やさしさと健康の新世紀を開く 医歯薬出版株式会社

はじめに

 東京大学大学院医学系研究科腎臓・内分泌内科 藤田敏郎

 高血圧は日常の診療においてしばしばみられる病気であり,わが国における主要死因である心血管疾患のもっとも重要な危険因子である.高血圧を放置すれば脳卒中,心不全,腎不全に至らしめ,一方,薬物療法により血圧をコントロールすれば,これらの致死的疾患の発症を予防できることも,1960 年代に行われた大規模臨床試験の Veterans Administration Cooperative Study(VA)研究以来明らかになった.“血管は歳とともに老ゆ”ということわざがあるように,高血圧は年齢層の増加とともに増える.現在わが国では世界に類をみないスピードで高齢化社会を迎えているので,高血圧の治療と予防の対策は急務の課題である.本特集“高血圧のすべて”は時宜を得た企画といえよう.
 高血圧の発症には遺伝素因とともに環境因子が関与しており,社会の文明化に伴う生活習慣・様式の変化が重要な役割をしていることから,糖尿病や高脂血症とともに生活習慣病とよばれている.これらの疾患は common disease であるので,しばしば合併する.とくに,高齢者の高血圧患者においては糖尿病や高脂血症などの他疾患や脳・心・腎の臓器障害を合併していることが多い.治療にあたっては,過度の降圧に伴う臓器循環不全や降圧薬の代謝系への副作用が起こりやすいので,降圧薬の選択と使用量には注意を払う必要がある.
 しかし,副作用を恐れるがあまり不十分な降圧をするのでは,心血管合併症の発生予防効果が低下してしまう.そのことは近年の大規模臨床試験によって示されている.その一例として,糖尿病患者の降圧目標がこの数年でより厳しくなっていることがあげられる.1997 年のアメリカ高血圧合同委員会第 6 次報告(JNC−VI)および 1999 年世界保健機関/国際高血圧学会(WHO/ISH)のガイドライン,2000 年のわが国の高血圧ガイドライン(JSH)では降圧目標を 130/85 未満としている.さらに,2002 年アメリカ糖尿病学会(ADA)ではエビデンスに基づいて 130/80 未満の厳格な血圧管理を推奨している.糖尿病を伴うハイリスク高血圧患者では,厳格な血圧管理の重要性が強調されている.目標血圧値は低ければ低いほどよい“the lower, the better”を支持するエビデンスが集積している.しかし,近年の evidence based medicine(EBM)は大規模臨床研究から得られた科学的データに基づいた診療を基本にしているが,同時に患者個々の状態を十分に考慮したものでなくてはならない.年齢,合併症,臓器障害の程度などを考慮したうえで,患者それぞれに最適な降圧目標を設定し,患者ともども目標に向かって進むことが重要である.
 高血圧の遺伝子解析研究の進歩は急速である.本態性高血圧は多因子遺伝病であり,複数の遺伝子の小さな変化により形成される遺伝素因保有者が,長年にわたる生活習慣などの環境因子によって発症する疾患群である.これに対して,単一遺伝病(Mendel 遺伝病)の二次性高血圧は,ゲノム全体を対象とした連鎖解析(linkage analysis)とポジショナルクローニング(positional cloning)により,現在までに Liddle 症候群など数十の二次性高血圧の原因遺伝子が明らかにされてきた.それにより診断が確実かつ容易になり,また遺伝子変異と表現型の関係なども理解できるようになってきた.将来,遺伝子治療への展望も開けるであろう.しかし,そのほとんどすべてはまれな単一遺伝子病の高血圧である.
 これに対して,多因子遺伝の本態性高血圧ではその成果は限られている.数多くの遺伝子多型と高血圧との関連研究(association study)が行われてきたが,高血圧との明確な関連を示す遺伝子多型は現在のところ認められていない.
 そのなかでもアンジオテンシノーゲン遺伝子の M235T 多型の関与を示す報告は多いが,これに対しても反論があり,正確な結論を出すためにはより大規模の遺伝疫学的手法が必要である.レニン−アンジオテンシン系以外にも高血圧の成因に関与している可能性が高いと考えられている物質に関して,その遺伝子を遂次検討していく候補遺伝子アプローチ(candidate gene approach)が進められている.
 一方,シークエンスが明らかにされたヒトゲノムの構造の個人差から,ゲノム上に存在している一塩基変異(single nucleotide polymorphisms:SNPs)を検索し,SNP マップといわれる地図を基準に,高血圧と連鎖する座位を機械的に決定していくゲノムワイドスキャン(genome−wide scan)が近年進行している.その結果,二次性高血圧などの単一遺伝子の原因遺伝子は 2〜3 年以内にほとんど明らかになりそうである.また,本態性高血圧などの多因子遺伝病の解析においても大きな武器になることは間違いない.Page 博士のモザイク説以来の高血圧成因研究は,レニンやアドレナリンに端を発し,血管作動性物質がつぎつぎと発見されて 1970〜1980 年代に隆盛を迎えCその後衰退していたが,時を経てヒトゲノム構造の解明によってふたたび脚光を浴びることになった.
 高血圧や糖尿病などの common disease では,疾患関連遺伝子がみつかれば,これまでの疾患の診断法や予防法とは異なり,個々人の遺伝子情報に基づいたオーダーメイド医療や健康管理が可能になる.すなわち,高血圧治療における生活習慣改善の効果予測にも有用である.たとえば,食塩感受性の遺伝子診断が可能となれば,効果的な減塩指導を行うことが可能となる.また,原因遺伝子がわかれば,その分子病態を解明する過程において新薬を開発することが可能となる.さらに,より新しい方法としてヒトゲノム情報からターゲットとする部分を買い取り,コンピュータ上で創薬を行うことができる.このような,ヒトゲノム情報をもとに新薬の開発を行おうとするゲノム創薬は,従来の創薬に比べてはるかに効率的な新薬の開発を可能にする.これは,企業にとっては大きなビジネスチャンスである.そのため,アメリカをはじめ先進国では複数のゲノムベンチャーがこの領域に参入しており,現在世界の創薬企業はゲノム創薬の熾烈な戦場にある.
 わが国においても産・学・官の連携のもと,高血圧遺伝子解析の研究のさらなる発展により,高血圧の根本的予防と治療法が一刻も早く確立される日が来ることを期待したい.
 本特集では高血圧の最近の進歩について,この方面の第一人者の先生方にご執筆いただいた.心より厚く御礼申し上げたい.
 本特集“高血圧のすべて”の内容が実地医家の先生方の日ごろの診療に役立つとともに,多くの若い研究者に刺激を与え,近い将来,高血圧の成因研究の担い手が現れることを期待している.
はじめに 藤田敏郎

