やさしさと健康の新世紀を開く 医歯薬出版株式会社

第3版 序文

 第2版を出版したのが,まだ,つい先日のように思われるが,2版の刊行以来すでに6年が経過し,多くの章で,再びその内容の改訂が必要となった.1年前の編集会議で,第3版から木崎治俊(東京歯科大学)が新しく分担執筆者に加わり,3名で改訂作業に取り掛かることになった.
 ところで,平成9年4月,歯科医師国家試験出題基準(ガイドライン)*の3回目の改定が厚生省から発表され,このガイドラインは翌10年の国家試験から実施された.この改定の目玉は,これまでの「歯科医学・歯科医療総論」を「歯科医学・歯科保健医療総論」として再編成するとともに,従来の科目間の枠が撤廃されるという大改定であった.
 この国家試験出題基準の大改定の後を追うような形で歯科医学教授要綱も改訂され,平成11年に公表**された.その基本概念の要点は,教授項目を,テーマ別並びに疾患別(疾患・障害の分類別,疾患・障害の病名別)にしたことである.平成6年改訂の教授要綱(第2版への序文参照)に掲げられた現行の授業科目に代わって,今後,この新しい教授項目が取り入れられていくものと考えられる.
 今回の改訂に際し,このようなテーマ別並びに疾患別の講義に対しても,内容のより深い理解のために,生化学の進歩を提供できるような成書とすることも一方では意識して執筆に当たった.したがってその内容の一部は第2版までの専ら口腔生化学の講義に対する教科書に準ずるものよりは,より斬新な内容となっている.特に,日進月歩の激しい分野については紙面の許す限り,新しい内容を盛り込むように心がけた.この点,本書をどのような目的に利用して頂くかによって内容の取捨選択をお願いしたい.
 歯科医学教授要綱に記されている特殊項目の1.ひとの身体―正常(「テーマ」別)に挙げられている19項目のうち最初の7項目と最後の2項目は基礎医学の領域で,これらに挾まれた10項目が,いわゆる,基礎歯科医学の領域と考えられる.小項目が挙げられていないのではっきりしない点もあるが,口腔生化学はこれら基礎歯科医学の10項目のうち,「顔面と口腔の発生・発育」,「歯と歯周組織の発生・発育」,「顎骨の構造と機能」,「口腔系器官の構造と機能」,「歯の萌出と交換」,「唾液とその分泌機能」の7項目に何らかの関連性がある.さらに,2.ひとの身体―異常(「テーマ」別)の中でも,口腔生化学は「齲蝕」,「歯周疾患」,「がん」,「炎症性諸疾患」などとの関連性が考えられる.
 改訂が終わってみると,改訂を企画したときに304ページの予定であったものが,実際には336ページと約10%増となった.今回の改訂は第2版の改訂に比べるとかなり大幅の改訂となった.
 まず,第2版の10章「歯の表面にみられる付着物」を分割し,「ぺリクル」は10章「唾液の生化学」に,また,「プラーク」と「歯石」は11章「齲蝕の生化学」に加えることにした.その代わりに,最近,めざましい進歩を遂げている生物の形づくりのメカニズムについて3章「骨と歯の形づくりの分子メカニズム」という新しい章を設けた.その結果,改訂の度合を示す参考資料として図表を例にとってみると,表については新規採用と改変を合わせると45%,図については42%という数字が得られている.
 以下,第3版で改訂されたポイントを簡単に紹介する.
 2章「硬組織の起源と進化」の改訂にあたっては,骨の起源について皮骨の進化の歴史を示すとともに,鎖骨頭蓋骨形成不全症(CCD)の原因が最近発見された転写因子Cbfa-1遺伝子のヘテロ欠損症であることも付け加えた.この章の改訂にあたっては,後藤仁敏博士(鶴見大学歯学部)のご協力を頂いた.
 3章「骨と歯の形づくりの分子メカニズム」は第3版で新たに設けられた章で,生物の形づくりに重要な3つの体軸(基部先端部軸,前後軸,背腹軸)の決定の分子メカニズムを説明するとともに,ホメオボックス遺伝子についても言及した.この章の執筆にあたっては,横瀬敏志博士(明海大学歯学部)のご協力と,須田直人博士(東京医科歯科大学歯学部)に助言を頂いた.
 4章「結合組織の生化学」では,過去数年間に,分子生物学の進歩によって,多くの新しい細胞外マトリックス成分やそれらの代謝に関わる酵素やインヒビターが発見されたために,これらの新しい知見を加えて全面的な改訂となった.本章の改訂には,林 利彦博士(東京大学大学院),二宮善文博士(岡山大学医学部),および木全弘治博士(愛知医科大学)には資料を,また,安達栄治郎博士(北里大学医学部)にはIV型コラーゲンの電顕写真を提供して頂いた.
