やさしさと健康の新世紀を開く 医歯薬出版株式会社

あとがき

 この本の企画は10年前にスタートしていた.
 『私の臨床ファイル2』をまとめながら思い浮かんだことを,次には整理したいと考えていたので,企画案は何度となく出来上がった.内容は限られているのでどう工夫しても大差はないのだが,それでも今度こそはきっちりした組立にしたいなどと思うと,二転三転するだけで進行はしないまま数年を経過してしまった.次には「切れ切れでもよいから書けるところから書いてしまおう」と原稿を書き始めた.初めの方の文章はできあがったが,整理しようとしてまた同じ轍にはまった.
 次々飛び込んでくる仕事に「これだけ片づけて!」という独白を繰り返しながら,当面する仕事をこなしているうちに,どんどん年月は過ぎていった.講演をまとめる時のように症例選択を先行して,スライドから決めていこうとしたり,第三者に大風呂敷を拡げて自分を追い込む手も使ってみたが,いずれも持続はしなかった.
 年齢を重ね大台が変わる時には特別な感慨がある.20歳になる時,30歳を目前にして,還暦々々と騒がれた時にも,いつも来し方や行く末を思い直してきた.今回やっと重い腰が上がったのも,70代という大台が近づいたことにあるようだ.60代になってこれまで予想もしなかった入院という事件が重なったり,西暦2000年,21世紀などという話題が飛び交うことにも切迫感をつのらせたようだ.1999年,タイムリミットを厳守することを心に決めようやく車は動き出したが,砂地からの脱出は容易ではなく前進後退を繰り返した.昔,熱いシャワーを夢見ながら濡れ鼠でヨットレースを続けていた時のように,あとがきの文章を思い描きながらの長い道のりに耐えた.
 欠損歯列をもつ患者に固定性と可撤性の補綴物を提示すれば,98%は固定性を希望するだろう.スタートラインからパーシャル・デンチャーは大きなハンディキャップを背負っている.いかに高度の理論と技術を駆使したとしても,使われない義歯に存在意義はない.嫌われ者のパーシャル・デンチャーを,どうすれば使ってもらえるか?患者とのやりとりは面白いゲームだった.嫌っていた人に使ってもらえればこちらの勝ちだが,ばらばらに解体することになったり,いつまでも違和感がなくならなければ脱帽するしかない.しかしブリッジとは違って最後まで患者に選択の鍵が握られている緊張感がある.
 長く放置された欠損ほど補綴処置に伴う違和感は大きい.欠損した直後には誰でも不自由を感じる.几帳面な人にはそのまま放置できない事態も,一日延ばしにする人,あまり痛痒を感じない人,受け止め方はさまざまで,それが欠損歯列を形成している.気ままな独り暮らしに慣れきった人のように,欠損を受容してきた人に補綴を強要することは難しい.
 インプラントが広く使われるようになった今,苦しいやりくりをしてパーシャル・デンチャーを設計することなどナンセンスという考えも多いだろう.歯牙の切削やインプラントの植立による侵襲をどう認識するかは術者によって大きく分かれる.一般的に術者が得意な分野についての侵襲は小さいと考えるものだ.
 矯正治療のように小さな力でも持続すれば歯は移動する.それに較べればパーシャル・デンチャーで支台歯にかかる力ははるかに大きい.挺出,圧下などさまざまな変化が起こるのは当然である.義歯の変位は残存歯の咬合を変化させる.こうした影響が長期に継続することを考えると,パーシャル・デンチャーが良好に推移することは希有のことのようにも考えられる.にもかかわらず,たくさんのケースが大過なく経過しているのは,生体側がパーシャル・デンチャーの装着という突然の異変に,さまざまなメカニズムで順応してくれているからだろう.われわれにできることは,生体から拒否反応を示されないような処置をとり,その後の経過を注意深くフォローアップしていく以外にない.この点からも侵襲は少ないほど安全という原則は変わらない.被圧変位の差をスプリングでコントロールできるといった考えが,物事の一面しか見ていない思い上がりだったことは記憶に新しい.
 スタッフなしで臨床を続けていくことはできないが,とくに補綴という分野では技工士の努力に負うところが大きい.これまでに多くの人達と一緒に仕事をしてきたが,みな補綴物という「ものづくり」に限りない愛着をもっていて,業務として割り切ることはできない点は共通している.「仕事量が多くて残業になるのは仕方ないが,そうでない時は定時退社!」と何十年言い続けても終始無視されている.
