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虚血性心疾患の21世紀への展望

 秋田大学医学部第二内科学教室 三浦 傅

 かつては,狭心症発作を起こして緊急に病院に運ばれた症例はニトログリセリンの舌下投与で急場をしのぐ程度の治療しかできず,虚血性心疾患の予後を改善することは短期・長期ともきわめて困難な時代が長く続いた.
 ニトログリセリンは狭心症には効果が認められていたが,急性心筋梗塞には禁忌とされていた.狭心症発作を起こして来院しニトログリセリンが舌下投与されたが結果的には心筋梗塞に至 った症例について,狭心症と心筋梗塞の区別もつかないのかと若い医師が先輩から叱責される,適応と禁忌の境界がきわめて曖昧な時代があった.これには肝心の虚血性心疾患の病態生理が定かではなかったことが原因のひとつとして大きい.
 20世紀も後半に入り,β遮断薬,カルシウム拮抗薬,硝酸薬などの主要な抗狭心症薬が出揃って,ようやく狭心症の治療がはじまったといっても過言ではない.
 以前より基礎的検索が行われていた虚血性心疾患の病理・病態の解明は,冠動脈造影などの普及により臨床的にも急速に展開するところとなった.冠動脈バイパス術が一時期全盛をきわめたが,あらたな血栓溶解薬の開発は血栓溶解療法を生み,続いて経皮的冠動脈拡張術が開発されるに至った.その背景には心エコー,心筋シンチグラム,心・冠動脈造影をはじめ,さまざまなME機器の開発・普及がある.
 1962年のWHO分類にはじまった虚血性心疾患の分類も,1975年のAHA分類,さらに1979年のISFC/WHOによる分類,そして1992年にはICD-10分類が提唱され,これにカナダ心臓病学会によるCCSC分類の併用などにより,さまざまな形で表現され,病態に結びついた形でとらえられるようになった.
 虚血性心疾患を生じる病因・病態がしだいに明らかになるとともに,それまでは個別に論じ対処されていた不安定狭心症,急性心筋梗塞,およびその延長線上にある心臓性突然死/心臓性急死をひとつの病態として包括した急性冠症候群の概念が提唱されたことは特筆に値する.この一連の病態において障害された冠循環を改善するために,血栓溶解療法,冠動脈バイパス術,経皮的冠動脈拡張術などの冠血行再建術が現在広く普及している.とくに経皮的冠動脈拡張術の展開には目をみはるものがある.当初本法の適応は厳しく限定されていたが,ステントや各種アテレクトミーなどの登場により罹患冠動脈の拡張は容易かつ確実になり,この分野の開発には枚挙に暇がない状態である.遺伝子生物学を応用して再狭窄を防ぐ方策が現在精力的に開発され,虚血に対する生体の防御機構である冠副血行路の発達を促す治療法も実施されており,さらに冠血管新生療法も開発中である.
 ここにその一端を述べたように,20世紀後半における虚血性心疾患の病理・病態の解明から治療に至る展開は,予測をはるかに超えた急速な発展をみせている.現在ではさまざまな治療法を症例にあわせ適宜選択できる,いわば技術万能の世の中となってきた.これは御同慶の至りではあるが,はたして本当に喜ばしいことといえるのであろうか.たとえば,冠動脈狭窄の改善に熱中するあまり,難しい部位へのステント数を誇るような,木を見て森を見ない安手のトンネル工事のような医療が間々あるのは悲しいことである.
 いったい,病気が治るとはどのようなことをいうのであろうか.一般には,風邪が治った,あるいは完治したなどと気軽に話すことが多い.このような意味ではたしかに誰も疑いをもたないであろう.しかし,ある程度以上に進行した場合,どのような状態に改善した,あるいは至ったときに治ったと判定するのであろうか.医師のいう治癒と患者や家族の求める治癒との間には,内容的にかなりの相違・ずれのあることが少なくないため,患者や家族に十分な理解を得たうえで医療を受けてもらうことは容易ではない.主治医にとって,その人の人生のなかでのほんの一断面にすぎない身体状況から,時々刻々移り変わる人生とのバランスを,心身にわたり考慮し的確に評価することは非常に難しい課題である.
