やさしさと健康の新世紀を開く 医歯薬出版株式会社

日本語版への序文

 個人の著書がほかの言語に翻訳されたのを見るのは,いつも喜ばしいことである.しかしながら,この本が日本語に翻訳されたことは,私にとっては特に喜びとなっている.数年間にわたって,私は天草万里博士との友情および専門職同僚としての関係を楽しんできた.彼は以前に私の2冊の著書が日本語に翻訳されるさいの助けとなり,本書が日本語に翻訳されるに至る「原動力」でもあった.彼の尽力に対して,私は特に謝意を表したい.
 また私は,本書の翻訳を監修してくれた国立身体障害者リハビリテーションセンターの前総長,中村隆一博士にも謝意を表したい.
 この本は,脳機能不全患者のリハビリテーションに,科学的視点および現象学的視点の双方からアプローチすることの重要性を強調する試みである.高次大脳機能不全の性質,およびそれらの機能不全が革新的なリハビリテーション・プログラムを通して,どのように治療教育されうるのかに関して,神経心理学を含めて,神経科学は価値ある洞察を提供することができる.しかしながら,科学的方法は,私たちが患者の個人的苦痛を理解し,患者がいろいろな種類の脳損傷の必然的な後遺症を処理するときの苦痛を対処するのを,どのように支援するのかには貢献してくれない.この本は,科学的アプローチと現象学的アプローチの双方が患者と家族に対して有意義なケアを提供するのに必要とされることを主張する試みである.
 私は,本書が日本における脳機能不全患者に掛かり合っている多くの臨床家にとって,臨床的価値のあることを願っている.
 2002年10月23日
 ジョージ P.プリガターノ 博士
 ニューサム主任 臨床神経心理学

監訳者の序文

 わが国においても,リハビリテーション関連職の間で外傷性脳損傷者のリハビリテーションあるいは高次脳機能障害者の認知リハビリテーションという言葉を日常的に耳にする時代に至った.欧米やオーストラリアでは1980年代になって,とくに交通外傷による脳損傷者をめぐる諸問題がクローズアップされ,ケアの連続性を確立すべきという流れとともに神経心理学的リハビリテーションが重視されるようになった.
 本書は,この領域の開拓者の一人であるジョージ P.プリガターノ博士による個人的経験に基づいた総説である.その基底にある価値観はプラグマティズムであり,R.ローティが「哲学と社会的希望」で記しているように,人間は環境に対処するために--より多くの快楽およびより少ない苦痛を可能にしてくれる道具を開発しようと--最善をつくす動物として説明するダーウィニズム(進化論)から出発している.本書には,脳損傷者の急性期後リハビリテーションをめぐって多くの逸話が記されているが,その中核には20世紀中頃からの米国におけるリハビリテーションの理念のひとつである健全なパーソナリティが健全な社会を生み出すという信念が見え隠れしている.また最近の医療改革の影響などを含めて,過去20年間に及ぶ米国のリハビリテーション領域の変容も読み取れる.
 本書の理解には,神経科学や神経学,精神医学だけでなく,臨床心理学あるいはカウンセリング心理学の基礎的知識が必要とされるかもしれない.しかしながら,全体がひとつのストーリーとなっているため,通読されることをお薦めする.はじめから読破すれば,多くは理解できるはずである.
 本書の翻訳を推奨してくれたのは,敬愛する天草万里博士である.翻訳には国立身体障害者リハビリテーションセンター,のぞみ病院および鹿児島大学のスタッフの協力を得た.訳語の統一と訳文の調整は主として中村が行った.長岡正範博士からは,通読の上,修正に必要な多くのコメントを頂いた.ここに記して謝意を表したい.
 2002年10月31日
 東北文化学園大学
 中 村 隆 一



