やさしさと健康の新世紀を開く 医歯薬出版株式会社

はじめに

 防衛医科大学校第一外科学講座 市倉 隆

 『医学のあゆみ』としては比較的めずらしい外科系の特集である.外科の基本は art & scienceとよく言われる.技術(art)なくして外科手術は成り立たないが,それを支えるのは scienceでなければならない,と解釈される.しかし外科が医学という学問の一部門として認知されたのはそれほど昔のことではない.外科はラテン語で chirurgiaであるが,この語源は cheiro(手)と ergon(業・わざ)とされる.
 古代の医術は僧職と結びついており,彼らは血液や膿汁で自分の手を汚すことを嫌ったため内科的治療のみを行い,外科的処置は身分の低い治療師に委ねられた1).中世に至っても創処置や四肢切断などの外科的処置は理髪師と兼業する床屋外科医(barbersurgeon)が担当していた.現在,理髪店でかならず見かける赤・青・白の標識は,それぞれ動脈・静脈・脂肪(包帯という説もある)を象徴するものだといわれる.16 世紀半ば,近代外科の父と呼ばれ,“私が処置をし,神がこれを癒し給うた”で有名な,フランスの Ambroise Par<CODE NUM=008E> が登場する.彼は鉄砲創の弾丸を取り出すための鉗子などを考案し,四肢切断の際の止血法として血管を糸で結紮する方法を開発した.さらに外科的処置,解剖などに関する多くの書物を記し,これらは後に全集として出版された.このころから外科も徐々に学問としての道を歩みはじめ,18 世紀にはフランスやドイツで外科を学ぶための学校が創設された.これに伴い,外科医の地位もすこしずつ内科医に近づいていった.19 世紀に入り,麻酔および制腐消毒の開発により外科は飛躍的に発展し,scienceとして確立された.
 オックスフォードの辞書に,surgeryは“the branch of medicine concerned with treatment of injuries or disorders of the body by incision,manipulation or alteration of organs etc.,with the hands or with instruments”と記載されている.Par<CODE NUM=008E> の結紮止血法や鉗子類の開発をはじめとして,外科は handsおよび instruments両面で進歩してきたし,現在でも進歩し続けているが,20 世紀後半の epoch-makingな出来事といえば人工臓器,臓器移植,そして鏡視下手術の開発があげられよう.人工心肺による開心術,人工血管や人工弁,ペースメーカーなどは循環器外科のめざましい発展をもたらし,人工呼吸器の登場は開胸手術や大侵襲手術の術後管理をより安全なものとした.1987 年に腹腔鏡下胆嚢摘出術の第1例が行われて以来,鏡視下手術は外科系のあらゆる領域に急速に広まっていった.
 世界から大幅に遅れをとったわが国の脳死臓器移植も,今ようやく軌道に乗りつつある.しかし臓器移植におけるドナー不足はわが国に限らず深刻な問題であり,代わって期待がかかるのが21世紀の花形ともいえる再生医学と組織工学である.クローンや ES細胞を使った臓器の再生は倫理的な問題をクリアするのにまだ時間を要すると思われるが,組織工学による臓器再生はすでに1980年代に皮膚で臨床応用が開始され,骨,軟骨,血管,神経でも臨床応用が進みつつある.
 さらに今世紀に外科領域で期待されるものとしてあげておかなければならないのは,手術にかかわる医用工学技術や情報工学技術の進歩である.内視鏡下手術の発展型ともいえる robotic surgeryや telesurgeryなど,つい最近まで夢物語であったものが現実化しつつある.
 固形癌に対する治療では画一的な定型手術から各症例の進行度に応じた多様な手術が行われ,オーダーメイドとまではいかないがイージーオーダー手術といった様相を呈している.臓器や機能を温存する縮小手術への navigatorとして sentinel node conceptが応用されるようになったが,この際に micrometastasisや isolated tumour cells,さらには遺伝子レベルでの転移の術中検索は避けて通れない問題である.進行癌では拡大手術が一定の成績を残す一方で,その限界も見えてきた現在,遺伝子治療をはじめとする新しいアプローチに期待がかかる.
 輸液・輸血,栄養管理,麻酔など周術期管理の進歩がこれまでの外科手術の発展に大きく貢献してきた.臓器移植や癌に対する過大侵襲手術では術後合併症対策が必須であり,臓器不全のメカニズムや対策といった外科侵襲学の進歩が外科治療のさらなる発展を支えていくという点を再認識しておきたい.
 外科医療が細分化されてきた今日,内科系の医師はもとより,外科系の医師であっても他の外科領域の進歩を新聞やテレビではじめて知ったり,あるいは患者から聞かされたりすることは少なくない.今回の特集は“先端外科医療の最前線”という企画であるが,きわめて広範囲な外科領域すべての進歩をカバーすることは到底不可能である.編集協力者の先生方に各領域のトピックスをあげてもらい,そのなかから比較的他領域からも興味を惹きそうな話題を採り上げるよう心がけたD執筆を依頼するにあたり,他科の先生が読んでも理解できるよう,過度に専門的とならないような記述をお願いした.読者の皆様にはこの領域ではこんなこともやっているのか,といった程度の読み物として楽しんでいただき,さらにそれをご自身の臨床・研究の一助としていただければ望外の幸せである.
 最後に,外科医療のいっそうの発展を期待するとともに,ご多忙のなかご執筆をお引き受けくださった先生方に厚くお礼申し上げたい.
 1)高山坦三:西洋外科史.現代外科学大系(木本誠二監,石川浩一・他編).中山書店,1973,pp. 3-31.
 はじめに 市倉 隆