 また,一定のレベルに回復するまでの期間によってもさまざまな問題が生じる.高齢者では入院時に治療の対象となった疾患は治ったものの,治療に要した安静臥床の期間によっては運動能力の著しい低下や知的レベルの低下が現れる.結果的にはまったくのボケ老人と化し,自宅に戻ることもかなわなくなるなど,あらたにさまざまな障害が派生し,それからの人生を大きく狂わせることも少なくない.先人のいうように,医療は疾患のみをみるのではなく,各症例の人生を踏まえた全体像に十分に思いをいたすとともに,本来症例がもつ心身の活力をいかに維持し治療に生かすかが大切である.
 昨今,いわゆる尊厳死なる言葉が世間を席巻している.しかし,現実には厳格な意味での尊厳死を論じることはまれで,患者が気の毒であるとか可哀想でみていられないなどの感情論にすり替えられた,一見正論風のまやかしの論理で治療の中断を求めるやり方がまかり通る時代となった.嘆かわしいことである.肉体的苦痛は自他ともにたしかに辛いのではあるが,“鬼手仏心”という言葉はいまも生きている.症例の全体像をとらえ,各例における治癒の意味/意図するところに思いをいたす医療がいまこそ求められている.
 虚血性心疾患に対する20世紀の医療は,発症した眼前の症例をいかに治療するかに主体があったが,これからの医療は発症以前にいかに対処・予防するかにその主体を移すことにある.
 21世紀の医療ははたしてどのような展開をみせるのであろうか.
 虚血性心疾患の21世紀への展望 三浦 傅
■虚血性心疾患の病態生理における21世紀への展望
 〔冠危険因子と虚血性心疾患の発生機序〕
 1.糖尿病の虚血性心疾患発生機序 山田信博
  Pathophsiology of ischemic heart disease in diabetes mellitus
  ○エネルギー蓄積病態
  ○糖尿病の粥状動脈硬化症
  ○インスリン抵抗性
  ○脂質代謝異常と重複症候群
  ○展望
 2.高脂血症と冠動脈硬化発症機構―酸化LDLとその受容体の役割 新保昌久・島田和幸
  Hyperlipidemia and coronary atherosclerosis-role of oxidized LDL and its receptor
  ○動脈硬化の形成機序と構成細胞
  ○動脈硬化発症における酸化LDLの役割
  ○プラークの不安定化と酸化LDLの役割
  ○血管内皮細胞のLDL受容体
 3.虚血性心疾患発症・進展における高血圧の役割 土田哲人・島本和明
  The role of hypertension on the progress of ischemic heart disease
  ○高血圧による動脈硬化進展の機序
  ○高血圧による左室肥大(心室リモデリング)進展の機序
  ○21世紀への展望
 〔血管作動物質からみた虚血性心疾患〕
 4.組織レニン-アンジオテンシン系と虚血性心疾患のあらたな展開―病態生理に基づいたACE阻害薬とAT1拮抗薬の展望 松原弘明・岩坂壽二
  New therapeutic strategy of ACE inhibitor and angiotensin II receptor antagonist in iscemic heart disease
  ○組織レニン-アンジオテンシン系の役割
  ○AT1・AT2受容体の基礎知識
  ○心筋リモデリングにおけるAngII受容体の発現調節
  ○AT1受容体を介する病態・生理作用
  ○AT2受容体を介する病態・生理作用
  ○AT1受容体拮抗薬とACE阻害薬の臨床応用時の使い分けと併用療法
 5.エンドセリンと虚血性心疾患のあらたな展開―エンドセリン受容体遮断薬の展望 酒井 俊・宮内卓
  Endothelin receptor antagonist as a new therapeutic strategy in ischemic heart diseases
  ○ET系とその心血管系への作用
  ○ET拮抗薬
  ○ET-1と虚血性心疾患
  ○動脈硬化と血管形成術後狭窄
  ○冠動脈の攣縮
  ○心筋梗塞・虚血再灌流傷害
  ○心筋梗塞後の心不全
 6.NOと虚血性心疾患―21世紀へ向けての展開 長谷川仁志
  New horizons in NO research-Role in ischemic heart disease
  ○NO合成酵素(NOS)アイソフォームとNOの生理作用についての最近の展開
  ○PTCA後の再狭窄とNO