 本書に記載されている原理は,突然に予期せぬ脳損傷を被った若年および中年成人を検査したこと,および後にはリハビリテートしようと試みたことにおける,多様な経験から得られた私自身の解釈である.はじめは,患者の大部分は重度外傷性脳損傷の犠牲者であった.その後の数年には,私はまた,動脈瘤破裂や動静脈奇形,脳無酸素症,脳腫瘍,悪性腫瘍の外科的除去後に放射線治療を受けた患者に携わる機会を得た.患者は必然的に,異なったパターンの認知,言語,感覚,運動およびパーソナリティの問題をリハビリテーションに持ち込んでいるが,患者が永続的な神経学的障害および神経心理学的障害から回復すること,およびそれらの障害に適応することに役立っている過程が,ある種の「原理」はリハビリテーション過程を指導できるはずだと,私に確信させてきた.
 指導的原理なしでは,臨床家は脳損傷患者(そして家族)が示す諸問題の迷路に,容易に迷ってしまう可能性がある.さらに,自分から課したものであれ,あるいは管理集団によって命じられたものであれ,財政的な圧迫は,不十分あるいは不適切な治療を生じさせている.財政的現実は療法士がひとりの患者に費やす時間量を指図することはあるかもしれないが,患者に対して駆り立てるような態度を命じたり,あるいは患者の課業中に無効な治療を命じたりすべきではない.明らかに,臨床家は患者に援助できる種類の問題と援助できない種類の問題とを明確にする努力を続けなければならない.その結果,指針を確立することが臨床家を強くし,神経心理学的リハビリテーションと評価の実践にとって,道徳的基盤と科学的基盤の両者が用意される.ここに概説した神経心理学的リハビリテーションの原理がこれらの過程に役立つことが,私の希望である.
 この序文で,私はまた,いくつかの支援と示唆の源に謝意を表したい.1980年,オクラホマシティで神経心理学的リハビリテーション・プログラムを展開しようとした私の最初の努力は,脳外科医であるバートン・カール博士の積極的な支援なしには不可能であったろう.私は多くのことで彼から恩恵を受けてきた.本書は彼に献呈されている.彼が専門職の基準にまで育成してくれたからである.彼は,専門職の行動についての真の指導者であり続けている.オクラホマシティにおける同僚,とくにダビッド・フォーダイス博士,マリー・ペッピング博士,ロバート・ウィネッケ博士との初期の研究も,多くの有用な検討およびかなりの感情的支持を与えてくれた.彼(女)らの貢献なしには,私たちの初期に研究は可能ではなかったはずである.
 1985年,アリゾナ州フィーニックスのバーロー神経学研究所(BNI),セントジョセフ病院・医療センターの神経学部門主任であったジョセフ C.ホワイトIII博士の努力が,主要な神経内科および脳外科において,神経心理学的指向性リハビリテーション・プログラムの展開を可能にしてくれた.ホワイト博士の死後,研究所の管理と財政的支援は,BNI所長であるロバート・スペッツラー博士の親切な援助の下に続けられた.前神経科学副会長シスター・ナンシー・パーリックも,神経心理学的臨床および研究プログラムの支援を行ってくれた.
 1991年,ニュージーランドのマッセイ大学の短期サバティカルとしての招待は,ジャネット・リータム博士によって調整されたのであり,本書のための私の思考をまとめ始める機会を提供してくれた.この期間中にまた,リハビリテーション・フェローシップにおける専門家の国際交流という形態による国立障害研究所および世界リハビリテーション基金からの研究助成金によって,外傷性脳損傷患者の意識性変化に関する小規模の比較文化研究を行うことができた.その経験は,脳機能不全者のリハビリテーションにおける社会的要因および文化的要因の役割についての私の考えにとって,さらなる刺激となった.サバティカル中,私はまた,シカゴ・リハビリテーション研究所からジェームス C.ヘンフィル講演を行うように招待を受けた.この機会は,私たちが神経心理学的リハビリテーションと呼んでいる過程において,「科学と象徴主義」の役割に関して話し合いたいという私の強い希望の刺激となった.ほかの複数の講義を求められたことも,過去25年の臨床研究から発展した考え,印象や確信を書き留めることに役立った.最後に,1997年2月,スペインのグラナダ大学で神経心理学的リハビリテーションについての一連の講義の招聘は,本書をまとめ上げ,準備する最後の努力の成果を統合するのに役立った.
 オックスフォード大学出版部で得られた本書の匿名論評者が大いに援助してくれた.論評者の意見はすべて,本文のどこが明快ではないのか,異なる視点が一部には取り込まれる必要があることに,私が気づくのに役立った.最後に,国立小児健康・人間発達研究所(NICHD)および国立衛生研究所(NIH)の研究の医学的応用事務局(OMAR)がスポンサーとなった外傷脳損傷者のリハビリテーションについてのコンセンサス展開会議での発表の招待が,認知リハビリテーションへの機能障害指向性アプローチの効力に関する要約を私に書かせることとなった.時として,事物を簡潔に表現しようとする経験が,知られていること,および将来研究される必要があることを一層明確にしてくれる.あの要約を書くことによって,帰結に関する第11章を大きく修正することになった.
 最後に,直接的に,また間接的に,私を援助してくれたBNIの多くの仲間に謝意を表したい.献身的な臨床的努力を見せ,かなりの認知障害とパーソナリティ障害のある患者への対応に関する疑問に挑戦した,神経学的リハビリテーションの成人病院に参加していた仲間には,とくに謝意を表したい.患者,それからバーバラ・トッド,ジュディ・ウィルソン,イブ・デシェイザー,キャロル・カーパー,ブランカ・パレンシアの巧みな秘書業務支援,シェリー A.キック博士の編集業務支援にも大いに感謝する.スペッツラー博士の継続的な管理的支援なしには,私たちの臨床神経心理部門はマネージド・ケアの破壊の猛威を生き延びられなかっただろうし,本書は可能ではなかった.私は彼に大いなる恩義を感じている.
 本書を書くことは,時には,遅々とした困難な過程であった.しかしながら,その努力は,私自身の指向を明快にするのに役立った.本書が,この領域の臨床家や研究者に対しても,同じ役割を果たすことを希望している.
 1998年8月 フィーニックス,アリゾナ
 ジョージP.プリガター
日本語版への序文 ジョージP.プリガターノ
監訳者の序文 中村隆一
序 ジョージP.プリガターノ