 5章「骨と歯に特有な有機成分」では,4章と同様にこの数年間で多くの有機成分が発見された一方,これまで骨や歯に特有と考えられていたいくつかの成分の中で,骨や歯以外の組織でも発現している成分が明らかになり,その特異性がはっきりしなくなったものもる.特に「エナメル質のタンパク質」の項の改訂に際し,深江 允博士(鶴見大学歯学部)には資料の提供と原稿の査読をして頂いた.
 6章「骨と歯の無機成分」では,第2版以降大きな変化が見られなかった分野であるため,「リン酸カルシウムとアパタイト前駆体」の項を書き改めるに止まった.
 7章「硬組織の形成と吸収のしくみ」はこの数年間の細胞生物学,分子生物学の進歩によってもっとも大きな発見があった章で,全面的に書き改められた.特に,骨芽細胞の分化を司るマスター遺伝子とも考えられているCbfa-1の発見,破骨細胞の分化を決定するODF(RANKL)の発見を中心に全面的に書き改められた.また,エナメル質タンパク(アメロゲニン)の分解のメカニズムについても最近の研究成果が付け加えられた.この章の執筆にあたっては,片桐岳信博士,宇田川信之博士,高橋直之博士(いずれも昭和大学歯学部),深江 允博士(鶴見大学歯学部)のご協力を頂いた.
 8章「石灰化の機構」の改訂にあたっては,「基質小胞説」の項の改訂について星 和人博士,小澤英浩博士(いずれも新潟大学歯学部)の協力を頂いた.また,オステオカルシン(BGP)とMGPノックアウトマウスの所見を記し,石灰化におけるこれらの非コラーゲン性タンパクの役割について,新しい考え方を付け加えた.
 9章「血清カルシウムの恒常性とその調節機構」の改訂にあたっては,「ビタミンDとその役割」の項の改訂について新木敏正博士(昭和大学歯学部)のご協力を頂いた.特に,活性型ビタミンD合成酵素(CYP27B1)のクローニング,標的細胞における活性型ビタミンDの作用機序の分子メカニズム,ビタミンDレセプター(VDR)のノックアウトマウスの所見などを中心に,最新の研究成果を付け加えた.VDRノックアウトマウスの写真は加藤茂明博士(東大分子細胞生物学研究所)から借用したものである.
 10章「唾液の生化学」では,次第に明らかにされてきている唾液タンパクと唾液中に分泌される増殖因子・サイトカインについて,それらの性質,機能,遺伝子について加筆した.本章の改訂には水口 清博士(東京歯科大学)のご助言を頂いた.
 11章「齲蝕の生化学」には,第2版10章から「プラーク」と「歯石」が移されたため,頁数の調整が主体となり,主として人工甘味料の項を縮小し,実用化されている甘味料のみの記述に止めた.他方,最近,臨床的にも注目されている「再石灰化」の項の充実に努めた.本章の改訂に際し,山田 正博士(東北大学名誉教授)には,資料の提供と原稿の査読をして頂いた.
 12章「炎症と免疫」では,歯肉炎,歯周炎の初期反応に関わる好中球の遊走と殺菌作用の機構について新たに加筆した.炎症に関連するサイトカインは,新しく受容体の構造を基に分類し,ケミカルメディエーターのアラキドン酸カスケードに関わっている酵素についての新しい知見も紹介した.免疫の分子機構も次第に明らかにされてきていることから,T細胞の「自己と非自己」の識別機構の概要にも触れた.しかし,2版までのアレルギーについては他の科目に譲ることとして,3版から削除した.
 13章「歯周組織と歯周疾患の成り立ち」は7章,12章とも関連した歯肉炎,歯周炎の成り立ちと歯槽骨の吸収機構について最近の知見を加えて改訂した.
 14章「がんはどうしてできるか」は第2版までに述べたように,歯科臨床において重要なテーマの一つであることから,細胞の増殖機構(細胞周期)の概要を加え,がん抑制遺伝子についての新しい知見を加え,充実を図った.
 上述したように,新しい教授要綱に従って,今後の歯科医学教育もテーマ別,疾患別の教授要綱へと移行していくことが予想される.しかし,その移行期として,しばらくは従来の科目別の講義とテーマ別,疾患別の講義が並行して進んでいくものと考えられる.このような流動期に,本書がいわゆる従来の口腔生化学の教科書としての役割と,テーマ別,疾患別の講義において要求される生化学の情報を提供する役割を果たすことができれば,私どもにとってこの上ない喜びである.読者の皆様方から率直なご批判やご意見を頂き,今後の改訂への原動力とさせて頂きたい.
 2000年9月10日 早川太郎,須田立雄,木崎治俊
* 厚生省監修:歯科医師国家試験出題基準 平成9年4月改訂,口腔保健協会,東京,1997.
** 歯科大学学長・学部長会議:歯科医学教授要綱 平成11年改訂,医歯薬出版,東京,1999.

