やさしさと健康の新世紀を開く 医歯薬出版株式会社

認知症医療の新展開-序論にかえて
 本書の企画をいただいてから,すでに4年が過ぎようとしている.この遅れは,ひとえに編者である私の怠慢と力不足によるもので,この場を借りて関係各位にお詫びしたい.しかし,遅れたおかげで良いこともあった.この5年間で,認知症の臨床現場では大きな医療の進歩や制度改革がいくつもあった.そのような最新情報を本書のなかに盛り込むことができたのは,言い訳がましくはあるが,不幸中の幸いであったかもしれない.
 私も参加した厚生労働省の研究班による若年性認知症の疫学調査は,1994年以来の全国的な調査であり,調査の結果,血管性認知症が最も多く,アルツハイマー病,頭部外傷後遺症が続くことが明らかになった.2009年から2010年にかけて全国7ヵ所で65歳以上の住民を対象に行われた有病率調査では,認知症有病率の平均が14.4%,全国の認知症患者数の推定値は406万人となり,これまでの推定値の倍近い数字になった.これが事実だとすれば,認知症施策の大転換が必要となるので,検証のための調査が新たに開始されている.
 認知症医療のためのガイドラインは,2002年の『痴呆疾患治療ガイドライン2002』後の認知症医療の発展を受けて改訂作業が進められ,2010年に日本神経学会を中心とした関連6学会により『認知症疾患治療ガイドライン2010』として発刊された.この二つのガイドラインの内容を比較するだけでも,この間の認知症医療の進歩には目を見張るものがある.特に,特発性正常圧水頭症については,2004年のわが国の診療ガイドラインの出版以来,多くの研究や治療
 実績が蓄積され,2011年にその改訂版が出版された.
 認知症の新たな診断基準も作成された.まだ研究者用の診断基準ではあるものの,根本治療薬の開発を念頭に最新のバイオマーカーの知見を盛り込んだアルツハイマー病の診断基準が,本年米国国立加齢研究所(NIA)とアルツハイマー病協会から協働で示された.また封入体の主要構成成分の同定や関連遺伝子の発見に基づいて,2010年には前頭側頭葉変性症の新たな分類が呈示された.
 診断技術に関しては,画像や生化学的診断マーカーといったいわゆるバイオマーカーの開発に向けての共同研究であるJ-ADN(IAlzheimer Disease Neuro imaging Initiative)などの研究が進み,アルツハイマー病の早期診断に関しては,画像処理ソフトの普及によりMRIを用いて海馬傍回の萎縮を捉える方法やSPECTを用いて後部帯状回や頭頂葉内側の楔前部の血流低下を捉える方法は,認知症の専門診療機関ではルーチン検査になりつつある.また,PETを用いて脳内に蓄積したアミロイドを直接的に可視化するアミロイドイメージングも研究機関では普及しつつある.
 認知症治療薬に関しては,わが国で開発されたドネペジルが1999年から使用可能になっていたが,2011年になってガランタミン,リバスチグミン,メマンチンが新たに臨床現場に登場し,ようやくアルツハイマー病の薬物療法も世界水準に達した感がある.レビー小体型認知症に関しては,現在ドネペジルを用いた最終段階の治験が進行中であり,近い将来世界で初めての保険適応薬剤の誕生が期待されている.精神症状・行動異常(BPSD)の治療に関しては,ここ数年わが国独自の漢方薬である抑肝散が,臨床の場に定着してきている.一方,登場が待たれているγセクレターゼ阻害薬や免疫療法などの根本治療法に関しては,未だに決定打が生まれていない状況である.
 認知症専門医制度は,2000年の日本老年精神医学会の専門医から始まり,2008年には日本認知症学会も専門医制度を発足させた.しかし,両学会の専門医を合わせても一千数百人程度であり,認知症患者の総数を考えるとまだまだ不足している.また,専門医の地域偏在も今後の大きな課題である.認知症ケアの分野においても認知症看護認定看護師制度が2005年から始まった.認知症ケア専門士などと共に,これらの専門職が活躍できる場を確立することも今後の課題であろう.