I 歴史的および臨床的展望

第1章 簡潔な歴史的展望を背景とした原理への導入
 原理という用語
 神経心理学的リハビリテーションのこれら原理への歴史的影響と現代の影響
  ジョーン・ヒューリングス・ジャクソン
  シェファード・アイボリー・フランツ
  カールS.ラシュレー
  クルト・ゴールドシュタイン
  A.R.ルリア
  レオナード・ディラーとイェフダ・ベン-イシャイ
  エドウィンA.ワインシュタイン
  カール・プリブラム
  フロイトとユング
  ロジャー・スペリー
  B.F.スキナー
  ドナルドO.ヘッブ
 要約と結論
 文献

第2章 患者の経験と高次大脳機能の性質
 脳損傷の経験
 臨床的証拠
 患者の現象学的場に入ることと欲求不満や錯乱状態に立ち向かうこと
 欲求不満と錯乱状態に対する応答としての破局反応
 精神疲労と脳機能不全
 患者の現象学的場に入ることへの障壁
 芸術および患者の現象学的経験
 人間の経験に照らしてみた高次大脳機能の性質
 高次大脳機能--はじめの視点
 高次脳機能:ある臨床神経心理士の視点
 要約と結論
 文献

第3章 症状像および病前の認知的要因とパーソナリティ要因とについて無視されてきた問題
 伝統的神経生物学的アプローチ
 どのような行動が脳機能不全に直接起因しているのか
 症状とは何か
 脳損傷後の陽性症状と陰性症状
 症状像に関与する病前の諸要因
 病前のパーソナリティとTBI後の症状
 要約と結論
 文献

II 神経心理学的リハビリテーションの過程と帰結

第4章 問題の提示:なぜ神経心理学的リハビリテーションが必要とされるのか
 症例
 このシナリオは回避されうるか
 局在性脳損傷の帰結
 非局在性およびび慢性脳損傷後の帰結
 神経心理学的リハビリテーションに対するニード
 家族とヘルスケア・システムに対する影響
 重要な質問
 要約と結論
 文献

第5章 神経心理学的リハビリテーションで出会う認知障害
 「高次統合機能」およびそれらの機能が脳損傷によってどのように影響されているか
 学習はその感情的背景に依存する
 TBI後の認知障害
 言語とコミュニケーションの障害
 認知障害と局在性脳病変
 要約と結論
 文献

第6章 パーソナリティ障害と脳損傷:理論的視点
 動物行動および「進化における脳」についてのポール・マックリーンの視点
 脳の進化,認知およびパーソナリティ
 現代的含意のあるフロイトとユングの歴史的観察
 脳損傷後のパーソナリティ障害にアプローチするための神経心理学的モデル
 TBI後のうつ病:症例
 試案的な総合
 要約と結論
 文献