  ○心筋虚血再灌流傷害とNO
 7.アデノシンからみた虚血性心疾患治療の新展開 北風政史・堀 正二
  New Role of adenosine for the treatment of ischemic heart disease
  ○虚血心筋保護へのストラテジー
  ○心筋虚血が生じる前になにをなすべきか
  ○プレコンディショニング現象
  ○虚血・再灌流中に生じる心筋障害抑止に対しなにをなすべきか
  ○梗塞後慢性心不全に対する対策
 〔凝固線溶系からみた虚血性心疾患〕
 8.凝固線溶系からみた虚血性心疾患の発生機序と21世紀への展望 丸山征郎
  Coagulation and fibrinolytic system in ischemic heart disease-new insight to net century
  ○凝血系と虚血性心疾患の発生病理
  ○凝固線溶系からみた虚血性心疾患の予防と治療
  ○21世紀への展望
 〔感染症からみた虚血性心疾患〕
 9.感染症からみた虚血性心疾患の発症機序と21世紀への展望 島田和典・山口 洋
  Infections and atherogenesis
  ○感染症と動脈硬化症との関連
  ○感染症による虚血性心疾患の発症機序
  ○今後の課題
  ○21世紀への展望
■虚血性心疾患の臨床病態における21世紀への課題
 10.無症候性心筋虚血の病態生理と21世紀への課題 阿部豊彦・三浦 傅
  Pathophysiology of asymptomatic myocardial ischemia and its future directions in the 21th century
  ○心筋虚血が無症候性となる機序
  ○無症候性心筋虚血の診断
  ○無症候性心筋虚血の分類と予後
  ○無症候性心筋虚血の治療
 11.急性冠症候群の病態生理と21世紀への課題 廣 高史・松崎益徳
  Acute coronary syndrome:its current and future perspectives
  ○プラーク破綻の病理学的背景
  ○21世紀への展望―不安定プラークの同定
 12.冠動脈攣縮の病態生理と21世紀への課題 久木山清貴・泰江弘文
  Pathogenesis of coronary spasm,past and future
  ○冠攣縮とNO
  ○攣縮を有する冠動脈におけるNO活性低下の機序
  ○冠攣縮性狭心症と酸化ストレス
  ○21世紀へ残された課題
 13.微小血管性狭心症の病態生理 片桐 敬
  Pathophysiology of microvascular angina
  ○微小血管性狭心症の概念の変遷
  ○微小血管性狭心症の病態生理
  ○微小血管性狭心症の臨床像
  ○微小血管性狭心症の21世紀への課題
 14.高齢者の心筋梗塞 金光政右・竹越 襄
  Myocardial infarction in elderly
  ○高齢者心筋梗塞の特徴
  ○再灌流療法
 15.新しい生体顕微計測法に基づいた血管病変の非観血的高精度計測 小岩喜郎・金井 浩
  Noninvasive high resolution diagnosis of the vascular wall lesion by novel micron-order Doppler method
  ○早期血管病変
  ○血管内粥腫病変
  ○日常臨床の場における“位相差ドプラ法”の可能性
 16.虚血性心疾患におけるPETの新しい展開―病態解明へのアプローチ 石田良雄
  New direction in myocardial perfusion and biochemical imaging with PET:approach to myocardial pathophysiology
  ○冬眠心筋の病態生理
  ○冠微小循環障害の病態生理
■虚血性心疾患治療における21世紀への課題
 17.虚血性心疾患の薬物療法 岸田 浩
  Medical treatment of ischemic heart disease in the twenty-one century
  ○心筋虚血の病態に基づいた治療方針
  ○心筋虚血に対する治療効果
  ○今後の薬物療法の動向
 18.21世紀への再灌流療法の展望 長尾 建・上松瀬勝男
  The view of coronary reperfusion therapy for 21th century
