やさしさと健康の新世紀を開く 医歯薬出版株式会社

日本語版への序
 本書が,英国で好評を得て第三版として改訂増補し,書名も新たにAchieving Oral Healthと変更した機会に,日本の皆さんにご推薦できるようになったことを光栄に思います.日本の読者の皆さんが,本書を通じて行動科学に十分な関心と理解を示され,全人的な歯科医療を進めるうえで,それらを役立てられることを願っています.
 歯科医療には多様な能力が求められ,それだけに従事者へのストレスも無視できません.特に,今日の歯科医師には,機械の修繕のように定型的な治療技術よりも,チーム医療のリーダーとしての指導性が問われるようになってきています.読者が,より充実し,満足できる歯科保健医療に従事できるようにするために,本書は必須の手引きとなるものと期待しています.まず本書は,あらゆる歯科医療現場の従事者が,最高水準の十分な知識と理解を獲得したうえで,常に患者と地域社会に最良の利益を提供する義務があるという重要な基本原則を提起しています.それと同時に,本書では,学生たちが,患者に対してだけでなく,歯科医療チームを構成するスタッフ同士の,必要なコミュニケーションをも学ぶことができると思います.つまり,歯科医療を,できるかぎり充実した楽しい業務とするために,本書が活用できるように配慮したつもりです.
 歯科医療における受診者への対応,診療や保健指導計画,さらに日本における歯科医療の今後の発展を育むうえで,本書は大きな力添えとなるものと確信しております.
 二〇〇五年五月 ロンドン
 レイ・クローチャー(ロンドン大学クイーンズ・メリー校地域口腔保健学教授/大学院歯学研究科副科長)

推薦のことば
 歯科医療は大きく変わりつつある.なかでも,口腔保健の改善や健康に対する関心の高まりのなかで,国民はより質の高い医療を求めるようになってきている.安全に加えて,安心の医療が求められるゆえんである.日本歯科医師会や日本歯科医療管理学会でも,このような国民の期待に応えて,安心から信頼の医療を目指した取り組みが今日の重要な課題となっている.
 歯科医学教育もまた変わりつつある.これまでのように,基礎医学,基礎歯科医学のうえに臨床歯科医学を学ぶだけではなく,歯科医療管理学や行動科学などの分野が占める割合がますます大きくなりつつある.その背景には,臨床実習前に共用試験やOSCEの実施が始められようとしていることもあるが,それだけでなく,歯科医療の現場がこれまで以上に高い信頼と指導性を求められるようになってきており,それを支えるコミュニケーションスキルや人間科学に関する深い洞察力の向上を必要としているからである.
 私自身もいくつかの大学で歯科医療管理学や歯科医療コミュニケーションを担当しているが,そのなかでは,「職業としての歯科医師を知る」,「組織としての歯科診療所の在り方を知る」,「地域での歯科診療所の在り方を知る」,および「患者さんは自分の気持ちや感情をどのように表しているかを知る」という四つの目標を提示している.医療面接から,診査・診断を経て,治療計画の説明と同意,治療中や前後の説明,そして予防や保健指導にいたる一連のコミュニケーションの良否が信頼関係に影響する.また,歯科医師が歯科診療を通じて自らの理念を実現させていくには,チーム医療や連携医療を構築することである.地域におけるリーダーシップを発揮していくための裏づけとなるのがコミュニケーションと観察・洞察力でもある.
 本書は,このような人間科学的な理解を身につけるうえで,歯科医療従事者や歯科学生の必携の書となるに違いない.特に,わが国でこれまで入手できたコミュニケーションに関するテキストの多くが歯科臨床に従事する立場から記されたものであるのに対し,本書は,まえがきにもあるように,社会学者と心理学者による歯科臨床に関する具体的な指針を含むものである.既に英国では初版以来好評を得て,第三版の発行に際して大幅な改訂とともに原著の書名も変更されている.このたび,日本の読者にもその内容が理解できる形にされたことにつき,快哉をおくりたい.
 二〇〇五年五月
 高津茂樹〔日本大学歯学部客員教授(歯科医療人間科学)日本歯科医療管理学会会長日本歯科医師会常務理事(医療管理・税務)〕

