やさしさと健康の新世紀を開く 医歯薬出版株式会社

はじめに
 櫻井 武
 筑波大学医学医療系/国際統合睡眠医科学研究機構(WPI-IIIS)
 2017年のノーベル生理学・医学賞はジェフリー・ホール,マイケル・ロスバッシュ,マイケル・W・ヤングの3博士が受賞したことは記憶に新しい.RERおよびTIM遺伝子の発見によるものである.これらの仕事が契機となり,体内時計のメカニズムの解明は飛躍的にすすめられた.時計遺伝子発現のフィードバックループが織りなす精妙なメカニズムの理解はかなりの部分まで完成している.
 どうやら体内時計と聞いて,多くの人が真っ先に連想するのは,“睡眠”であるらしい.ノーベル賞発表後,著者を睡眠にかかわる研究者とみなして,多くの筋から意見を求められた.しかし,体内時計は睡眠覚醒だけではなく,ホルモン濃度や自律神経はもとより,ほぼすべての生理機能に時刻情報を与えるものであり,睡眠覚醒はその出力先のひとつにすぎない.もちろん,有名なボルベイの2プロセスモデルに睡眠負債(プロセスS)と並んで取り上げられているのが体内時計に由来する覚醒シグナル(プロセスC)であることからもわかるように,たしかに睡眠覚醒状態は体内時計の影響を強く受けている.しかし,体内時計の立場からいえば睡眠覚醒機構への出力はその全体の一部にすぎないし,逆に睡眠覚醒制御機構からみれば体内時計からの入力はその制御機構の一部にすぎない.しかも,体内時計と睡眠覚醒リズムをつなぐ神経経路や機構に関しては,ほとんどわかっていないのが現状だ.
 そして,もうひとつの重要な要素である“睡眠負債”に関しても,その分子実態は謎に包まれている.さらに睡眠覚醒状態は,体内時計や,睡眠負債(=覚醒履歴)のみでなく,栄養状態や全身状態を含む体内のコンディション,および情動にかかわる外界の状況などに強く影響を受ける.その機構に関しても未解明な部分が多い.
 このように,体内時計の細胞内メカニズムに比べて,睡眠覚醒制御の理解にはまだまだ未解明な部分が残されている.しかし近年,光・化学遺伝学やウイルスを用いたトレーシング技術,脳内内視鏡によるイメージングなど神経科学的な手法の発達に伴い,睡眠覚醒制御機構に関してもあらたな知見が蓄積しつつある.本特集号では,多岐にわたる脳機能の影響を受ける睡眠と覚醒の制御機構に関して,それぞれの分野のエキスパートに解説いただいた.さらにノンレム睡眠・レム睡眠の生理的意義,および,睡眠障害の臨床的側面に関しても基礎研究の知見を交えながら解説いただいている.著者はこのさき,数年で睡眠覚醒の制御系に関する理解は飛躍的にすすむとみており,この特集号はそれを先見したタイムリーなものになると期待している.
 はじめに(櫻井 武)
1.睡眠・覚醒の制御機構―眠るしくみ,起きるしくみ
 (小山純正)
 ・眠るしくみ
 ・起きるしくみ
 ・レム睡眠のしくみ
2.“眠気”の実体を探る―フォワード・ジェネティクスによる新規睡眠制御遺伝子の探索
 (本多隆利・柳沢正史)
 ・行動科学におけるフォワード・ジェネティクスの歴史と時計遺伝子の発見
 ・睡眠研究におけるフォワード・ジェネティクス
 ・フォワード・ジェネティクスによる新規睡眠覚醒制御遺伝子の探索
 ・Sleepy変異家系の樹立とSik3遺伝子変異の同定
 ・変異型SIK3蛋白質は覚醒時間を減少させる
 ・Sleepy変異家系における睡眠必要量の増加
 ・無脊椎動物におけるSik3遺伝子の睡眠覚醒制御の役割
 ・Dreamless遺伝子変異家系の樹立とNalcn遺伝子変異の同定
 ・変異型NALCN蛋白質はレム睡眠時間・エピソード時間を減少させる
 ・Dreamless変異家系マウスのレム睡眠異常
 ・Dreamless変異体の電気生理学的特性
3.睡眠と体内時計―時計システムによる睡眠・覚醒サイクルの制御とその破綻がもたらすリズム睡眠障害
 (平野有沙)
 ・睡眠制御のtwo processモデル:恒常性と概日時計
 ・概日時計の基本性質
 ・概日時計によるヒトの睡眠位相制御
 ・クロノタイプを決定する要因
4.ノンレム睡眠の生理的役割
 (船戸弘正)
 ・高次脳機能維持における睡眠の必要性
 ・グリンファティックシステムによる不要物質処理
 ・内分泌および代謝への役割
5.睡眠とシナプス恒常性
 (本城咲季子)
 ・シナプス恒常性仮説(synaptic homeostasis hypothesis:SHY)概要
 ・神経細胞の発火とそれに伴う静止膜電位の回復はエネルギー消費を必要とする
 ・神経細胞の発火は選択的でなければならない
 ・シナプスの全体的な脱増強は睡眠中に行われるべきである
 ・SHYを支持する実験的データ
 ・電子顕微鏡による睡眠・覚醒が皮質神経の形態に与える影響の定量
 ・睡眠はシナプスを弱める? 強める?
