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いま,なぜ食物アレルギーか

 東北大学大学院医学系研究科医科学専攻病理学講座病理形態学分野 名倉 宏

 ■日本人の食生活と食物アレルギー
 最近の考古学で,日本人の食生活に関するエキサイティングな発見があいついでいる.縄文人の食生活は想像以上に豊かで,かつ農耕文化の曙をうかがうことができる.日本人の食生活および経済構造は米を中心とした穀物を基調に展開されてきたが,それは取りも直さず,その長い歴史を通じ日本人の消化器がその食環境に順応した構造と機能を獲得し,腸内細菌叢を形成してきたことである.
 しかし,近年国民の社会環境および生活様式は激変し,また衛生環境ならびに栄養状態は著しく改善された.それに伴って嗜好はさらに変化し,それに追い討ちをかけるように輸入食品の増加,合成食品や添加物の開発,バイオテクノロジーを駆使した,人類がかつて経験したことのない食品の出現など,日本人の食環境は多様化の一途をたどっている.これはわずか50年以内の出来事であり,消化管粘膜を取り巻く環境の変化は,おそらく人類がその歴史のなかで経験したことのない激変であることが想像される.
 食物アレルギーの定義は“Adverse reactions to food and food additives”とされ,食物およびその添加物を摂取することによって惹起される生体に対する傷害性の反応で,とくに免疫学的機序を介した生体傷害作用が狭義の食物アレルギー(food allergy)である.前述のように近年,国民がその多様な食環境で摂取する食品には想像を絶する膨大な量と種類のアレルゲンが含まれており,これらの物質と直接的な関連が示唆されるアレルギー性疾患も確実に増加し,その病態もますます複雑なものとなっている.さらに,その発症や病態が生活環境からくるさまざまな情動ストレスによっても修飾されることが明らかにされつつある.
 食物アレルギーの特徴として腸管粘膜の粘膜免疫機構の未熟な小児にその頻度が高く,症状も重篤であり,最近ではアナフィラキシータイプの食物アレルギー患者も少なからず報告されている.その結果,小児の肉体的精神的発育への重大な影響はいうに及ばず,小児の生死にもかかわる重大な問題として社会的関心も高く,いまや,その機序の解明,評価法,および根本的対策も急務となっている.
 ■食物アレルギーと粘膜免疫機構
 粘膜免疫機構(mucosal immune system)は,消化管や気道系をはじめとした粘膜系組織において,病原微生物や食物中の抗原などの生体外からのさまざまな抗原侵襲に対しそれらを生体内に侵入しないよう防御し,生体内に入ってしまった抗原に対し生体が過剰に反応しないよう制御する免疫反応機構である.それゆえ,その機構の未熟性や破綻によって粘膜が曝露された抗原の生体内への過剰な侵入を許し,その侵入した抗原に対し生体が傷害を受けるまでに過剰に反応してしまう結果となることは想像に難しくない.
 食物アレルゲンの生体内への侵入経路は,いうまでもなく粘膜免疫機構が支配する消化管粘膜である.食物中に含まれる抗原物質は消化作用により抗原性が消失するまで分解され,栄養物として腸管粘膜より生体内へ吸収されるが,残存したものは粘膜免疫反応を誘導することになる.その結果,産生された分泌型IgAによって同一抗原に対しては,その生体内への侵入が粘膜表面で抗原特異的に阻止される.また,生体内では全身免疫機構(systemc immune system)はその抗原に対して無反応となり,その抗原に対するIgGやIgE産生が行われなくなるという経口免疫寛容(oral tolerance)が誘導される.このように生体は,二重,三重に食物に対する傷害性過敏反応が起こらないよう防御機能を備えている.
 食物アレルギーが乳幼児期に多く,加齢とともに改善されることは,乳幼児において粘膜免疫機構の未熟性による,抗原侵入を阻止する粘膜バリアと生体反応を抑制する経口免疫寛容の未発達からも十分説明しうると考えている.従来,食物アレルギーの研究がそのアレルゲンの侵入経路が消化管粘膜でありながら粘膜免疫機構を軸にはかならずしも展開されてこなかったが,この数年,粘膜免疫による食物アレルギーの病因病態の解明,治療法や予防法の開発に関する研究は飛躍的に進んでいる.
 ■食物アレルギー克服のレセピー
 年々増加し,また重篤化も懸念される食物アレルギーに対し厚生省は,保健衛生局を中心に長期慢性疾患総合研究事業(アレルギー総合研究)として食物アレルギーの克服に取り組み,研究班を急遽組織した.第一期多田富雄班長,第二期名倉宏班長のもとで,この5年間に幾多の注目すべき成果があげられ,その基礎研究のみならず医療の現場や学校保健に貢献してきた.すなわち,研究は進行中の食物アレルギーの実態調査とともに,(1) 食物アレルギーを惹起させるアレルゲンの構造の解明と,それを取り除いた低アレルゲン食品の開発と臨床応用,(2) 粘膜免疫機構を中心に展開された基礎研究をもとに粘膜バリア機構の成熟捉進と強化,および,(3) 食物アレルギーの根本的治療法と予防法の確立のために,粘膜免疫機構の主要な機能である経口免疫寛容を利用した経口粘膜ワクチン(mucosal vaccine)の開発を3本柱として遂行されている.
 しかし,まだ未解決の問題も山積されており,1997年度からあらたな研究計画のもとで,厚生科学研究補助金による研究事業として“食物アレルギー予防などに関する研究”が3年計画で組織された.本特集は,こうした食物アレルギー研究の基礎と臨床の最近情報と,その克服のための実践を,それぞれの第一戦の研究者により紹介していただくことを目的に企画した.
 謝辞:本特集を企画するにあたって,厚生省長期慢性疾患総合研究事業(アレルギー総合研究)の班員,研究協力者ならびに関係各位の絶大なる協力を得た.
いま,なぜ食物アレルギーか 名倉宏
 ・日本人の食生活と食物アレルギー
 ・食物アレルギーと粘膜免疫機構
 ・食物アレルギー克服のレセピー

