検査
5 嚥下障害の治療(塩浦政男)
 1−先行期
  1)意識障害,失認症,失行症
  2)食事介助
 2−準備期および口腔期
  口唇,舌,咬筋,頸部の運動障害
 3−咽頭期
  1)前咽頭期型
  2)喉頭挙上期型
  3)喉頭下降期型
 4−食道期
  食器への配慮
  食べるときの姿勢
6 介護食とは何か(手嶋登志子)
 1−“口から食べる”という意義
 2−嚥下食と介護食
 3−介護食の条件
7 介護保険と介護食(手嶋登志子)
 1−介護保険と栄養士業務
 2−要介護・要支援状態の認定
 3−要介護状態と“介護食”
8 摂食・嚥下障害をもつ高齢者の栄養管理(松崎政三)
 1−高齢者の特徴
 2−栄養アセスメント
 3−栄養基準量
 4−栄養療法の実際
 5−栄養教育
 6−栄養教育の効果判定
 7−嚥下障害者への具体的対応
  1)嚥下の課程と嚥下障害
  2)安全な食物摂取の訓練と条件
  3)安全な姿勢
  4)訓練食
  5)食事の必要条件
  6)メニューのポイント
  7)嚥下困難食の適応食品と調整
  8)栄養教育
9 介護食の形態とテクスチャー(大越ひろ)
 1−介護食の形態
 2−介護食のテクスチャー
  1)食物のテクスチャーとは
  2)テクスチャー測定の手法
  3)咀嚼や嚥下とテクスチャーのかかわり
 3−介護食の形態とテクスチャーの特徴
  1)介護食の形態の特徴
  2)介護食のテクスチャーの特徴
 4−介護食のテクスチャーを変化させる要因
  1)種類(素材の品質)
  2)濃度
  3)温度
10 介護食のつくり方のポイント(大越ひろ)
  1)時間をかけて軟らかく調理する
  2)ゼラチン,寒天などを使ってゼリー状にする
  3)ゼラチンや寒天で軟らかい寄せものにする
  4)汁ものはでん粉類などでトロミをつける
  5)くずあんやクリームをかける
  6)卵を使って軟らかい蒸しものにする
  7)やまのいもなど,つるりとしたものをかけたり,あえたりする
  8)油を使ってのどごしのよい状態にする
11 嚥下障害の対応事例
 病院の場合(塩浦政男)
 特養老人ホームの場合(椎野恵子)
  1−高齢者と嚥下障害
  2−嚥下障害の事例
  3−われわれの研究――嚥下障害への対応
  4−“救命食”の開発
  5−“介護食”の一症例
12 在宅患者の食事ケアのポイント(松崎政三)
 1−寝たきりで食べるところへ行けない場合は
 2−食事をする体位がとれない場合は
 3−手で食事器具がつかめず,口に運べない場合は
 4−食欲がない場合は
 5−歯が悪くて咀嚼や嚥下がうまくできない場合は
 6−誤嚥が心配なときの食べさせ方
 7−水分補給の目安
 8−誤嚥した場合の対策
13 食事ケアの方法(椎野恵子)
 1−高齢者に起きる食生活障害
 2−食べる機能障害はどのくらいあるか
 3−嚥下は嗜好や食欲にも深くかかわっている
 4−食物形態は嚥下に大きく影響する
 5−嚥下障害を知ること
  1)口唇の動きをみる
  2)歯の状態と咀嚼機能をみる
  3)舌の動きをみる
  4)のど仏の動きをみる
14 介護食の栄養学的検討(手嶋登志子)
 1−栄養学的検討の必要性
 2−栄養素等摂取状況の推移
 3−身体状況の推移
 4−検討結果から
15 テクスチャーを改良する素材とその使い方(大越ひろ)
 1−ゲル化剤
  1)寒天
  2)ゼラチン
  3)カラギーナン製剤
