やさしさと健康の新世紀を開く 医歯薬出版株式会社

Prologue
 “私はいつも自分のできないことをしている.そうすればできるようになるからだ”〔Pablo Picasso.1881〜1973〕
 約半世紀の歳月,歯科医療に従事することができて,無歯顎患者の医療を通じて患者が伝えてくれる喜びからたくさんの幸福をいただくことができました.総義歯治療の難しさと楽しさを十分に経験することができた一方,その過程で無歯顎患者の病態や生理,そして脳との関係から,通法の総義歯治療に関するさまざまな課題も見えてきました.この約25年間は,それらを解決する新しい術式を模索・実践してきました.そしてこれらの術式を正しく伝えるためには,総義歯治療に必須の機能解剖学を説明する必要性を感じるようになりました.
 本書の目的は,
 ・総義歯治療に必要な機能解剖学を伝えること
 ・機能解剖学に基づく総義歯の形態はどのようになるのかを伝えること
 ・その術式の過程を具体的にstep by stepで伝えること
 です.機能解剖学は総義歯治療に必須です.総義歯患者が咀嚼,嚥下,会話および表情表現などの口腔機能運動を行うとき,これらの運動に関連する口腔組織は総義歯形態に大きな影響を及ぼすことになります.まずは機能時における咀嚼筋群,嚥下筋群,会話筋群および表情筋群などの機能解剖学を理解することが大切です.
 次に,総義歯の形態は,患者それぞれの口腔形態と機能運動によって作られます.義歯床下の内面,研磨面,床縁,咬合面などの形態は,機能時の口腔周囲組織の筋肉群が統合された運動と力によって決定されます.したがって,口腔筋肉群の機能運動による粘膜面の動きを記録することが,総義歯の機能形態の印象となり,そのようにして印象された総義歯はニュートラルゾーンのデンチャースペースに存在することになり,維持・安定は容易となります.本書では,口腔筋群の機能による粘膜の動きが総義歯形態の印象にどのように表現されるのかを,上顎4部位,下顎5部位に分けて解説します.
 特に,不適合な総義歯を長期間使用していた場合や無歯顎状態が長期間にわたった場合,正しい形のデンチャースペースは多くにおいて変位および変形しています.このデンチャースペースの回復と口腔周囲組織の活性化のためには,治療用義歯とティッシュコンディショナー(TC)を用いたリハビリテーション的な治療が必要となります.本書では,この手法による義歯の内面,研磨面,床縁および咬合面の改善法を,症例を通じてstep by stepで解説していきます.本術式ではTCの特性を全面的に活用します.これによってダイナミックなデンチャースペースの作り込みとその機能的な印象が可能となり,義歯床辺縁も鮮明になっていきます.さまざまな角度からご覧いただく多くの臨床写真から,機能的印象の形態を理解していただけるものと思います.
 印象という作業は総義歯作りにとって土台(基礎)です.しっかりした印象の獲得によって正しい咬合面の設定場所が確保されると,審美性,発音および力学的な咀嚼機能を満たした人工歯排列が容易になります.
 本書を診療室や技工室に置いていただき,研修歯科医,開業歯科医および歯科技工士の皆様が,採得した印象や作業用模型を観察する際や,無歯顎の機能解剖学に基づく総義歯の形態を学ばれる際に使用していただくことができれば望外の幸せです.
 総義歯治療に魅力を感じる歯科医師や歯科技工士の皆様が増え,多くの無歯顎患者が幸福になることを祈ります.
 “明日描く絵が一番素晴らしい”〔Pablo Picasso.同上〕
 2012年9月
 著者 本郷英彰
 Prologue
 Graph 1.ティッシュコンディショニングによるデンチャースペースの変化
 Graph 2.ティッシュコンディショニングで回復する口腔内と義歯のかたち
Part 1 生体と調和&機能する総義歯形態のつくり込み〜失われたデンチャースペース;総義歯のかたちを適正に再生する機能解剖学的総義歯治療〜
Overview 生体の動的平衡によるデンチャースペースの変化と回復の必要性
Chapter 1 従来の総義歯治療と総義歯のかたちに関する問題点を考える
 なぜ患者が満足できない義歯になるのか…?!
  1 無歯顎および不適合義歯装着患者の問題点
   1.義歯床縁の不足
   2.義歯粘膜面の不適合
   3.義歯研磨面のアンダーカントゥアまたはオーバーカントゥア
  2 通法による総義歯製作の問題点
   1.通法による印象採得法の問題点
   2.通法による咬合採得法の問題点
Chapter 2 機能解剖学的な総義歯治療の重要性と手技
 機能解剖学的治療が義歯にもたらすものは…?!
   1.咬合支持に適切な義歯床下粘膜の生理的状態の回復が可能
   2.咬合支持に十分な義歯床縁の拡大が可能
   3.義歯の維持に必要な研磨面形態の回復が可能
   4.咀嚼などの口腔機能を向上させる咬合面形態の回復が可能
Chapter 3 治療用義歯によるデンチャースペースの回復法
 義歯製作工程におけるデンチャースペースの三次元的造形とは…?!