1.アレルギー研究の現状と食物アレルギー 宮本昭正
 ・アレルギー性疾患の増加の原因
 ・食物アレルギーの頻度
 ・アレルギーの研究

■食物アレルギー・粘膜免疫機構・腸内抗原
A 粘膜免疫機構と腸内抗原

2.粘膜免疫と粘膜バリア 名倉宏
 ・腸管管腔内抗原に対する粘膜バリア
 ・腸管上皮細胞による抗原取込み処理
 ・新生児期の粘膜バリア
3.腸内細菌由来分子と粘膜免疫 山本新吾・他
 ・消化管粘膜免疫の誘導と制御
 ・腸内細菌と免疫寛容
 ・粘膜免疫とワクチン開発
4.腸管上皮間T細胞と腸管粘膜免疫応答 南野昌信・石川博通
 ・IELと腸管内微生物
 ・IELによる抗体応答の制御
 ・IELと炎症性腸疾患
5.食物アレルゲン特異的T細胞の機能 下条直樹・河野陽一
 ・食物アレルゲンに対する末梢血リンパ球増殖反応
 ・食物アレルゲン応答性T細胞のサイトカイン産生とフェノタイプ
 ・食物アレルギーにおける傷害臓器の決定と食物アレルゲン特異的T細胞の機能
6.腸管リンパ球のmigrationと腸管アレルギー 三浦総一郎・藤森斉
 ・腸管リンパ装置(GALT)とリンパ球のmigration
 ・腸管アレルギーとリンパ球migration
7.ノックアウトマウスでみられた炎症性腸疾患 長谷川明洋・中山俊憲
 ・T細胞レセプター(TCR)ノックアウトマウス
 ・IL-2ノックアウトマウス
 ・IL-10ノックアウトマウス
 ・その他のノックアウトマウスおよびトランスジェニックマウス
8.腸管粘膜における抗原提示細胞と炎症における粘膜免疫学的意義 松本誉之
 ・腸管での抗原提示細胞の種類と機能
 ・生理的条件下における抗原提示細胞
 ・病態における変化
9.アラキドン酸カスケードと粘膜障害 藤山佳秀・他
 ・アラキドン酸カスケードとエイコサノイドの生理作用
 ・アレルギー性腸炎における粘膜障害とエイコサノイド
 ・炎症性腸疾患における粘膜障害とエイコサノイド
 ・気道における粘膜障害とエイコサノイド
 ・必須多価不飽和脂肪酸とアレルギー性疾患