推薦のことば
 歯科衛生士学校養成所指定規則の改正に伴い,新しい指導要領が発表されました.そのなかで,基礎分野の教育内容は,「科学的思考の基盤」,「人間と生活」であり,教育の目標は,人間を幅広く理解するために必要な「人間関係論」や「カウンセリング論と技法」を含むものとなっています.また,専門基礎分野や専門分野においても,「歯・口腔の健康に関するセルフケア能力を高める教育的役割」や「地域における調整能力」,あるいは「高齢者や要介護者,障害者等を対象とした歯科診療補助及び歯科保健指導・教育の支援能力」を養うなど,新たな目標が掲げられています.
 このように,これからの歯科衛生士には,多様な生活環境や健康状態にある人々に対して,その社会的,心理的背景を理解し,人間的に適切に対応することが求められています.
 本書は,歯科医療における人間関係を広い視点で捉え,より深く理解するうえでこれまでにない好著です.学生だけでなく,臨床や地域,また介護の場で活躍する歯科衛生士にも,ぜひご一読いただけることを期待しております.
 二〇〇五年五月
 金澤紀子(日本歯科衛生士会会長)

監訳者の序
 本書は,「歯科医療の心理学」という題で一九九一年に英国で発刊され,一九九八年に改版されているが,一九九九年に社会学的な視点から大幅に改訂増補がなされ,書名も「口腔保健の達成─歯科医療の社会的背景」へと変更された第三版の全訳である.
 英国の歯科医療審議会による「ファースト・ファイブ・イヤーズ」には,歯学教育の理念に「歯科医師は自らの判断や技能に頼るだけでなく,患者が精神的,身体的な能力や可能性を発揮できるようにする」必要が明記され,「行動科学を歯学教育の全過程を通じて,特に重点的な教育として行う」こととされている.わが国においてもOSCE導入等を契機に患者の接遇が重視されつつあるが,一人の人格について社会・文化的な洞察のもとに対処する能力の涵養に,本書が資するものとなれば幸いである.
 本書の分担訳出の話が具体化したのは,第五二回日本口腔衛生学会総会(二〇〇三年・北九州)において,シンポジウム「口腔保健への行動科学的アプローチ」の座長を務めることとなった新庄と,俣木をはじめとするシンポジストや指定発言者の打ち合わせの過程である.心理学領域の内容は山崎が同僚と担当した.二〇〇三年春に原著者の一人,R・クローチャー教授が来日された折には,ほぼ下訳が揃い,原著者から出版社に翻訳許可を働きかけてもらうこととした.それから出版まで二年余りを要したのは,ひとえに監訳者の力不足であったことをお詫びしなければならない.
 心理学,公衆衛生学,行動科学,その他の多様な分野が交差する内容なので,訳語ひとつにしても,分野によって用いられる言葉が異なることがあり,議論を要したが,訳注を入れることにより,原著者,訳者,監訳者の意図,ならびに従来の訳語との調整をはかり,できるかぎり読者の理解を助けるよう工夫をした.しかし,それでも理解しにくいところがあれば,責任はすべて監訳者にある.読者の叱声を待ちたい.
 二〇〇五年五月
 監訳者一同

原著第三版の序
 本書は当初,「歯科医療の心理学」として出版され,広範な読者を得て二版を重ねているが,このたび,内容を大幅に改訂して新たに出版したものである.これまで以上に質の高い歯科医療ならびに歯科保健サービスの提供を目指している歯科医師や歯科保健医療従事者にとって,心理学および社会学分野の新しい地平を示すものと確信している.
 歯科医師の役割については,近年,急速に見方が変化しつつあり,「孤独な技術者」とか,「歯や義歯の修理という狭い領域の技術に偏った専門家」という,旧来の歯科医師のイメージは,新しい役割にとって代わられようとしている.さらに,新しい歯科医師像としては,「生命科学者としての歯科医師」,「歯科におけるチーム医療のリーダー」,「批判的かつ建設的な思想家としての歯科医師」などというイメージすら掲げられている.なお議論の余地があるものの,これからの歯科医師に要請される資質を,これらの言葉が代弁しているのは確かである.そのような期待は,英国の歯科医学教育,許認可を担当する機関である歯科医療審議会の定めた歯学医学教育要綱「ファースト・ファイブ・イヤーズ」にも反映されている.
 本書第二版に,当時の歯科医療審議会の会長であったデーヴィッド・メーソン卿が序文をよせて,「審議会が求めるこれからの歯科医師の資質を獲得するうえで最適の書」と絶賛している.そのような本書の特性は,この改訂第三版において,さらに増強されている.したがって,本書を歯科医師のみならずあらゆる歯科医療従事者ならびに歯科学生が,一読されることを推薦したい.より質の高い患者サービスと診療計画,そして歯科医療の将来の発展にとって,本書は,前書をはるかに上まわる貢献を果たすものと確信している.
 F・C・スメイルズ(香港大学歯学部長)
 日本語版への序
 推薦のことば
 監訳者の序
 原著第三版の序・謝辞