   1.治療用義歯床縁の延長による水平的デンチャースペースの回復
   2.治療用義歯研磨面の調整による水平的デンチャースペースの回復
   3.治療用義歯咬合面の調整による垂直的デンチャースペースの回復
   4.人工歯選択
   5.ラボサイドでの作業用模型の水平的位置確認と咬合調整
   6.チェアサイドでの咬合調整
Chapter 4 治療用義歯の生理的意義
 デンチャースペースの回復で生体に何がもたらされる…?
Chapter 5 デンチャースペース回復に重要な機能解剖学
 なぜ機能解剖学が重要なのか…?
   1.総義歯治療における機能解剖学の意義
   2.総義歯の印象・評価に必須な機能解剖学
   3.作業用模型の評価に必須な機能解剖学
Chapter 6 機能解剖学的総義歯治療におけるデンチャースペース回復のプロセス
 ティッシュコンディショナー併用治療用義歯法に基づく総義歯治療の流れ
  〔COLUMN〕復習;機能解剖学的総義歯治療の要領・ポイント
Part 2 正しく機能する総義歯のかたち〜正しいデンチャースペースと総義歯の機能的形態〜
Overview 組織の正しいかたちへの追い込み=正しい機能の獲得=あるべき総義歯形態
Region 1 上顎前歯部口腔前庭部周辺の機能的形態と義歯のかたち
 BASICS 上顎前歯部口腔前庭部周辺の部位的特徴と 義歯床形態のかかわり
   1.歯槽骨の吸収状態と義歯床縁形態(厚み・形状)との関係
   2.リップサポートと義歯床縁形態(厚み・唇側フレンジ形態)との関係
   3.歯槽突起吸収時のカンペル平面の利用
   4.上唇小帯部の位置・状態および周囲筋と義歯床縁形態との関係
   5.切歯乳頭・第一横口蓋ヒダの位置と人工歯排列の関係
 CASE STUDY 症例でみる上顎前歯部口腔前庭部周辺の義歯床づくりの実際
   Clinical Case 1
   Clinical Case 2
  〔COLUMN〕過剰なティッシュコンディショナーで患者が痛みを訴えたら…?
Region 2 上顎臼歯部口腔前庭部周辺の機能的形態と総義歯のかたち
 BASICS 上顎臼歯部口腔前庭部周辺の部位的特徴と 義歯床形態のかかわり
   1.頬小帯の形態および周囲筋の動きと義歯床縁形態の関係
   2.頬骨下稜と義歯床縁形態(長さ・厚み)との関係
   3.頬筋付着部および後.骨隆起と義歯床縁形態(長さ・厚み・フレンジ形態)との関係
   4.機能運動時における周囲筋の作用と義歯床縁および研磨面形態との関係
   5.上顎口腔前庭部の幅と義歯床縁形態およびBLBの意義
 CASE STUDY 症例でみる上顎臼歯部口腔前庭部周辺の義歯床づくりの実際
   Clinical Case 1
   Clinical Case 2
   Clinical Case 3
Region 3 上顎歯槽結節部周辺の機能的形態と総義歯のかたち
 BASICS 上顎歯槽結節部周辺の部位的特徴と 義歯床形態のかかわり
   1.豊隆の発達度・張り出し度と義歯床の安定との関係
   2.ハミュラーノッチの特徴と義歯床縁設定位置の関係
   3.口腔周囲筋の作用と義歯研磨面形態との関係
   4.ハミュラーノッチと義歯床後縁および咬合平面設定との関係
   5.翼突下顎ヒダの解剖学的意義と印象採得時・咬合床製作時への応用
 PRACTICAL KEYS 上顎歯槽結節部周辺の義歯床づくりの部位別ポイント
  1 上顎歯槽結節部のバッカルスペースの義歯床縁設定におけるポイント
  2 ハミュラーノッチ部分の義歯床縁設定におけるポイント
  3 後口蓋孔部の義歯床縁設定におけるポイント
Region 4 上顎義歯床後縁設定域(後口蓋後縁封鎖域)周辺の機能的形態と総義歯のかたち
 BASICS 上顎義歯床後縁設定域(後口蓋後縁封鎖域)周辺の部位的特徴と 義歯床形態のかかわり
   1.口蓋小窩と上顎義歯床後縁の関係
   2.口蓋振動線と上顎義歯床後縁の関係
   3.前・後口蓋振動線の位置と上顎義歯床後縁の関係
   4.軟口蓋・後口蓋の形態と上顎義歯床後縁の関係
   5.後鼻棘の位置と上顎義歯床後縁の関係
 PRACTICAL KEYS 後口蓋封鎖を得るための 上顎義歯床後縁設定のポイント
  1 上顎義歯床後縁と後口蓋封鎖
  2 後口蓋封鎖を得るための上顎義歯床後縁の長さの検討・調整
  3 上顎義歯床後縁設定域(後口蓋後縁封鎖域)の追い込みに際しての留意点
