やさしさと健康の新世紀を開く 医歯薬出版株式会社

監訳者の序文
 子どもの言語の問題(language impairment)とは何だろう?そんな疑問を持ち始めたのは,米国SLI研究のメッカの1つであったカンサス大学でポスドクをしていた頃である.当時(1998年頃)は,英語圏のSLIに認められる文法障害,とくに動詞形態素の獲得困難に焦点があたり,その原因を説明しようとする言語学的理論や情報処理理論などが検討されていた.また,大規模な縦断追跡研究による知見が次々に報告され始め,学童期の話しことばの問題や,リテラシーの問題との関連性などが明らかになりつつあった.それまで子どもの言語の問題と言えば,ことばの遅れであり,また,遅れがあってもしゃべり始めるともう大丈夫と思っていた訳者には,知能や社会性には問題がないのに言語に問題が生じる,言語の構成要素(意味,音韻,文法,語用)のそれぞれに様々な障害があるSLIに関する研究は非常に新鮮で魅力的であり,日本で再び研究を始める大きな動機づけになった.
 それから10年後,SLIの研究視点が様々な方向に広がっていることを,重要な視点から取り上げている原著『Understanding Developmental Language Disorders:From theory to practice』(CF Norbury,JB Tomblin,and DVM Bishop編:2008)に出会った.例えば,遺伝学的,神経学的研究による原因解明や,自閉症やディスレキシアなどの発達障害との鑑別がどこまで進んでいるか,言語発達障害児の文法の問題に対してどのような指導法があり,その効果についてどこまで科学的な根拠が示されているか,言語発達障害児にリテラシーの問題が生じやすいが,幼児期からの言語指導や並行して行う語彙指導がリテラシーの指導効果にどのように影響するかなどが論点として取り上げられている.そのため,日本におけるこれからの言語発達障害児の研究や臨床に寄与するところが大きいと考え,英国オックスフォードにBishop博士を訪ねたのは原著が出版された2008年であった.それまで何の面識もない訳者を迎え入れ,日本語訳を快く承諾してくれただけでなく,原著の13章のうち英国と日本のシステムの違いなどから翻訳しない章についても,一緒に検討してくれた厚意に深く感謝している.その結果,原著の第3,6,7,9章を割愛した.そして,原著の太字や太字イタリックは,本書では各々の見出しに●と▲を付して表示した.
 各章の翻訳担当者は,これまで日本コミュニケーション障害学会言語発達障害研究分科会で子どもの言語の問題の評価や指導について訳者と検討してきたため,基本概念や用語などの共通認識に基づいて翻訳作業が進められた.監訳者として,言語の問題があるといっても,子どもによって様々に異なるため,問題の背景を見抜く深い洞察力,子どもを伸ばす豊かな創造力,それらを可能にする高い技術力が我々に求められていること,また,それだけに言語発達障害児の評価や指導に携わることがこれまで以上にやりがいのある仕事であることが,読んだ人に伝わることを期待している.
 最後に,出版への助成をしてくださった大阪芸術大学,出版まで微に入り細にわたり支えてくださった医歯薬出版の編集担当者に感謝します.
 2011年2月
 田中裕美子

