やさしさと健康の新世紀を開く 医歯薬出版株式会社

序文
 治療後の症例を40年もの長期間観察していると,次々と興味深いことがみえてきます.咬合は術後の成長発育や顎運動,舌と口腔周囲筋,咀嚼筋および頸部筋活動と呼吸様式により変化する.つまり治療後も歯は動き,トルクも変わるし咬合平面も変化するのです.治療の早期の段階で機能の回復をはかって咬合の改善を行った症例では,歯は本来あるべき位置に配列され,その後の成長発育に好影響を及ぼし,機能的・審美的に調和のとれた顎顔面骨格が形成されます.特に,長期に咬合が安定している症例では,動的治療終了時の咬合形態が維持されているのではなく,その後の成長発育と顎運動によって,適切なトルクが自然に形成され,機能的な咬合形態(アンテリアガイダンス,ポステリアガイダンス,コンディラーガイダンスが確立された状態)が形成されます.
 ところで,私たち矯正歯科医がもっとも悩まされているのは,患者さんの協力度,治療期間,術後の安定性ではないでしょうか?3〜5年という長い動的治療期間を費やしても,術後3年もすれば咬合が不安定になってしまったという経験はないでしょうか?これは遺伝によるための後戻りでしょうか?術後の成長発育のためでしょうか?成長発育のない成人症例でも術後に咬合が不安定になったという経験はないでしょうか?
 何が私たちの矯正治療のなかで見落とされているのでしょう.機械的な治療に頼りすぎて,人間が本来もっている機能の素晴らしさを見逃していたのではないでしょうか.
 私自身の治療経験を踏まえていえることは,呼吸様式や舌と口腔周囲筋,咀嚼筋活動という基本的な機能に目を向けずに咬合の改善を行うと,後戻りのみならず,術後の成長発育や顎機能に悪影響をもたらしてしまうということです.
 機械的矯正治療のみで問題を解決することはむずかしく,また術後の保定装置の長期使用による弊害などを考えたとき,鼻呼吸のできる舌房の広さを治療早期の段階で確立し,舌と口腔周囲筋,咀嚼筋の力のバランスが整えられた状態,つまり機能回復をしておくことが,機械的矯正治療の効果を高め,術後のどのような保定装置に勝るとも劣らない最高の保定装置となることを,私自身,多くの症例から学びました.
 私にとっての知識と技術の最大の源は患者さんです.本書の症例編には,私が矯正歯科医として最初に治療した患者さんの症例(Case9)と,そこから学ばせていただいたことをヒントに治療した患者さんの症例(Case1)も掲載しており,私の治療のルーツはこの2症例にあるといっても過言ではありません.そしてCase1の患者さんは,術後38年以上を経たいまでも私に咬合状態をみせてくださり,その間の変化から私は冒頭のようなことを示唆され,患者さんの咬合の変化をじっくり観察することが私たち矯正歯科医にとって何よりの勉強になると同時に,患者さんとの信頼関係を確立するうえでもっとも重要なことであると確信させてくれました.
 また,患者さんの協力を得るためには,主訴の早期改善と侵襲の少ない(外科的矯正治療や抜歯をなるべく避ける)治療の選択を実現することが大切であると考えています.そして,それらを私自身が試行錯誤のなかで実現してきたことが,「Muscle Wins」の理念に基づく治療なのです.「Muscle Wins」とは,かつて私がGraber先生におみせした骨格性III級開咬の難症例において,外科的矯正治療も抜歯もすることなく治療し,術後16年以上,咬合の安定が得られているという症例(Case17)に対して付けてくださった言葉ですが,「Muscle Wins」の理念に基づく治療は,患者さんの協力なくしては奏効しない治療でもあり,治療を成功に導いてくれた多くの患者さんに感謝しています.
 本書を通じて特に提起したいことは,治療にあたっては機能異常の原因を追究し,機能回復を治療の根本において機械的矯正治療とうまく組み合わせて進めていただきたいということです.
 本書が多くの矯正歯科医の日常臨床に少しでも役立ち,不正咬合や顎関節症に悩む多くの患者さんの未来ある人生に夢と希望を与えていただくことができたら,これに勝る喜びはありません.
