やさしさと健康の新世紀を開く 医歯薬出版株式会社

巻頭言
本分野の礎となる書への期待
 1978年に体外受精胚移植法という,いわば生殖革命のきっかけとなった技術を開発されたエドワーズ教授がその32年後の2010年ノーベル生理学・医学賞を受賞され,2013年あっという間に逝去された.その約30年間の短い間に生殖医療は進歩し,そして細分化し他に類を見ない発達を遂げて,この新技術が多くの不妊症に悩む患者を救ったことは周知の事実である.
 しかし,稀な疾患をもつ少数派の患者や極めて難治性の患者は,残念ながらその恩恵に与ったとは言えず,むしろ放置されてきたのである.その中にがんを患って放射線治療や化学療法を受けざるをえない少数派患者群がいる.近年,こうした患者の妊孕性を温存すべきとの声があがり,この方面の研究そして臨床応用が盛んになってきたことは歓迎すべきことである.そして実際に少数ながらも,その臨床実践が実を結びがん患者が子宝に恵まれた例も出ている. さて,この新分野の呼称としては“Oncofertility”または“Fertility Preservation”が一般的である.すなわち,本分野は生殖医療と腫瘍学にまたがる領域であるため,その専門家は生殖医学と腫瘍学の両方に精通していることが要求される.その意味では,本書の編者である鈴木直教授は本来卵巣腫瘍学の専門家であるばかりか,生殖医学にも精通しておられ最も適任であろうと思われる.この領域はわが国より欧米において先んじて発達を遂げており,すでに国際妊孕性温存学会(ISFP:International Society for Fertility Preservation)という国際学会が設立されている.
 鈴木教授は2012年に大阪で開かれたアジア太平洋生殖医学会(ASPIRE)において,ASPIREISFPシンポのシンポジストを務められ,次いで2012年と2013年にはベルギーと香港で開催された国際専門学会で講演,我が国が国際ネットワークに参入することに尽力された.こういった日進月歩に発展する新しい分野では,新技術の開発と臨床応用がいとま無く行われるため,正確な情報収集が極めて不可欠である.その意味からも,こうした国際的活動はきわめて意義深い.一方,国内でも「特定非営利活動法人 日本がん・生殖医療研究会」を設立され,全国的な幅広い活動をされている.とりわけ,設立間もない時期から妊孕性を温存するがん患者に対するカウンセリングへの取り組みを始められたことは,特筆すべきことである.ともすれば,技術開発に主軸をおいて患者自身への配慮を疎かにしがちなこの領域で,いち早く心の問題にも取り組まれたことは,すでにこの研究会が成熟し始めていることを意味し歓迎したい.
 さて,本書はわが国のOncofertilityの分野では最も早い書籍となると思われる.それだけに,本書が恐らくは今後わが国のこの分野の礎となることが考えられ,課せられた責務は大きい.本書を参考にして,多くの方がこの分野に興味を持ち,鈴木教授の目指す全国的ネットワークが確立し,一人でも多くのがん患者が妊孕性を失うことのないように切に希望するものである.
 IVF JAPAN CEO
 森本義晴

がん患者さんの未来への希望につながる書
 日本において抗がん化学療法や放射線療法により卵巣機能が低下・廃絶することを防ごうという努力は1970年代より行われており,北海道大学の一戸喜兵衛教授を初めとする先達により試みられてきた.
 1980年代にはGnRH agonistが開発され,ある程度の卵巣保護効果があるとの報告もあったが,その効果は限定的なものであった.
 組織凍結の技術は1948年の耐凍剤glycerolの発見により大きく発展することとなるが,凍結技術が大きく進歩したのは2000年前後で,凍結卵巣組織の再移植後に卵巣機能が保存されたとの報告が多くなされ,2004年凍結保存.融解再移植後の卵巣よりの排卵による妊娠・分娩が初めて報告された.日本において,凍結はおもにvitrification法(ガラス化法)にて行われており,vitrification法(ガラス化法)による卵巣組織凍結─融解再移植後の分娩例も報告されるに至っている.
 本書の編者・鈴木直教授は今日における「がん・生殖医療」の重要性に早くより着目し,vitrification法(ガラス化法)を用いてサルにおいて卵巣組織の凍結─融解自家移植の実験を繰り返し,その基礎を築いてこられた.さらにまた,我が国医療界におけるネットワーク作りにも着手し,「がん・生殖医療研究会」の設立に尽力されている.
 本書が多くのがん患者さんの未来への希望につながることを念願し,巻頭言とする.
 聖マリアンナ医科大学
 高度生殖医療技術開発講座 特任教授
 石塚文平

