序/本別冊の発行にあたり
歯内療法の背景を概観してみよう.
歯の硬組織と歯根膜でしっかりと保護されている歯髄も,しばしば微生物やその産生産物が侵入し,炎症(歯髄炎)が生じる.この微生物刺激の代表は齲蝕である.炎症反応は,本来,有害物質を無害化して排除し,損傷を受けた組織を修復するために生じる反応ではあるが,刺激が強くかつ長期に及べば,強い臨床症状を伴う破壊的な反応へと移行し,全面的な組織崩壊すなわち歯髄壊死へと至る.このため,不可逆性炎に陥った歯髄を除去し,根管充填材で置き換えることにより,根管系の感染の進展を防止する目的で,抜髄処置が行われている.
一方,壊死(失活)歯髄は微生物の侵襲に対して抵抗性を示さず,口腔内の微生物は,容易に壊死歯髄内に侵入し,感染巣を成立させ増殖を続ける.そして,増殖を続ける微生物とその分解産物は,根尖孔や根管側枝の開口部経由で根尖側歯周組織に到達し,炎症反応(根尖性歯周炎)を惹起する.この炎症反応により,周囲骨組織が破壊されるとともに,いくつかのパターンに分類される臨床症状を発現する.こういった病変の発症や進展を阻止するために,感染根管治療が行われるが,その焦点は根管内感染との闘いである.
さらに,抜髄処置および感染根管治療では,根管の再感染を防止し,残存微生物の増殖を抑制するために,緊密な根管充填を行っている.
抜髄処置や感染根管治療は,歯科医療において基本的かつ日常的な処置内容であるにもかかわらず,医療先進国におけるその治療成績を文献的に調べてみると,成功率はおよそ75%と報告されている.すなわち,根管処置症例では4例中1例の割合で,短期的あるいは中期的に病気の発症や再発が生じているのが現状である.歯内療法に対する診療報酬が他の医療先進国よりもきわめて低く設定されている日本では,残念なことではあるが,歯内療法にかけることができる時間が少ないこともあり,根管処置の成功率は医療先進国の平均値を下回っており,一般歯科医院における再治療・再々治療の頻度がかなり高い.
歯冠修復や補綴処置を建物の上部構造工事とすれば,歯内療法は建物の基礎工事に相当するもので,その基礎工事を繰り返し行うことは,建物の保持すなわち歯科治療の成否や信頼性に大きな影響を及ぼすことになる.
もちろん,患者が本当に望んでいることは,歯内療法や修復処置ではなく,健康な自分の歯を傷つけずに一生保持し続けたいということであろう.そのための必須要件は,生涯を通したデンタルバイオフィルムのコントロールである.しかしながら,現実には,歯周病や齲蝕は,ギネスブックに記載されているように,人類における最も罹患率の高い病気でもある.したがって,歯科医は,バイオフィルムコントロールに係る啓蒙・実践活動を行うとともに,成功率が高い歯内療法や修復処置を希求することが必要である.
抜髄や感染根管治療の失敗症例を分析してみると,きっちりと原則に沿った処置を行っていれば回避できたものから,歯の解剖学・病理学的問題,細菌学・免疫学的問題,治療手技に起因する問題などを背景としたいわゆる“エンド難症例”まで,さまざまなカテゴリーが存在する.失敗症例の原因を個々に分析・検討していくことが診療能力の向上に大いに寄与するはずであるが,日常臨床の場ではこれが不十分なことが多々あると考えられる.
そこで今回,“エンド難症例”と題した歯界展望別冊を刊行することにより,歯内療法の診断・治療能力を向上させるための研鑽の方向性を提示したいと企図した.
まず,歯内療法の基本は感染制御と捉え,感染根管の実態(Chapter1)と治療時の感染制御(Chapter3)について解説してもらった.そして,エンド難症例をその原因に基づき分析し,それぞれどのようなメカニズムによるものかを最新の成果を含みつつ整理し,それぞれに求められる診断と治療のプロトコールを提示してもらった(Chapter2).さらに,歯内療法の領域で革新の続く診断・治療機器や器材について,その背景や実践症例を基に,有益性を紹介してもらった(Chapter4).また,歯内療法との関連において何かと話題になっているテーマについて,それぞれの執筆者の見解を述べてもらった(Chapter5).
本書の企画に際しては,日常臨床において歯内療法の失敗症例や再治療症例に悩んでおられる一般歯科臨床医を主な対象としたが,みずからの治療成績や手技の向上を希求されている保存治療・歯内療法専門医にも役立つ書とすることを念頭においた.
