はじめに
長谷川成人
東京都医学総合研究所 脳・神経科学研究分野
アルツハイマー病,パーキンソン病,筋萎縮性側索硬化症などの神経変性疾患は原因が不明で,いまだ有効な治療法がない難病である.神経変性疾患研究は,患者脳の形態学的観察,疾患特徴的な変化や病理構造物を特定する神経病理解析,病理構造物の構成成分の生化学的・免疫化学的同定,さらには質量分析による正常と異常の違いを徹底的に分析する蛋白化学的手法によって進められてきた.1990年代ごろから原因遺伝子をみつける分子遺伝学が盛んとなり,さまざまな遺伝子が発見されたが,その一部はまさに患者脳の特徴病理を構成するタンパク質の遺伝子であった.地道な神経病理,生化学解析からみつかった蓄積タンパク質の異常が単なる変性の結果ではなく,原因そのものであることを示すこととなった.そして近年,クライオ電子顕微鏡(以下,クライオ電顕)解析の技術革新により,患者脳内に蓄積する異常タンパク質の構造が次々と解明される時代となった.
留学前,筆者は患者から異常なタウを調製して変性剤で溶解し,イムノブロットや質量分析をしていたが,その形を観察することはなかった.電顕が近くになかったこともあるが,電顕による形態観察だけでは何もわからないという先入観があった.1995年にMRC分子生物学研究所(Medical Research Council, Laboratory of Molecular Biology:MRC LMB)のGoedert博士の研究室に留学してこの考えは変化した.Crowther博士が共同研究で電顕観察しており,当時のLMB所長であったKrug博士も加わって3人が電顕の話をするのをしばしば聞いた.また,同じNeurobiology部門のUnwin博士の研究室に宮澤淳夫博士(現・兵庫県立大教授)が留学し,藤吉好則博士(現・東京医科歯科教授)と共同でクライオ電顕解析によるアセチルコリンレセプターの構造解明に取り組んでいた.2004年に宮澤,藤吉,Unwinの論文は『Nature』誌に発表されることになるが,それまでの苦労も知っており,クライオ電顕で構造を決定するのは大変なことと感じていた.
その後,筆者も電顕観察するようになり,さまざまなタウオパチー患者のタウ線維の形態,生化学,構造解析から,タウの構造の違いそのものが病態形成の鍵であることを論文発表した.2017年に,アルツハイマー患者脳のタウ線維の構造決定の論文がMRCのグループから発表され,『Nature』誌の表紙を飾り,タウ研究者に衝撃を与えた.クライオ電顕によるタンパク質の構造解析は検出器の発明と解析ソフトの開発で飛躍的に進歩していた.
本特集は,クライオ電顕解析の原理と現状,最近次々と解明されているタウ,αシヌクレイン,アミロイドβ(Aβ),TDP-43(TAR DNA binding protein of 43kDa),TMEM106B(transmembrane protein 106B)の構造などを解説していただき,疾患脳ごとに蓄積するタンパク質の種類や構造がどう異なるのか,病理,病態形成の観点から執筆していただいた.またクライオ電顕による構造解明の応用として最も期待される診断薬や創薬の開発へのトピックスにも言及することとした.まだ今後発展が期待されるトモグラフィについても記述していただいた.異常タンパク質の構造から理解する神経変性疾患を目指して編集したものであり,教科書的なものになることを願う.
長谷川成人
東京都医学総合研究所 脳・神経科学研究分野
アルツハイマー病,パーキンソン病,筋萎縮性側索硬化症などの神経変性疾患は原因が不明で,いまだ有効な治療法がない難病である.神経変性疾患研究は,患者脳の形態学的観察,疾患特徴的な変化や病理構造物を特定する神経病理解析,病理構造物の構成成分の生化学的・免疫化学的同定,さらには質量分析による正常と異常の違いを徹底的に分析する蛋白化学的手法によって進められてきた.1990年代ごろから原因遺伝子をみつける分子遺伝学が盛んとなり,さまざまな遺伝子が発見されたが,その一部はまさに患者脳の特徴病理を構成するタンパク質の遺伝子であった.地道な神経病理,生化学解析からみつかった蓄積タンパク質の異常が単なる変性の結果ではなく,原因そのものであることを示すこととなった.そして近年,クライオ電子顕微鏡(以下,クライオ電顕)解析の技術革新により,患者脳内に蓄積する異常タンパク質の構造が次々と解明される時代となった.
留学前,筆者は患者から異常なタウを調製して変性剤で溶解し,イムノブロットや質量分析をしていたが,その形を観察することはなかった.電顕が近くになかったこともあるが,電顕による形態観察だけでは何もわからないという先入観があった.1995年にMRC分子生物学研究所(Medical Research Council, Laboratory of Molecular Biology:MRC LMB)のGoedert博士の研究室に留学してこの考えは変化した.Crowther博士が共同研究で電顕観察しており,当時のLMB所長であったKrug博士も加わって3人が電顕の話をするのをしばしば聞いた.また,同じNeurobiology部門のUnwin博士の研究室に宮澤淳夫博士(現・兵庫県立大教授)が留学し,藤吉好則博士(現・東京医科歯科教授)と共同でクライオ電顕解析によるアセチルコリンレセプターの構造解明に取り組んでいた.2004年に宮澤,藤吉,Unwinの論文は『Nature』誌に発表されることになるが,それまでの苦労も知っており,クライオ電顕で構造を決定するのは大変なことと感じていた.