6.レム睡眠の神経基盤,生理的意義および進化
 (木眞莉奈・林 悠)
 ・生命に必要不可欠な睡眠
 ・ノンレム睡眠とレム睡眠
 ・レム睡眠の中枢を担う脳部位
 ・レム睡眠からノンレム睡眠への切替えをつかさどる神経細胞
 ・レム睡眠は記憶学習に重要な徐波やθ波の生成に関与する
 ・睡眠の進化を考える
7.記憶や学習と睡眠
 (佐々木由香)
 ・記憶/学習の分類
 ・睡眠の記憶と学習に対する促進効果
 ・促進効果の分類
 ・睡眠の記憶や学習に対する促進効果に対する批判と論駁
 ・睡眠の記憶/学習促進効果の神経メカニズム
 ・睡眠中に記憶を増強させる方法
8.情動と睡眠・覚醒
 (征矢晋吾)
 ・恐怖や不安が睡眠に及ぼす影響
 ・BNSTのGABA作動性ニューロンによる覚醒の誘導
 ・覚醒の誘導からその維持への遷移
 ・BNSTと覚醒中枢とのかかわり
 ・状況に応じた覚醒のモード選択
9.報酬系と睡眠・覚醒
 (大石 陽・ラザルス ミハエル)
 ・VTAのドパミン神経は覚醒を促進する
 ・NAcは睡眠覚醒を制御する
 ・その他のドパミン神経
10.睡眠のマニピュレーション―光遺伝学,薬理遺伝学を用いた睡眠覚醒の操作
 (山中章弘)
 ・睡眠覚醒
 ・オレキシンとオレキシン受容体
 ・オレキシンと睡眠障害ナルコレプシー
 ・光遺伝学,薬理遺伝学を用いたオレキシン神経の活動操作と睡眠覚醒状態変化
 ・メラニン凝集ホルモン産生神経(MCH神経)
 ・光遺伝学,薬理遺伝学を用いたMCH神経の活動操作と睡眠覚醒状態変化
11.非24時間睡眠-覚醒リズム障害の病態生理研究の現状
 (三島和夫)
 ・非24時間睡眠-覚醒リズム障害の臨床特徴
 ・ヒトの生物時計周期(τ)の定義
 ・病態生理仮説―同調機能の減弱
 ・病態生理仮説―異常に延長したτ
 ・τの延長とN24SWDの罹患リスク
 ・N24SWDのマルチヒットモデル
 ・明暗サイクルと概日リズム位相の時間関係の異常
 ・N24SWDと精神的問題
12.オレキシンによる睡眠の制御と代謝機能―オレキシンと糖代謝
 (笹岡利安・恒枝宏史)
 ・睡眠と糖代謝異常
 ・睡眠障害による耐糖能異常の機序
 ・睡眠障害によるエネルギー消費の低下機序
 ・オレキシンのエネルギー・糖代謝調節作用
 ・オレキシンと加齢によるインスリン抵抗性
 ・オレキシンとうつによるインスリン抵抗性
 ・オレキシンと肥満によるインスリン抵抗性
 ・覚醒時のオレキシン作用の増強による耐糖能異常の改善
 ・睡眠時のオレキシン作用の阻害による耐糖能異常の改善
 ・今後の展望
13.睡眠障害から探る睡眠・覚醒制御機構
 (西野精治・酒井紀彰)
 ・睡眠障害の国際分類
 ・睡眠障害の遺伝負因
 ・不眠症と睡眠覚醒制御機構
 ・睡眠薬と不眠症の病態生理
 ・過眠症と睡眠覚醒制御機構
 ・筋強直性ジストロフィー(DM1)での過眠
 ・覚醒系薬剤と過眠症の病態生理
14.オレキシンニューロンの下流でナルコレプシー症状抑制に関与している神経経路
 (長谷川恵美)
 ・オレキシンによる睡眠・覚醒調整
 ・オレキシンニューロンの直接の下流でナルコレプシーを抑制する脳領域の探索
 ・背側縫線核はカタプレキシーを,青斑核は睡眠発作を抑制する
 ・背側縫線核,青斑核の人為的活性化はナルコレプシーを抑制する
 ・同定した下流ニューロンの標的脳領域の探索
15.レム睡眠行動障害(RBD)のメカニズム
 (本堂茉莉・上田壮志)
 ・REM atonia―脳が夢をみていても,身体は動かない
 ・レム睡眠行動障害(RBD)の臨床的特徴
 ・RBDは認知症と関係する
 ・RBD治療の現状
 ・REM atoniaのメカニズム
 ・RBDモデル動物

 サイドメモ
  光遺伝学的手法(opotogenetics)
  薬理遺伝学的手法(chemogenetics)
  連鎖解析
  全エクソーム解析
  徐波量(デルタパワー)
  エピソード時間
  樹上突起スパイン
  Hebb型可塑性
  シナプティックスケーリング
  化学遺伝学とDREADDシステム
  ドパミンと睡眠覚醒
  チャネルロドプシン
  薬理遺伝学(化学遺伝学)
  疾患における遺伝要因と環境要因の関係
  機能を考慮した種々の睡眠調節機構
  睡眠発作
  カタプレキシー
  REM atoniaとREM sleep without atonia(RWA)
  睡眠時随伴症
  シヌクレイノパチー(synucleinopathyあるいはα-synucleinopathy)