やさしさと健康の新世紀を開く 医歯薬出版株式会社

発刊にあたって
 昭和61年に北海道療育園に勤務した時,「重症心身障害」について何の知識もなかった私が初めて手にした本が「重症心身障害児の療育指針」(医歯薬出版)でした.第1章に書かれていた重症心身障害の概念や歴史に深く感銘を受けたことを今でも鮮明に覚えています.その簡潔ながら心に響く文章を書かれていたのが本書の著者である岡田喜篤先生でした.
 重症心身障害児(以下,重症児と略します)は,わが国独特の概念と言われています.児童福祉法によって定義された重症児は,専門の施設が整備されてその療育が行われてきました.当初は施設を中心として発展してきた重症児療育でしたが,50年以上の歳月を経た現在,医療や支援技術の進歩により「超重症児」や「医療的ケア児」などの新たな概念も登場し,また,めまぐるしく変化するわが国の福祉制度の中で,療育の実践の場も「施設支援」から「在宅支援」へと大きくシフトしつつあります.
 このような流れの中で,これまで体系立って構築されてきた「重症心身障害」の概念が,重症児の状態像の変化や,法律の改正などによる支援のあり方の変化などによって,徐々に曖昧模糊となっていくような危惧を,ここ数年私自身はひしひしと感じていました.今現在の重症児療育の姿があるのは,これまでの当事者や重症心身障害児(者)を守る会の活動と,多くの有名無名の行政,医療,福祉関係者や市井の方々の真摯な思いや情熱,実践の積み重ねの賜物であり,その歴史を決して忘れてはいけないという思いが増すばかりでした.そこで,長年にわたり重症児福祉協会や日本重症児学会でご活躍され,著書,論文,ご講演などを通じて重症児療育の理念,歴史を伝えてこられた著者にご無理をお願い申し上げてご執筆いただいたのが本書です.
 重症児医療や療育のノウハウについて書かれた本は,ここ数年で多数出版されましたが,本書はその知識や技術を発展させた基礎となる重症心身障害への深い想い,理念,思想など,人と人との関係性の中で生まれてくる福祉のあり方や歴史などについて学問的視点から書かれています.一つひとつの文章に著者の重症児への深い理解と温かい眼差し,そしてまた共生社会実現への強い意思を感じます.
 本書はそうした意味において,単なる歴史書ではなく思想書,哲学書であると言えます.人類の財産ともいうべき著書には,物事の本質について述べているものが多くあります.例えばナイチンゲールの「看護覚え書」が今日においても輝きを失わないのは,看護の技術論に拘るのではなく,看護というものがアートであり,ケアであり,いたわりの行為であるという看護の本質を述べているからにほかなりません.そうした著書には,普遍性が宿っているのだと思います.
 本書においても,重症児に関わり,共に歩むということは何を意味するのか,どのような人々のつながりや思いの中で「重症児」という概念が誕生し,その医療や福祉が発展してきたのか,そうした重症児療育の本質が記されています.そのことから言えば,本書は長く,多くの方々に読み継がれていくべき著書であると思います.さらに言えば,どのような医療や福祉も,文化に根ざした土壌の中から芽を出し,育まれ,花や実を結ぶものだと思います.特に重症児医療・福祉は先述しましたように,世界に類を見ない思想や考えに基づいて歩んできました.それはまぎれもなく日本社会が育んできた和の思想や共感・共助の思想に根づいており,そのことも本書から読み取ることができると思います.
 現在の日本社会は,経済優先思想があらゆる分野に浸透し,格差や線引きや断絶が広がっています.そのことは医療や福祉の分野においても例外ではありません.そのような不透明感が増すわが国において,本書がこれまでそしてこれからの重症児療育に様々なかたちで関わってくださる多くの方々への精神的支柱の一つとなり,明日への療育の活力になることを切に願っています.また重症児支援に関わったことのない読者の方々にとっても,本書は現代社会において忘れてはならないもの,人が生きていく上で決して失ってはならないものは何かを教えてくれると信じています.
 本書の発刊で私の願いの一つが叶いました.ただ,視力に不自由をかかえながらご執筆いただいた岡田喜篤先生には,ご負担をおかけしましたことを深くお詫び申し上げます.そして岡田先生の目となり,全面的に執筆作業をサポートして本書の完成に尽力された北海道療育園の蒔田明嗣氏,出版を快くお引き受けいただいた医歯薬出版と編集担当者に心から感謝を申し上げます.
 社会福祉法人北海道療育園
 副理事長 平元 東


はしがき
 約30年前に診断されながら,生まれ持った杜撰さが災いして,私の緑内障は,ここ数年の間に急速に悪化した.現在,左眼は完全失明,右眼視力は0.03という状況にある.文字との関わりは,大型の読書器と,視覚障害対応のパソコン画面のみに頼るという現状にある.