本書の主目的は,読者が,根管治療の原則を再確認し,エンド難症例の背景を体系的に理解することによって,歯内療法時の診断・治療能力を向上させることにある.そのため,エンド難症例の背景を原因カテゴリー別に,可及的にわかりやすくビジュアルに提示するため,臨床写真やイラストを多用することとした.また,歯内療法学の今日的知識の基盤となっている文献を可及的に提示し,専門医を目指す歯科医への道標とすることを企図した.さらに,本書が対象とした症例は,歯科医院における日常診療において体験するものであることから,大学在籍者のみならず多数の開業歯科医の先生方に執筆を依頼した.
最後に,本書の企画意図をご理解いただき,ご執筆を快諾して下さった諸先生方に対して深謝いたします.
2009年10月
恵比須繁之
歯内療法の背景を概観してみよう.
歯の硬組織と歯根膜でしっかりと保護されている歯髄も,しばしば微生物やその産生産物が侵入し,炎症(歯髄炎)が生じる.この微生物刺激の代表は齲蝕である.炎症反応は,本来,有害物質を無害化して排除し,損傷を受けた組織を修復するために生じる反応ではあるが,刺激が強くかつ長期に及べば,強い臨床症状を伴う破壊的な反応へと移行し,全面的な組織崩壊すなわち歯髄壊死へと至る.このため,不可逆性炎に陥った歯髄を除去し,根管充填材で置き換えることにより,根管系の感染の進展を防止する目的で,抜髄処置が行われている.
一方,壊死(失活)歯髄は微生物の侵襲に対して抵抗性を示さず,口腔内の微生物は,容易に壊死歯髄内に侵入し,感染巣を成立させ増殖を続ける.そして,増殖を続ける微生物とその分解産物は,根尖孔や根管側枝の開口部経由で根尖側歯周組織に到達し,炎症反応(根尖性歯周炎)を惹起する.この炎症反応により,周囲骨組織が破壊されるとともに,いくつかのパターンに分類される臨床症状を発現する.こういった病変の発症や進展を阻止するために,感染根管治療が行われるが,その焦点は根管内感染との闘いである.
さらに,抜髄処置および感染根管治療では,根管の再感染を防止し,残存微生物の増殖を抑制するために,緊密な根管充填を行っている.
抜髄処置や感染根管治療は,歯科医療において基本的かつ日常的な処置内容であるにもかかわらず,医療先進国におけるその治療成績を文献的に調べてみると,成功率はおよそ75%と報告されている.すなわち,根管処置症例では4例中1例の割合で,短期的あるいは中期的に病気の発症や再発が生じているのが現状である.歯内療法に対する診療報酬が他の医療先進国よりもきわめて低く設定されている日本では,残念なことではあるが,歯内療法にかけることができる時間が少ないこともあり,根管処置の成功率は医療先進国の平均値を下回っており,一般歯科医院における再治療・再々治療の頻度がかなり高い.
歯冠修復や補綴処置を建物の上部構造工事とすれば,歯内療法は建物の基礎工事に相当するもので,その基礎工事を繰り返し行うことは,建物の保持すなわち歯科治療の成否や信頼性に大きな影響を及ぼすことになる.
もちろん,患者が本当に望んでいることは,歯内療法や修復処置ではなく,健康な自分の歯を傷つけずに一生保持し続けたいということであろう.そのための必須要件は,生涯を通したデンタルバイオフィルムのコントロールである.しかしながら,現実には,歯周病や齲蝕は,ギネスブックに記載されているように,人類における最も罹患率の高い病気でもある.したがって,歯科医は,バイオフィルムコントロールに係る啓蒙・実践活動を行うとともに,成功率が高い歯内療法や修復処置を希求することが必要である.
抜髄や感染根管治療の失敗症例を分析してみると,きっちりと原則に沿った処置を行っていれば回避できたものから,歯の解剖学・病理学的問題,細菌学・免疫学的問題,治療手技に起因する問題などを背景としたいわゆる“エンド難症例”まで,さまざまなカテゴリーが存在する.失敗症例の原因を個々に分析・検討していくことが診療能力の向上に大いに寄与するはずであるが,日常臨床の場ではこれが不十分なことが多々あると考えられる.
そこで今回,“エンド難症例”と題した歯界展望別冊を刊行することにより,歯内療法の診断・治療能力を向上させるための研鑽の方向性を提示したいと企図した.
まず,歯内療法の基本は感染制御と捉え,感染根管の実態(Chapter1)と治療時の感染制御(Chapter3)について解説してもらった.そして,エンド難症例をその原因に基づき分析し,それぞれどのようなメカニズムによるものかを最新の成果を含みつつ整理し,それぞれに求められる診断と治療のプロトコールを提示してもらった(Chapter2).さらに,歯内療法の領域で革新の続く診断・治療機器や器材について,その背景や実践症例を基に,有益性を紹介してもらった(Chapter4).また,歯内療法との関連において何かと話題になっているテーマについて,それぞれの執筆者の見解を述べてもらった(Chapter5).