■高血圧の基礎
1.高血圧原因候補遺伝子――遺伝性高血圧症の原因遺伝子と本態性高血圧症感受性に関連する候補遺伝子 勝谷友宏・荻原俊男
2.高血圧における疾患遺伝子検索の意義――テーラーメイド医療とSNPs 加藤規弘
3.遺伝子操作モデル動物 栗原裕基
4.レニン−アンジオテンシン系 堀内正嗣
5.アルドステロンの新世紀――心血管リスクホルモンとしてのアルドステロン 宮森 勇
6.ナトリウム利尿ペプチド系 宮下和季・他
7.エンドセリン 新藤隆行
8.臓器保護因子としてのアドレノメデュリン――降圧作用を越えて 下澤達雄・他
9.レプチン――肥満に合併する高血圧における病態生理的意義 阿部 恵・小川佳宏
10.アラキドン酸代謝産物 森田育男
11.Heme oxygenase−CO系による血管トーヌスの調節と高血圧病態 末松 誠・梶村真弓
12.高血圧とNO――成因から治療まで 平田恭信
13.活性酸素と高血圧――NAD(P)Hオキシダーゼの役割を中心として 深井真寿子
14.高血圧による血管リモデリングのメカニズム――メカニカルストレスによって誘導されるシグナル経路 南野 徹・小室一成
15.血管細胞のアポトーシス――血管平滑筋細胞と内皮細胞のアポトーシスの機序と病態生理的意義 佐田政隆
16.高血圧における交感神経系の役割 熊谷裕生・他
17.酸化LDL受容体 長瀬美樹
18.G蛋白質シグナルのアンバランスと高血圧 飯利太朗・槙田紀子
19.血管リモデリングと転写因子――血管病変の形成を調節する分子機構 倉林正彦
20.細胞内カルシウム――高血圧の病態における血管細胞内カルシウム調節異常 一色政志
21.インスリン抵抗性と高血圧 荻原健英・浅野知一郎

