やさしさと健康の新世紀を開く 医歯薬出版株式会社

はじめに
 栗山進一
 東北大学災害科学国際研究所所長・災害公衆衛生学分野
 巨大災害の襲来が切迫している.南海トラフ地震では,マグニチュード(M)8〜9級の地震発生確率は30年以内で70〜80%,50年以内で90%程度あるいはそれ以上とされており,被害想定としては,死者が最大で約32万人,経済損失は約220兆円と試算されている.また,首都直下地震,千島海溝・日本海溝周辺海溝型地震など,多くの巨大災害が懸念されている.
 仙台防災枠組に強く謳われているとおり,防災の大きな目標のひとつは,災害による死者数および被災者数を大幅に減らすことである.この目標達成のためには,人の健康を守るという観点の再確認が必要で,医療の関与は欠かすことができない.発災直後からの緊急医療チームなどの活躍は多くの人の命を救ってきた.
 発災前に人が防災行動を実践していれば,災害被害を大きく減少させうることが,種々の科学的根拠により示唆されている.一方で,実際に防災行動を実践するに至っていない方々が多いことも明らかとなっている.防災行動変容の実現にあたり,禁煙や減塩を実現してきた予防医学としての公衆衛生学的手法を防災分野へ適用することが有効である可能性がある.禁煙や減塩の実現は数十年にわたる社会全体の努力で成し遂げられてきたものである.防災における禁煙や減塩は,死亡と外傷に直結する“建物の耐震化“と“家具の転倒防止”などである.これらを指標とし,保健と防災を融合させ,避難が必要な時に“逃げる”ということの備えなどとともに,社会全体でのより強い取り組みが必要であろう.こうした行動変容のために必要な手法を探求する学問は,保健分野のヘルスコミュニケーション学に倣い,防災コミュニケーション学と呼称されはじめている.
 発災後の中長期にわたって,人の健康は蝕まれつづけることが,東日本大震災の経験から明らかとなっている.大規模な健康調査が複数実施され,生活習慣や生活習慣病の悪化,メンタル面からの健康状態の課題,自殺率の変化,子どもでも心の問題とともに,アトピー性皮膚炎や気管支喘息の増加などが報告されている.
 インクルーシブ防災は,SDGs(sustainable development goals;持続可能な開発目標)の“誰一人取り残さない”(leave no one behind)を防災に当てはめたもので,障害者や高齢者,医療的ケア児・者,妊婦,子ども,外国人などを含むあらゆる人を,災害のあらゆるフェーズにおいて取り残さない防災という考え方であり,医療,医学・公衆衛生学の関与は欠かせない.また,発災時にインクルーシブ防災を実現するためには,人が行動変容を実現して発災時に必要となるリソースを減少させておくことも有用であろう.したがって,インクルーシブ防災学と防災コミュニケーション学は強い関連性を有する.
 医学・公衆衛生学は,災害発災前,発災直後,発災後中長期のあらゆるフェーズで人の命と健康を守るための学問領域であり,迅速な実践を求められている.本特集では,保健,医療,福祉が防災にどのように役立つのか,その実態と課題を明らかにし,迫り来る巨大災害に備えるための一助としたい.
特集 巨大災害に備えるための災害医療─発災前の備え,発災直後の体制,発災後中長期的健康課題の解決
 はじめに(栗山進一)
 医学・公衆衛生学と災害─全体像と災害関連死の防止(尾島俊之)
 防災行動変容を目指したコミュニケーションに関する先進的な取り組み(福島 洋)
 保健・医療・福祉を全天候型にする誰一人取り残さない防災の5原則(立木茂雄)
 災害のあらゆるフェーズで活躍する保健師(岩本 萌・大森純子)
 巨大災害に対するメンタルヘルスの備え─東日本大震災,福島第一原子力発電所事故からの教訓(國井泰人)
 大規模災害後の中長期的健康課題とその対策(石黒真美・他)
 災害医療における科学的エビデンス構築に向けた世界の取り組みと日本の貢献(茅野龍馬)
 災害データバンクと災害医療情報の最前線(藤井 進・野中小百合)

TOPICS
 医療行政 国家施策としての「新規萌芽的トピック創生」の涵養(大庭良介・竹安邦夫)
 脳神経外科 急性期脳梗塞に対する血栓回収術の適応拡大の可能性(猪奥徹也)

連載
自己指向性免疫学の新展開─生体防御における自己認識の功罪(20)
 無菌的組織損傷による自然免疫活性化とその意義―ショウジョウバエを用いた解析(堀 亜紀・倉石貴透)

細胞を用いた再生医療の現状と今後の展望─臨床への展開(6)
 クローン病に対する瘻孔治療―アロフィセルを中心に(高橋秀和・水島恒和)

FORUM
 病院建築への誘い─医療者と病院建築のかかわりを考える 特別編―バルセロナにおける歴史的病院建築の転用(前編)(亀谷佳保里)
 戦争と医学・医療(8) 日本医学会と医学医療倫理のあゆみ―日本医学会『未来への提言』によせて(西山勝夫)

 次号の特集予告