本書の企画に際しては,日常臨床において歯内療法の失敗症例や再治療症例に悩んでおられる一般歯科臨床医を主な対象としたが,みずからの治療成績や手技の向上を希求されている保存治療・歯内療法専門医にも役立つ書とすることを念頭においた.
本書の主目的は,読者が,根管治療の原則を再確認し,エンド難症例の背景を体系的に理解することによって,歯内療法時の診断・治療能力を向上させることにある.そのため,エンド難症例の背景を原因カテゴリー別に,可及的にわかりやすくビジュアルに提示するため,臨床写真やイラストを多用することとした.また,歯内療法学の今日的知識の基盤となっている文献を可及的に提示し,専門医を目指す歯科医への道標とすることを企図した.さらに,本書が対象とした症例は,歯科医院における日常診療において体験するものであることから,大学在籍者のみならず多数の開業歯科医の先生方に執筆を依頼した.
最後に,本書の企画意図をご理解いただき,ご執筆を快諾して下さった諸先生方に対して深謝いたします.
2009年10月
恵比須繁之
本別冊の発行にあたり(恵比須繁之)
Chapter1 エンド難症例の現状と実態
エンドの現状と感染根管の実態(野杁由一郎)
Chapter2 エンド難症例の原因分析と対応
解剖学・病理学的問題
イスムス,フィン(辻本恭久)
側枝など分岐根管(辻本恭久)
歯根内部吸収・外部吸収(鶴町 保)
根未完成歯(木裕三・宮新美智世)
エンド・ペリオ(島内英俊)
細菌学・免疫学的問題
根尖部にみられる吸収像と根尖孔外バイオフィルム(野杁由一郎)
歯科治療に起因する問題
カリエスの残存(石井 宏)
根管の見落とし(澤田則宏)
ジップ,レッジ(トランスポーテーション)(北村和夫)
穿 孔(牛窪敏博)
歯根破折(菅谷 勉)
器具破折(寺内吉継)
Chapter3 難症例をつくらないエンド治療
術中感染の予防と制御(木ノ本喜史)
Chapter4 エンド治療の最前線
コーンビームCTを用いた画像診断(吉岡隆知・石村 瞳)
マイクロスコープを使用した歯内療法(木ノ本喜史)
マイクロスコープを使用した外科的歯内療法(木ノ本喜史)
歯科用レーザー(海老原 新)
接着性根管充填材(今里 聡)
NiTi製ファイル(畠 銀一郎)
Chapter5 エンド治療に関連するトピック
根管治療における薬剤応用(加藤広之)
支台築造と歯根破折(林 美加子)
長びく痛み(根尖刺激による痛みと非歯原性歯痛)(長谷川誠実)
歯内疾患と全身の健康(大山秀樹・小越菜保子)
目次
編者・執筆者一覧
Chapter1 エンド難症例の現状と実態
エンドの現状と感染根管の実態(野杁由一郎)
Chapter2 エンド難症例の原因分析と対応
解剖学・病理学的問題
イスムス,フィン(辻本恭久)
側枝など分岐根管(辻本恭久)
歯根内部吸収・外部吸収(鶴町 保)
根未完成歯(木裕三・宮新美智世)
エンド・ペリオ(島内英俊)
細菌学・免疫学的問題
根尖部にみられる吸収像と根尖孔外バイオフィルム(野杁由一郎)
歯科治療に起因する問題
カリエスの残存(石井 宏)
根管の見落とし(澤田則宏)
ジップ,レッジ(トランスポーテーション)(北村和夫)
穿 孔(牛窪敏博)
歯根破折(菅谷 勉)
器具破折(寺内吉継)
Chapter3 難症例をつくらないエンド治療
術中感染の予防と制御(木ノ本喜史)
Chapter4 エンド治療の最前線
コーンビームCTを用いた画像診断(吉岡隆知・石村 瞳)
マイクロスコープを使用した歯内療法(木ノ本喜史)
マイクロスコープを使用した外科的歯内療法(木ノ本喜史)
歯科用レーザー(海老原 新)
接着性根管充填材(今里 聡)
NiTi製ファイル(畠 銀一郎)
Chapter5 エンド治療に関連するトピック
根管治療における薬剤応用(加藤広之)
支台築造と歯根破折(林 美加子)
長びく痛み(根尖刺激による痛みと非歯原性歯痛)(長谷川誠実)
歯内疾患と全身の健康(大山秀樹・小越菜保子)
目次
編者・執筆者一覧