B 食物成分と食物アレルギー
10.腸管免疫系における食物アレルゲンの認識機構 後藤真生・他
 ・腸内抗原に対する免疫応答
 ・Peyer板における免疫応答の誘導
 ・食餌抗原によるIELの感作
11.食品による免疫系調節作用 白畑實隆・他
 ・機能性食品
 ・食品成分による生体防御系の賦活化とウイルス感染防御
 ・ヒト培養細胞を用いたアレルギー反応モデル系の構築
12.IgA,IgEの食物抗原への抗体活性 寺井格・小林邦彦
 ・IgAの機能
 ・食物抗原と食物アレルギー
 ・アレルギーへのIgAの関与
 ・乳幼児の経年的アレルギー緩解
 ・IgA系発達の年齢的背景
 ・血清型IgAと分泌型IgAの相関
 ・特異的IgAと特異的IgEの測定
 ・IgA,IgE産生へのTh2型T細胞の関与
 ・粘膜免疫と全身免疫との関係
 ・IgEの存在意義

■腸管炎症免疫反応の神経内分泌制御
13.アルドステロンによる消化管粘膜機能の制御 笹野公伸・福島浩平
 ・アルドステロンの作用機序
 ・11β-hydroxysteroid dehydrogenase typeII
 ・消化管粘膜における11β-HSDII
 ・今後の展望
14.情動ストレスと腸管免疫 深田順一
 ・ストレスと食品アレルギー-その背景
 ・ストレス下のアレルギー・免疫機能
 ・ストレスによる免疫調節機序
15.小児気管支喘息とストレス 勝沼俊雄・飯倉洋治
 ・免疫機能に及ぼすストレスの影響
 ・内分泌機能に及ぼすストレスの影響
 ・感染に及ぼすストレスの影響
 ・気道反応性に及ぼすストレスの影響

■食物アレルギーの臨床
16.食物アレルギーとアレルギーマーチ 馬場実
 ・食物アレルギー
 ・アレルギーマーチ
17.食物アレルギーの診断 向山徳子
 ・食物アレルギーの臨床症状
 ・食物アレルギーの診断の進め方
18.アレルギー患者リンパ球の検査法―アレルゲン特異的IL-2反応性 川野豊
 ・アレルギー反応とTリンパ球
 ・アレルゲン特異的interleukin-2(IL-2)反応性
 ・微量測定法
19.食品添加物と過敏性反応 柳原行義
 ・食品添加物の分類
 ・食品添加物による過敏性反応
 ・食品添加物の標的細胞
20.血管性IgA沈着と消化管炎症 加藤晴一・名倉宏
 ・血管性紫斑病とIgA腎症
 ・一次性消化管炎症におけるIgA沈着
 ・IgAと組織障害
 ・IgA関連疾患
21.アトピー性皮膚炎と食物アレルギー 秀道広・山本昇壯
 ・I型(即時型)アレルギーとアトピー性皮膚炎
 ・IV型(遅延型)アレルギーとアトピー性皮膚炎
 ・アトピー性皮膚炎患者の食物過敏性と年齢による変化
 ・アトピー性皮膚炎の増悪因子としての食物抗原
 ・アトピー性皮膚炎と接触蕁麻疹

■食物アレルギー対策の提言
22.低アレルゲン化食品の開発と臨床応用 田辺創一・渡辺道子
 ・開発例
23.粘膜ワクチンの理論と開発 高橋一郎・他
 ・人体最大の免疫臓器:粘膜免疫
 ・ジギル博士とハイド氏:粘膜免疫
 ・摩訶不思議な粘膜免疫
 ・悪玉抗原に対する強い反応:粘膜ワクチンの理論
 ・DDSに配慮した粘膜ワクチン開発研究
 ・アジュバントとしてのデリバリーシステムの条件およびその開発
 ・おわりにかえて―アレルギーへの応用
24.小児科臨床現場における食物アレルギー患者の指導と治療 鳥居新平
 ・症例からみた食物アレルギー対策の問題点-症例(HD,3歳男児)
 ・患者指導上留意すべきポイント
 ・食物アレルギーの治療
 ・食物アレルギーの薬物療法
 ・食事療法

索引

・サイドメモ・
腸管粘膜絨毛上皮細胞のFcレセプター
マウス腸管粘膜のIEL
食物アレルゲン特異的T細胞
αE β……7-インテグリン
T細胞抗原レセプターとクローナリティー
COX-2
小腸上皮細胞による抗原提示
生体応答調節薬(BRM)
IgA欠損症の定義および病因
11β-hydroxysteroid dehydrogenase
GALT,あるいはPeyer板の神経支配
抗アレルギー薬によるアレルギーマーチの進展の阻止
食物アレルギーの定義
COX-1とCOX-2
ハプテンによる免疫抑制