第一編 歯科医療の社会的背景
 第一章 歯科医療の新しい課題
  口腔保健の向上
   歯科医師に求められるもの
  本書のねらい
   社会学および心理学とは何か/科学的根拠に基づく歯科医療―社会学と心理学は単なる常識か
 第二章 口腔の健康とは何か
  健康の定義
   人々がどのような健康観をもっているか
  口腔が健康であるとはどのようなことか
   口腔保健の評価尺度/機能障害,能力低下および社会的不利/口腔保健における社会・歯科学的指標
  口腔保健の多様性
   疫学的背景
  社会階層
   社会階層の評価/社会階層と口腔保健/社会階層による格差の解釈
  口腔保健を確立するための歯科医師の役割
   疾病構造の変化/ヘルスプロモーションと健康教育/う蝕有病状況レベル変化へのフッ化物の寄与/かかりつけ歯科医としての新しい役割
  まとめ
  実践のためのヒント
第二編 歯科医療における臨床心理
 第三章 なぜ歯科医療は不安を生じさせるか
  不安とは何か
   診療状況に応じた不安/不安の自己評価/生理的な徴候/不安によって生じる行動/歯科受診の忌避傾向/歯科不安が意味すること
  不安の原因
   準備説/不確実性/経験による影響/生物学的差異
  まとめ
  実践のためのヒント
 第四章 不安をどう軽減するか
   不安を防ぐこと/長く持続する不安/基本的な原則
  モデリング
   モデリングに関する実験
  不確実性の軽減
   話して,見せて,それから行う/心の準備のための事前情報/どこまで患者に知らせるべきか/対処能力を増やすには
  情緒的支援
   診療室に保護者を入れるべきか
  リラクセーション
   リラクセーション/系統的脱感作
  認知的アプローチ
   注意のまぎらわし法/認知的変容
  どの方法が有効か
   各種療法の共通要素/患者にあった療法の選択/臨床心理の専門家
  まとめ
  実践のためのヒント
 第五章 痛みのコントロール
  痛みの経験
   ゲート理論/ゲート理論の意味
  痛みを測定する
   生理的測定法/自己報告法/行動科学的測定法
  痛みの緩和
   痛みと不安/感覚―弁別的要素/情動的―動機づけ要素/認知―評価的要素/急性の痛みと慢性的な痛み
  まとめ
  実践のためのヒント
第三編 歯科医療とコミュニケーション
 第六章 何が歯科医療を妨げているか
  プロフェッショナルケアとセルフケア
   口腔保健におけるプロフェッショナルケアとセルフケアの使い分け/氷山の一角
  健康時行動と不調時行動
   受診に影響する要因
  いつ,どの歯科医院を受診するか
   歯科受療を妨げるもの/歯科医師はどのように見られているか/医師│患者関係のモデル/歯科医師と患者のコミュニケーション
  歯科医師とストレス
   歯科医療における社会化/歯科医師のストレス
  まとめ
  実践のためのヒント
 第七章 セルフケアをどう支援するか
  保健信念モデル
   行動変容ステージモデル
  教育的アプローチ
   教育プログラムについての実験的研究
  動機づけアプローチ
   行動分析/行動分析の応用/負の結果に注目させる
  歯科診療室における効果的な予防歯科プログラムをデザインする
   その一 明確かつ正確に問題点を指摘する/その二 問題となる行動の頻度をチェックする/その三 介入目標を具体的に定める/その四 行動変容/その五 強化/その六 予防プログラムにおける失敗
  まとめ
  実践のためのヒント
 第八章 特別の配慮を要する人々とのコミュニケーション
  高齢者の特性
   死別/無歯顎になること
  障害者の特性
   学習障害
  精神保健に関わる問題
   臨床上問題となる抑うつ/摂食障害
  歯科矯正治療
   矯正治療への協力姿勢/治療による社会的,心理的効果
  まとめ
  実践のためのヒント
 第九章 コミュニケーションとインフォームドコンセント
  コミュニケーションとは何か
   治療方針の決定に患者が参加すること/言語的コミュニケーション/非言語的コミュニケーション
  コミュニケーションスキルをどう教えるか
   コミュニケーションのトレーニングプログラム/コミュニケーションプログラムの評価
  歯科医療における倫理的課題
   医療倫理の原則と基準/歯科医療における倫理上のジレンマ/インフォームドコンセント
  まとめ
  実践のためのヒント

 文献
 索引
 監訳者あとがき