やさしさと健康の新世紀を開く 医歯薬出版株式会社

巻頭言
 このたび,荒木康久先生が「着床前診断検査(PGT-A)の基礎知識と細胞分離手技」を出版されるに際し,巻頭文の依頼を受けたことは私の望外の喜びとするものであり,先に出版された「生殖補助医療技術学テキスト」とあわせて非常に感銘を深くいたします.
 生殖補助医療技術(ART)は著しい発展を遂げ,ラボ業務に関するルーチンワークはすでに,医師からエンブリオロジストにバトンタッチされた感があります.しかし,学問の基礎は深く,軽視してはなりません.それだけにエンブリオロジストも重い荷を背負わされています.新たな問題を抱えている着床前診断技術学を取り上げた本書の発行は時宜を得ていると思います.本書から何が臨床に役立つかを考える機会になることを願います.常に勉学に励み,新しい領域にたゆまず努力して貢献していただくことを祈ります.
 2018年11月
 生殖バイオロジー東京シンポジウム代表
 鈴木秋悦
 (本巻頭言は,鈴木秋悦先生が静養中でしたので車椅子に座りながら口述で得たものを,聖マリアンナ医科大学 産婦人科学教室教授 鈴木 直先生に校閲,承認していただいたものです)


監修のことば
 妊娠に対して夫婦は,新たな生命の誕生への喜びとともに,皮肉なことにその妊娠に対する不安が生じる.それに対応する手技として出生前診断が行われてきたが,残念ながら一部に妊娠の継続に困難を生じると判断されることがある.抜本的な治療法がないためにやむなく妊娠を断念する夫婦の救済策として,着床前遺伝子診断が開発された経緯がある.これらの課題についてわが国の歴史的背景を踏まえたうえで議論が続けられてきた.わが国においては,優生保護法が廃止され母体保護法に移行し,そのなかで胎児条項は存在せず,この問題は常に法の観点というより,実質的に倫理観の下に判断され,技術提供が行われてきた.しかし,残念ながら遺伝的疾患については効果的な治療につながらないことが多く,苦しいながらのカウンセリングでクライエントの理解を深める作業に委ねられてきた感がある.これに対して,次世代の生命を創出するための補助医療として発展してきた生殖補助技術が,同様に進化を遂げる遺伝子解析技術と合致して着床前遺伝子診断の発展に至っている.
 この技術を臨床の場へ導入するにあたって,社会の強い反応があったことを忘れてはならない.わずかなDNAからの遺伝子解析に加え,受精卵の変動性や不安定性に基づく診断精度に関する問題は,今なお重大な課題である.さらにその胚の移植に関して精度を担保するとともに,誰がどのように決定するのかについても明確な答えはない.しかし,これが生命と疾患にかかわるもっとも重要な課題であり,医療者がどのような立場でかかわり,責務を負うのかについて認識しておく必要がある.
 また,遺伝子解析技術も網羅的な手法が発展し,多様な情報を同一条件で解析することが可能となる進化を遂げている.このことは,知っておくべき情報と知らなくてもよい情報,言い換えれば重要な疾患につながる遺伝子情報のみならず,かならずしも重篤な疾患にはつながらないがクライエント夫婦が妊娠の選択に差異を生じることになりかねない情報が同時に得られる可能性があり,これに対して十分な理解を深めていくことが求められている.人類の将来のために容認できる多様性の範囲について見識を明確にしておくことは,社会の構成員として重要な責任と考えられる.
 さらに,スクリーニング検査が生殖補助医療の効率を向上させる可能性を期待する向きがある.その一方で,スクリーニングがもたらす情報が,解析情報の精度の向上と範囲の拡大に伴って,当初の目的をこえてとどまることを知らないエゴイズムの世界に突き進むことにつながらないように対応していく叡知が求められる.
 本書はとくに現状の遺伝子解析技術の進歩について詳細に解説している.技術が日進月歩に進化を遂げることは疑いのない事実である.現状の進歩と,なお存在する課題を理解するために,本書をすみずみまで活用していただきたい.そして,その発展する技術があらゆる人々の健康と平和をもたらすよう用いられることを期待したい.
 2018年11月
 慶應義塾大学医学部産婦人科学教室
 末岡 浩


発刊にあたって
 5〜 6年前になるのでしょうか.国際学会でPGS(preimplantation genetic screening)の話題を聞かないことはありませんでした.新しい検査手技により染色体異常を解析するという方法を私は大変興味深く思っていました.
 わが国ではいまだPGS検査は一般化されていません.国内でこの検査が一般的でないことから,限定的な知識しか入手できない現状があります.
 一方,海外に目を転じると,PGSは相変わらず学会のトピックとして取り上げられています.この検査は臨床でいかなるメリット,デメリットをもたらすのでしょうか?