  4)でん粉
  5)ペクチン
  6)カードラン
  7)その他のゲル化剤
 2−トロミ調製食品
  1)粘度(トロミ)の目安
  2)市販されているトロミ調製食品の分類と特徴
16 市販介護用食品と栄養補助食品の活用(大越ひろ)
 1−市販介護用食品の使い方と活用
  1)市販介護用食品の有用性
  2)市販介護用食品の種類
  3)日本介護用食品協議会とユニバーサルデザインフード(UDフード)
  4)市販介護用食品の活用
 2−栄養補助食品
  1)栄養補助食品はなぜ必要なのか
  2)栄養補助食品に属する製品とは
  3)たんぱく質調製食品など
  4)水分補給ゼリー
  5)流動食品
17 経腸栄養法(松崎政三)
 1−経腸栄養法とは
 2−栄養補給の方法
 3−経腸栄養法の適応と投与ルートの選択
 4−経腸栄養剤の適応疾患と選択
 5−経腸栄養の禁忌について
 6−経腸栄養剤使用の問題点と対策
  1)投与速度
  2)栄養剤の浸透圧
  3)栄養剤の組成
  4)栄養剤の細菌汚染
 7−経腸栄養剤の分類
 8−経腸栄養剤の選択
 9−胃瘻,腸瘻ルートを選択する場合
  1)意識障害などによる適応
  2)経皮内視鏡的胃瘻造設術
  3)経腸栄養の禁忌
  4)経腸栄養剤固形化投与
 便利な自助具のいろいろ
介護食献立(椎野恵子)
 一品料理
  赤のグループ
   卵黄プリン
   鶏肉ととうもろこしのスープ
   牛肉ゼリー
   鶏の寄せ蒸し
   鶏の水炊き
   レバーのテリーヌ
   きんめだいの煮こごり
   豆腐と豆のアイスクリーム
   まぐろのたたき
   むきがれいのもみじソースホイル蒸し
   さけのムース
   えびだんご
   親子蒸し
   魚のとろろ蒸し
   博多寄せ
  緑のグループ
   ほうれんそうの寄せもの
   わかめの寒天寄せ
   野菜の白和え寒天寄せ
   じゃがいも,にんじん,いんげんの寄せ合わせ
   カリフラワー寄せなめこあんかけ
   なすの寒天寄せ(甘みそがけ)
   はくさいの土佐和え
   とうがんの吉野汁
   しいたけのバター寄せ
   ぜんまいの煮つけ
   うどの甘酢寄せ
   かぼちゃプリン
   ひじきの炒り煮寄せ
   きんぴらごぼうの寒天寄せ
   かぶのごまあんかけ
   にんじんゼリー
   おろしりんごのゼリー寄せ
  黄のグループ
   とろろ汁
   さといものごま汁
   じゃがいもの冷やしスープ
   白粥の梅あんかけ
   雑炊の茶碗蒸し
   小田巻き蒸し
   吉野くずの冷やしだんご
   さといものみたらしだんご
   じゃがいも寄せの梅ソース
   カステラプリン
   フレンチトースト
   さつまいもの水ようかん
  救命プリン
   ヨーグルトゼリー
   ミルクプリン
   レモンシャーベットソフト
   水ゼリー(オリゴ糖入り)
   ウルトラポカリゼリー
   ウルトラお茶ゼリー
   ぶどうジュースゼリー
   ウルトラピーチゼリー
   トマトジュースゼリー
 組み合わせ献立−四季の行事食
   ひなまつり/春 寄せずし・ほか
   七夕/夏 うなどん・ほか
   お彼岸/秋 おはぎ・ほか
   おせち料理/正月 雑煮・ほか
Q&A
 嚥下障害(塩浦政男)
 介護食の形態(大越ひろ)
 嚥下訓練・栄養補助食品(松崎政三)

 文献
 栄養補助食品・増粘剤取り扱い店一覧