第2版 序文

 ちょうど10年前の1984年,新しい「歯学教授要綱」が制定されたのを機会に医歯薬出版から執筆の依頼を受け,1987年7月に出版されたのが『口腔生化学』である.その間の経緯は初版の序文で述べた.
 その後,『口腔生化学』は再版を重ね,徐々にではあるが年々発行部数が増加していることを知り,執筆に携わった者として,改めて責任を感じている.一方,その内eに目を向けると,すでに初版から7年目を迎え,その間いくつかの分野での学問は著しく進歩し,少なくとも一部内容の改訂の必要が痛感されるようになった.そこで,医歯薬出版編集部の皆さんの激励もあり,やがて還暦を迎えようとしている2人が蛮勇を奮って改訂作業に取り組み,何とか第2版出版まで漕ぎつけることができた.
 ところで,昨年9月から歯科医学教授要綱改訂委員会で改定作業が進められていた教授要綱も,10年ぶりに新しい「歯科医学教授要綱*」に改訂された.このなかの口腔生化学教授要綱(p.20〜24)では,従来どおり,生化学と口腔生化学(狭義)に分けられている.この狭義の口腔生化学の講義の教授項目が,従来の8項目から下記のように3つの大項目にまとめられた点が大きな特徴の1つである.
 I.結合組織の生化学
 ●結合組織・細胞外マトリックスの生化学(3章)
 ●歯周組織の生化学(13章)
 II.硬組織の生化学
 ●硬組織の進化(2章)
 ●骨と軟骨の生化学(6章)
 ●歯の生化学(4,5章)
 ●カルシウム代謝(7,8章)
 III.唾液と唾液腺の生化学(9章)
 さらに,今回の改訂のもう1つの特徴は,他の歯科科目と密接な関係のある,いわゆる学際的な領域の講義については,これが別に下記のような4項目にまとめられた点である.
 I.炎症とそのケミカルメディエーター(12章)
 II.歯周疾患の生化学(13章)
 III.う蝕の生化学(10,11章)
 IV.バイオマテアリアルの基礎
 新しい教授要綱では,これら学際的な領域の講義については,各大学の事情によって,他の関連諸学科との密接な連携の下に,有機的かつ効果的に進められるべきものとしている.
 この新しい教授要綱と今回改訂した第2版の各章の対応をかっこ内に示した.IV.「バイオマテアリアルの基礎」に関連して,第3章で扱っているコラーゲンは,すでに医学領域ではバイオマテアリアルとして応用**されている.また,6章で扱われている骨誘導因子,BMPが骨欠損部での骨修復を促進する因子として臨床応用が模索***されている.今後のこの分野の研究の進展しだいでは,将来,本書でも新しい章として取り上げることになるかもしれない.
 以下,第2版で特に大幅な改訂となった部分を簡単に紹介する.