■高血圧の臨床
22.家庭血圧――大迫研究の結果を中心に 寳澤 篤・今井 潤
23.夜間血圧とその臨床的意義 青木弘貴・島田和幸
24.白衣高血圧 松岡秀洋・今泉 勉
25.食塩感受性高血圧の遺伝子異常 要 伸也
26.妊娠高血圧――新しい遺伝子異常 高橋克敏
27.小児高血圧 内山 聖
28.大動脈脈波速度 (AoPWV) 高沢謙二
29.大規模臨床試験の意義と限界 築山久一郎・他
30.高血圧治療ガイドライン2000年版――JSH2000の特色と問題点 松村 潔・阿部 功
31.高血圧療法におけるライフスタイル是正の有効性 滝内 伸・河野雄平
32.患者のコンプライアンス 芦田映直
33.臓器保護と降圧目標値 桑島 巌
34.高血圧治療の医療経済 山崎 力
35.降圧利尿薬 安東克之
36.降圧薬としてのβ遮断薬――大規模臨床試験に基づきオーダーメイド医療をめざす 高橋文彦・菊池健次郎
37.カルシウム拮抗薬 松岡博昭
38.ACE阻害薬 楽木宏実・荻原俊男
39.アンジオテンシンII受容体拮抗薬 日和田邦男
40.高血圧と心疾患――高血圧はなぜ心疾患の危険因子なのか 望月正武
41.高血圧と腎障害――腎障害におけるレニン−アンジオテンシン系の役割 伊藤 修・伊藤貞嘉
42.高血圧と脳血管障害 松本昌泰
43.糖尿病に合併した高血圧の病態と薬物療法の進め方 片山茂裕
44.女性ホルモンと高血圧 秋下雅弘・大内尉義
45.高齢者高血圧の治療ガイドライン――高齢者高血圧の治療方針と問題点 荻原俊男
46.分子治療による高血圧に対するあらたなチャレンジ 冨田奈留也・森下竜一
47.ゲノム創薬と薬理ゲノミクス 田中利男

サイドメモ目次
 遺伝子変異と遺伝子多型
 多型解析とその解釈――ACE遺伝子座のI/D多型の例
 AT1受容体,AT2受容体シグナルクロストーク
 11β水酸化ステロイド脱水素酵素 (11βHSD)
 治療薬としてのナトリウム利尿ペプチドとNEP阻害薬
 トランスジェニックマウス/ノックアウトマウス
 酸化ストレスの指標と問題点
 レプチン抵抗性
 Gap junction
 エンドセリン受容体拮抗薬と内皮機能
 インテグリンシグナル伝達におけるFAK
 アポトーシスとネクローシス
 cAMP反応エレメント結合蛋白 (CREB)によるeNOS遺伝子の発現調節
 Capacitative Ca2+entry
 インスリン抵抗性とその評価
 パーソナリティと家庭血圧値
 白衣正常血圧
 出産後に血圧が上昇したら
 子宮内環境と高血圧
 最近の高血圧に関する大規模臨床成績のメタアナリシス
 RENAAL研究とLIFE研究
 コンプライアンス
 CYPを介する薬物相互作用
 カルシウム拮抗薬の費用効果比
 HOPEとPROGRESS
 アルドステロンエスケープ現象
 腎内アンジオテンシンIIの起源
 Brain attack (脳発作)
 インスリン抵抗性を改善する降圧薬は糖尿病の新規発症を減少させる
 動脈硬化性疾患とHRT
 高齢者高血圧の大規模介入試験
 核酸医薬とは