 認知症の専門医療の提供と地域連携の拠点を目指し,「認知症疾患医療センター」の設置が2008年から始まった.本センターに期待されている役割は,専門医療相談,早期・鑑別診断,BPSDと身体合併症の急性期対応,かかりつけ医や介護スタッフの研修などであり,本書の目指す“認知症医療の最前線”を支援するための施設ということもできる.本年度中に目標の150ヵ所の設置は実現しそうであるが,今後その活動内容が問われることとなる.
 2000年に発足した介護保険は,2006年に大幅な改正が実施された.改正の大きなポイントは,予防重視型システムへの転換であり,要介護状態になる可能性の高い高齢者の診療に日々あたっているかかりつけ医と介護関係者との連携は,以前にも増して重要になった.私が2003年から厚生労働省の研究班長として関わってきた認知症と自動車運転の問題も,2009年6月より75歳以上の免許更新時に講習予備検査(認知機能検査)を受けることが義務づけられ,さらに低成績者には一定の条件で臨時適性検査が義務づけられた.本人や家族への助言者として,あるいは臨時適性検査の診断書を求められる主治医として,医師の関わりも増えつつある.
 本書の執筆陣は,これらの多くの新しい展開に関わってきた認知症医療の最前線に立つ臨床家であると同時に,全員が私のかつての,あるいは現在の職場の同僚や長年にわたる共同研究者でもある.また,多くの執筆者は,私が平成21年度から23年度まで主任研究者を務めている厚生労働科学研究費補助金 認知症対策総合事業「かかりつけ医のための認知症の鑑別診断と疾患別治療に関する研究」班の分担研究者でもある.本書には,この研究班の研究成果を数多く盛り込むことができたので,かかりつけ医の先生方にもぜひ活用していただきたいと思う.上述した最新の診断技術や診断基準,治療薬を使いこなし,患者さんや家族に医療の進歩を届けるためには,結局のところ主治医の総合的な診察力,様々な関連職種との連携につきると思われる.
 認知症医療の大きな節目になるであろう年に,認知症医療の最前線に立つ医療関係者に本書を届けることができるのは望外の幸せである.最後に,遅々として進まぬ執筆・編集作業に,辛抱強く励まし続けて下さった医歯薬出版の編集ご担当者をはじめ第一出版部のみなさんに感謝します.
 2011年冬 熊本にて 池田 学
 認知症医療の新展開―序論にかえて(池田 学)
I 基本知識
 1.認知症の疫学(谷向 知)
  1.65歳以上の認知症を対象とした地域研究
  2.65歳未満の認知症を対象とした地域研究
  3.地域調査と専門機関での背景疾患の比較
 2.背景疾患の病理(埴原秋児)
  1.アルツハイマー病(AD)
  2.レビー小体型認知症(DLB)
  3.前頭側頭葉変性症(FTLD)
  4.その他の非アルツハイマー型認知症
II 原因疾患別の認知症−病態理解と研究の進歩
 1.アルツハイマー病(橋本 衛)
  1.疫学
  2.危険因子
  3.原因遺伝子
  4.症状
  5.発症年齢とAPOE
  6.臨床経過
  7.診断
  8.治療
 2.血管性認知症(森 悦朗)
  1.血管性認知症の臨床診断基準
  2.血管性認知症の基本的なタイプ
  3.認知症とまぎらわしい脳血管障害による病態
  4.アルツハイマー病と皮質下虚血型血管性認知症(SIVD)との鑑別
  5.特発性正常圧水頭症(iNPH)とSIVDとの鑑別
  6.血管性病変をもつ認知症患者の診断
  7.治療
 3.レビー小体型認知症(今村 徹)
  1.DLBの臨床診断基準
  2.パーキンソン症候
  3.幻視
  4.認知機能変動とは
  5.認知機能変動の診断:SFQの開発
  6.認知機能変動の有無と個別の認知機能障害との関係
 4.前頭側頭葉変性症(池田 学)
  1.前頭側頭型認知症(FTD)の臨床症状
  2.進行性非流暢性失語(PA)の臨床症状
  3.意味性認知症(SD)の臨床症状
 5.特発性正常圧水頭症と慢性硬膜下血腫(数井裕光,武田雅俊)
  1.特発性正常圧水頭症(idiopathic normal pressure hydrocephalus:iNPH)