 3章では,最近その概念が確立された接着タンパクと接着ドメインおよび細胞側の受容体であるインテグリンスーパーファミリー,またマトリックス成分の分解の中心的役割を担うマトリックス金属プロテアーゼとそのインヒビターであるTIMPを中心に新しく加えた.
 4章では,近年研究が進んでいる骨および象牙質の非コラーゲン性タンパクについて加筆した.
 6章では「硬組織の形成と吸収のしくみ」という新しいタイトルにも表れているように,歯科にとって歯周疾患との関係で重要な骨吸収機構に関する新しい知見を加えた.また,軟骨および骨形成に関与する新しい調節因子についても解説を加えた.
 7章では,従来多少不明確な点があった基質小胞説について全面的な改訂を行い,またいくつかの図を新しいものと取り替え,理解しやすくする努力をした.
 8章では,遺伝子工学的手法の導入により解明が進んだ分野,すなわちPTH,PTHrPとそれらの受容体およびカルシトニン,CGRPとそれらの受容体についての知見を新しく加えた.
 14章「がんはどうしてできるか」は,教授要綱にもあるようにむしろ生化学で扱われる内容であるが,初版の序文でも触れたとおり,がんは歯科臨床においても重要なテーマの1つであるから,第2版でも14章として残し,最近,進展したがん遺伝子についての新しい知見を取り入れて,内容の充実を期した.一方,改訂に伴うページ数の増加を抑えるため,13章「歯髄と病態」は割愛せざるをえなかった.そして結合組織としての歯髄の特徴を3章に加えるに止めた.
 以上が第2版『口腔生化学』の主たる改訂点であるが,さて,でき上がったものを改めて通読してみると,まさしく7年前の初版本を手にしたときと同じように,歯学部の学生には専門的すぎるのではと思われる個所が見受けられる.しかし,おそらく今後2〜3年も経過すれば,初版本の内容がそうであったように,ほとんどがかなり常識的な知識となると予想される.特に,生化学の知識は記憶するためにあるのではなく,理解するためにあるということをご理解いただけたら,私どものやや先取り的とも思われる執筆内容についてもご容赦いただけるのではないかと考えている.いずれにしても,浅学菲才な2人が,かなりの独断と偏見をもって執筆し,改訂した内容であるので,読者の皆様方の忌憚のないご批判やご意見をいただき,ぜひとも今後の再版・改訂の糧とさせていただきたい.
 1994年8月10日 早川 太郎,須田立雄
* 歯科大学学長会議 歯科医学教授要綱改訂委員会:歯科医学教授要網 平成6年改訂.医歯薬出版,東京,1994.
** 藤本大三郎編:細胞外マトリックスのバイオサイエンスとバイオテクノロジー.アイピーシー,東京,1990.
*** 久保木芳徳ほか:硬組織再建の原理.文部省大学教育方法改善経費による印刷物(北海道大学歯学部口腔生化学講座),北海道,1989.

