やさしさと健康の新世紀を開く 医歯薬出版株式会社

第2版への序 自然の仕組みを基調とする自然鍼灸学への扉を開く
 (元)筑波技術短期大学長名誉教授
 宝塚医療大学保健医療学部 鍼灸学科教授
 西條一止
 『臨床鍼灸学を拓く』は初版からちょうど10年が経過しました.本書の真髄は「生体の自然の仕組みを活用する治療」です.「人に優しい鍼治療」です.そこから「自然鍼灸学」とも呼びます.
 自然鍼灸学の大きな柱は,次の二つの柱です.
 1.宇宙,地球環境の時間のリズムです.特に呼吸のリズムが副交感神経における最も重要なリズムです.
 2.宇宙,地球環境の重力の場です.特に重力に対する生体の姿勢が交感神経における最も重要な要素です.
 今回,次の3点を増補しなければならないという思いで,2版の出版となりました.
 第一点は,目次,2「なぜそうなのか:臨床鍼灸学の意味」に,11「治療を受ける体位と生体反応」を追加しました.治療を受ける姿勢による効果の違いの基本について述べました(p.43〜49).
 第二点は,臨床からの六つのメカニズムについての,M5とM6の同じ刺激を用いるのに治療を受ける姿勢によって効果がなぜ真反対になるのかの答えが初版では示せませんでした.今回書きました(p.71).
 第三点は,本書の治療は自律神経機能が基本にあります.自律神経機能遮断剤を用いた実験により瞬時心拍数における交感神経,副交感神経の意味を解明しています.3「動的自律神経機能観察法:瞬時心拍数と自律神経機能」として記述しています(p.49〜67).
 本書における自律神経に関する資料は,瞬時心拍数が測定の簡便化により健康産業,スポーツ現場,医療臨床現場等で活用される際の基礎,臨床研究の貴重な資料となります.
 なお,経穴の部位について世界標準が定められました.本書は,改訂前の経穴部位を用いて実験研究した資料です.したがって,経穴名部位は従来のものです.従来においても日本では経穴は部位を移動するものというのが大方の専門家の人々の見解でした.臨床の場においては,触診情報を主に刺鍼部位(経穴部位)を決めています.
 本書が多くの皆様に広くお役に立てることを祈念し世に送ります.
 2013年1月

第1版の序
 筑波技術短期大学長 西條一止
 昨年(2002年)8月に発表された2001年のわが国の平均寿命は,女性84.93歳,男性78.07歳でした.ともに最高更新で,この10年間に女性は約3年,男性は約2年,平均寿命が延びています.諸外国と比較して,女性の平均寿命は世界一であり,男性は,アイスランドやスウェーデンとほぼ同じ数値であるといいます.医学,医療の進歩と,栄養状態の改善,社会環境の整備などが貢献しているものでしょう.不老長寿が古代からの人々の強い願いでした.そして,長寿は着々と実現しています.
 日野原重明先生が,75歳以上を「新老人」として,希望を創りだす生き方の選択を述べておられます.元気な高齢者が増えていることも確かです.
 定年を迎える年齢の人たちの多くが,心身の状態に自信を持ち,昨年10月に出版された,アメリカの女性トップ・アスリート,マーラ・ランヤンさんの自伝『私の人生にゴールはない――視覚障害を持ったトップ・アスリートの挑戦』という人生への挑戦に共感を持ち,定年という一つの終わりの区切りではなく,新たなスタートの区切りとしようという思いを自然に抱かせます.明るい希望が見えます.
 しかし,一方で,寝たきり老人という言葉に代表される,健康でない状態での寿命が大きな問題として存在しているのも事実です.我が国の老人医療費を年々膨らませ,医療保険を圧迫しています.みな,ただ生きているだけという情けない生命の状態に陥りたくないと強く願っています.
 多くの生活習慣病は,生活習慣を良くすることで予防可能といわれています.生体が存在する環境条件を整えることです.これは知識と,実践しようという各自の意志によって可能です.もう一つ,生体自身の問題です.先進諸国の人々は多く,生体自身の持つ調節力が低下した状態に陥っています.これこそ鍼灸医術が培ってきた力を発揮できる領域です.21世紀においてこそ求められています.この期待に応えるために,生活体としての生体に関する知識と経験医術が伝える技術を身につけた,しっかりした治療者,生活指導者が必要です.
