やさしさと健康の新世紀を開く 医歯薬出版株式会社

はじめに
 坂元亨宇
 慶應義塾大学医学部病理学教室
 病理診断は,がんの診療における最終診断として治療方針の決定に重要であるのみならず,画像所見・治療効果・予後などの膨大な臨床情報との対応に関する知見が蓄積されてきている.そして分子生物学の進歩に伴い,がんの病態が分子レベルで明らかになる中,病理診断においても形態診断に加えて分子診断がつぎつぎと取り入れられつつあり,個々により詳細な診断を行い,それに基づき最適な治療を行うことが可能となってきている.とくに近年,膨大なゲノム情報とそれを解析する道具,そしてデータを処理する情報科学の進歩により,実際病理医が観察している病変部において,どの遺伝子や分子がどれだけ発現しているかを解析することが可能となり,量的な制約が多いヒトの組織で限られた数の遺伝子の解析しかできなかった時代からは考えられないスピードで,悪性度などの病理像を規定する遺伝子,予後を予測する遺伝子,治療選択に直結する遺伝子などが同定されつつある.これらの進歩は今まさに,新たな診断学,疾患分類,疾患の理解を生み出そうとしている.
 本別冊では,そのような分子病理診断の新展開について,4つの観点から編集した.まず,分子病理診断に直結する研究として,病理材料を用いたゲノム・トランスクリプトーム・プロテオーム研究の現状,最先端を紹介する.分子診断の実践と展開では,形態診断に加えて分子診断が病理診断に重要なウェートを占める腫瘍の診断とともに,糖鎖異常やメチル化異常という新たな指標によるがんの悪性度や発がんリスク診断を紹介する.つぎに個別化治療の観点から,早期がん,悪性度,薬剤感受性,リンパ節転移の分子病理診断の現状,試みを紹介する.そして近年急速に発展を遂げている分子標的治療に関連して,遺伝子・分子異常を検出する分子病理診断の役割について紹介する.
 はじめに(坂元亨宇)
病理材料を用いたゲノム・トランスクリプトーム・プロテオーム研究
 1.がんのゲノミクス・エピゲノミクス(春木茂男・他)
  ・病理材料(外科摘出標本)からのDNA採取
  ・アレイ CGH解析による増幅領域・欠失領域の同定
  ・LRP1B
  ・最近の報告
  ・オリゴアレイによるホモ欠失同定の実際
  ・臨床におけるトピック
 2.病理材料を用いたSAGE法によるトランスクリプトーム解析(大上直秀・安井 弥)
  ・SAGE法の原理
  ・病理材料を用いたトランスクリプトーム解析
  ・大腸癌におけるSAGE解析
  ・乳癌におけるSAGE解析
  ・胃癌におけるSAGE解析
 3.がんのプロテオーム解析の現状と展望(近藤 格)
  ・プロテオーム解析の現状
  ・なぜがん研究においてプロテオーム解析は重要なのか
  ・病理学とプロテオーム解析
  ・新しいプロテオーム解析の台頭―抗体を基盤とするプロテオーム解析
分子診断の実践と展開
 4.骨軟部腫瘍における染色体・遺伝子異常の診断学的意義(久岡正典)
  ・骨軟部腫瘍における腫瘍特異的染色体・遺伝子異常
  ・骨軟部腫瘍における腫瘍特異的染色体相互転座・融合遺伝子の検出法
  ・骨軟部腫瘍にみられる他の遺伝子異常
  ・これからの展望
 5.悪性リンパ腫の分子病理診断―実践と展開(市村浩一・吉野 正)
  ・遺伝子診断の実践
  ・DLBCLにおける遺伝子異常と層別化の試み
 6.小児腫瘍における分子病理診断の役割(中川温子)
  ・横紋筋肉腫(Rhabdomyosarcoma:RMS)
  ・Ewing肉腫ファミリー腫瘍
  ・神経芽腫
 7.脳腫瘍(グリオーマ)における分子病理診断―分子解析の現状と治療法を示唆するMGMT発現評価法を中心として(田中伸哉)
  ・グリオーマの大規模遺伝子解析
  ・オリゴデンドログリオーマの遺伝子変異
  ・テモゾロマイド(TMZ)の治療効果を抑制するMGMT発現
  ・MGMTの免疫組織化学法(immunohistochemistry:IHC)
  ・グリオーマ幹細胞と今後の展開
 8.糖蛋白異常の分子病理診断への展開(米澤 傑・他)
  ・ヒト腫瘍におけるムチンコア蛋白の発現状況とその臨床病理学的意義
  ・ヒト腫瘍におけるムチンコア蛋白の発現機構
  ・ヒト癌におけるムチン型糖鎖の異常
 9.DNAメチル化異常の分子病理診断への展開(新井恵吏・金井弥栄)
  ・DNAメチル化を指標としたがんの分子病理診断
  ・網羅的 DNAメチル化解析を基盤とした発がんリスクおよび予後予測指標の探索分子病理診断と個別化治療
 10.早期がんにおける分子病理診断(林 雄一郎・坂元亨宇)
  ・早期肺腺癌
  ・早期肝細胞癌
 11.ヒト悪性腫瘍におけるYB-1およびCXCR4発現と悪性度の指標(小田義直)
  ・転写因子YB-1
  ・骨軟部腫瘍および卵巣癌におけるYB-1発現
  ・ケモカインレセプターCXCR4発現とVEGF発現および血管新生との関係
  ・骨軟部腫瘍におけるCXCR4発現
 12.薬剤感受性の病理診断(落合淳志)
  ・薬剤感受性にかかわる分子機構
  ・薬剤の代謝ならびに癌組織環境
  ・薬剤の種類
  ・癌細胞における薬剤耐性機構
  ・分子標的薬
 13.リンパ節転移の分子病理診断(松浦成昭・伊東絵望子)
  ・癌の治療におけるリンパ節郭清の意義
  ・リンパ節転移の病理診断の問題点
  ・分子病理診断の有効性と問題点
  ・新しい分子生物学的方法OSNA法の開発とリンパ節転移迅速診断法への応用
分子病理診断と分子標的治療
 14.乳癌の分子病理診断(梅村しのぶ)
  ・Growth factor receptors
  ・Triple negative breast cancer(TNBC),basal-like breast cancer(BLBC)とあらたな標的分子の探索
 15.リンパ系腫瘍の分子標的治療―B細胞リンパ腫の抗体療法を中心に(飛内賢正)
  ・リンパ系腫瘍の抗体療法と病理診断
  ・抗体薬以外の分子標的薬
 16.間葉系腫瘍―GISTの分子病理診断(長谷川 匡)
  ・GISTの臨床病理学的特徴と悪性度評価
  ・c-kitおよび PDGFRα遺伝子異常
  ・その他の遺伝子異常
 ・サイドメモ目次
  Oncogene addiction
  RNA干渉(RNA interference)
  B細胞性リンパ腫の遺伝子再構成と染色体転座
  転写制御型と融合遺伝子型
  組織標本を用いたFISH法の有用性
  MGMT免疫染色法のポイント
  エピジェネティクスによる遺伝子発現制御
  OSNA法(one-step nucleic acid amplification method)
  リツキシマブ耐性とCD20抗原