第1版 序文

 「歯学生に口腔生化学として何を教えるべきか」という問題は歯学部および歯科大学で口腔生化学を担当する教官の共通した悩みである.ちなみに,全国29の国公私立大学歯学部および歯科大学を対象として,歯科基礎医学会生化学談話会が行った調査結果によって明らかにされているように,回答のあった24校の昭和57年度に行われた口腔生化学の講義時間は,年間わずか4時間という大学から61時間という大学まで実にまちまちである*.このように大学間での講義時間がバラバラになった理由には色々な事情が考えられるが,何といっても口腔生化学という学問がまだ若い学問であり,十分に学問としての体系をなしていないことが最大の原因と考えられる.後述するように昭和42年から「歯学教授要綱」の中に口腔生化学が加えられ,14項目からなる教授項目が設定されたが,それらの項目に対する具体的な内容の裏づけは乏しいものが多く,それらの内容を実際に具体化した適切な参考書がみられないのが現状である.
 ここで歯学教育の指針である教授要綱に関して,少々歴史的な経緯をみてみると,昭和22年7月,わが国にはじめて「歯科教授要綱」が制定され,戦後の歯科教育の指針となってきた.その後,歯科大学が全国各地に新設されるに伴い,現状に即応した教授要綱の設定が強く要望され,昭和42年に「歯学教授要綱」として改訂された.本改訂では,口腔解剖学ほか13科目よりなる従来の教授要綱に「口腔生化学**」と「小児歯科学」が新しく加えられた.昭和48年にはさらに補訂が加えられた.近年,歯科医学の進歩・発展に伴い,再度,時代と社会の要請に対応できる歯学教授要綱の改訂の必要性が認識され,歯学教授要綱改訂委員会で審議され,昭和59年に新しい「歯学教授要綱***」が制定された.この新しい教授要綱では,口腔生化学(狭義)の講義の教授項目が従来の14項目から下記の8項目にしぼられた点が大きな特徴である.
 1)結合組織に関する生化学
 2)骨と軟骨に関する生化学
 3)歯に関する生化学
 4)歯周組織に関する生化学
 5)唾液に関する生化学
 6)歯面への堆積物に関する生化学
 7)う蝕に関する生化学
 8)歯周疾患に関する生化学
 今後は,これら8項目を中心にして口腔生化学の講義が進められることが推奨されている.
 一方,口腔生化学の参考書に関してみてみると,わが国では昭和41年に当時日本大学歯学部教授であった押鐘 篤先生が監修された「歯学生化学」が出版された.この本は,監修者自身その「まえがき」の中でその世界最大の規模と最高の権威を自画自賛しておられるが,20年前に出版されたことを考え合わせると自画自賛に十分に値する内容であり,現在でも部分的には依然として歯学生化学書としての価値をもっている.その後改訂が行われなかったのが残念であり,また,当時英語版が出版されていたら大変な反響を呼んだであろうと想像される.
 一方,海外では従来口腔生物学oral biologyという総合的な学問体系が存在し,その一部として生化学的知識が組み込まれてきている.しかし,前述の「歯学生化学」が出版されて10年後にようやくDental Biochemistry(Lazzari,E.P.編,1976),Biochemistry and Oral Biology(Cole,A.S.,Eastoe,J.E.1977),The Physiology and Biochemistry of The Mouth(Jenkins,G.N.1978),Basic and Applied Dental Biochemistry(Williams,R.A.D.,Eliott,J.C.1979)のように口腔(歯科)生化学を意識したような参考書が出版されるようになってきた.しかし,いずれも前述した歯学教授要綱を全体的に満足させるものとはいえない.このような状況下にあるとき,たまたま医歯薬出版から新しい歯学教授要綱に基づいた教科書,口腔生化学の執筆の奨めがあり,ここに浅学菲才を顧みずに本書の執筆を引き受けることになった.
 本書の内容として,前述した新教授要綱の8項目に「歯髄とその病態」という項目を加えた.歯髄は象牙質の維持に重要な役割を果たしている特有な結合組織であり,特に,最近,歯髄の保存的療法の重要性が認識されつつあり,歯髄組織の生化学面を理解することは重要であると考えたからである.さらに,「炎症と免疫」および「がんはどうしてできるか」の2項目を加えた.これら2項目の内容はいずれも口腔生化学そのものではないが,齲蝕や歯周疾患をはじめ歯科における諸疾患を理解するうえで不可欠な基礎知識であると考えたので取り上げることにした.