 臨床鍼灸学では,経験医術が伝える技術を科学的視点に立って展開し,高度な治療技術を広く多くの人のものにしようとします.もう一つ,生体を主体とした生活の在り方,「新しい養生とは」ということと,その延長線上にある,生体に不具合が生じたときの望ましい24時間の過ごし方の研究と実践普及です.
 私は,幸か不幸か,昨年の12月中旬から今年の1月までの一月の間に,右手の末梢性橈骨神経麻痺と右脚のL4・5,馬尾神経に臨床症状の出た脊柱管狭窄症を経験しました.橈骨神経麻痺は,3日でほぼ改善しました.発症してからほとんど時間の許す限り,両手を合わせて肘から先の運動をしました.このことが良かったと評価しています.発症初期の治療的環境が大切です.また,脊柱管狭窄症では,症状の強い前脛骨筋,長・短腓骨筋の下部と臀部に家庭用の表面電極,低周波治療器を用いて,起きている間は通電し続けています.歩行は大変楽になります.少しでも患部が良い状態で過ごせる生活の仕方が大切です.
 鍼灸は,単に治療によって不調を改善するのではなく,生体の調節力を高め自然治癒の可能性を最大限に発揮されやすい生体の状態をつくるとともに,治癒を妨げず,促進できる1日の過ごし方の指導を理論的に展開できるようにすることです.
 皆さん,健康で,心豊かな,質の高い人生を私達のものにするために,新しい健康への展開を自主的積極的な参加者として共に歩みましょう.
 2003年1月

はじめに 臨床鍼灸学を拓く
 今日,日本の都市では,自然のリズムに歪みが生じている.自然物の何かが減少したり,多くなったりすることは,連鎖としてその関連するものたちに変化を起こす.しかし,今日,一年の季節のリズムに乱れが起き,異常に春が早く来たり,遅かったり,異常な暑さ,急激な気温変化,降水量の季節的歪み,地域的な歪みなどがいたるところで生じている.
 多くの木々が健康な状態を維持できず,枯れ枝が目立ち,うまく紅葉できないなどのことが,あちこちでみられる.
 都市化が,特定の野生生物を住めなくしただけでなく,地球のあらゆる生物,無生物を支配する自然の季節リズム,生物,無生物の活動を支えている水,その地球における循環としての降水のリズム変化,地域への偏りなどは,あらゆるものたちに,それまでの自然な営みに警鐘を鳴らしている.今日の先進諸国の人々の健康障害の大きな問題点である.
 20世紀までの,自然を基調とした養生概念では対応できず,自然の歪みにより生ずる各個体の歪みを補正する人知が必要である.
 地球の,地域の,物理的環境変化による生体に生ずる歪みを補正する新しい物理療法が必要である.この,新しい物理療法とは何か.居住環境としての冷暖房技術などは,生体機能を外部から保護する技術である.自然の営みの歪みによる生体への影響を補正する技術として有効である.
 生体を取り巻く,環境の変化に対する生体側の対応策は,適応力を高め,鍛えるところにある.
 適応力は,生体の調節力であり,恒常性保持機能である.これを高め,鍛えるところに新しい物理療法の使命がある.
 まず第一に,恒常性保持機能を高めること,それは,人体が持つ本来の力を整え,高めることであり,古代の経験医術にその知恵がある.特定の治療技術がないときに期待できるのは,人体が本来持っている力を大きくして,あらゆるものに適応の幅を広げ恒常性を維持しようとするものである.生体に異常を起こそうとするものが,ケガのような,偶然による特定の生体の異常ではなく,生体全体にかかる環境の変化に対しては,適応力を高めることにより対応できる幅を広げることで対処しなければならない.
 第二に,恒常性保持機能を鍛えること,それは,運動を中心とした各種の健康増進法である.
 この二つの知恵が,新しい物理療法を構成する.
 ここでは,治療的要素の強い,恒常性保持機能を鍛える新しい物理療法について述べる.
 経験医術の知恵を生かす,というところで,鍼灸という言葉を用いるが,鍼灸に限ることはない.物理的刺激一般を対象にできる.その用い方に経験医術の知恵を生かすということである.経験医術をそのまま用いるのではなく,その知恵を理解し,人類の科学の発展と総合し,新しい物理療法を創造するのである.
 適応力,自然治癒力などとしての恒常性保持機能を高め,鍛えるのは,心地よい刺激である.鍛えるには,耐えることが求められる.耐えることが不快になったときに,鍛えることにならなくなり,傷害を作る.