  2.慢性硬膜下血腫(chronic subdural hematoma:CSH)
 6.皮質基底核変性症と進行性核上性麻痺(下村辰雄)
  1.皮質基底核変性症(CBD)
  2.進行性核上性麻痺(PSP)
 7.外傷性認知症(外傷による高次脳機能障害と認知症)(中川賀嗣)
  1.認知症と高次脳機能障害−用語の確認
  2.TBIの発症機転−急性期像
  3.慢性期の症状評価と鑑別診断
III 検査・診断
 1.画像診断−CTとMRI(北垣 一)
  1.認知症のMRI診断
  2.MRIによる代謝・機能診断について
  3.CTによる認知症の診断
 2.画像診断−PETとSPECT(石井一成)
  1.認知症診断における核医学検査の役割
  2.各疾患のPET・SPECT所見
  3.画像統計解析法
  4.アミロイドイメージングの可能性
 3.神経心理学的検査(小森憲治郎)
  1.認知症のスクリーニングに使用される検査
  2.スクリーニング検査を補充する認知機能検査
 4.精神症状・重症度・介護負担尺度(博野信次)
  1.精神症状の評価
  2.認知症の重症度
  3.介護負担
IV 診察の進め方
 1.認知症診察の基本(池田 学)
  1.認知症と類似の状態像の鑑別
  2.早急な対応が必要な認知症の鑑別
  3.神経学的診察と観察
  4.4大認知症の鑑別
  5.家族(介護者)からの情報収集
 2.認知症に類似した状態像との鑑別(福原竜治)
  1.正常老化との鑑別
  2.うつ病
  3.せん妄
V 治療とケア
 1.認知症の治療とケアの原則(池田 学)
  1.周辺症状とBPSD
  2.症状評価
  3.標的症状の選択
  4.非薬物療法と薬物療法
  5.高次脳機能障害を考慮した非薬物療法の選択
  6.血管性認知症におけるアパシーの治療
  7.アルツハイマー病における物盗られ妄想の治療
 2.認知症の治療薬(橋本 衛,池尻義隆・他)
  1.アルツハイマー病(AD)の治療薬
  2.血管性認知症(VaD)の治療薬
  3.レビー小体型認知症(DLB)の治療薬
  4.前頭側頭葉変性症(FTLD)の治療薬
 3.認知症の看護とケア(原 昭)
  1.原因疾患別の看護
  2.認知症の看護とケア
 4.認知症のリハビリテーションとエンパワメント(今村 徹,北村葉子)
  1.エンパワメントとは
  2.認知症のリハビリテーション:方法論による分類
  3.リハビリテーションとエンパワメントを意識した認知症の介護者教育
VI 社会資源と社会支援の活用
 1.地域における支援体制(石川智久)
  1.認知症高齢者の現状と増加の予測
  2.一般市民に対する啓発
  3.健常高齢者等を対象とした認知症予防対策
  4.認知症前駆段階・初期段階の対策
  5.認知症中期段階の対策
  6.認知症後期段階・ターミナル期の対策
  7.すべての段階を通して−認知症高齢者の権利擁護の課題
  8.かかりつけ医が参画した認知症高齢者支援体制づくり
  9.地域包括支援センターと認知症疾患医療センターの設置
 2.認知症患者の自動車運転と権利擁護(上村直人,谷勝良子・他)
  1.認知症患者の自動車運転の実態と問題点
  2.認知症ドライバーに対する医師の役割
  3.認知症を伴う高齢者の運転の特徴
  4.認知症患者の運転に関するシステムと課題
 3.介護保険と主治医意見書(繁信和恵)
  1.介護保険判定の背景
  2.主治医意見書の記載のポイント

 Topics
  ・レビー小体型認知症における食行動の問題(品川俊一郎)
  ・性的逸脱行動(PSPを中心に)(矢田部裕介)
  ・統計画像処理(北垣 一)
  ・PET・SPECTの注意すべきポイント(石井一成)
  ・統計学的画像診断法のピットフォール(石井一成)
  ・認知症ケア専門士(原 昭)
  ・認知症看護認定看護師(原 昭)
  ・認知症疾患医療センター−熊本モデルを中心に(小嶋誠志郎)
  ・高齢ドライバーと講習予備検査(上村直人)

 索引