 このようなわけで,第1回の編集会議を昭和58年8月に開き,分担を決め,ただちに執筆に謔閧ゥかったのであるが,自分たちの専門外の分野や生化学的研究が進んでいない分野の執筆はとどこおりがちで,当初の予定を大幅に上まわり3年以上の年月を要してしまった.事前に予想できたことではあるが,特に,「歯髄」と「歯周組織」に関する生化学的データは,まだ明解かつ論理的な教科書レベルの記述をするには質的にもまた量的にも十分でない.これら不十分なデータの中から「歯髄」や「歯周組織」の機能に直結して重要と思われるものをできるだけ重点的に拾い上げてはみたが,全体的にはまだ系統づけられた内容とはなっていない.この点は今後の研究に期待するとともに,改訂の機会あるごとに書き改めていく必要があると考えている.
 とにかく,このような経緯で何とか出来上がったものを通読してみると,歯学部の学生には詳しすぎると考えられるところも見受けられる.それは覚えるための知識ではなく,むしろ理解を助けるためのものだと解釈していただけたらと思う.また,10章の「歯の表面にみられる付着物」,11章の「齲蝕と砂糖」および12章の「免疫と炎症」などは微生物学や病理学のような他の教科と重複する可能性がある.そのような場合には,教えられる立場にある先生方には実際の場に合うように自由に取捨選択していただきたい.また,各章のはじめには,その章の内容を大まかに把握できるように「本章のねらい」を,また,章末には,その章で学んだ知識を整理する目的で「チェックポイント」を設けた.これらが学習上の手助けになれば幸と考えている.
 エナメル質を除いた主たる口腔組織である象牙質,セメント質,歯槽骨,歯髄,歯根膜はいずれも結合組織に属する.したがって,個々の口腔組織の生化学に進む前に「結合組織の生化学」について述べることにした.いわばこの3章はすでに学んだ「生化学」とこれから学ぶ「口腔生化学」の間の橋渡し的内容である.なお,欧文専門用語のカタカナ表記は日本生化学会の決定に基づきローマ字読みとした(例:ハイドロキシアパタイト→ヒドロキシアパタイト,リセプター→レセプター,アメロジェニン→アメロゲニン).
 最後に,本書のために貴重な資料を心よく御提供いただき,かつ内容に関しても有益な御助言や御批判をいただいた次の諸先生方に心より感謝の意を表する.
池田 正(日本大学松戸歯学部),一條 尚(東京医科歯科大学歯学部),J.E.Eastoe(Newcastle upon Tyne大学歯学部),岡田 宏(大阪大学歯学部),小沢英浩(新潟大学歯学部),久保木芳徳(北海道大学歯学部),黒木登志夫(東京大学医科学研究所教授),後藤仁敏(鶴見大学歯学部),佐々木哲(東京医科歯科大学歯学部),真田一男(日本歯科大学新潟歯学部),清水正春(鶴見大学歯学部),須賀昭一(日本歯科大学),杉中秀壽(広島大学歯学部),高橋和人(神奈川歯科大学),武田泰典(岩手医科大学歯学部),星野 洸(名古屋大学医学部),矢嶋俊彦(東日本学園大学歯学部),山田 正(東北大学歯学部) (五十音順,敬称略).
 また,ともすれば筆がとどこおりがちになる私たちを,終始,叱咤激励し,何とかここまで引っぱってきてくれた医歯薬出版の編集部の皆さんには深い感謝の意を表したい.この他にも参考文献として引用させていただいた多くの著書や総説論文などの編者や著者の先生方には,それらの文献を利用させていただいたことに心より謝意を表したい.それらの優れた文献なしでは本書を書き上げることはとうてい不可能であった.
 1987年6月20日 早川太郎,須田立雄
* 斉藤 滋,滝口 久:「生化学・口腔生化学および同実習の授業内容」について調査報告.1983.
** 広義の口腔生化学で,生化学および狭義の口腔生化学を含む.
*** 歯科大学学長会議 歯学教授要綱改訂委員会:歯学教授要綱 昭和59年改訂,医歯薬出版,東京,1985.
** 藤本大三郎編:細胞外マトリックスのバイオサイエンスとバイオテクノロジー.アイピーシー,東京,1990.
*** 久保木芳徳ほか:硬組織再建の原理.文部省大学教育方法改善経費による印刷物(北海道大学歯学部口腔生化学講座),北海道,1989.
1章 口腔生化学がめざすもの/早川太郎…1
 1.一般生化学と口腔生化学…2
 2.口腔生化学と歯科臨床医学…2
 3.口腔生化学と他の歯科基礎医学…4