 その局面々々で作ることに熱中している彼らにとっト,筆者の言葉はたんなるノイズでしかないことが最近になって分かってきた.製作物に対するこだわりは歯科医の遠く及ばないものがあり,その成果がこの本の多くの写真になっている.歴代それぞれ十数年にわたりパートナーをつとめてもらった水村竹宏君,管野秀実君,萩原 治君には深く感謝している.この他にも多くの技工士の方々の協力によってできあがった本書は諸君のオベリスクだと思っている.
 1978年,始めてのパーシャル・デンチャーの発表「経過から見た局部義歯の設計」以来のご縁で,小長谷一夫氏にリスタートからの編集作業をお願いした.挫けそうになった何度かの危機,辛く充実した一年を乗り切れたのは同氏のおかげである.著者以上のこだわりと愛着を持っての本作りに,これまで全く知らなかった多くのことを教えられた.
 2000.7.20 海の日に KANEKO Kazuyoshi(自筆サイン)
Section 1 歯科臨床における診断……9
 歯科臨床に診断はあるのか
  診査
  診断
  タイムリミット
 経過から考える
  剖検
  経過観察
  術者と観察者
  観察期間
 三つの視点
  デンタルX線写真の視点で個々の「は」を診査する
  パノラマX線写真のスケールに切り替えて患者の「くち」を観察する
  患者の主訴や既往歴などから「ひと」としての患者を見る
Section 2 欠損歯列のみかた……17
 片顎の形を分類したケネディの分類
 臼歯部咬合支持に注目したアイヒナーの分類
 欠損の大枠を4つに区分した筆者の分類
 どこまで補綴するか
  前歯部の自然感
  最少の侵襲
Section 3 すれちがい咬合と咬合支持……35
 すれちがい咬合
 咬合支持
Section 4 歯で保たれている咬合高径は変えない……41
 咬頭嵌合位
  嵌合位の決定法
 咬合高径
 咬合平面
Section 5 片側遊離端欠損と長い中間欠損……49
 片側遊離端欠損
 長い中間欠損
Section 6 支台装置(維持装置)……61
 Clasp
 Bracing arm,CSP type abutment
 Telescope
Section 7 支台歯の数と位置,外形と装着感……71
 バー・タイプの義歯
 ブリッジ・タイプの義歯
 プレート・タイプの義歯
Section 8 診療のステップ……81
Section 9 定期検診……89
 リコールシステム
Section10 30/100症例の経過……93
 多数歯の歯冠修復
   01  順調な経過でスクリュー連結も不要なまま
   02  咬合面の傷が物語るもの
 片側臼歯部の補綴
   03  可撤性ブリッジの可能性
   04  抜群のメインテナンスで順調な経過
   05  最大の問題はレジンの人工歯
   06  ブリッジから床つき可撤性ブリッジに
   07  最後臼歯が咬合の支え
 前歯部の欠損
   08  なかなか安定しなかった歯肉
   09  欠損形態に恵まれ経過良好
   10  後半になってメインテナンス定着
 咬合力と経過
   11  4歯喪失の原因はクレンチングか
   12  前半の苦戦から脱出.11の咬合接触
   13  小さい負荷?信じられない喪失歯なし
   14  15年のブランク
 咬合高径の変更
   15  最悪の術後経過,安定期は来るのか
   16  70年代に9歯,90年代に5歯を喪失
   17  補綴物は再製したが,すれちがいは防止
 多様な両側性義歯
   18  一次固定が好経過の原因か?
   19  ┏8(下顎右側智歯)の負担能力に依存
   20  トラブルは人工歯脱落のみ
   21  性格的オーバーブラッシング
   22  経過良好だが,終始ぎりぎりの二者関係
 不安な複数の残存歯
   23  5歯を喪失したが両側遊離端は回避
   24  薄氷を踏むような経過
   25  上顎義歯床拡大の時期
   26  下顎が重大局面に
 嵐の時期を通過して
   27  10年単位の局面転換
   28  こだわってきた2歯は失ったが
 残存歯は少なくなったが平穏な時
   29  90代になって義歯再製
   30  経過は順調だが通院が限界に
   31  相変わらずのブラッシングだが炎症もなく
Appendix……191
 症例の記録とプレゼンテーション
Bibliography……197