総論
■全身管理
 1.侵襲に対する生体反応の分子機構 小川道雄
 2.臓器不全の発症機構―とくに消化器外科術後の臓器不全を中心に 小野 聡・他
 3.臓器不全の対策 射場敏明・木所昭夫
 4.免疫栄養 橋口陽二郎・望月英隆
 5.酸素輸液(人工赤血球) 土田英俊・他
■麻酔
 6.TCI-新しい麻酔薬投与方法 尾崎 眞
 7.新しい麻酔関連薬剤 武田純三
■腫瘍外科
 8.癌の遺伝子治療 藤原俊義・田中紀章
 9.Tumor dormancy therapyの展望 磨伊正義・高橋 豊
 10.Sentinel node navigation surgery-消化器癌への応用の可能性 市倉 隆・他
 11.微小転移の術中検出―再発しない癌手術をめざして 白石 猛・森 正樹
 12.癌治療ガイドライン 上西紀夫
■先端技術・手術機器
 13.新しい消化管自動吻合器 松田 年・葛西眞一
 14.鏡視下手術器械の進歩 森 俊幸・跡見 裕
 15.Robotic surgeryの現状と展望 富川盛雅・橋爪 誠
 16.遠隔手術支援システム 大橋秀一
 17.遠隔低侵襲手術システムの開発 光石 衛
 18.Virtual realityと外科 林部充宏・他
■その他
 19.クリニカルパス―クリニカルパスによる医療改革 針原 康・小西敏郎

各論
■一般外科
 20.日帰り手術―費用対効果の優れた外科医療システムの構築 白神豪太郎
 21.鼠径ヘルニア手術―変わりつつある術式 冲永功太
 22.乳癌治療の最前線―内分泌療法の最近の知見 飯野佑一・鯉淵幸生
■消化器外科
 23.喉摘・咽頭食摘後の音声再建 野崎幹弘・他
 24.内視鏡的粘膜切除術(EMR)とは?―“リンパ節転移の可能性のない”と思われる病変を“一括切除”する必要性とその手技 後藤田卓志・佐野 武
 25.胃全摘後の機能的再建 小川敏也・他
 26.肝癌局所療法の展開―長期予後に基づいた治療法の選択 皆川正己・幕内雅敏
■心臓血管外科
 27.CABGの新しいスタンダード 遠藤真弘・冨澤康子
 28.心臓移植へのVAS-その適応と問題点 許 俊鋭・西村元延
 29.血管再生 日比野成俊・新岡俊治
 30.心筋組織に対する再生医療 清水達也
■呼吸器外科
 31.気管再生 小島宏司
■脳神経外科
 32.脳外科における術中ナビゲーション(MRI) 伊関 洋・村垣善浩
 33.脳腫瘍の遺伝子治療―最近の動向 藤堂具紀
■整形外科
 34.骨と関節への再生医療の臨床応用 高倉義典
 35.組織工学的手法を用いた関節軟骨修復―アテロコラーゲンゲル包埋自家培養軟骨細胞移植術 安達伸生・越智光夫
■形成外科
 36.バイオ人工皮膚―皮膚の再生医療 熊谷憲夫
 37.超微小血管吻合術と低侵襲再建術―キメラ型組織移植術の開発 光嶋 勲・難波裕三郎
■歯科口腔外科
 38.培養骨の臨床応用を中心に―培養システム,術式,臨床結果 岡崎恭宏・上田 実
■サイドメモ目次
 一塩基置換(スニップ)
 侵襲に対する個体差
 抗凝固療法による敗血症治療の試み
 周術期免疫栄養は術前か術後か
 実測濃度と計算濃度の差
 ロクロニウム
 X連鎖性重症複合免疫不全症(X−SCID)の遺伝子治療における有害事象
 Metronomic chemotherapy
 No−touch isolation technique
 拡大予防手術
 PDQ(Physicianユs Date Qery)
 自動吻合器
 手術器械の自由度
 プログレッシブ方式
 マスタースレーブ型手術支援ロボット
 遠隔手術支援ネットワーク
 クリニカルパスが注目を集めている理由
 ラリンジアルマスク
 Tension−free
 エストロゲンレセプターの作用機構
 切開・剥離EMR法
 肝機能の評価と肝切離範囲
 CABGの巨星逝く
 心臓移植以外の治療
 細胞シート工学
 医療トレーサビリティ
 ウイルス療法の原理
 増殖性単純ヘルペスウイルスI型の特徴
 自家骨髄間葉系幹細胞
 キメラ型遊離合併組織移植術の応用
 デンタルインプラント