やさしさと健康の新世紀を開く 医歯薬出版株式会社

序文
 古代人の歯には,若年者においても重篤な咬耗,摩耗が認められ,これは異常な咬合力のみならず加工,調理されていない食事によるものであるといわれています.現代では,そのような食事を原因とする咬耗や摩耗を認めることはありません.しかし,近年,トゥースウェア(tooth wear)のひとつである酸蝕が増加しつつあり,齲蝕・歯周病に次ぐ,第三の歯科疾患として注目を集めています.このトゥースウェアとは,歯(tooth)に何かを着せる(wear)のではなく,歯(tooth)が摩滅,摩損,消耗,損耗,酸蝕,(wear)することです.
 トゥースウェアという言葉を聞いてもあまりピンとこないかと思います.それは,わが国の歯科教育において,トゥースウェアの教育,講義はほとんど行われていないからです.筆者もテキサス大学に留学中(1994〜1996年)に初めてこの言葉を耳にしました.欧米では20年ぐらい前からトゥースウェアや知覚過敏に関して興味が持たれており,臨床の場でも重篤なトゥースウェア症例の審美的修復に関する発表がさかんに行われています.
 また酸蝕に関しても,学生時代に習った酸蝕とは,いわゆる酸を扱う職業に従事する人が罹患し,これらの疾患は,法律の整備や労働環境の改善により減少していくものであるという教育を受けてきました.しかし,実際には酸蝕そのものは増加しつつあります.若年者における拒食症,過食症など摂食障害による嘔吐,さらに柑橘類,炭酸飲料,スポーツ飲料などpHの低い飲食物の大量摂取による酸蝕が見受けられ世界的には酸蝕が増えつつあり,臨床の場での診断が重要です.
 実際,患者さんの口腔内を見たときに,齲蝕歯ではないのになぜか脱灰している.そういうケースに遭遇したことがあると思います.たとえば,対合歯との接触がないのに歯が減っている.また,修復物の周辺に段差が生じているので二次齲蝕を疑い,これを除去したが二次齲蝕ではなかったなどの経験があると思います.これらは,すべて齲蝕によるのではなく,酸による歯の溶解です.このようなことが診査,診断できないのは,わが国の歯科医学教育において,酸蝕,咬耗,摩耗を含んだトゥースウェアという概念そのものが,教育されていないことに起因しています.
 本書は2006年4月から2007年3月までデンタルハイジーンに連載したものに加筆,訂正したもので2編から構成されており,前編では,トゥースウェアの分類と定義,および酸蝕の臨床像,リスクファクター,診査・診断,さらには治療と予防について,後編では,摂食障害,胃食道逆流症,清涼飲料や柑橘類の大量摂取など,酸蝕の原因とその対処とについて解説しています.
 本書が歯科医療関係者において,トゥースウェア,特に酸蝕に対する理解の一助となれば幸いです.最後に,本書発刊にあたってご尽力頂いた医歯薬出版株式会社ならびに編集担当諸氏に深く感謝いたします.
 2009年8月 小林賢一
 序文
トゥースウェア・歯の酸蝕
CHAPTER1 歯が溶ける
 歯が溶ける―酸蝕とは
 トゥースウェアと酸蝕
  トゥースウェアの分類と定義
  トゥースウェアと酸蝕の罹患率
 トゥースウェアの臨床像
 酸蝕の病態
  エナメル質の脱灰,軟化
  象牙質の露出,露髄,知覚過敏
  着色
  その他の特徴
 酸蝕の病因
CHAPTER2 歯の酸蝕のリスクファクター
 酸蝕のリスクファクター
  海外の研究報告より
 酸蝕リスクファクターの修飾因子
  酸性飲食物の摂取方法,摂取時間,温度
  酸蝕リスクファクターと酸曝露後の行動
CHAPTER3 歯の酸蝕の診査・診断
 酸蝕の診査
  問診
  口腔内・外の診査
 トゥースウェアの診断
  Verrettの診断用チャート
  Abrahamsenの診断用チャート
 摩耗,酸蝕,アブフラクションの鑑別診断
  Shyrockによる分類と診査,診断
  Bradyらによる鑑別診断
 早期発見が鍵
CHAPTER4 歯の酸蝕の治療と予防
 酸蝕に対する予防
  酸蝕に対する専門的処置
  酸蝕を予防するための日常的なセルフケア
 酸蝕に対する治療
  重篤度による治療法の選択
  補綴スペースの確保
  治療法とコスト
 酸蝕の早期発見への鍵
歯の酸蝕の原因と対処
CHAPTER5 摂食障害(いわゆる拒食症,過食症)と歯の酸蝕
 反復性嘔吐による酸蝕
 摂食障害とは
  神経性食欲(食思)不振症〔拒食症〕
  神経性過食(大食)症〔過食症〕
 摂食障害の患者数,発症年齢層
 摂食障害患者の口腔内症状および全身的症状
  口腔内症状
  全身的症状
 摂食障害患者に対するアプローチ
  歯科治療プロトコール
  歯科的指導とアプローチ
CHAPTER6 胃食道逆流症(GERD)と歯の酸蝕
 胃液などの「逆流」による酸蝕
 胃食道逆流症とは
 胃食道逆流症の原因
 胃食道逆流症の症状
  定型的症状
  非定型的症状
 胃食道逆流症の疫学
 胃食道逆流症の口腔内症状
 胃食道逆流症の診断・予防
 拡大した胃食道逆流症の概念
  改訂された胃食道逆流症の定義
  食道外症候群として追加された酸蝕
 胃食道逆流症患者の QOL
CHAPTER7 口腔乾燥症と歯の酸蝕
 唾液とその役割
 口腔乾燥症とは
  唾液分泌量減少の原因
  口腔乾燥症の症状
  口腔乾燥症と薬剤
 酸蝕の修飾因子としての唾液
 Dr.Walshによる口腔乾燥症の診断法
 唾液の減少に注意
CHAPTER8 清涼飲料と歯の酸蝕
 清涼飲料
  清涼飲料の酸蝕能
  飲み方によって異なる酸蝕の危険性
  摂取時間帯によっても増す酸蝕の危険性
  飲料の温度の影響
 Soda swishing
 小児の酸蝕
 酸蝕についての食事指導・生活指導
CHAPTER9 柑橘類と歯の酸蝕
 柑橘類による酸蝕
 Fruit suckingと Fruit mulling
 患者さんへのアドバイス
CHAPTER10 食べる,飲む健康法と歯の酸蝕
 ベジタリアンと酸蝕
  ベジタリアンの定義
  ベジタリアンとトゥースウェアのリスクファクター
 クエン酸の摂取,食酢の飲用と酸蝕
 飲泉と酸蝕
 歯科的リスクの啓蒙
CHAPTER11 職業性因子と歯の酸蝕
 ワインテイスターにおける酸蝕例
 その他のアルコールによる酸蝕の可能性
 ワインの酸蝕能
 スイミングプールでの酸蝕(スイマーズエロージョン)例
 スイミングプールの pHと酸蝕の危険性
 環境・職業性因子と酸蝕の危険性

 文献
 索引