 最後に,出版にあたり,助言をいただいた伊藤学而先生,オームコの中澤孝夫氏,解剖学的立場からコンセプトの図譜,文章の校閲をしていただいた井出信先生,編集を担当してくれた医歯薬出版の石飛あかね氏,E&Pの齋藤登貴子氏,患者さんの資料整理と管理に尽力してくれた当院スタッフの荒井志保,野田純子,鈴木澄江,佐々木三千代,高田郁子,大野菊枝,坂本幸江,品田はるみ各氏に,この場を借りて感謝申し上げます.
 2007年1月
 近藤悦子
 PROLOGUE 筋と呼吸を重視した矯正治療と咬合の長期安定性(TM Graber)
 推薦の言葉 口腔機能の正常化とシンプルなメカニクス(伊藤学而)
  TJ青葉/大野粛英/Fu Min-kui
 序文

I.Muscle Winsのコンセプト―なぜ筋機能を整え,鼻呼吸を確立することが重要なのか
 1 筋機能と咬合には密接な関係がある
  1.舌と咬合
   舌の動きと舌房
    ・舌と口唇の力がアンバランスなケース
    図譜:舌筋
  2.咀嚼筋と咬合
   1)咀嚼筋全体としての作用
   2)咀嚼筋活動と臼歯部咬合高径と顎骨形態の関係
    図譜:咀嚼筋
  3.頸部筋と咬合
   1)前頸筋全体としての作用
    ・舌骨下筋群が緊張しているケース
   2)側頸筋:胸鎖乳突筋の作用
    図譜:口腔周囲の表情筋と頸部筋
 2 鼻呼吸は,咬合の改善と術後の安定の鍵である
    ・口腔内写真と CT画像にみる鼻呼吸確立の効果
II.Muscle Winsの臨床ポイント―筋機能の回復と矯正装置を組み合わせた治療の実際
 1 診査・検査のポイント-何を診るか
    ・正貌写真/・側貌写真/・口腔内写真(正面,側面,咬合面)
    ・パノラマX線写真/・正面および側面頭部X線規格写真/・顎関節X線写真/・EMG/・MKG
    ・3D画像,CT画像
    ・触診/・機能検査
    ・側面頭部X線規格写真のトレースにおける重要な計測項目
 2 診断と治療のポイント
  1.咀嚼筋活動と臼歯部咬合高径との関係を重視
   1)過蓋咬合症例
   2)開咬症例
   3)頸部筋の形態に左右差のある症例
   4)舌骨筋群に緊張がみられる症例
  2.咬合の長期安定症例の頭部X線規格写真分析による統計学的解析からみえること―術後の成長発育を考慮した治療計画
  3.統計学的解析結果から得られた動的治療終了時の理想的な咬合形態
 3 特徴的な治療
  1.舌と口腔周囲の環境を整える―舌小帯,上唇小帯の形成
  2.鼻呼吸を確立する―歯列弓・歯槽弓の形態修正
   1)舌の挙上訓練
   2)拡大気味の矯正ワイヤーの利用
   3)可撤式拡大床の利用
   4)拡大気味のリンガルアーチの利用
  3.臼歯部咬合高径を是正する
   ◆ゴムのかけ方◆
  4.咀嚼筋活動の正常化―MFT
   1)舌のトレーニング(挙上訓練,タッピング)
   2)口唇のトレーニング
   3)鼻呼吸のトレーニング
   4)開閉口運動・噛みしめのトレーニング
   5)マッサージ
  5.その他
   1)装置撤去のタイミングと順序
   2)保定装置の使用期間
 4 抜歯の基準―いつ,何を診て判断するか
  1.抜歯・非抜歯を決めるタイミング-できる限り動的治療終了後に決める
  2.抜歯・非抜歯を決めるときのポイント
   1)歯列弓・歯槽弓の形態修正(拡大)の可能性をみる
   2)PM lineと77との位置関係をみる
   3)臼歯部咬合高径と下顎切歯軸の傾斜度をみる
   4)lip profile:口唇側貌(Nasolabial angleと E line)をみる
III.Muscle Winsの症例―外科的矯正治療やヘッドギアを選択しない矯正治療
 AngleII級の症例
  ・1類 過蓋咬合