 我々は新たな流れに即した知識を導入して,臨床に活かしていかなければならないと思っています.そこでエンブリオロジストの立場から,何とかPGSについて勉強する手立てはないかと考えました.PGS検査には,細胞採取の技術がどうしても必要であり,いざ検査可能になった時,洗練された技術を臨床に役立てることがきわめて大切と考え,2015年に「第1回エンブリオロジストのためのPGS/PGDを学ぶ会」として技術研修と講演会を開催しました.多くの方々が大変熱心に技術研修に取り組んでおられました.その後,講習会は回を重ねて本年で第4回目を迎えました(2018).この研修会を通じて座右の知識・技術テキストの必要性を感じ,これまでご講演いただいた著名な先生方,ならびにデモンストレータの方々のご協力を得て本書を出版することにしました.
 こうしているうちにもすでに,PGD(PGSを含む)の用語は新しくPGT(preimplantation genetic testing) と統一され,PGT-SR(for chromosomal structural rearrangement),PGT-M(for monogenic/single gene defects),PGT-A(for aneuploidy)に分けられています(2017).最近ではNGS(next generation sequencing)法によって検出されるモザイクが注目されるようになっています.
 常に学ぶことを怠れば,用語の変化すら分からなくなります.進化を続けるART治療をサポートするエンブリオロジストのみならず,ART治療にかかわる多くの医療従事者に役立つPGT-Aを理解する手掛かりとして,本書が皆様方のお役に立つことを願っています.
 2018年11月
 群馬パース大学教授
 日本リプロジェネティクス 代表
 高度生殖医療技術研究所 顧問
 荒木康久
 巻頭言(鈴木秋悦)
 監修のことば(末岡 浩)
 発刊にあたって(荒木康久)
1 PGTの抱える課題と責任
 (末岡 浩)
  1 PGDと臨床検査
  2 現状
  3 科学的課題―精度と限界
  4 現在の精度と課題
  5 社会倫理的課題
  6 医療者としての責任と対応
2 網羅的手法による次世代型着床前診断
 (倉橋浩樹)
  1 全ゲノム増幅の壁
  2 網羅的ゲノム解析
   1 マイクロアレイ
   2 次世代シーケンス
  3 網羅的着床前診断の問題点
  4 単一遺伝子疾患
  5 わが国の動向
3 エピジェネティクス研究とその展望
 (堀居拓郎,畑田出穂)
  1 エピジェネティクスとは
  2 DNAメチル化
  3 DNAメチル化酵素(メチル基転移酵素)
  4 DNA脱メチル化酵素
  5 ヒストン修飾
   1 ヒストンアセチル化
   2 ヒストンメチル化
  6 エピジェネティクスと疾病
  7 DNAメチル化解析法
4 わが国/世界のARTにおけるPGT-Aの現状
 (福田愛作)
  1 PGSの世界の現状
  2 わが国におけるPGSの現状
   1 PGSパイロット試験の具体的内容
5 エンブリオロジストとして最低限必要なDNA・遺伝子の基礎知識
 (長田 誠)
  1 核酸の構造
  2 DNAの役割
   1 細胞分裂時のDNA複製
   2 蛋白質合成
  3 遺伝子の変化
   1 バリアント(variant)
   2 バリアントの表記法
  4 遺伝子疾患
   1 単一遺伝子疾患
   2 トリプレット病
  5 減数分裂と遺伝学的多様性
   1 減数分裂
   2 遺伝学的多様性
6 世界で使用されているPGT-A解析手法の現況
 (桜庭喜行)
  1 次世代シーケンサーの進歩と医療への応用
  2 NGSを用いたPGT-Aの技術
  3 さまざまなPGT-A用解析キット
   1 解析機器
   2 全ゲノム増幅
   3 染色体異数性の検出
   4 データ解析とレポート
  4 検査ラボの実際
   1 ラボの動線
   2 クオリティコントロール
   3 精度管理と衛生検査所登録
  5 NGSによるPGT-Aの限界
  6 PGT-AとPGT-Mの併用
7 NGSを用いたPGT-Aのデータ解析の実際
 (田村結城,三東光夫)
  1 検査の流れ
  2 検体の採取,保管,搬送
   1 PCRチューブの準備
   2 コンタミネーションの防止
   3 検体の採取
   4 ネガティブコントロールの準備
   5 検体の保存
   6 検体の搬送
  3 NGSデータの見方
  4 NGSランのクオリティチェック
  5 サンプルベースのクオリティチェック
  6 チャートの乱れ(ノイズ)の原因
