やさしさと健康の新世紀を開く 医歯薬出版株式会社

はじめに
 土肥修司
 岐阜大学大学院医学系研究科麻酔・疼痛制御学
 わが国の麻酔科学およびそれを取り巻く麻酔科診療は,その黎明期そして発展期から50年以上を経て大きな変革に直面している.この半世紀に臨床麻酔は,日常の診療における気道の確保と呼吸・循環・代謝・体液という生命維持に枢要な機能の維持の重要性に加えて,麻酔・手術中にある患者の高度機能への影響,とくに高次脳機能への影響をどう理解するかという問題が大きくなってきた.安全性に加えて麻酔薬のもつさまざまな作用が,多方面から綿密に研究されてきたのである.
 脳のもつ“意識・情動・感覚・記憶・運動・自律活動“など,ざまざまな機能に麻酔薬がどう作用するか,これは麻酔が150年以上前に発見されて以来の大きな問いであった.現在臨床で使用されている麻酔薬によっては,患者のもっている記憶は消失しない.だが,ときに麻酔を受けた患者から「手術中のことを憶えている」との訴えがある.“麻酔中の覚醒(awareness)”があらたな麻酔中・後の合併症として浮上して認知されてきたのである.さらに,記憶(潜在記憶,顕在記憶),注意,遂行,判断力あるいは感情の安定,といった高次脳機能が麻酔後一過性に障害されたとする患者の訴えも増えてきた.
 多くの場合麻酔後の高次脳機能が問題となるのは,頭部外傷など脳障害があると予測されるか,そのような状態にあった患者の麻酔の後である.そして人工心肺を使用する大手術後,あるいはさまざまな血管内病変を抱えている患者たちにおいて多くの問題があることは指摘されてきた.だが,高次脳機能の研究が進むにつれて麻酔薬あるいは麻酔薬の作用として,外科手術に基づく激しいストレスから生体を守ることとは別に,それを受けた脳があらたな障害を受けているのではないか,という問題も浮上してきているのである.脳の高次機能を理解し,その障害を予防するにはどのような麻酔薬や麻酔法が最適なのか,過去10数年の研究の動向を探ることも必要である.
 第55回を迎えた日本麻酔科学会の学術集会では,そのテーマを“麻酔科学の過去・現在・近未来:学術の進歩とあらたな麻酔科医療の展開”として,臨床麻酔の臨床におけるあらゆる問題をサブテーマとしてプログラムを設定した.本特集では,その中で注目されたいくつかのトピックスの解説とまとめをお願いした.
 はじめに(土肥修司)
脳・神経科学研究の進歩と麻酔薬作用メカニズム
 1.脊髄のGABAA受容体と麻酔薬作用メカニズム(高橋亜矢子・眞下 節)
  ・GABAA受容体を構成するサブユニット
  ・GABAA受容体を介する2種類の異なる電流
  ・脊髄におけるGABAA受容体と麻酔薬の作用
 2.麻酔薬の中枢抑制作用における持続性抑制(GABAergic tonic inhibition)の役割(西川光一)
  ・揮発性麻酔薬による持続性抑制の増強
  ・静脈麻酔薬とGABA持続性抑制
  ・シナプス前終末への麻酔薬の作用とGABA releaseの修飾
  ・プロポフォールによる全身麻酔におけるGAD65由来のGABA持続性抑制の関与
 3.脊髄における麻酔薬の作用機序(河野達郎)
  ・麻酔薬の作用機序の流れ
  ・脊髄における麻酔薬の作用機序
  ・亜酸化窒素
  ・イソフルラン
  ・ミダゾラム
  ・プロポフォール
 4.ノルアドレナリン神経網と全身麻酔機序(廣田和美・櫛方哲也)
  ・脳内ノルアドレナリン神経の投射経路
  ・脳内ノルアドレナリン神経の睡眠覚醒サイクルにおける役割
  ・脳内アドレナリン受容体と睡眠覚醒サイクルとの関係
 5.オレキシンの作用と麻酔(山本達郎・鐘野弘洋)
  ・麻酔からの覚醒に関するオレキシンの役割
  ・脊髄侵害刺激伝達におけるオレキシンの役割
 6.痛覚過敏の分子・細胞メカニズム(河西 稔)
  ・各種細胞のカルシウムイオンの細胞内流入を介した機能
  ・痛覚過敏を示す疾患
  ・糖尿病性神経症のモデルラットを使った実験結果
  ・痛み治療薬
 7.麻酔中の覚醒と夢(土肥修司)
  ・麻酔状態の定義の変遷
  ・麻酔中の意識と記憶
  ・麻酔の眠りと夢
  ・睡眠・覚醒リズムへの麻酔薬の影響
基礎研究の進歩と全身管理への応用
 8.麻酔・手術中の脳・脊髄保護戦略(石田和慶・坂部武史)
  ・脳・脊髄障害の病態機序と麻酔薬の保護作用に関する基礎研究の進歩
  ・脳外科手術での脳保護戦略
  ・心臓大血管手術での脳・脊髄障害と保護戦略
 9.手術侵襲・麻酔とサイトカイン・炎症反応(加藤正人)
  ・手術侵襲と炎症反応
