やさしさと健康の新世紀を開く 医歯薬出版株式会社

序文
 今日まで45年余,歯科補綴学の勉学とともに補綴治療を主とした臨床を続けることができたことは感謝である.
 この間,社会の変化と科学の進歩は想像以上の速さであり,歯科補綴学に対する社会の期待も大きく変化してきている.2008年には高齢者が全人口の22%に達して超高齢社会に突入し,これに伴い高齢者の生活の質(QOL)をどのように維持していくかが問題となっている.
 急速な超高齢化社会の到来の中で,摂食や発語といった顎顔面や口腔が関する機能が重要視されるようになり,健康維持に不可欠なものとして社会の中で認知されてきており,その中で歯科補綴学は口腔機能の回復という大きな使命を担っているわけである.
 社会の人口構造が超高齢化へと変化する中で歯科補綴学がどのように機能していくのか,われわれは大きな責任を背負っている.
 振り返ってみると1965年に歯学部を卒業してすぐに石原寿郎教授の主宰される大学院・第2歯科補綴学教室に入り,下顎運動特に下顎頭の運動解析の研究を始めた.1年先輩にいらっしゃった大石忠雄先生とともに,大学院入局早々に石原教授が1年間外国出張されるという事態には,研究の何かを知らないうちに指導者不在となり二人して困惑したことを思い出す.しかし幸にも,先生が帰国されてすぐに研究テーマが具体的になり,新たなパラダイムのもとで大石先生は顆頭安定位(1967),著者は次の年に全運動軸の論文(1968)を発表することができた.これは石原教授の外国留学の賜の一つであると今でも感謝している.
 本書の顆頭安定位の章では,発見者の大石忠雄先生に執筆の助言を戴けたことは,著者のみならず本書にとっても幸であった.
 東京から新潟大学への1993年の転任は,教育・研究面で大きな転機になった.仕事の対象は下顎頭運動から展開して,咀嚼運動,咀嚼能力の評価,さらには高齢者の補綴治療を中心とした咀嚼機能の回復についてなど,著者の歯科補綴学のフィールドを広げることができた.
 新潟は地方都市のためであろうか,東京に比較して地域との連携が密のように感じる.この特長を生かした活動の一つとして,要介護者の実態調査と問題点の解決について,新潟県庁や県内の歯科医師会の諸先生方とともに厚生科学研究を新発田地域で実施させていただき,補綴学の新たなテーマに気付かせてもらい,本書の最終章にも加えることができた.
 また三条市でご開業の榎本紘昭先生を施設長として新潟を中心に実施されている,日本口腔インプラント学会指定研修施設・新潟再生歯学研究会の100時間インプラントセミナーには,10年以上にわたって講義を担当させていただいている.この間のインプラントの急速な臨床への導入は目を見張るものがある.受講者の先生方へのこのセミナーの持つ役割の大きさを感じており,本書をまとめる大きな動機の一つとなっている.
 新潟において広げることのできたこれまでの研究をまとめてみたいと思い,論文の整理を始めた.新潟大学在任期間の最後の5年間は思いがけなく理事・副学長として大学本部で教育改革という新たな仕事に携わらせていただくことになり,筆をいったん置き再開は困難かと思った時期もあった.しかし,新潟大学の退職後,明倫短期大学に職を得て,講義や学科の仕事の合間に執筆の時間も少々いただて,ここまでくることができたことは幸であった.
 これまでともに咬合の研究を続けてきた,東京医科歯科大学時代の研究仲間と新潟大学における教室員の方々に感謝したい.彼らの昼夜を惜しまぬ研究に対する情熱があったらからこそ,ここに咬合の新たなエビデンスを世の中の先生方にご紹介することができたのである.彼らのさらなる活躍を祈念したい.
 2010年3月
 河野正司
 序文
臨床編
I 補綴治療の目標
 1.左右側で自由に咀嚼して嚥下できること
 2.為害作用なく長期間機能できること
 3.有床義歯のメインテナンス効果
 4.片側遊離端義歯の示す効果
II 咬頭嵌合の診断―初診時の症状から何を診断するか?
 1.疼痛症状について
 2.咬頭嵌合は安定しているか?
