やさしさと健康の新世紀を開く 医歯薬出版株式会社

はじめに
 笠井清登
 東京大学大学院医学系研究科精神医学
 精神医学はライフステージに沿って,人間の精神機能の失調である精神疾患を修復し,精神的な幸福の実現をめざす医学である.精神疾患は一般人口における有病率がきわめて高く,その多くが人生早期にはじまるため,疾病による社会的・経済的負担の主要因であり,癌・生活習慣病と並ぶ三大国民病と位置づけられる.一方,脳科学は研究対象を知覚→情動→対人機能の順で進展させてきており,いままさに,自我,意識,内発性といった人間独自の精神機能や,その障害としての精神疾患の基盤を解明しようという機運が高まっている.このような医学,脳科学における精神医学に対する関心の高まりと相まって本特集がタイムリーに組まれたものと考えており,編集委員会の見識に深く感謝したい.
 総論では日本の精神疾患研究を概観するとともに,精神疾患研究の重要性の根拠となる疫学・統計資料の提供,精神疾患の予防・早期介入の潮流の紹介をめざした.各論ではまず,精神疾患研究に用いられるさまざまな最先端の方法論についてまとめ,分子・認知神経科学を専門とし,精神疾患の解明に関心の高い研究者への参考になればと考えた.つぎに,二大精神疾患である,気分障害(うつ病・双極性障害)と統合失調症について上記の方法論を駆使した研究の現状と展望に関する総説を集めた.稲垣らや野村によるうつ病の総説は,医学・医療にかかわる方に幅広く読んでいただき,うつ病に対する精神医学・医療の役割についての認識を深めていただくきっかけになれば幸いである.最後に,上記以外のトピックスとして,精神医学初の先進医療である光トポグラフィーを題材として精神疾患におけるバイオマーカーの誕生の意義が述べられるとともに,発達障害,薬物依存,認知症といった重要領域の研究がまとめられている.
 日本に近代精神医学をもたらした呉秀三は,「わが国何十万の精神病者は実にこの病を受けたるの不幸のほかに,この国に生まれたるの不幸を重ぬるものと言うべし」(1918)との言葉を残した.本別冊が広く医学・医療にかかわる方の参考となり,日本における精神疾患研究が格段に推進されることを通じて,個人と社会の精神的幸福が実現し,呉先生の深い苦悩が解決されることを切に願っている.
 はじめに(笠井清登)
総論
 1.日本における精神疾患研究の現状と展望(笠井清登・他)
  ・精神疾患研究の重要性の根拠
  ・日本における精神疾患研究費の現状
  ・日本における精神疾患研究の動向
 2.精神疾患の疫学と疾病負担(DALY)(西田淳志・中根允文)
  ・精神疾患の有病率と未治療率
  ・精神疾患と疾病負担(DALY)
  ・精神疾患による経済的損失
  ・今後の精神保健課題と疫学研究
 3.精神疾患の予防と早期介入(松本和紀)
  ・精神疾患における予防戦略
  ・若者の精神保健と早期介入
  ・統合失調症に対する早期介入
  ・精神病発症リスク群への早期介入
  ・若者のうつ病に対する早期介入
  ・身体疾患/高齢者のうつ病に対する予防介入の取組み
  ・精神疾患の早期介入における今後の課題
最新・基礎研究動向
 4.精神疾患の全ゲノム解析(岩田仲生)
  ・全ゲノム解析とは
  ・GWASとはなにか―悲観論・楽観論への批判
  ・GWAS:仮説なき仮説検定
  ・多数サンプル解析という“解決”に向けて
  ・GWASのこれまでの成果:相対リスクの小さい多くのSNPの発見
  ・CNVとアレルスペクトラム
  ・MRVへの挑戦
 5.死後脳研究の現在と今後(富田博秋)
  ・精神医学における死後脳研究の意義
  ・死後脳研究でわかってきたこと
  ・死後脳研究で今後解明されなければならないこと
 6.精神疾患モデル動物研究の展望(野村 淳)
  ・薬理学的動物モデル
  ・遺伝子改変動物モデル
  ・遺伝子-環境因子相互作用モデル
  ・今後の展望
 7.生後神経新生を標的として精神疾患の予防・治療法開発の可能性を探る(松股美穂・大隅典子)
  ・成体における神経新生
  ・精神疾患と神経新生とのかかわり
  ・精神疾患のバイオマーカーとしてのプレパルス抑制(PPI)
  ・神経新生とPPIとのつながり
  ・多価不飽和脂肪酸と神経新生
  ・ARA投与による生後神経新生亢進ラットにおけるPPI改善効果
  ・PUFAと臨床応用
 8.統合失調症の分子イメージング研究(高橋英彦)
  ・統合失調症の脳内ドパミンD1受容体に関する分子イメージング研究
  ・統合失調症の脳内ドパミンD2受容体に関する分子イメージング研究
  ・アゴニストリガンドを用いたドパミンD2受容体研究
  ・統合失調症のシナプス前ドパミン機能の分子イメージング研究
  ・統合失調症の脳内GABA受容体に関する分子イメージング研究
  ・NMDA受容体に関する分子イメージング研究
 9.精神疾患の脳画像データベース構築へ向けて―研究資産としての脳画像(八幡憲明・他)
  ・データベースとともに発展する自然科学の一例
  ・精神疾患研究における脳画像データベース構築の意義
  ・生命科学における萌芽
  ・わが国における脳画像データベース構築に向けて
最新・疾患研究動向
 【うつ病・双極性障害】
  10.うつ病・自殺対策における精神医学の役割(稲垣正俊・他)
   ・自殺に関連する要因