第7章 パーソナリティ障害と脳損傷:実践的熟慮
 脳損傷後のパーソナリティ評価に必要な情報の領域
 評価の方法
 幼児期の脳損傷とパーソナリティ障害
 言語が発達した後の小児期における脳損傷とパーソナリティ障害
 青年期における脳損傷と若年成人におけるパーソナリティ障害
 若年成人における脳損傷とその後のパーソナリティの悪化
 人生後半における脳損傷とパーソナリティの発達
 夢と脳損傷
 脳損傷後の象徴とパーソナリティの適応
 ゴールドシュタインの洞察への回帰
 ワインシュタインの貢献への回帰
 脳損傷後の神経心理学的検査とパーソナリティ評価
 要約と結論
 文献

第8章 脳損傷後の認知障害およびパーソナリティ障害の神経心理学的リハビリテーション
 全体論的神経心理学的リハビリテーション・プログラムの構成要素
 若年脳損傷成人の全体論的神経心理学的リハビリテーションのための一つの「理想的」シナリオ
 全体論的神経心理学的リハビリテーション・プログラムの対象者
 認知リハビリテーションの問題
 要約と結論
 文献

第9章 患者と家族構成員への心理療法的介入
 脳損傷後の心理療法と心理療法的介入
 心理療法:それは何であり,何でないのか
 脳損傷後の仕事,愛,そして遊びという象徴
 脳損傷後の個性化,病変部位,そして心理療法
 脳損傷後の心理療法の長所と限界
 脳損傷を被った個人に心理療法を行うことの実践的考察
 家族構成員の心理療法において繰り返し発生する問題
 脳損傷を被った個人の家族構成員に心理療法を行うさいの実際的考察
 脳損傷後の心理療法に対する2つの最後の類推
 要約と結論
 文献

第10章 インターディシプリナリー・リハビリテーション・チームを動かす
 インターディシプリナリー・チームである理由
 インターディシプリナリー・チームと集団力学
 急性期後の脳損傷リハビリテーション・プログラムにおけるストレスと苦悩
 インターディシプリナリー・チームを管理する方法
 インターディシプリナリー・チームにおける変化
 要約と結論
 文献

第11章 認知リハビリテーションと心理療法的介入とを組み込んだ神経心理学的リハビリテーション・プログラムの帰結
 全体論的環境指向性神経心理学的リハビリテーション・プログラムの効力
 認知再訓練リハビリテーションは高次大脳機能を改善するのだろうか
 認知リハビリテーションは患者の持続性残存機能障害を代償するのに役立つだろうか
 心理療法的介入は患者が脳損傷の永続的な影響に適応するのに役立っているか
 神経心理学的リハビリテーションの定義と指針
 臨床指針に向けて
 要約と結論
 文献

III 理論的・経験的論点

第12章 脳損傷後の自己意識性の障害
 障害された自己意識性についての歴史的展望
 よく知っているはずの人々に見られた病態失認,否認および部分的に変わった意識性
 障害された自己意識性に関連した観察報告
 片麻痺に対する病態失認に関する最近の研究
 失語症に対する病態失認
 片麻痺および半盲に対する病態失認
 伝統的な神経学的欠損がないときの病態失認
 中等度ないし重度TBI患者の障害された自己意識性の比較文化論
 TBI患者における指タッピングの速さおよび障害された自己意識性
 障害された自己意識性のモデル
 障害された自己意識性は純粋な認知機能ではないという,さらなる証拠
 神経心理学的リハビリテーションのための含意
 要約および結論
 文献

第13章 脳損傷後の回復と悪化
 機能回復とは何か
 変化あるいは「回復」のモデル
 機能の悪化とは何か
 「自然回復」についての観察
 自然に起こる代償
 再訓練および再組織化についての観察
 脳損傷後の機能的組織化と再組織化:指運動の研究
 適応モデルについての観察
 いわゆる「静的」脳病変後の機能の悪化
 症例
 要約,結論,そしてゲシュビントの観察報告
 文献

第14章 神経心理学的リハビリテーションにおける科学と象徴主義
 パラドックスを解決することに向かって
 知能と脳損傷の象徴
 ヘッブの言説への回帰
 臨床神経心理士の訓練および神経心理学的リハビリテーション
 症例
 最終的なコメントと意見
 文献

 索引