序文

 凍結卵巣組織を用いた自家移植による生児獲得に関する報告が,この領域のパイオニアであるベルギーのDonnezによって2004年になされて以来,現在まで本技術によって30名以上の生児が誕生している.1998年にDonnezは,ヒトで初めて卵巣組織凍結を施行した4症例に関してHuman Reprodcution Update誌に報告しているが,その中で「卵巣組織あるいは卵の凍結は実現可能となったのかもしれない.しかし現状では倫理的,医学的そして社会的な議論がまだ必要である.母親と出生児に対する危険性は?本技術による出産の際に遺伝的な危険性は?本技術による治療後の妊婦の心理的サポートの必要性は?」と述べている.Donnezによる初めての卵巣組織凍結施行の報告から15年が経過し,初めてのホジキン病患者における生児獲得の報告から9年が経過した現在,1998年のDonnezの疑問が完全に解決されたとは言い難い.現在欧米などでは,「卵巣組織凍結保存は,早期閉経発来や緊急体外受精を施行しなければならない卵巣毒性を有する治療を受ける全ての若年女性がん患者に,選択肢として提供すべき医療行為である」と認識されている.しかし,本技術の安全性や有効性などに関する再評価がまだまだ必要である.
 現在の標準的な卵巣組織凍結保存は緩慢凍結法であり,これまで卵巣凍結によって得られた生児は全て緩慢凍結法によるものである.しかし近年,急速凍結法であるガラス化凍結法を用いた新たな報告が散見されつつある.Donnezは2013年にFertility Sterility誌において,「卵巣組織凍結・移植による妊娠率をさらに上昇させるために,まずこれからの数年間は,(1)凍結技術のさらなる進歩と,(2)卵巣移植時の移植部位血管床への工夫などを検討してくべきである」と述べていることからも現在,卵巣組織凍結・移植研究は第1の転換期に入ったものと推察される.
 一方,本邦においても現在,一部の施設では若年がん患者などの妊孕性温存を目的とした卵巣組織凍結・移植が施行できる環境になりつつある.しかしながら,引き続き本技術の安全性と有効性に関する詳細な検討を続け,がん患者における本技術を用いたアウトカムを的確に検証していく必要性がある.
 本書は「卵巣組織凍結・移植」に関する本邦初のテキストとして,本技術をさらに本邦で広めるために企画した.出版にあたっては,企画当初から全般にわたり多大なご助言を頂いた鈴木秋悦先生,医歯薬出版の塗木誠治,岩永勇二の両氏,ならびに関係各位に厚く感謝致します.
 2013年11月
 聖マリアンナ医科大学 産婦人科学講座
 鈴木 直
 巻頭言(森本義晴)
 巻頭言(石塚文平)
 序文(鈴木 直)
 執筆者一覧
序章 ガイドラインの現況
 1 妊孕性温存のガイドライン――卵巣組織凍結・移植の位置づけ(拝野貴之・杉本公平・岡本愛光ほか)
  ・海外および本邦におけるガイドライン現状
第1章 卵巣組織凍結
 2 卵巣組織凍結の歴史(古井辰郎・山本晃央・寺澤恵子ほか)
  ・卵巣組織凍結保存に関する論文数の推移
  ・まとめ
 3 卵巣組織凍結の現状(馬場 剛)
  ・妊孕能温存治療と卵巣組織凍結の重要性
  ・海外における卵巣組織凍結の現状
  ・適応とする原疾患
  ・対象となる症例の選択
  ・体外成熟──腫瘍細胞の再移植を防ぐために
  ・摘出卵巣組織の移送──実施施設の集約化に関連して
  ・卵巣組織凍結が普及するために
  ・おわりに
 4 卵巣組織凍結保存──技術的観点からの検討(細井美彦・高橋祐司)
  ・卵巣・卵子凍結保存の歴史
  ・卵巣組織凍結保存の実際
  ・卵巣移植技術
  ・現状の課題
  ・今後の展望
 5 “緩慢凍結法”について(筒井建紀)
  ・緩慢凍結のメカニズム
  ・凍結保護剤
  ・卵巣の処理法
