やさしさと健康の新世紀を開く 医歯薬出版株式会社

はじめに

 国立療養所沖縄病院 副院長 石川清司

 現代医療のかかえる大きなテーマに「がん」と「難病」があります.これらの病気は,症状や経過が異なり,費やされる時間の単位も異なりますが,本人と家族にとっては突如として降りかかってきた大きな災難です.本人の心の葛藤,支える家族の「和」,そして親族の「輪」,学校,職場,社会といくつもの渦ができ,波風とともに数えることのできないほどの多くの人間模様が描かれていきます.
 『モリー先生との火曜日』(Tuesdays with Morrie),『モリー先生の最終講義』(Letting go by Morrie Schwartz)が刊行されて話題をよびました.筋萎縮性側索硬化症(ALS)を生き抜いた大学教授の人生観,社会観が語られています.
 ふと私は,『小指奮闘記』を頭に浮かべました.ごくごく身近にも偉大なる哲人,詩人,そして庶民がいたのです.モリー先生と対比しながら読むと,さらに面白い.ALSを生き抜いた西欧人とウチナーンチュ(沖縄県人)の発想,現実の捉え方に興味を覚えます.
 編集がすすむにつれて,比嘉栄達氏の世界にのめり込んでしまいました.「生と死」の問題をさらりと受け止めていきます.多くのことを教えてもらいました.実りある人生を生き抜くために必要な条件は,まさに「ユーモア」かも知れません.
 同時代にALSを生き抜いた高嶺文子さんの書の世界も,またすばらしいものがあります.口にくわえた筆をして「神様が書いてくれたものに相違ない」と比嘉栄達氏は賛美するのです.人間のなかのよいものだけを選びだそうとする比嘉栄達氏の「文章の世界」と,永遠なるものを求める高嶺文子さんの「書の世界」を,なんとか調和させてみたいと考えました.
 この『小指奮闘記』が,医療に従事する方々のみならず,生・老・病・死と幾多の苦難を体験するであろう多くの方々の心に,一条の灯りをともすことになれば幸いです.

主治医からのメッセージ

 国立療養所沖縄病院 神経内科 中村昭範

 筋萎縮性側索硬化症(ALS)は,現代最大の難病の一つです.働き盛りの年齢に突然発症し,わずか数年の間に全身の筋肉の力を奪いとってしまう恐ろしい病気です.意思の力で動かすことのできる筋肉はほとんどすべて失われ,手足を動かすことも,ものを飲み込むことも,声を出すことさえも不可能となってしまいます.
 さらに厄介なことに,この病気は,痛い,痒い,暑い,寒いなどを感ずる感覚機能や,ものを考えたり記憶したり,喜び,哀しみ,怒るといった大脳の機能は全く正常なのです.患者さんの苦痛はいかばかりのものでしょうか,想像もつきかねます.
 このような状態では,患者さんは自らの意思を人に伝えることができません.わずかに動く顔の表情や,日常最低限必要なことがらを書いた表を用いてコミュニケーションをとりますが,内容はおのずと制限され,ご本人の訴えのおそらく何百分の一もわかってあげることができません.
 本書の著者である比嘉栄達さんは,このような境遇にありながら,パソコンを用いることによってこの問題を少なからず改善し,毎日コツコツと様々な文章を書き続け,多くを語ってくれます.われわれ医療スタッフが深く考えさせられ,教えられることもしばしばです.
 しかし,実際問題として,パソコンを使って文章を書くということは大変な困難です.具体的には,テレビモニターに並べて映されたアイウエオ五十音の上を,カーソルが一文字ずつ一定の時間で移動していき,目的とする文字の上にカーソルが動いてきた瞬間に,わずかに動く左手の小指でスイッチを押して文字を選ぶのです.もしタイミングを逸すれば,再び目的とする文字の上にカーソルが移動してくるまで何十秒も待たなければならず,たった一行書くのに何分もかかります.
 このようにして書かれた傑作『小指奮闘記』(全四冊)は,小指に全神経を集中させ,おそるべき時間と労力を費やして作られた貴重なエッセー集です.話は比嘉さんの入院する沖縄病院の筋ジストロフィー病棟を中心に展開されますが,日常的な話題から哲学の奥義を極めた話までと幅広く,また,面白おかしくも鋭く,内容に富んだものとなっています.
 願わくは,できるだけ多くの方々がこの本を読んで,このような難病と日夜闘っていらっしゃる多くの患者さんの苦しみを理解していただき,また,一日も早くこの難病が解決されることを切望するものであります.

著者まえがき

 一九八八年一月二十五日 比嘉栄達

 私が体に異常を感じてから六年足らず,入院生活は満五年,その間にも体の機能は低下し,舌が縮まって全く話しが通じなくなったのは三年半くらい前のことでした.それからは誤解や勘違いが茶飯事の日常でした.看護婦さんと膝を交えて話がしてみたい,冗談の一つも言ってみたい,私の性格や考えていることも知ってもらいたいと思う日が続きました.それは友人,知人,親戚,家族にもいえることでした.
 面会人は決まってこう言いました.「私がわかるか,覚えているか?」.それにも返事できないでいると,「こんな体になってしまって……」と付け加えます.まだ五,六年しかたってなくて忘れるはずがないのに.そんなことで,いつも気まずい思いで帰しました.しかし,それはその方々の罪ではないと思います.それが一般的な考え方なのです.
 人間の価値判断は,その人の態度と顔と言葉によってほとんど決まってしまうものではないでしょうか? 代議士が頭を肩まで曲げて手をブラブラさせながら「私は代議士である」と言っても誰も信じてくれないように,私の場合にはそれ以上のことが言えると思えます.体が衰えると同時に頭のほうまで衰えると考えるのがごく普通と思います.
 そういった意味からいえば,この『小指奮闘記』は,私の存在価値を認めてくれる唯一の本といえます.また,生きている証しにもなります.
 しかし,それは結果論であって,その目的意識を持って書いたのではなく,あくまで成り行きまかせで出来上がってしまったとしかいいようがありません.パソコンを習って一週間,練習にも飽きました.何かを書くつもりの練習であったが,詩や短歌をつくる才能はないし,一番簡単な日記をつけてみることにしました.
 毎日起こる出来事をありのまま書き,感じたことを思いつくまま,気が向くまま,気負いもなく束縛もなく,気楽にそして楽しく書けました.この文集を読んでいただけば,病院生活がある程度わかってくると思います.どうぞ気楽に読んで下さい.泣いても,笑っても,この病気は変わることはありません.どうせのことなら笑って暮らしたい.私は,最後まで望みを捨てないつもりです.
はじめに 石川清司

主治医からのメッセージ 中村昭範
著者のまえがき 比嘉栄達
『小指奮闘記』第一の書
『小指奮闘記』第二の書
『小指奮闘記』第三の書
『小指奮闘記』第四の書

編集室より 勝連盛伸
あとがき 石川清司
略歴