 鍛えることは,運動を中心とした鍛錬療法,調整して高める方は,経験医術の知恵に求められ,調整療法といえる.
 伝統医術の心を汲み,科学的視点に立つ鍼灸療法が求められている.単に効果のある鍼灸療法ではない.なぜ効果があったかを考察でき,経験を積み上げられる鍼灸療法である.
 生体の状況を確実に把握し,生体機能を確実に方向づける治療としての鍼灸療法である.
 さて,日本の鍼灸教育は,明治20年代に盲学校の職業教育として文部省が正式に位置づけた.このときの方針は,西洋医学を論拠とした鍼灸,あん摩の教育ということである.以来100年余り,文部科学省,厚生労働省,科学技術庁等での東洋医学に関する研究,教育等はこの方針で行われてきている.
 明治以降,わが国で行われてきた学校教育における鍼灸は,西洋医学に根拠をおく刺激療法である.戦後,理学的検査法等の導入により体壁の病態の把握が確実性を増し,痛みを主訴とする体壁の神経・筋系症状に対しては,鍼の,対象をねらい撃ちするという特性により,筋の過緊張を緩め,血液循環をよくするという作用により,治療直後効果の期待できる療法となっている.わが国で鍼が用いられている多くはこの作用によるものである.恩師芹澤は,体性系愁訴に対する治療の体系化を進めた.
 中国における近年の鍼は,やはり刺激療法の傾向が強いものと観察している.しかし,経験医術としての鍼灸には,刺激療法のみでなく,生体の恒常性保持機能を整える部分がある.経絡治療はこの部分を主とした鍼灸療法であることが明らかになっている.
 私の,恩師芹澤の下でのおよそ10年間は,痛みを主訴とする運動器疾患に対する治療の体系化時代であった.その後の20数年は,自律神経機能を主とした研究による,鍼の自律神経生体反応,そして生体の調節力(自然治癒力)を高める鍼の刺法の研究と自律系愁訴に対する治療法の体系化である.
 今,明治から100余年,科学的視点に立った臨床鍼灸学が拓かれようとしている.その第一歩が本書である.
 第2版への序自然の仕組みを基調とする自然鍼灸学への扉を開く
 第1版の序
 はじめに/臨床鍼灸学を拓く
1 臨床鍼灸学の課題
 1 鍼灸は,「どんなときに,どこへ,どのように」の医術
 2 鍼灸治療とは
 3 恒常性保持機能を調整する方法
2 なぜそうなのか:臨床鍼灸学の意味
 1 刺鍼反応と痛み刺激による反応
  1)刺鍼反応
  2)痛み刺激による反応
 2 刺鍼による自律神経反応研究
 3 刺鍼による心拍数減少反応の自律神経メカニズム
 4 刺鍼反応で交感神経機能は,α受容体系機能とβ受容体系機能は独立して変化する
 5 刺鍼による自律神経機能反応をいかに捉えるか
 6 無侵襲的な自律神経機能の指標を求めて
  1)心拍数で観察できる自律神経機能状態
  2)自律神経による心拍数調節
   a.心臓の自動能と自律神経調節 b.心拍数の自律神経調節
   c.心拍動における交感・副交感神経の機能分担
  3)自律神経機能の指標としての自律神経機能関与度の考え方
  4)自動立位と他動立位
  5)動的自律神経機能観察法
  6)臥位,立位と交感神経機能
  7)呼吸運動リズムと副交感神経機能
 7 刺鍼による交感神経反応と副交感神経反応をいかに分離するか
 8 浅刺・呼気時・坐位の刺鍼法の吟味
  1)心拍数による自律神経機能関与度を指標にした二重盲検による検討
  2)指床間距離(FFD)を指標とした検討
 9 浅刺・呼気時・坐位の刺鍼法の臨床効果
  1)浅刺・呼気時・坐位の刺鍼法の生体反応
   a.心拍数の減少効果 b.胃の蠕動運動を活発にする
   c.腰部可動域を改善する d.末梢血管の過緊張を解く
  2)考察
  3)浅刺・呼気時・坐位の刺鍼法の自然治癒力を高める機転
  4)浅刺・呼気時・坐位の刺鍼法の臨床手技の展開
   a.皮膚,皮下組織への刺激法b.刺激部位 c.呼吸相の条件
   d.体位の条件 e.浅刺・呼気時・坐位の刺鍼法の刺激強度の調節