  ・ヒト卵巣組織の緩慢凍結保存法および融解法
  ・ヒト卵巣緩慢凍結保存・融解移植後の最初の妊娠症例
  ・卵巣凍結についての最近の報告
  ・おわりに
 6 卵巣組織の“超急速凍結法”(橋本 周・鈴木 直・森本義晴)
  ・凍結保存
  ・超急速凍結法
  ・卵巣組織の超急速凍結法の構築
  ・卵巣組織の凍結方法の比較
  ・卵巣組織の移植部位と卵子の回収ならびに卵子の質
  ・今後の課題
 7 卵巣組織のガラス化保存法:Cryo Support(Cryo Kit Type M)(杉下陽堂・橋本 周・星名真理子ほか)
  ・卵子の局在
  ・緩慢凍結と超急速凍結法(ガラス化法,Vitrification法)
  ・聖マリアンナ医科大学プロトコール
  ・今後の展望
  ・Cryo Support(Cryo Kit Type M)「凍結」プロトコール
  ・Cryo Support(Thawing Kit Type M)「融解」プロトコール
 8 卵巣組織のガラス化保存法:Cryotissue Safety Kit(森智絵美・加藤恵一)
  ・Cryotissue safety kitの開発
  ・Cryotissue safety kitプロトコール
  ・Cryotissueを用いた卵巣組織のガラス化保存研究
  ・おわりに
第2章 卵巣組織の採取と移植
 9 卵巣組織採取──Reduced port surgeryによる卵巣摘出手術(菊地 盤・香川則子・桑山正成ほか)
  ・現況
  ・背景
  ・適応症例
  ・順天堂大学での倫理規定
  ・実際の方法
  ・おわりに
 10 卵巣組織移植に関する現状(同所性・異所性)(北島道夫・増ア英明)
  ・妊孕性温存手技としてのヒト卵巣組織移植の発展
  ・同所性移植と異所性移植
  ・同所性卵巣組織自家移植における卵巣機能回復および妊娠
  ・異所性卵巣組織移植における卵巣機能回復および妊娠
  ・おわりに
 11 卵巣組織移植について(田村みどり)
  ・凍結卵巣組織の移植の術式
  ・生着を促す工夫
  ・当院での移植手術
  ・おわりに
第3章 卵巣組織凍結・移植に関する諸問題
 12 化学療法,放射線療法による卵巣毒性(松浦基樹・齋藤 豪)
  ・病態生理
  ・化学療法による卵巣毒性
  ・放射線療法による卵巣毒性
  ・卵巣予備能に関して
 13 がん細胞の再移入に関して(高井 泰)
  ・悪性腫瘍の卵巣転移
  ・凍結卵巣組織中の悪性腫瘍細胞の検出法
  ・移植片の数・大きさとがん細胞再移入のリスク
  ・化学療法の施行時期とがん細胞再移入のリスク
  ・悪性腫瘍の種類とがん細胞再移入のリスク
  ・おわりに
 14 凍結切片の“大きさ”に関して(杉本公平)
  ・卵巣皮質の厚さについて
  ・諸家の報告からの考察
  ・凍結切片を処理するデバイス
  ・まとめ──今後の展望
第4章 卵巣組織凍結の将来
 15 IVA(河村和弘)
  ・早発卵巣不全の不妊治療
  ・卵胞活性化〜発育の生理学
  ・IVA(in vitro activation) の基礎〜橋渡し研究
  ・IVAの臨床研究
  ・IVAにおける卵巣組織凍結
  ・おわりに
 16 IVG-IVM(高江正道・鈴木 直)
  ・IVM(in vitro maturation)
  ・IVG(in vitro growth)
  ・凍結卵巣組織からのIVG-IVM
  ・おわりに
 17 卵子幹細胞(高井 泰)
  ・卵巣組織からの卵子幹細胞(OSCs)の分離
  ・卵子幹細胞からの卵子の産生
  ・「卵子幹細胞」に対する懐疑論
  ・卵子幹細胞の生理的役割
  ・ES細胞やiPS細胞からの卵子幹細胞の作成
  ・卵子幹細胞のがん・生殖医療への応用
  ・卵子幹細胞研究の今後の課題

  ・索引