やさしさと健康の新世紀を開く 医歯薬出版株式会社

はじめに
 笠井清登(写真) 宮本有紀 福田正人
 東京大学大学院医学系研究科精神医学分野,同精神看護学分野,
 群馬大学大学院医学系研究科神経精神医学分野
 統合失調症は,思春期・青年期に発症する頻度の高い精神疾患である.陽性・陰性症状を呈し,日常生活・対人関係・職業生活に困難を経験することが多い.疾患が生活障害を引き起こす程度を障害調整生命年(disability-adjusted life year:DALY)における生活障害(障害生存年数;years of life lost:YLL)として算出すると,全疾患中,統合失調症の急性期が最大とされる.
 これまで統合失調症の治療目標は症状・認知機能・社会適応レベルなどの改善であったが,近年,当事者側から「人としてのリカバリー(回復);personal recovery」という,主 観的で人生のプロセスを重視するアウトカム概念が主張されつつある.
 リカバリーという主観的なアウトカムを科学的に検討するには,“人が長期的人生をどのように歩んでいるのか”に立ち戻って考える必要が生じる.そのためには,人が自分の人生を主体的に選び取っていくことを駆り立てる個体内因子を想定する必要があり,これを“主体価値”とよぶこととする.親や社会から継承された価値はしだいに個人のなかに内在化していき,他者とは異なる個別化された価値となり,これをもとに社会に向かって能動的に働きかけていけるようになる(価値の主体化).主体価値の発展は,生活(realworld)のなかで能動的な行動を生み出し,その結果,脳に可塑的変化をもたらし,主体価値が更新していくとスパイラル的にモデル化できる.こうして人は,主体価値に基づいて長期的な人生を歩んでいく.統合失調症におけるリカバリーとは,統合失調症という病気の影響で混乱し見失いがちになっている主体価値を,病気の経験を踏まえて建て直し,あらたな形として発展させるプロセスといえよう.統合失調症の研究は,「脳・生活・人生の統合的理解に基づく主体価値・リカバリーの科学」としてとらえなおすことができる.
 近年,医療においてvalue-based approachがevidence-based approachを乗り越えようとする形で主張されはじめている.当事者中心の(person-centered)サービス,共同意思決定(shared decision making),共同創造(co-production),当事者研究,ピアスタッフの重要性,研究の民主化(democratizing clinical research),といった最近の動向はすべてvalue-based approachと呼応する.これらはいずれも社会的・倫理的・人権的な取組みとしてとらえられることが多いが,それが同時に自然科学的・脳科学的なテーマでもあることはあまり認識されていない.しかし,ヒトの脳の動作特性が対人関係・生活を成立させるために最適化される方向に進化してきたことを考えれば,脳科学的課題でもあるということは自然に理解できる.
 編者らは,それぞれ文部科学省や日本医療研究開発機構の研究費で,「脳・生活・人生の統合的理解に基づく思春期からの主体価値発展学」(笠井),「当事者を含めた多職種によるリカバリーカレッジ運用のためのガイドラインの開発」(宮本),「主体的人生のための統合失調症リカバリー支援―当事者との共同創造co-productionによる実践ガイドライン策定」(福田)の代表を務めている.前者は,主体価値・リカバリーの科学の理論編,後二者は実践編と位置づけうる.10〜20年後には医学の常識となっているであろうことを,統合失調症の臨床や研究は先取りしているともいえる.そうした含意で,特集のタイトルを「統合失調症UPDATE―脳・生活・人生の統合的理解にもとづく“価値医学”の最前線」とした.20にも及ぶ寄稿は,序論,価値,脳,生活,人生と構造化し,当事者・家族・市民の立場の方々にも多大なご協力をいただいた.かけがえのない一人ひとりが,病を持ちながらも人生を主体的に送っていく.それを支える医は,社会は,どうあるべきか.当事者・家族の個別の体験から普遍的な“人はどう生きるかの科学”が導かれる.この序文が本特集を読み解くためのヒントとなれば望外の喜びである.
 はじめに(笠井清登・他)
序論
 1.統合失調症について一般医・研究医に知ってほしいこと(福田正人・藤平和吉)
  ・主体の体験としての精神疾患
  ・臨床症状の理解
  ・病態の理解
  ・治療の基盤
  ・当事者が主体となる回復
  ・研究についての共同創造(co-production)
 2.こころと身体の健康はひとつながり―価値に基づく統合的支援(熊倉陽介・他)
  ・保健医療のパラダイムシフト
  ・価値に基づく診療
  ・No health without mental health
  ・統合失調症をもつ人の身体的健康
  ・健康格差対策の考え方
  ・心身の健康の統合的な支援のための見取り図
価値医学―基本姿勢と行動指針
 3.支援の原点―家族の視点から,家族として人として(島本禎子)
  ・赤ちゃんの誕生
  ・娘のこころの不具合のはじまりのころ
  ・本格的な発症とはじめての閉鎖病棟
  ・“統合失調症”における回復とは?