 3.アイヒナーの欠損様式の分類と咬合の安定
 4.咬合診査の注意点
III 咬頭嵌合の再構築
 1.垂直的下顎位の決定
 2.水平的下顎位の決定
IV 咬合器の使用法
 1.作業模型の咬合器装着法
 2.顆路と切歯路の調節
V 歯のガイド付与法
 1.適正なガイドか否かの診断
 2.口腔内でできるガイドの修正法
 3.口腔内で機能している歯のガイドは保存する
 4.顆路を基準としたガイドの付与法
VI 顎機能障害
 1.顎機能障害の原因
 2.咬合接触の異常が原因の症例
 3.歯のガイドの異常による大臼歯の咬合障害が原因の症例
 4.下顎位の後方変位により生じた顎機能障害症例
 5.スタビリゼーション型スプリントの利用
 6.筋痛に対する温湿布療法
基礎編
第1章 咀嚼機能を支える咬合
 1.咬合とは
  1)咬合の支持機構 2)咬合を構成する要素
 2.支持機構の機械的特徴
  1)歯根膜支持機構の特徴 2)臨床からみた歯根膜支持 3)インプラント支持機構の特徴 4)臨床からみたインプラント支持
 3.インプラント支持機構と咬合接触
  1)咬頭嵌合位の咬合調整 2)側方位の咬合調整
第2章 下顎位
 I 咬頭嵌合位と中心咬合位
  1.歴史的背景
  2.用語集からみた咬頭嵌合位
  3.用語集からみた中心咬合位
   1)米国歯科補綴学用語集の定義 2)日本補綴歯科学会用語集の定義
  4.定義についての議論
   1)日本補綴歯科学会用語について 2)中心咬合位は下顎頭に関連した用語 3)中心咬合位は顆頭安定位 4)顆頭安定位と中心位 5)下顎位に関する用語の比較表
 II 中心位の定義
  1.中心位の定義の変遷
  2.変遷した理由は?
   1)Gnathologyにおける変化 2)Muscular positionとの関係 3)Preston教授との対談
 III 顆頭安定位
  1.顆頭安定位とは
  2.顆頭安定位と顎関節の構造
   1)下顎頭の動態と顆頭安定位 2)下顎頭の後退位との関係 3)顆頭安定位と顎関節の構造
  3.顆頭安定位の臨床診断法
  4.タッピング運動を用いた顆頭安定位の求め方
   1)顆頭安定位とmuscular position 2)「顆頭安定位」を求めるタッピング運動の条件 3)「顆頭安定位」の求め方
 IV 望ましい水平的下顎位
  1.適正な咬頭嵌合位の下顎頭位は?
   1)健常者の下顎頭位は,下顎後退位ではない 2)顎機能障害者に多くみられる下顎後退位 3)適正な下顎頭位は「顆頭安定位」 4)下顎頭が最後退位であると
  2.顆頭安定位の臨床診断法
   1)安定した咬頭嵌合位を保持していること 2)開口時に関節雑音が無く,無理なく40〜50mm以上の開口が可能なこと 3)開口時に下顎の大きな側方変位がないこと 4)咬頭嵌合位から下顎が後退可能なこと 5)顎関節部に疼痛や触診に異常がないこと 6)咀嚼筋や頭頸部の筋に疼痛,緊張感,違和感などが存在しないこと 7)咬頭嵌合位で強く噛みしめができること
 V 下顎後方変位の病理性―顎機能障害を起こさないために
  1.側頸筋の過活動現象
   1)側頸部に臨床症状がみられる症例 2)筋の過活動状態と自発放電波形 3)噛みしめ下顎位の違いと筋活動
  2.外側翼突筋の筋活動
   1)間欠的開口障害のみられる症例と顎機能障害症状 2)外側翼突筋上頭の活動と関節円板の前方転位
  3.顎関節症」型について
 VI 垂直的下顎位―咬合高径
  1.咬合高径と顎機能
   1)下顎安静位と咬頭嵌合位 2)下顎安静位の制御機構と経時的変化 3)咬合高径に対する感覚
  2.咬合挙上について
   1)安静空隙内の挙上 2)安静空隙を越える挙上 3)咬合挙上の要件
第3章 下顎運動と全運動軸
 I 下顎運動
  1.下顎運動とは
   1)顎関節の運動学的特徴 2)下顎頭運動を切歯点運動と関連して観察する
  2.Gnathologyの蝶番軸とその問題点
   1)下顎頭の回転運動と並進運動 2)蝶番軸は複数ある
 II 全運動軸とは
  1.全運動軸が下顎頭運動を代表する
   1)ふたたび大石の解剖研究 2)全運動軸とは 3)蝶番軸は特殊な矢状面回転軸 4)全運動軸と蝶番軸の位置関係は 5)終末蝶番運動時の全運動軸の様相
  2.全運動軸からの展開
   1)3次元顎運動モデル 2)下顎頭並進運動の解析 3)咬合との関係 4)下顎頭運動の機能診断
 III 下顎頭運動の最新の知見