 CASE STUDY 症例でみる 上顎義歯床後縁設定域(後口蓋後縁封鎖域)周辺の義歯床づくりの実際
   Clinical Case 1
   Clinical Case 2
Region 5 下顎臼歯部口腔前庭部周辺の機能的形態と総義歯のかたち
 BASICS 下顎臼歯部口腔前庭部周辺の部位的特徴と 義歯床形態のかかわり
   1.下顎頬小帯と義歯床縁形態の関係
   2.外斜線と義歯床縁形態の関係
   3.ティッシュコンディショニングによる下顎臼歯部口腔前庭部の拡張
   4.下顎臼歯部口腔前庭部のデンチャースペースのメカニズムと回復
   5.頬筋のとらえ方と下顎義歯の床縁設定
   6.下顎臼歯部口腔前庭部と義歯研磨面の調和
 CASE STUDY 症例でみる 下顎臼歯部口腔前庭部周辺の義歯床づくりの実際
   Clinical Case
Region 6 臼後三角部(レトロモラーパッドおよび後方粘膜部)周辺の機能的形態と総義歯のかたち
 BASICS 臼後三角部(レトロモラーパッドおよび後方粘膜部)周辺の部位的特徴と義歯床形態のかかわり
   1.レトロモラーパッドの位置・形態と義歯床後縁封鎖の関係
   2.レトロモラーパッド後縁およびPゾーン周囲組織と義歯床後縁設定の関係
   3.義歯床後縁設定におけるレトロモラーパッドの位置の意味
   4.最終印象におけるレトロモラーパッドの追い込み=辺縁封鎖の確実化
 CASE STUDY 症例でみる 臼後三角部(レトロモラーパッドおよび後方粘膜部)周辺の義歯床づくりの実際
   Clinical Case 1
   Clinical Case 2
Region 7 顎舌骨筋線部周辺の機能的形態と総義歯のかたち
 BASICS 顎舌骨筋線部周辺の部位的特徴と 義歯床形態のかかわり
  1 顎舌骨筋線部の構成と動き
   1.歯槽舌側溝における顎舌骨筋線部の位置と構成―3 エリアに分類
   2.顎舌骨筋線部の印象の基本要件─機能時・安静時の形態と位置をとらえた印象が必要
  2 後顎舌骨筋線部の機能形態と印象
   1.後顎舌骨筋線部の範囲と分類
   2.後顎舌骨筋部最後方部の機能形態
   3.後顎舌骨筋線部の義歯床後縁設定─後顎舌骨筋窩への舌側フレンジの延長
   4.後顎舌骨筋線部の形態的多様性
  3 顎舌骨筋線部および前顎舌骨筋線部の機能形態と印象
   1.顎舌骨筋線部における機能形態に即した義歯舌側フレンジ形態
   2.前顎舌骨筋線部における前顎舌骨筋窩の位置
 CASE STUDY 症例でみる 顎舌骨筋線部周辺の義歯床づくりの実際
   Clinical Case 1
   Clinical Case 2
   Clinical Case 3
   Clinical Case 4
Region 8 口腔底舌側溝部周辺の機能的形態と総義歯のかたち
 BASICS 口腔底舌側溝部周辺の部位的特徴と 義歯床形態のかかわり
  1 舌小帯部の機能形態と印象
   1.舌の運動による舌小帯形態の変化
   2.舌の位置・動きと口腔底舌側溝部の下顎義歯床縁の長さ・厚みの関係
   3.舌と義歯床の間(舌側溝)における“あそび”(空隙)設置の意味
   4.舌および舌側歯槽堤の状態と舌小帯ノッチの形態の関係
  2 舌切痕外側縁の隆起の機能形態と印象
   1.舌の機能運動に応じた義歯床の辺縁封鎖が必要
 CASE STUDY 症例でみる 口腔底舌側溝部周辺の義歯床づくりの実際
   Clinical Case
Region 9 下顎前歯部口腔前庭部周辺の機能的形態と総義歯のかたち
 BASICS 下顎前歯部口腔前庭部周辺の部位的特徴と 義歯床形態のかかわり
  1 下唇小帯部分の機能形態と印象
   1.下唇小帯の位置・形態・動きに順応する義歯床縁設定
  2 オトガイ筋部分の機能形態と印象
   1.オトガイ筋の位置・動きと義歯床縁の関係
   2.オトガイ筋付着部を越えた義歯床縁設定
   3.歯槽堤に垂直方向に走行するオトガイ筋線維の機能に順応する義歯床の長さと厚み
   4.オトガイ筋の緊張に応じた義歯研磨面の形成
  3 フラビーガム部分の状態と印象
   1.フラビーガム症状を悪化させない義歯づくりの要件
   2.フラビーガム症例の印象上の留意点
 CASE STUDY 症例でみる 下顎前歯部口腔前庭部周辺の義歯床づくりの実際
   Clinical Case
 Epilogue
 References
 Index
 Denture Work Materials and Instruments