  ・知識のない母親が思いかけず精神病の薬の体験
  ・私の,病に対する“支援”との出会い
  ・医療をはじめとする支援
  ・人生再出発を可能にして進む人たち・困難にとどまっている人たち
  ・研究成果を当事者家族と共有するための工夫―学会で
  ・医学部に進まれた学生さんたち
  ・学生さんたちのアンケートから
  ・ともに社会で生きていく可能性が広がるとき
 4.統合失調症患者における共同意思決定―新しいアプローチとシステム(山口創生・熊倉陽介)
  ・精神科の共同意思決定(SDM)で必要とされること
  ・SDMの効果と課題
  ・SDMを実装する新しい取組み
 5.市民・医療従事者のアンチスティグマ(安藤俊太郎・他)
  ・統合失調症に対するスティグマ
  ・統合失調症に対するアンチスティグマの戦略
 6.ガイダンス・ガイドライン―診療・支援の基本姿勢をガイダンスから学ぶ(金原明子)
  ・統合失調症の治療における医療者の基本姿勢の重要性
  ・ガイダンス・ガイドラインとは
  ・ガイダンス・ガイドラインを読む取組み
  ・EPAガイダンスの要点と議論の様子
  ・リカバリー支援ガイドライン
 7.統合失調症の薬物療法(市橋香代)
  ・初発精神病性障害
  ・再発・再燃時
  ・維持期治療
  ・治療抵抗性統合失調症
  ・その他の臨床諸問題
脳―研究最前線
 8.生前登録システムに基づく精神疾患ブレインバンクの取組み(國井泰人・和田 明)
  ・ブレインバンクとは
  ・世界のブレインバンクの流れと現状
  ・日本のブレインバンクの状況
  ・福島精神疾患ブレインバンク
  ・ブレインバンクの全国ネットワーク化
 9.価値の神経回路・シナプスからみた統合失調症(柳下 祥・水谷俊介)
  ・脳と環境の長期的相互作用
  ・価値による学習と行動選択の神経基盤モデル
  ・サリエンシー回路
  ・価値学習回路
  ・意欲・意思決定回路
  ・病態研究への展開
 10.22q11.2欠失症候群―精神・身体・知的の3障害の統合的支援(田宗秀隆・他)
  ・22q11.2欠失症候群の歴史的経緯・疫学
  ・22q11.2領域の遺伝子
  ・基礎研究・臨床研究の動向
  ・CSHCNとトランジション
  ・医療における課題
  ・教育と福祉における課題
  ・個別化された包括的な支援の必要性
  ・統合的な研究と実践の発展に向けて
 11.生活をめざす脳・行動計測(澤田欣吾・榊原英輔)
  ・臺式簡易客観的精神指標(UBOM-4)
  ・UBOM-4 の意義
  ・近赤外線スペクトロスコピー(NIRS)
 12.協同創造(co-production)としての当事者研究の可能性(向谷地生良)
  ・当事者研究とは
  ・リカバリーのプロセスと当事者研究
  ・協同創造(co-production)としての当事者研究
生活―保健・医療・福祉・教育の統合
 13.学校精神保健・予防(金田 渉・小池進介)
  ・学校精神保健の意義と,学校現場の現状
  ・学校精神保健の今後のあり方
  ・わが国における学校精神保健の実践例
 14.早期支援:精神病における早期発見と早期介入(森田健太郎)
  ・なぜ早期支援が必要?
  ・精神病の臨床的ハイリスク(CHR)とは
  ・ガイダンス・ガイドラインにおける早期支援
  ・日本での早期支援
  ・今後の方向性
 15.リカバリー―変革と実践のために(宮本有紀)
  ・リカバリーとその背景
  ・リカバリーとはどのような状態か
  ・リカバリーを促進するために
  ・リカバリー促進実践の紹介
 16.これからの生活臨床(藤枝由美子・江口 聡)
  ・“生活臨床”とは
  ・生活臨床の発展―東京大学医学部附属病院の場合
  ・ケース
  ・思春期特性と生活臨床との関連
 17.コミュニティ支援のフロンティア(高野洋輔・他)
  ・海外における精神科アウトリーチ
  ・日本における精神科アウトリーチの実際
  ・在宅医療機関の精神疾患対応と地域の医療・介護連携
  ・スポーツの活用と教育を通じたリカバリーを促進するコミュニティづくり
人生―ライフステージに沿った支援
 18.女性当事者の人生―恋愛・結婚・子育てを中心に(夏苅郁子)
  ・一事例として―私の家族
  ・結婚への道と支援
  ・出産と子育て
  ・当事者に育てられる子どもの立場から
  ・どのような支援が必要か
  ・母への尊敬
 19.統合失調症を持つ当事者への就労支援(石橋 綾・管 心)
  ・障害者就労を支える仕組み
  ・就労までの一般的な流れ
  ・症例
 20.高齢者のサイコーシス症候群(古茶大樹・三村 將)
  ・老年期の非器質性幻覚妄想状態
  ・高齢者のサイコーシスと変性疾患,とくにFTDとの関連

 サイドメモ
  統合失調症のゲノム研究
  「統合失調症になってもだいじょうぶな社会を願って」
  Healthy Active Lives(HeAL)-Japan
  辛い通院,悲しい通院
  嬉しい通院,元気の出る通院
  パーソナルリカバリーの概念
  死体解剖保存法
  希望の贈り物(Gift of hope)
  統合失調症との異同:診断基準
  神経発達障害
  いま,精神科医ができること
  リカバリー
  社会生活機能
  心拍変動(HRV)
  語流暢性課題(verbal fluency task)
  精神保健教育とスティグマ
  精神保健教育の歴史的変遷
  CHRの模擬ケース
  臨床病期モデル
  リカバリー促進のための10 の組織課題
  急性期の在宅治療の事例―30 歳男性,統合失調症
  子育てへの支援機関
  理念型とは