  1.6自由度測定法
   1)6自由度測定以前 2)6自由度測定法の開発 3)下顎頭運動の新たな観察法
  2.咀嚼時の作業側下顎頭運動
   1)最近の報告 2)咀嚼運動末期の運動様式─田島の研究から─ 3)側方滑走運動の運動型との関連 4)顆頭安定域への運動経路
  3.咀嚼運動と顆頭安定位との関係
   1)咀嚼終末期の作業側下顎頭 2)顆頭安定域で下顎頭は保護されている
第4章 顎運動と姿勢
 I 下顎運動に随伴する頭部運動
  1.開口量は頭位によって変化する
   1)最大開口量測定値の歴史 2)頭部の後屈で開口量が増大する
  2.開口量に影響を与える因子
   1)骨格性下顎前突症例の開口運動 2)開口量を規制する種々の因子
  3.咀嚼運動時にみられる頭部運動
   1)下顎切歯点前頭面投影像での観察 2)上顎切歯点の3次元運動
  4.タッピング運動時に観察される頭部の協調運動
   1)頭部の協調運動の様相 2)頭部運動の全体像
 II 下顎運動と姿勢
  1.頭部運動と体幹動揺の関係
   1)体幹動揺の同時記録 2)立位と座位による体幹動揺の違い
  2.頭部運動と体幹動揺の意味
   1)下顎運動との関係 2)姿勢保持の観点から
 III 胸鎖乳突筋と咬合
  1.頸筋の咬合への関与
   1)顎機能と胸鎖乳突筋の活動 2)下顎後退位における危険な筋活動 3)胸鎖乳突筋と開口運動
  2.胸鎖乳突筋の活動機序
   1)ウサギにみられる咀嚼運動時の現象 2)張反射由来の筋活動
第5章 歯のガイドと顎機能
 I 歯のガイドとは
  1.歯のガイドの小史
  2.不適切なガイドが原因の顎機能障害
   1)補綴治療過程でのガイド喪失例 2)作業側最後臼歯の咬合接触が原因で生じた閉口障害例
 II 歯のガイドの要件
  1.歯のガイド―二つの要件―
   1)運動学的要件 2)位置的要件
  2.ガイドの傾斜角度は変更できるか?
   1)歯の脈動から支持組織の健康状態を評価する 2)クレンチング負荷による歯周組織の変化について 3)ガイド傾斜角変化に対する許容性
  3.ガイドの歯種は変更できるか?
   1)ガイドが顎骨に加わるメカニカルストレスをコントロールする 2)咀嚼筋の活動効率は部位によって変化する 3)犬歯部ガイドの有利性 4)Group functionは可能か?
 III 歯のガイドに期待される機能
  1.下顎頭の異常運動による機械的障害
   1)顎関節の構造と「disu-condyle unit」 2)大臼歯部のみの咬合接触の危険性
  2.ホストの力の要素の影響
   1)パラファンクションの危険性 2)すべてのオープンバイトが危険なわけではない
第6章 咀嚼と補綴治療
 I 高齢者と咀嚼―義歯はどのように使用されているか
  1.高齢者社会と補綴治療の必要性
   1)長寿社会 2)歯科治療・専門的口腔ケアの必要性
  2.高齢者の咬合機能
   1)高齢者の咬合力の経時的変化 2)全身の運動機能との関係 3)第一大臼歯喪失と咬合力の変化
  3.義歯装着の効果
   1)義歯装着によるQOLの向上 2)高齢者の総義歯に対する満足度 3)ロバに義歯装着の効果は
 II 咀嚼行動をみる
  1.咀嚼運動の様相
   1)咀嚼運動とは 2)咀嚼運動は限界運動野の中にある 3)摂食から嚥下までの咀嚼過程
  2.咀嚼行動の評価の要件を考える
   1)これまでの咀嚼能率試験法 2)咀嚼試験法の特徴
  3.開発した咀嚼試験法
   1)健常青年の咀嚼食物の動態 2)健常高齢者の咀嚼食物の動態 3)新しい咀嚼試験法の特徴 4)次への展開
 III 咀嚼行動における歯の役割
  1.咀嚼における咬合面形態の役割
   1)咀嚼時の咬合面間隙の測定 2)側方滑走運動時の咬合面間隙の変化 3)咬合面に圧搾空間ができる 4)側咬頭が重要な役割
  2.咀嚼運動に当てはめてみよう
   1)圧搾空間と食物粉砕機能 2)圧搾空間の食物移送機能 3)咀嚼試験による確認
  3.咬合面の形を変えてみると
   1)側咬頭を削除する 2)食物粉砕の程度と流れが変わる
  4.咀嚼を考えた補綴装置の咬合とは
 IV 自由咀嚼と片側咀嚼
  1.動物の食性と咀嚼パターン
  2.自由咀嚼と片側咀嚼の比較
   1)咀嚼回数について 2)粉砕食物の状況 3)個人機能差が咀嚼回数に与える影響
  3.片側咀嚼の弊害―口腔前庭への食物の貯留
  4.片側遊離端義歯の大きな機能

 索引