やさしさと健康の新世紀を開く 医歯薬出版株式会社

はじめに
 歯科は,患者さんの咀嚼機能を維持すること,そして,不幸にして咀嚼障害を呈した患者さんに対してはその障害を改善することを目標にかかわってきました.従来,咀嚼障害の原因は歯の欠損を中心とした器質的問題と捉えられてきたため,咀嚼障害の予防には齲蝕や歯周病の予防を,歯の欠損の回復には保存修復や歯科補綴的なアプローチを行うことが歯科医療の中心でした.このような考えの下では,“硬いものが食べられる““痛くなく噛める”といったことが咀嚼機能の改善目標となってきました.
 残念なことに,歯科はこれまで,「咀嚼障害の原因が咀嚼器官の運動障害に基づくもの」という観点を取り入れてきませんでした.加齢や疾患に伴って発症する全身のサルコペニアや運動制御系の乱れによる咀嚼器官の運動障害は,咀嚼機能に大きな影響を及ぼします.8020達成者が多くなってきたいま,咀嚼障害の原因を追究するには,咀嚼器官の運動障害の有無を評価し,その原因の一部を低栄養に求めることが必要です.また,咀嚼障害の帰結は栄養障害であるという観点をもち,咀嚼障害改善の目標を“しっかり食べて栄養を摂ること”へと設定しなおす視点の転換が求められます.
 一方で,加齢に伴う運動障害を原因とした咀嚼障害は,十分な回復が見込めないことも少なくありません.そこで,たとえ咀嚼障害が重度となっても安全に十分な栄養を摂取するための食事や食形態の選択,咀嚼機能を考慮した食事指導が必要となってきました.
 フレイル対策が叫ばれるなか,健康長寿を達成する方策として,栄養の視点を取り入れた歯科医療が必要なのは言うまでもありません.近年,医科歯科連携・多職種連携の観点から,摂食嚥下障害や低栄養を有する患者さんに対して医師と歯科医師が協働して管理することが推進され,栄養サポートチームへの歯科医師の参画や退院時共同指導への歯科医師・管理栄養士の参画などが診療報酬で評価されるようになってきました.一方で,歯科医師の意識はいまだ低く,十分に対応できているとは言えません.
 コンビニの数より多いことを揶揄される歯科医療機関は,コンビニが立地しない地域までもカバーする地域の重要な医療資源です.歯科が栄養の視点をもって患者さんに対峙することができれば,超高齢社会の処方箋を手に入れることになります.
 “歯科と栄養が出会うとき”─.栄養の観点を取り入れた歯科医療が求められているいま,本書がその入門の書となれば幸いです.
 2020年9月
 日本歯科大学口腔リハビリテーション 多摩クリニック
 菊谷 武
 はじめに
INTRODUCTION なぜ歯科医師・歯科衛生士が栄養について知ることが必要なのか?
  これからの医療の鍵は「フレイル」「サルコペニア」の予防
  オーラルフレイル,口腔機能低下症と「栄養」
  医療のパラダイムシフト「疾患モデル」から「生活モデル」へ
  器質性咀嚼障害と運動障害性咀嚼障害
  咀嚼障害と栄養との関係
  歯科診療室からはじめる栄養評価
  歯科診療室は「栄養」への対応の最前線
  Column 栄養をみない歯科医師,口をみない管理栄養士?
STEP 1「知る」 歯科医師・歯科衛生士のための栄養ことはじめ
  まずはここから〜体重が1kg減ったということは?
  体重を1kg増やすためには?
  咀嚼機能の低下がエネルギー摂取に与える影響
  人はどのぐらい食べないといけないのか?
  そもそも「栄養」って何?
  バランスの良い食事を摂るには?
  バランスの良い食事を摂る重要性
  Column サルコペニア予防のための食事指導
STEP 2「みる」 栄養の視点で患者さんをみてみよう
 (1)診療室で行う口腔機能とフレイルのチェック
  口腔機能低下症の診断と栄養評価の必要性〜いつ評価する?
  歯科診療室でできる! 口腔機能低下症の診断を通じたフレイルチェック
  来院時の変化に気づく〜診療室でキャッチするフレイルの徴候
  問診票での栄養状態のスクリーニング
  問診票で低栄養が疑われたら
  「食事と生活に関する問診票」で何をみているか?
 (2)栄養に関する評価方法を知る
  BMI・体重減少率
  EAT-10
  MNA-SF(簡易栄養状態評価表)
  食品摂取の多様性スコア(DVS)
 (3)口腔機能の評価から咀嚼障害の原因を探る
  筋力低下と口腔機能との関係
  口腔機能の検査
  口腔機能の評価を通して咀嚼障害の原因を知る
   CASE1 器質性咀嚼障害と診断する場合
   CASE2 運動障害性咀嚼障害(舌・口唇の巧緻性の低下)と診断する場合
   CASE3 運動障害性咀嚼障害(筋力低下)と診断する場合
   CASE4 器質的咀嚼障害と運動障害性咀嚼障害の両方が存在すると診断する場合
 Column 管理栄養士を歯科医院に雇うその前に
STEP 3「対応する」 診療室で食事指導をやってみよう
 (1)食事指導の前のステップ
  食環境の把握と目標の立案
 (2)患者さんの問題点ごとの食事指導
  現時点で咀嚼障害がみられない場合〜口腔機能を維持するための食事の提案
  口腔機能の低下に合わせた食事の提案
   CASE1 器質性咀嚼障害のための食事
   CASE2 運動障害性咀嚼障害(舌・口唇の巧緻性の低下)のための食事
   CASE3 運動障害性咀嚼障害(筋力低下)のための食事
   CASE4 器質的咀嚼障害と運動障害性咀嚼障害の両方が存在する場合の食事
  問題点に合わせたアドバイス
   体重減少を食い止める→油脂類の活用
   体重減少を食い止める→間食を摂る
   硬いものを食べやすくする
   ペラペラしたもの・噛み切りにくいものを食べやすくする
   バラバラになるものを食べやすくする
   パサパサするものを食べやすくする
   食事に時間がかからないようにする
   たんぱく質を十分に補給する
   栄養補助食品を利用する
  バランスが良く,咀嚼障害にも対応した献立のポイント
 Column 食事場面から口腔機能の低下と低栄養のリスクを疑う
CASE STUDY
 (1)歯科診療室(外来)での食事指導
   CASE1 高齢の介護者に負担の少ない食事指導を行ったケース
   CASE2 独居の高齢者への食事指導
   CASE3 むせてしまうため,外食を楽しめない
 (2)在宅での食事指導
   CASE1 食事指導を行い,外来での歯科治療につなげたケース
   CASE2 在宅診療から地域包括支援センターでの生活支援につなげたケース

 Recipe
 口腔機能・栄養状態・サルコペニア評価表