   ・自殺と精神障害の関連性
   ・自殺とうつ病
   ・精神科医療と自殺
   ・プライマリケアとうつ病・自殺
   ・自殺者の心理と援助希求行動
   ・今後の課題
  11.抗うつ薬による自殺と攻撃性増強についての論考(野村総一郎)
   ・抗うつ薬による自殺関連事象の増加
   ・自殺リスク増大を防ぐための技術論
   ・新規抗うつ薬による攻撃性・暴力の増加
   ・抗うつ薬による“活性化症候群”
   ・まとめに代えて
  12.うつ病の自己認知に関する脳機能画像研究(吉村晋平・岡本泰昌)
   ・うつ病における認知と感情の異常
   ・うつ病の自己に対するネガティブな認知の基盤となる脳機能
   ・うつ病の認知行動療法(CBT)が自己に対する否定的認知に与える影響
  13.脳由来神経栄養因子(BDNF)の機能を抑制するストレスホルモン(沼川忠広・功刀 浩)
   ・グルココルチコイド曝露とBDNFの長期的作用
   ・グルココルチコイドによるBDNFの長期的作用抑制のメカニズム
  14.双極性障害におけるゲノムワイド解析(岩本和也・加藤忠史)
   ・双極性障害におけるgenome研究
   ・双極性障害におけるtranscriptome研究
   ・双極性障害におけるproteomics研究
   ・今後の方向性
 【統合失調症】
  15.統合失調症の神経発達障害とDISC1(坪井大輔・他)
   ・DISC1とNdel1
   ・DISC1とKinesin-1
   ・DISC1とPDE4B
   ・DISC1相互作用解析の最新動向
  16.統合失調症の発症脆弱性―磁気共鳴画像(MRI)研究によるエビデンス(鈴木道雄)
   ・統合失調症における脳形態の変化と発症脆弱性
   ・発症前から認められる脳形態の偏倚
   ・統合失調症スペクトラムからみた統合失調症の発症機構と防御因子
   ・統合失調症前駆期の脳形態変化
   ・脆弱性から発症予防へ
  17.統合失調症の進行性脳病態仮説(高野洋輔・他)
   ・神経発達障害仮説
   ・進行性脳病態仮説
   ・統合失調症の分子病態
   ・統合失調症の病態解明に向けたアプローチ
  18.統合失調症のグルタミン酸・GABA神経伝達異常(切原賢治・他)
   ・グルタミン酸と統合失調症
   ・ガンマアミノ酪酸(GABA)と統合失調症
   ・グルタミン酸・GABA神経伝達と脳波
   ・統合失調症におけるグルタミン酸神経伝達異常とMMN
   ・統合失調症におけるGABA神経伝達異常とγ振動
   ・今後の方向
 【重要疾患・研究トピックス】
  19.精神疾患の臨床検査としての近赤外線スペクトロスコピィ(NIRS)の実用化―先進医療“光トポグラフィー検査”(滝沢 龍・他)
   ・精神疾患の診断と治療への生物学的指標の導入
   ・近赤外線スペクトロスコピィ(NIRS;光トポグラフィー検査)とは
   ・補助検査法としてのNIRS検査アルゴリズムの開発
   ・精神疾患と健常人の比較検討
   ・うつ症状の鑑別診断の補助検査
  20.社会的認知と精神疾患―統合失調症の脳画像研究を中心に(宮田 淳・村井俊哉)
   ・社会的認知と統合失調症
   ・心の理論
   ・共感(Empathy)
   ・情動的表情認知
  21.精神医学研究における出生コホートの必要性―発達,環境,個体の相互作用の解明へ(西田淳志・山末英典)
   ・医学研究と出生コホート
   ・イギリスの出生コホートと精神医学研究
   ・ニュージーランド出生コホート研究:遺伝×環境×発達
   ・ブリストル大学ALSPAC Study
   ・今後の精神疾患研究に必要な出生コホート研究
  22.自閉症スペクトラム障害の脳形態異常とその起源(山末英典)
   ・自閉症スペクトラム障害の脳形態所見
   ・非定型発達
   ・脳形態異常の成因
   ・対人相互作用の障害の脳神経基盤
   ・協調性の脳基盤
   ・自閉症スペクトラム障害での社会性の障害の脳基盤
   ・男女差とASD
  23.自閉症分子マーカー探索―自閉症の遺伝子・分子生物・実験動物学的研究(東田陽博・他)
   ・自閉症の遺伝子研究
   ・自閉症と染色体異常
   ・ショウジョウバエを用いた神経発生関連遺伝子のRNAiスクリーニング
   ・動物行動学的解析から同定された社会性認識にかかわる分子
  24.薬物依存症の脳画像研究と新しい治療法(橋本謙二・伊豫雅臣)
   ・覚せい剤依存症の脳血流および脳内糖代謝研究
   ・覚せい剤依存症のドパミン・セロトニン神経系の脳画像研究
   ・覚せい剤依存症の治療
  25.認知症の脳研究―見えてきた神経変性の共通機序(工藤 喬・他)
   ・Amyloidpathy
   ・Tauopathy
   ・TDP-43 proteinopathy
   ・α-synucleinopathy
   ・ポリグルタミン病
   ・プリオン病

 ・サイドメモ目次
  予防介入の3つのストラテジー
  統合失調症の臨界期仮説
  分子イメージング
  “新規抗うつ薬”とは
  BDNFとneurotrophin
  HPA系の機能亢進
  GR発現量低下と脳機能への影響
  統合失調症のドパミン仮説とグルタミン酸仮説
  事象関連電位(ERP)
  MDMA