   *Case 1 経過観察 40 年を通して学んだ咬合の長期安定の鍵-はじめてのII級1類過蓋咬合症例:混合歯列後期
   Case 2 切歯を圧下せず臼歯部咬合高径の増加により治療した過蓋咬合症例:混合歯列後期
   Case 3 術後13年以上咬合が安定しているANB9.5°の症例:混合歯列後期
   *Case 4 ポジショナーを使用せず術後26年咬合が安定している症例:永久歯列完成前
  ・1類 開咬
   Case 5 1の異所萌出を伴うANB8.0°の開咬症例:混合歯列前期
   Case 6 舌の挙上訓練により術後の安定が得られている開咬症例:混合歯列前期
  ・2類 過蓋咬合
   Case 7 切歯軸の改善と咬合挙上により顎関節症状が消退した症例:混合歯列後期
   Case 8 臼歯部咬合高径の増加により咬合が改善した症例:永久歯列完成
 AngleIII級の症例
  ・過蓋咬合
   Case 9 咀嚼筋活動が臼歯部咬合高径をコントロールすることを示唆された症例:混合歯列前期
   Case 10 再植下顎4前歯を利用した非抜歯症例:混合歯列前期
   Case 11 3の埋伏を伴う混合歯列前期の反対咬合症例:混合歯列前期
   Case 12 混合歯列前期に治療を開始したANB-6.0°の症例:混合歯列前期
   Case 13 装置装着後3カ月で被蓋が改善したANB-5.0°の症例:混合歯列後期
   *Case 14 術後22年以上咬合が安定しているANB-10.0°の症例:永久歯列完成
   Case 15 1の逆性埋伏を伴うANB-10.0°の症例:永久歯列完成
  ・開咬
   Case 16 ハビットブレーカーを利用した舌突出癖症例:混合歯列前期
   Case 17 舌・口腔周囲筋・咀嚼筋・呼吸の機能回復が治療期間の短縮と術後の安定の鍵であることを示唆された症例:永久歯列完成
   Case 18 歯槽突起には高い順応性があることを示唆された上顎叢生症例:永久歯列完成
   *Case 19 保定装置を使用せずに術後21年以上咬合が安定しているfull classIII症例:永久歯列完成
   *Case 20 Full class IIIが7カ月で改善された成人開咬症例-WJO第1回World Board Case Report掲載症例:永久歯列完成
   Case 21 水平埋伏智歯を利用した成人症例:成人
 AngleI級の症例
  ・過蓋咬合
   *Case 22 動的治療7カ月で20年以上咬合が安定している症例:永久歯列完成前
   Case 23 咬唇癖により下顎前歯に叢生が再発した症例:永久歯列完成
  ・開咬
   Case 24 舌の挙上訓練により著しい治療効果と術後の安定が得られた症例:混合歯列前期
   Case 25 早期の機能回復訓練により前歯部開咬が改善した症例:混合歯列前期
  ・叢生
   Case 26 歯列弓拡大により非抜歯で咬合の安定が得られた症例:永久歯列完成
   Case 27 舌房の拡大による鼻呼吸の確立が治療効果を高めた症例:永久歯列完成
 臼歯部咬合高径に(頸部筋に)左右差のある症例
   *Case 28 頸部筋が下顎枝,下顎頭の形態形成に関連していることを示唆された症例:混合歯列前期
  ・開咬
   *Case 29 胸鎖乳突筋の形成術により顎関節の健全な発育が得られた症例:混合歯列前期
  ・過蓋咬合
   Case 30 ANB-8°のIII級側方偏位の過蓋咬合症例:混合歯列後期
   Case 31 頸部筋の左右差を完治させえなかった顎関節の形態異常を有するIII級症例:永久歯列完成前
   Case 32 片咀嚼により咬合高径の左右差が増悪されたIII級側方偏位症例:永久歯列完成
   Case 33 上下顎歯槽骨が順応して非抜歯で治療できた成人の過蓋咬合症例:成人
    * 3D画像,CT画像のある症例

 文献
 索引