  ・手術侵襲と炎症反応を調節する因子
  ・手術侵襲とサイトカイン
  ・全身性炎症反応症候群(systemic inflammatory response syndrome:SIRS)
  ・手術や麻酔の侵襲を最小限に留める方策
 10.手術痛の機序と病態 川真田樹人・他
  ・手術侵襲による脊髄後角ニューロンの機能変化
  ・術後痛のメカニズムと鎮痛
  ・SGニューロンからのin vivoパッチクランプ記録による切開モデルの機序解明
 11.揮発性麻酔薬による心筋プレコンディショニング―分子機序から臨床応用まで(澄川耕二)
  ・内在性防御機構とプレコンディショニング
  ・麻酔薬プレコンディショニングの機序
  ・臨床における麻酔薬プレコンディショニング
  ・ポストコンディショニング
  ・プレコンディショニングに影響する状態
全身管理のUPDATE
 12.術後疼痛治療の進歩がQOL向上につながる(小林恭子・山本 健)
  ・術後疼痛治療の進歩―自己調節鎮痛法(PCA)
  ・患者満足度
  ・術後疼痛治療の実際―投与経路
  ・投与経路の比較と選択
  ・より効果的な術後疼痛治療のために
 13.手術麻酔と術後鎮痛―脊髄くも膜下麻酔と硬膜外麻酔の安全な施行法(林 真雄・溝渕知司)
  ・抗凝固療法と神経ブロック
  ・脊髄くも膜下麻酔と硬膜外麻酔
  ・脊髄くも膜下麻酔
  ・硬膜外麻酔
 14.周術期凝固機能の変化と周術期肺血栓塞栓症の予防(入田和男)
  ・周術期における凝固・線溶系の変化
  ・肺血栓塞栓症の発生頻度ならびに死亡率―全国実態調査より
  ・予防法の種類と特徴
  ・麻酔法別の PTE発生率
 15.超短時間作用性麻薬性鎮痛薬:レミフェンタニル(山蔭道明)
  ・レミフェンタニルの物理化学的特性
  ・特徴的な pharmacokinetics
  ・レミフェンタニルの薬理作用
  ・レミフェンタニルの臨床使用方法
 16.新世代の筋弛緩薬ロクロニウムの薬理と臨床(笹川智貴・岩崎 寛)
  ・新世代の筋弛緩薬ロクロニウム
  ・なぜすばやい効果発現時間が必要か―筋弛緩薬に求められる特徴
  ・ロクロニウムの薬理―その特徴
  ・合併症―安全に使用できるか
  ・ベクロニウムとロクロニウム―いままでと同じように使える?
  ・スキサメトニウムとロクロニウム―もう必要ない?
  ・筋弛緩からの回復―新しい拮抗薬の未来
 17.麻酔・手術前禁煙の臨床効果(久利通興)
  ・喫煙による周術期合併症
  ・術前禁煙期間と周術期合併症
  ・麻酔科による禁煙支援
 18.超音波ガイド下神経ブロックによる麻酔手技上の進歩とあらたな挑戦(藤原祥裕・小松 徹)
  ・超音波ガイド下神経ブロックに関する基礎知識
  ・超音波ガイド下神経ブロックの実際
  ・超音波ガイド下神経ブロックの有用性
 19.集中治療室におけるacute pain service活動(橋正裕・古家 仁)
  ・APSによる疼痛管理
  ・ICUでのAPS業務
 20.経食道心エコーによる麻酔中の心機能モニターの評価(野村 実・小貫英理子)
  ・麻酔科医と経食道心エコー
  ・左室収縮能
  ・左室拡張能を評価する
  ・肺動脈カテーテルと経食道心エコーによる心機能測定の違いは?
麻酔科専門医の社会活動と麻酔の安全性
 21.麻酔科標榜医の歴史と将来(槇田浩史)
  ・麻酔科標榜の経緯
  ・麻酔科標榜許可
  ・麻酔科標榜制度の問題点
 22.麻酔科専門医の役割(稲田英一)
  ・麻酔科医認定制度の概略と現状
  ・認定医の認定
  ・専門医の認定
  ・認定資格により期待される役割
 23.大学麻酔科の役割と民主的医局運営への取り組み(福山 宏)
  ・民主的医局運営への取り組み
  ・大学と医局
  ・医局の存在意義
  ・民主的な医局の弱点
  ・魅力的な医局運営
 24.麻酔科と緩和医療―緩和医療で麻酔科に求められること(服部政治・他)
  ・麻酔科の仕事
  ・緩和ケアとは
  ・主治医からの要求
  ・麻酔科医師が緩和ケアで行う疼痛治療
 ・サイドメモ目次
  マイクロダイアリーシス
  ホットプレートテスト,カラゲニンテスト,ホルマリンテスト
  生理的疼痛と病的疼痛
  ヘパリン起因性血小板減少症
  MACAwake
  セボフルランのMACAwakeに与えるレミフェンタニルの影響
  ニコチン依存症の治療
  喫煙関連疾患
  国内の麻酔領域におけるオピオイド使用状況
  Acute painとacute pain service
  麻酔看護師(nurse anesthetist)