2章 硬組織の起源とその進化/須田立雄…5
 1.骨の起源…7
 2.無脊椎動物から脊椎動物へ-炭酸カルシウムからリン酸カルシウムへの変化をもたらしたもの-…9
 3.脊椎動物における骨組織の進化-外骨格から内骨格へ-…12
 4.骨は軟骨から進化したのだろうか…15
 5.歯と骨はどちらが先に進化したか…16

3章 骨と歯の形づくりの分子メカニズム/須田立雄…21
 1.四肢の原基(肢芽)の構造と3つの体軸(前後軸,基部先端部軸,背腹軸)の決定…22
 2.骨(軟骨)の形を決めるホメオボックス遺伝子(Hox遺伝子)…26
 3.歯の形成とホメオボックス遺伝子…29

4章 結合組織の生化学/早川太郎…33
 1.コラーゲン…34
  1.コラーゲンスーパーファミリー…34
  2.線維性コラーゲン…36
  3.ファシットコラーゲン…45
  4.基底膜コラーゲン…45
  5.その他のコラーゲン…47
 2.エラスチン…47
  1.エラスチンの所在と構造…47
  2.トロポエラスチン…48
  3.エラスチン結合ミクロフィブリル…49
 3.プロテオグリカン…50
  1.プロテオグリカンとグリコサミノグリカン…50
  2.主なプロテオグリカン…51
  3.プロテオグリカンの生理的機能…56
 4.接着性タンパク質…57
  1.フィブロネクチン…57
  2.ラミニン…59
  3.テネイシン…60
  4.ビトロネクチン…61
  5.トロンボスポンジン…61
  6.細胞接着ペプチドとインテグリンスーパーファミリー…62
  7.細胞と細胞の接着因子…64
 5.細胞外マトリックス成分の分解…64
  1.タンパク質の分解…65
  2.グリコサミノグリカンの分解(先天性酵素欠損症)…68
 6.上皮とケラチン…69
  1.上皮…69
  2.ケラチン…70
  3.ケラチン分子とその構造…71

5章 骨と歯に特有な有機成分/早川太郎…73
 1.骨,象牙質およびセメント質に共通な有機成分…75
  1.コラーゲン…75
  2.硬組織のみに存在するタンパク質…76
  3.他の結合組織にも存在するタンパク質…80
  4.血清タンパク…84
  5.脂質…85
  6.その他の有機成分…85
 2.エナメル質のタンパク質…85
  1.幼若エナメル質のタンパク質…86
  2.成熟エナメル質のタンパク質…89
 3.象牙質に特有なタンパク質-象牙質シアロリンタンパク…90
  1.象牙質リンタンパク…90

6章 骨と歯の無機成分/早川太郎…95
 1.リン酸カルシウムとアパタイト前駆体…96
 2.ヒドロキシアパタイトの結晶学…97
  1.単位胞…97
  2.CaとPの比…101
 3.アパタイトの特異な性質…101
  1.水和層…101
  2.イオン交換…102
 4.エナメル質アパタイトの特徴…104
 5.エナメル質の無機成分の特徴…105
  1.ナトリウム(Na)…105
  2.マグネシウム(Mg)…105
  3.塩素(Cl)…106
  4.炭酸…106
  5.エナメル質の微量元素…106

7章 硬組織の形成と吸収のしくみ/須田立雄…111
 1.軟骨細胞と骨芽細胞の分化と機能発現の調節…112
  1.軟骨と骨を形成する細胞の起源…112
  2.膜性骨化と軟骨性骨化…113
  3.軟骨細胞の特徴と機能発現の調節…116
  4.骨芽細胞の分化と機能発現の調節…119
  5.骨組織のリモデリング(改造)…124
 2.破骨細胞の分化と機能発現の調節…125
  1.破骨細胞の特徴…125
  2.破骨細胞の形成とその調節…126
  3.破骨細胞形成抑制因子(OCIF)の発見…127
  4.破骨細胞分化因子(ODF)の同定…128
  5.炎症性サイトカインによる破骨細胞形成と骨吸収機能調節…129
 3.エナメル質と象牙質の形成…130
  1.歯の発生の概要…131
  2.エナメル芽細胞の一生…133
  3.エナメル質の石灰化…135
  4.象牙質の形成…138

8章 石灰化の機構/須田立雄…141
 1.石灰化の機構…142
  1.血清中のカルシウムとリン酸の活動度積(溶解度積)…142
  2.Robisonのアルカリホスファターゼ説…144
  3.体液は骨ミネラルに対して本当ノ不飽和か…146
  4.Neumanのエピタキシー説…147
  5.基質小胞説…155