 そんな折,今から1年半ぐらい前,医歯薬出版の編集者と北海道療育園の平元東氏(法人副理事長,前施設長)から,本書執筆のお勧めを頂いた.正直なところ,嬉しかったし,心から感謝したいと思った.しかし同時に,到底無理だということも痛感させられた.もともと,通常の文章作成すらままならぬ自分である.まして文献や資料に目を通しながら筆を進めることなど至難の極みだと思った.それでも,視力が悪化する前までは,「いつの日か,まとめる機会があれば」と考え,折に触れて集めてきた文献や資料はかなりの量に達していた.ところが,ここ数年の間に4回もの引っ越しを余儀なくされ,その都度,集めた資料は,一部は散逸し,残っているものはいまなお未整理,当然,その所在も不確かとなってしまった.こうしたことから,執筆の目途はつかないと悟った次第である.
 しかし,両氏のお勧めは,そのことを承知のうえでのことだった.出版社の編集者は,私に関する資料や記録を手配すると言い,平元氏は,松尾彰久氏(法人専務理事)を介して,「法人の資料づくり」の一環として,執筆作業の応援を確約してくれた.
 かくして,本書の執筆は,やや変則的なお膳立てを得て始まったのである.まもなく,出版社からは,私自身が驚くほど多種多様なコピー資料が送付された.一方,執筆の具体的な作業には,松尾専務理事の部下で法人の機関誌編集や広報活動などを担当する蒔田明嗣氏(法人事務局総務課主幹)が指名された.そこで蒔田氏は,まず,出版社からの文献・資料並びに当方手持ちの資料を精力的に下読みし,内容に沿っていくつかのグループに類別する作業を開始した.これはかなりハードな仕事だと思われたが,彼は比較的短期間に難なく完遂した.次には,類別された資料を私へ読み聞かせるかたちで,内容の確認,そして全体の目次設定についての検討がなされた.この段階までも,蒔田氏の負担は尋常ではなかった.しかし,彼にはさらなる重荷を強いることとなった.それは具体的な文章作成の作業であった.彼は,私が求めた訳ではなかったが,可能な限り,私の癖のある文体や言い回し,あるいは文章リズムといったものを尊重してくれたのだった.一定量の文章ができると,彼との間でさらなる読み合わせが行われ,細部にわたる修正が何回となく繰り返された.
 こうした作業を始めて間もなく感じるようになったことだが,本書の執筆主体は果たして私だけと言えるのか,戸惑いを覚えるようになった.確かに,執筆材料のほとんどは私に由来する.しかし,現在の私の状況では,それを形あるものとして構想し,言語化ないし文章化することは,たとえ無制限に時間を与えられたとしても不可能だと思われた.蒔田氏との共同作業は,ここ数年絶たれていた読書という栄養補給に恵まれ,気持ちが蘇ったようだった.それは,蒔田氏自身にとっても,知識欲,探求心を刺激され,文献・資料の収集に魅力を感じ,自らの思想の深まりを快しとしているようだった.元来,蒔田氏は,聴覚障害に詳しく,私自身も教えられることが多々ある.そして彼は手話通訳の名手でもあり,そのボランティア活動もまことに熱心である.
 私は,二人が執筆者と応援者というよりも,むしろ共著者として,立場を分かち合っていると思うようになった.そして蒔田氏は,私の提案を快く受け入れてくれたという次第である.
 ここで,お詫びしなければならないことがある.
 初期の重症児施設には,優れた理念と実践をもって,模範的な施設運営を実現した人たちがいた.執筆作業開始当時の構想では,この人たちについても,そのプロフィールを紹介するつもりであった.そしてこれら人物の一部については,その知人・友人に依頼し,資料をお送り頂いている.ところが,私の眼の具合がまことに煩わしくなり,日ごとに進む視力低下に加えて,7種類の点眼剤の副作用か,両内眼角の激しい痒み,しばしば突然に始まる水様性の鼻汁発作などに苦しめられることで筆が進まなくなってしまった.このため,本書では割愛せざるを得なかった.この点を深くお詫びするとともに,今後ある程度の時間的猶予を頂き,別の形でまとめたいと願っている.
 以上,多くの方々の温情に支えられて,ようやく出版されることになった.先に挙げた方々を含めて,本書の出版には北海道療育園の方々に格段のご厚意を賜った.深く感謝申し上げる.