その後,筆者も電顕観察するようになり,さまざまなタウオパチー患者のタウ線維の形態,生化学,構造解析から,タウの構造の違いそのものが病態形成の鍵であることを論文発表した.2017年に,アルツハイマー患者脳のタウ線維の構造決定の論文がMRCのグループから発表され,『Nature』誌の表紙を飾り,タウ研究者に衝撃を与えた.クライオ電顕によるタンパク質の構造解析は検出器の発明と解析ソフトの開発で飛躍的に進歩していた.
本特集は,クライオ電顕解析の原理と現状,最近次々と解明されているタウ,αシヌクレイン,アミロイドβ(Aβ),TDP-43(TAR DNA binding protein of 43kDa),TMEM106B(transmembrane protein 106B)の構造などを解説していただき,疾患脳ごとに蓄積するタンパク質の種類や構造がどう異なるのか,病理,病態形成の観点から執筆していただいた.またクライオ電顕による構造解明の応用として最も期待される診断薬や創薬の開発へのトピックスにも言及することとした.まだ今後発展が期待されるトモグラフィについても記述していただいた.異常タンパク質の構造から理解する神経変性疾患を目指して編集したものであり,教科書的なものになることを願う.
特集 クライオ電顕が解き明かす神経変性疾患のメカニズム
はじめに 長谷川成人
クライオ電顕の原理と日本の現状 岩崎憲治
タウ線維構造に基づいたタウオパチーの疾患分類 樽谷愛理・長谷川成人
シヌクレイノパチー線維の構造 Cesar Aguirre・他
Aβ線維の構造 富田泰輔
ALS患者脳に蓄積するTDP-43線維の構造 長谷川成人
クライオ電顕解析でみつかった新規アミロイドTMEM106Bの役割 鈴木宏昌
構造をもとにしたタウPETプローブ開発 佐原成彦・他
クライオ電子線トモグラフィ法を用いた神経変性疾患の病態解明 樽谷愛理・Ruben Fernandez-Busnadiego
連載
人工臓器の最前線(16)
アフェレシス療法:最近の進歩 服部憲幸
医療DX─進展するデジタル医療に関する最新動向と関連知識(5)
医療機関のサイバーセキュリティ・マネジメント 坂口一樹
TOPICS
麻酔科学 周術期アナフィラキシーと好塩基球活性化試験 高澤知規
免疫学 B細胞由来のGABAは抗腫瘍免疫を抑制する 章 白浩
FORUM
古代人のゲノム解析と人類の進化─2022年ノーベル生理学・医学賞によせて 瀬口典子
新たな機能性分子を合成する手法“クリックケミストリー”─2022年ノーベル化学賞によせて 清川慎介・他
グローバルヘルスの現場力(13) HIV母子感染─生き延びた青年たちがともに切り開く人生 大川純代
医療MaaS─医療と移動の押韻(3) 寒立馬さんたちへ 横山優二
※「医療AI技術の現在と未来─できること・できそうなこと・できないこと」は休載です.
次号の特集予告
はじめに 長谷川成人
クライオ電顕の原理と日本の現状 岩崎憲治
タウ線維構造に基づいたタウオパチーの疾患分類 樽谷愛理・長谷川成人
シヌクレイノパチー線維の構造 Cesar Aguirre・他
Aβ線維の構造 富田泰輔
ALS患者脳に蓄積するTDP-43線維の構造 長谷川成人
クライオ電顕解析でみつかった新規アミロイドTMEM106Bの役割 鈴木宏昌
構造をもとにしたタウPETプローブ開発 佐原成彦・他
クライオ電子線トモグラフィ法を用いた神経変性疾患の病態解明 樽谷愛理・Ruben Fernandez-Busnadiego
連載
人工臓器の最前線(16)
アフェレシス療法:最近の進歩 服部憲幸
医療DX─進展するデジタル医療に関する最新動向と関連知識(5)
医療機関のサイバーセキュリティ・マネジメント 坂口一樹
TOPICS
麻酔科学 周術期アナフィラキシーと好塩基球活性化試験 高澤知規
免疫学 B細胞由来のGABAは抗腫瘍免疫を抑制する 章 白浩
FORUM
古代人のゲノム解析と人類の進化─2022年ノーベル生理学・医学賞によせて 瀬口典子
新たな機能性分子を合成する手法“クリックケミストリー”─2022年ノーベル化学賞によせて 清川慎介・他
グローバルヘルスの現場力(13) HIV母子感染─生き延びた青年たちがともに切り開く人生 大川純代
医療MaaS─医療と移動の押韻(3) 寒立馬さんたちへ 横山優二
※「医療AI技術の現在と未来─できること・できそうなこと・できないこと」は休載です.
次号の特集予告