9章 血清カルシウムの恒常性とその調節機構/須田立雄…163
 1.生体内におけるカルシウムの動き…164
 2.血清カルシウムの恒常性…166
 3.副甲状腺(上皮小体)ホルモンとその役割…167
  1.副甲状腺ホルモンの化学…167
  2.PTH分子の構造活性相関…168
  3.副甲状腺ホルモンの合成・分泌機構…169
  4.副甲状腺ホルモンの作用…171
  5.副甲状腺ホルモン関連タンパク(PTHrP)…172
  6.PTH受容体…173
 4.カルシトニンとその作用…174
  1.カルシトニンの発見…174
  2.カルシトニンの化学…175
  3.カルシトニンの分泌調節…177
  4.カルシトニンの作用…177
  5.カルシトニン受容体…180
  6.カルシトニン遺伝子関連ペプチド…180
 5.ビタミンDとその役割…180
  1.ビタミンDの化学…181
  2.ビタミンD代謝とその調節…181
  3.ビタミンDの作用メカニズム…184

10章 唾液の生化学/早川太郎*・木崎治俊…193
 1.唾液腺の構造と神経支配…194
 2.唾液分泌のメカニズム…196
 3.唾液の組成…199
 4.唾液の有機成分…201
  1.タンパク質…201
  2.低分子有機物質…208
  3.ホルモン…208
  4.増殖因子とサイトカイン…208
 5.唾液の無機成分…209
  1.カルシウムとリン酸…209
  2.ナトリウムとカリウム…210
  3.ハロゲン元素…210
  4.ロダン(チオシアン,SCN-)…211
  5.炭酸ガスと唾液pH…211
 6.唾液とペリクル…212
  1.ペリクルの組成…213
  2.ペリクルの形成…214
  3.ペリクルの機能…214
  4.実験ペリクル…214

11章 齲蝕の生化学/早川太郎…217
 1.プラーク…218
  1.プラークの組成…218
  2.プラークの形成…222
  3.プラーク中のpHと酸…222
 2.歯石…227
  1.組成…227
  2.形成機構…227
 3.齲蝕発生のしくみ…229
  1.酸によるヒドロキシアパタイトの溶解…229
  2.齲蝕発生機構に関する諸学説…230
  3.初期エナメル質齲蝕…231
  4.多因子疾患としての齲蝕…232
  5.ミュータンスストーリー…238
 4.エナメル齲蝕の自然修復と予防…241
  1.再石灰化…241
  2.フッ素と齲蝕…244
  3.齲蝕免疫…245
 5.砂糖と代用甘味料…246
  1.砂糖の糖質としての特徴…246
  2.非齲蝕性甘味料…246

12章 炎症と免疫/須田立雄*・木崎治俊…253
 1.生体防御機構の構築…254
 2.炎症・免疫にかかわる細胞の発生・分化…255
 3.炎症の経過と炎症細胞の機能…257
  1.炎症の経過…257
  2.炎症と接着因子…258
  3.炎症細胞の役割…259
 4.炎症とケミカルメディエーター(化学メディエーター,化学伝達物質)…263
  1.ケミカルメディエーター…263
  2.炎症と一酸化窒素(NO)…270
 5.免疫…271
  1.自己と非自己の認識…271
  2.リンパ球の働き…273
  3.抗体と補体…276

13章 歯周組織と歯周疾患の成り立ち/早川太郎*・木崎治俊…283
 1.歯周組織の構造と組成…284
  1.歯周組織の構造…284
  2.歯周組織の化学組成…287
 2.歯周組織の破壊…295
  1.歯肉組織の破壊…295
  2.歯槽骨の吸収…299

14章 がんはどうしてできるか/須田立雄*・木崎治俊…301
 1.細胞の増殖…303
 2.がん細胞の特徴…305
  1.無秩序な増殖…305
  2.がんの浸潤と転移…309
  3.その他の多様な性質…309
 3.がん細胞ができるまで…309
  1.正常細胞の形質転換…311
  2.プロトがん遺伝子の役割…316
  3.がん抑制遺伝子とその働き…320
  4.形質転換した細胞の成長(プロモーション)と悪性化(プログレッション)…324
 4.発がん因子…327
  1.ウイルス…327
  2.放射線…330
  3.化学物質…330
  4.遺伝…333

索引 …336
*第1版,第2版原著者