 岡田喜篤
 もくじ
 発刊にあたって(平元 東)
 はしがき(岡田喜篤)
第1章 重症心身障害児(者)概念の成立前史
 1.医療,教育,福祉の概念と社会的役割について
  (1)社会基盤を支える医療・教育・福祉
  (2)自分の人生の中では誰もがみな主人公─共生の社会へ
  (3)医療の変遷とサスティナビリティ
  (4)看護とは「Art」 ナイチンゲールの想い
  (5)教育とは人間を発見すること
  (6)社会の健全化と経済を支えるために
 2.日本の古代からGHQ三原則にいたる福祉観と施策の変遷
  (1)古事記にみる障害者観
  (2)大宝律令の中の社会福祉法「鰥寡条」
  (3)明治の恤救規則,昭和初期の救護法
  (4)GHQ三原則の意義
 3.精神薄弱から知的障害へ,その概念の変遷と課題
  (1)精神薄弱から精神遅滞へ,用語と概念の変容
  (2)「知的障害」という用語の意味について
  (3)精神薄弱(知的障害)者の歴史を概観する
  (4)精神遅滞の疫学的考察
  (5)人を大切にする社会づくり
第2章 重症心身障害児(者)福祉の変遷をたどる
 1.はじめに
 2.小林提樹氏と島田療育園の誕生
  (1)慶應義塾大学小児科の障害児外来と小林提樹氏
  (2)日本赤十字社中央病院産院小児科と児童福祉法による乳児院の誕生
  (3)長期入院児に関する行政方針
  (4)乳児院の入院児に関する行政方針
  (5)小林氏による問題提起と反響
  (6)親たちの集い「日赤両親の集い」
  (7)財団法人日本心身障害児協会の設立
  (8)島田療育園の誕生
  (9)指定重症児施設と国立療養所の重症児病棟への広がり
 3.全国重症児(者)を守る会の誕生と児・者一貫体制の確立
  (1)全国重症心身障害児(者)を守る会の誕生
  (2)国立療養所に重症児病棟を併設
  (3)重症児施設の法制化が実現,児・者一貫体制の確立
  (4)法制化に伴う国会の付帯決議と厚生省事務次官通達(発児101号)
 4.重症児(者)支援の多様化と社会福祉構造改革以後
  (1)重症児施設の増加と課題
  (2)施設依存への修正議論
  (3)措置制度から支援費制度へ
  (4)支援費制度の破綻から障害者総合支援法の成立
第3章 全国重症心身障害児(者)を守る会の結成とあゆみ
 1.はじめに
 2.全国重症児(者)を守る会設立の背景
  (1)日赤産院小児科外来と「両親の集い」という勉強会
  (2)行き場のない障害児
  (3)島田療育園の設立
  (4)重症児療育実施要綱について
 3.全国重症児(者)を守る会結成につながる社会情勢
  (1)ケネディの大統領就任と水上勉氏の寄稿文の反響
  (2)秋山ちえ子氏など報道機関のキャンペーン,伴淳三郎氏らの「あゆみの箱」運動
 4.全国重症児(者)を守る会の誕生
  (1)小林先生の勧めにより親の会を結成
  (2)守る会の三原則
  (3)北浦貞夫氏と守る会の基本精神
  (4)国際障害者年に制定した「親の憲章」
  (5)守る会記念大会にご臨席の両陛下
  (6)守る会運動の経過
 5.先駆者の想いと現代福祉の傾向
  (1)先駆者の想いに学ぶ
  (2)糸賀一雄氏の著述から
  (3)色あせることのない先駆者と親の想い
  (4)ひたむきな運動が社会の共感の輪を広げる
  (5)守る会の三原則と現代におけるサスティナビリティ概念
第4章 重症心身障害児(者)と障害概念
 1.わが国の障害者基本法にみる障害の概念
 2.世界保健機構(WHO)による障害モデル
  (1)国際障害分類(ICIDH)の障害モデル
  (2)ICIDHの課題と改定への努力
  (3)国際生活機能分類(ICF)の生活機能モデル
  (4)医学モデルと社会モデルの統合
 3.重症児(者)の概念の変遷
  (1)重症児(者)概念の変遷と混乱
 4.重症児(者)の英語表記について
  (1)日本では1995年にSMIDを採用
  (2)PMDの概念について
 5.おわりに
第5章 重症心身障害児(者)医療・福祉の歴史に忘れてはならない人びと
 1.重症児福祉誕生以前における小林提樹氏の足跡
  (1)「重症児福祉」のはじまり
  (2)母校の大学病院における障害児外来
  (3)小川氏の転勤と障害児外来の閉鎖
  (4)母子から学んだこと
  (5)学位取得との決別
  (6)結婚と長男の誕生と死
  (7)召集令状,そして極寒の満洲へ
  (8)長男の死をめぐる後日談
  (9)日赤産院小児科への赴任
  (10)学位取得への薦め
  (11)「日赤両親の集い」から「両親の集い」へ
  (12)小児科病棟・乳児院に対する行政処置