   f.浅刺・呼気時・坐位の刺鍼法を用いることができない場面
 10 浅刺・呼気時・坐位の刺鍼法と経験医術としての経絡治療
  1)要約
  2)実験研究
   a.目的 b.方法 c.結果 d.考察 e.結論
  3)治療体位が違いながら同じ反応を導ける経験的刺鍼方法の解明
   a.方法 b.結果 c.考察
 11 治療を受ける体位と生体反応
  1)刺鍼刺激による心拍数減少反応の刺鍼刺激を受ける体位の違いによる反応の違い
  2)臥位低周波鍼通電刺激と坐位低周波鍼通電刺激の反応の違い
   a.M5(長坐位)とM6(仰臥位)低周波鍼通電刺激について
   b.交流磁気治療について c.特徴
3 動的自律神経機能観察法:瞬時心拍数と自律神経機能
 1 瞬時心拍数の観察法の簡便化
 2 瞬時心拍数に関する研究の経緯
 3 心拍数の成り立ちと心拍数への交感・副交感神経の関与
 4 自律神経機能の機能分担
  1)交感神経α受容体系機能とβ受容体系機能
  2)交感神経と副交感神経の機能分担
  3)自律神経機能の諸相
 5 副交感神経機能と呼吸運動
 6 深呼吸による瞬時心拍数変化の特徴
 7 深呼吸による副交感神経機能抑制の観察
  1)深呼吸による副交感神経機能抑制の意味
 8 体位変換と交感神経機能
  1)体位変換と副交感神経機能
  2)自動・他動立位と瞬時心拍数
  3)体位変換と交感神経機能不調の徴
  4)心臓の自動能と体位変換
 9 瞬時心拍数を用いる自律神経機能観察への期待
4 鍼灸治療法の体系化
 1 鍼のいろいろの生体反応を期待できる治療道具の整理と開発
  1)臨床における鍼の治効,六つのメカニズム
  2)閾値下刺激の鍼治療における意味の解明
   a.気管支喘息と坐位時,低周波鍼通電療法
  3)自律神経機能を方向付ける治療のまとめ
   a.副交感神経機能を高める(治効メカニズム-4)
   b.交感神経機能を高める(治効メカニズム-5)
   c.交感神経機能の過緊張を改善する(治効メカニズム-6)
 2 基本的治療の体系
  1)基本的治療の手順とその解説
   a.浅刺・呼気時・坐位の刺鍼法(治効メカニズム-4)
   b.腹部刺鍼(治効メカニズム-1・2・3) c.背部刺鍼(治効メカニズム-1・2・3)
   d.治療に必要な反応を引き出しやすい場をつくるための治療(治効メカニズム-2・3)
   e.症状に対する治療(治効メカニズム-1・2・3・4・5・6)
   f.浅刺・呼気時・坐位の刺鍼法(治効メカニズム-4)
 3 治療の考え方
  1)標治法
  2)本治法
   a.本治法の具体的な意味
  3)治療法の構成
 4 治療への3つの取り組み
 5 治療の順序性について
5 臨床研究の実際
 1 いわゆる腰痛症の鍼治療方法と効果
  1)研究方法
  2)研究結果
   a.鍼治療対象患者のプロフィール b.鍼治療効果
  3)考察
   a.鍼治療効果について b.直後効果による鍼治療の腰痛改善効果の評価
   c.痛みの程度と腰痛改善 d.治療がマイナスしている,治療の姿勢の問題
   e.局所反応による治療効果,全身反応による治療効果
   f.治療の組み合わせ,順序性
  4)結論
 2 気管支喘息の鍼治療方法と効果
  1)研究目的
  2)研究方法
  3)研究結果
  4)考察
   a.気管支喘息発作時症状への鍼治療方法
   b.気管支喘息患者の鍼治療と浅刺・呼気時・坐位の刺鍼法
   c.鍼治療による気管支喘息症状の変化と呼吸機能の変化
   d.気管支喘息に対する鍼治療の効果の評価
  5)結論
 3 習慣性扁桃炎の鍼治療方法と効果
  1)扁桃炎のとらえ方
  2)鍼治療の実際
  3)経過観察の方法
  4)成績
  5)考察
   a.治療部位の選択について b.治療回数について c.成績について
  6)効果機転
  7)まとめ
6 ゆるぎ石との出会い
 1 ゆるぎ石
 2 自然とともにある
 3 周囲への気づき

 索引