   1 DNAの分解,アーチファクトの非特異的増幅
   2 S-phase artifact
   3 コンタミネーション
   4 ベースラインのずれ
   5 性染色体のチャートの乱れ
  7 NGSで判定できない異常
   1 均衡型相互転座
   2 微小構造変化
   3 3倍体,4倍体
   4 モザイク
   5 反復領域
   6 遺伝病などにかかわる遺伝子の異常
  8 移植の可否の判定
8 着床前診断を始めた経緯と実際の経験からみえてきたこと
 (遠藤俊明,馬場 剛,齋藤 豪)
  1 PGT開始時の北海道のおかれた状況
  2 札幌医科大学が着床前診断に取り組むきっかけ
  3 実際に着床前診断を実施するにあたって,先行施設からのアドバイス,支援
  4 その当時の不育症例の染色体均衡型構造異常に対するPGT-SRへの学会の評価
  5 北海道における不育症例への行政の対応
  6 特徴的な均衡型構造異常の保因者症例の経験から得たこと
9 エピジェネティクスをテーマにしたラボ業務
 (神田晶子)
  1 卵子発育過程のどこでインプリント遺伝子のDNAメチル化獲得が終了しているか
  2 精液性状とメチル化異常の関係
  3 体外成熟培養(IVM)のメチル化状態からみた安全性の確認
  4 ART後得られた流産組織のメチル化異常および対応する夫精子のメチル化異常の関係
10 顕微操作による胚盤胞からの細胞分離(バイオプシー)の実践
 胚盤胞バイオプシーの要点とピットフォール(中田久美子)
  1 バイオプシーに使用する器具・材料とそのセッティングの要点
  2 マウス胚盤胞のバイオプシーの実際
   1 レーザ照射による胚盤胞透明帯の穿孔
   2 胚盤胞の栄養外胚葉(TE)のバイオプシーの実際
  3 検査用チューブへの細胞のローディング
 マウス胚盤胞からの細胞分離(荒木泰行)
  1 バイオプシー作業の流れ
  2 day2で透明帯に穴を開ける
  3 day4で透明帯開口部から飛び出しているTEの一部を採取
  4 バイオプシー用に準備するディッシュ
  5 バイオプシーの手順
  6 参考資料
 顕微操作によるマウス胚盤胞からの細胞分離の実践(武田信好)
  1 器具と試薬
   1 顕微鏡の仕様
   2 アシステドハッチング
   3 バイオプシー
   4 細胞塊洗浄・回収
   5 胚盤胞の凍結
  2 方法
   1 アシステドハッチング
   2 バイオプシー
   3 細胞塊の洗浄と回収
   4 その他
   5 胚盤胞の凍結
   6 検体(バイオプシーした細胞塊)の保存
 顕微授精によるマウス胚盤胞からの細胞分離の実際(八木亜希子)
  1 必要物品
   1 機器
   2 器具
   3 試薬・培養液
   4 その他
  2 方法
   1 透明帯の開口
  3 バイオプシーに適した胚盤胞の形態
  4 針のセッティング
  5 物品の準備
  6 バイオプシー用ディッシュの作製
  7 針の準備
  8 TEの採取
  9 TEの回収(tubing)
 胚盤胞期におけるTEバイオプシーから検体管理まで(水田真平)
  1 試薬と消耗品等
   1 培養液・試薬
   2 消耗品
   3 ディッシュ
   4 その他
  2 バイオプシー当日実施前準備
  3 方法
   1 透明帯の開口
   2 TEバイオプシー
   3 tubing,胚凍結
   4 細胞の搬送
   5 バイオプシーの心構え
 レーザを使用しない胚盤胞からの細胞分離(畠山将太)
  1 透明帯の一部切開
   1 器具
   2 試薬
   3 方法
  2 細胞分離(バイオプシー)
   1 器具
   2 試薬
   3 方法
  3 細胞洗浄
   1 器具
   2 試薬
   3 方法
 顕微操作によるマウス胚盤胞からの栄養膜細胞バイオプシーとtubing(青野展也)
  1 事前のアシステドハッチング(AHA)
  2 バイオプシー用ディッシュ作製
  3 バイオプシー
  4 バイオプシー細胞洗浄用ディッシュ作製
  5 バイオプシー細胞洗浄とtubing
 ヒト胚細胞生検とtubing(小林亮太)
  1 孵化促進法の実施
   1 孵化促進法(day3;分割期胚)
   2 孵化促進法(day5;胚盤胞期胚)
   3 孵化促進法を実施する利点
  2 バイオプシーの準備
   1 顕微操作用ディッシュの作製
   2 顕微操作の準備
  3 ヒト胚盤胞バイオプシーの手順
   1 基本的な胚盤胞のバイオプシー
   2 ICMから孵化した胚盤胞
  4 tubing

 索引