 2.黎明期に奔走し,大きな足跡を残した人びと
  (1)小林提樹氏
  (2)草野熊吉氏
  (3)糸賀一雄氏
  (4)北浦雅子氏
 3.重症児医療・福祉に努力された人びと
  (1)岡崎英彦氏
  (2)江草安彦氏
  (3)大谷藤郎氏
  (4)有馬正高氏
 4.小林提樹氏を支えた人びと
  (1)島田伊三郎氏
  (2)中沢千代子氏
  (3)秋山泰子氏
  (4)植田悠紀子氏
  (5)山川常雄氏
  (6)上野 滋氏
 5.北浦雅子氏を支えた人びと
  (1)小林提樹氏
  (2)秋山ちえ子氏
  (3)有馬真喜子氏
  (4)伴淳三郎氏・森繁久彌氏
  (5)内藤雅喜氏
  (6)尾高忠明氏
  (7)尾村偉久氏
第6章 重症心身障害児(者)の人権・権利思想
 1.はじめに
 2.障害者の人権について
 3.障害者の権利,尊厳,職員意識について
 4.施設における人権問題
  (1)施設利用者をめぐる人権問題の背景
  (2)施設利用者の人権を守るために
 5.重症児(者)の権利について
  (1)重症児(者)の権利が注目される背景
  (2)多角的な生活様式の選択を図ること
  (3)疾病の診断・治療における本人の承諾
 6.おわりに
第7章 重症心身障害児(者)と自立概念について
 1.重度の障害者の自立に必要な諸要因
  (1)「自立」という用語について
  (2)ノーマリゼーションと自立概念
 2.3つの自立概念について
  (1)努力目標としての自立
  (2)「自ら生計を立てる」という自立
  (3)自立生活運動における自立思想
  (4)既存の自立思想への反論
  (5)自立生活運動が与えた影響
 3.重度の障害者に対する新たな自立概念について
  (1)「主体的に生きる」をどうとらえるか
  (2)日常生活における選択の主体性
 4.新しい自立に向けての支援
  (1)支援のニーズに適した区分
  (2)自立支援の要件
  (3)新たな視点に立った制度の導入を
第8章 重症心身障害児(者)への倫理観の重要性
 1.「ケアの倫理学」について
  (1)応答的な関係の中で育まれる倫理学
  (2)社会と結び合う倫理学
  (3)医学の中の倫理学
  (4)障害者と権利獲得運動
  (5)ケアの倫理学誕生の背景
  (6)「自然なケアリング」と「倫理的なケアリング」
  (7)ケアリングの限界点
  (8)ケアリングの本質とは
  (9)哲学者キティの唱える「ケアの倫理学」
  (10)ケアの倫理学の重要性
 2.障害者に対するケアマネジメントと倫理的課題
  (1)障害者福祉におけるケアマネジメント
  (2)いまなぜ倫理的課題か
  (3)ケアマネジメントにおける倫理について
  (4)職業的倫理について
  (5)スーパービジョンの必要性
  (6)個人としての倫理問題
  (7)方針決定についての責任
  (8)ケアマネジメントと適性
  (9)現状改善への検討を
 3.倫理観の確立の大切さ
第9章 重症心身障害児(者)と教育
 1.障害児教育の歩み
  (1)障害児教育を概観する
  (2)知的障害児教育の原点・イタールとセガン
  (3)障害児教育の先駆的取り組み,聾教育の変遷をたどる
  (4)わが国における障害児教育の変遷
 2.重症児(者)と教育
  (1)就学猶予・免除となっていた重度障害児
  (2)重症児への教育の始まり
  (3)養護学校義務制と重症児
  (4)重症児の教育から学ぶべきもの
 3.おわりに─今後の課題など
第10章 重症心身障害児(者)福祉の変遷から見るわが国の障害児(者)福祉の論点
 1.はじめに
 2.重症児概念の混乱について
  (1)「重症心身障害児」なる名称の登場
  (2)島田療育園開設当時の対象児
  (3)補助金事業による重症児施設の発足
  (4)政府による初めての定義について
  (5)重度児対応を始めた他の障害児施設
  (6)「守る会」の結成と「発児149号」
  (7)国立療養所重症児病棟設置に伴う重症児(者)の定義
  (8)重症児施設の法制化に伴う定義
  (9)日本重症児福祉協会の努力
 3.重症児の児・者一貫体制について
  (1)児・者一貫体制の意味
  (2)経験知としての児・者一貫体制
  (3)欧米の「発達障害」に見る児・者一貫体制
 4.わが国の福祉体制について─ソーシャルワークへの期待─
  (1)わが国の社会保障制度とソーシャルワークの欠如
  (2)福祉的援助の構成要素
  (3)改めて援助技術について
 5.おわりに

 あとがき(蒔田明嗣)
 資料 重症児(者)の福祉に関連する動向(年表)