  ○再灌流療法
  ○PACTとFAST臨床試験
  ○今後の再灌流療法の展望
 19.虚血心における不整脈の病態生理と治療 萩原誠久・他
  Mechanism of arrhythmia and its treatment associated with myocardial ischemia
  ○虚血心における不整脈の発生機序
  ○再灌流不整脈
  ○虚血・再灌流不整脈の治療
 〔冠血行再建術における21世紀への課題〕
 20.PTCAにおけるvascular remodelingの意義とその進歩 矢部喜正
  Clinical significance of vascular remodeling,after directional coronary atherectomy
  ○DCAにともなうvascular remodelingの経験
  ○directional coronary athrectomy(DCA)とリモデリング
  ○DCA施行後のvascular remodelingの推移
  ○自験例
 21.薬物療法による再狭窄予防―20世紀のまとめと21世紀への展望 由井芳樹
  Pharmacological prevention of restenosis
  ○薬物療法の現状
  ○過去の主要な薬物療法
  ○今後の薬物療法の方向
 22.血管内放射線療法による再狭窄予防 石綿清雄
  Irradiation and postangioplasty restenosis
  ○放射線を再狭窄予防に使用する合理性
  ○血管内放射線療法に使用する放射性核種とその特性および照射方法
  ○動物実験から臨床試験まで
  ○ステント再狭窄治療
  ○β線の臨床試験
  ○血管リモデリングと放射線治療
  ○放射性ステント
  ○血管内放射線療法の諸問題
 23.冠動脈病変への遺伝子治療 青木元邦・森下竜一
  Gene Therapy for Restenosis
  ○PTCA,PTA(バルーン傷害)後再狭窄に対する遺伝子治療
  ○VEGF遺伝子を用いた遺伝子治療の実際
  ○冠動脈バイパスに対する遺伝子治療
 24.CABGの今後の展開―21世紀への課題 山本 平・細田泰之
  Prospect of CABG in the 21st century:what is the best CABG for patients with coronary artery disese
  ○グラフトの選択
  ○conventional CABGは安全か
  ○off-pump surgery
  ○closed-chest endoscopic robotic CABG-Is this“really“or“fantasy”?
 25.血管新生療法の歴史と今後の展開 内田康美・他
  History and prospect of angiogenic therapy
  ○血行改善の仕組み
  ○血管新生にかかわる増殖因子
  ○自己細胞移植による血管新生療法
  ○遺伝子改変技術を用いた血管新生療法の現況
  ○血管新生療法の展望―とくに遺伝子治療に関して
 26.レーザー心筋血行再建術(TMLR)のあらたな展開 的場芳樹・加藤 修
  New horizon for TMLR
  ○TMLRの適応
  ○外科的TMLR
  ○経皮的TMLR
 27.移植心と動脈病変―日本における今後の展開 高島成二・堀 正二
  Cardiac allograft vasculopathy
  ○移植後血管病変
  ○CAVの病態病理学
  ○CAVの診断
  ○CAVの予防・治療

◇サイドメモ
 高トリグリセリド血症
 心室リモデリング・血管リモデリング
 AT2受容体を介する降圧作用機序
 エンドセリン受容体遮断薬が有効であると想定される疾患
 エストロゲンのNOを介した血管保護作用
 アデノシンとK ATPチャネル
 Chlamydia pneumoniae
 不安定狭心症に対する胸部硬膜外麻酔療法(TEA)
 超音波による組織性状診断
 血管トーヌス(緊張)の制御機構
 微小血管性狭心症の診断と治療
 高齢者急性心筋梗塞に対するステント療法
 動脈壁の厚みの意義
 Cardiac syndorome X(シンドロームX)とは
 急性心筋梗塞に対する経静脈的血栓溶解療法の適応と禁忌・注意
 Cl電流
 放射線にかかわる用語解説
 低侵襲冠動脈バイパス術とは
 TMLRは普及するか