日本語版への序文
 2007年,英国で素晴らしいシンポジウムが開催され,世界中から言語発達障害の専門家,臨床家,保護者が一同に会した.このシンポを主催したAfasicは,1968年に設立された言語発達障害のある人々を支援する組織である.本書では,このシンポで発表された貴重な研究知見をいくつか取り上げた.
 複雑なコミュニケーション障害を呈する子どもの臨床経験が豊かな小児精神科医のGillian Baird(第1章)は,鑑別診断の重要性,とりわけ専門的な掘り下げ検査がさらに必要な子どもであるかどうか,いつ言語聴覚士に紹介するべきかなどの判断について述べている.Frederic Dickら(第3章)は,MRIの仕組みの基本について解説し,人間の脳で行われる言語処理についてどのような点を明らかにできるかを示唆している.言語発達障害児の臨床評価・診断にMRIが日常的に用いられることはないが,MRIは言語を司る神経機構で正常に発達していないのはどこかをつきとめ,子どもによく認められるけれども,不思議な言語の問題の原因を明らかにする可能性を秘めている.
 子どもの言語発達障害の教科書は,言語の障害がほかの問題から独立して生じているという印象を与えることがあるが,臨床現場では言語に問題がある子どもが自閉症やディスレキシアと重複していることが少なくない.Dorothy Bishop(第4章)は,言語発達障害,自閉症,ディスレキシアのそれぞれについて,およびこれらの重複に対する遺伝学的な関与について検討している.教育現場では,言語や読み書きの問題は親の育て方や教え方が悪いからとよく耳にする.しかし,話すことや読むことがどの程度簡単に習得できるかについて影響するのは,子どもがもつ遺伝的な組み立てであるという研究知見がたくさんあり,いくつかの遺伝子が数種の中枢神経系発達障害のリスクを高めているらしい.
 子どもの言語の問題の背景には記憶の障害があることを示す研究知見を心理学領域でしばしば目にする.Maggie Vance(第2章)は,言語の習得に影響を及ぼす様々な記憶の障害を検討し,記憶の問題を乗り越えるための家庭や学校での支援方法を提案している.
 言語に問題がある子どもの保護者が心配することの一つは,長期的な見通しはどうかという点である.Gina Conti-Ramsden(第5章)による研究は,言語発達障害児を7歳から17歳まで追跡した結果からこの問いに答えるものである.彼らの追跡の結果,個体差が大きいということがわかった.つまり,言語の問題をずっと持ち続けている子どももいれば,問題がなくなっている子どももいる.興味深いことは,やはり個人差はあるものの友人関係や自尊感情についてはそれほど問題がないという.
 3つの章が指導について取り上げている.Susan Ebbels(第6章)は,理解や表出面での文法の問題にとくに焦点を当て,視覚的に文法関係を示すことで子どもの理解を支援することができることを示唆している.
 Catherine Adams(第8章)は,言語の語用面の障害に対する指導法について検討している.この障害がある子どもは複雑な文を流暢に話すが,言語の使用が適切でないため,近い意味のことを話しているようだが話がよくわからない,または聞き手のこちらが必要としていることに合っていないことが多い.加えて,この障害がある子どもは,言われたことをあまりにも字義通りに理解したり,文脈の手がかりをうまく使えなかったりするため,人のことを誤解しがちである.人々があまり関心をもってこなかったこの障害に対して,Adamsは指導方法の検討を始めており,指導効果の評価についても言及している.
 Margaret Snowling and Charles Hulme(第7章)は,話しことばの発達障害に併発しがちなリテラシーの問題への指導法について検討している.指導法についてのほかの章と同様に,臨床から導かれた洞察と,客観的な指導効果を示す適切に統制された研究法とをうまく結び付けている.
 Michael Rutter(第9章)は,最終章で本書で取り上げられた主要なテーマを総括しており,今後の展望についても示唆している.この20〜30年の長期にわたり,我々は言語発達障害についての理解を深めてきたが,まだわかっていないことも少なくない.
 最後に,この日本語版の読者であるみなさんが本書を読んで,我々がこれまで取り組んできたことから様々な刺激を受け,次回のAfasic国際学会で発表し,日本での研究や臨床の実績を発信していこうという思いにつながっていくことを願います.
 Dorothy Bishop & Courtenay Frazier Norbury

 In 2007,a remarkable Symposium was held in the UK,bringing together experts in children's language disorders,practitioners and parents from all over the world.The Symposium was organised by Afasic,a support organisation for people with developmental language disorders that was founded in 1968.This book features some of highlights of the conference,in the form of chapters by conference presenters.
 The first chapter is by Gillian Baird,a professor of paediatric neurodisability with considerable experience of children with complex communication difficulties.In her chapter she outlines the importance of differential diagnosis,noting which children require detailed specialised assessments,and when a referral to a speech and language therapist is appropriate.
 The chapter by Dick and colleagues explains the technical basis of magnetic resonance imaging,and how it has thrown light on language processing in the brain.Although MRI is not justified as a routine clinical investigation for language-impaired children,it clearly has potential for identifying which language circuits are failing to develop normally,and so to enhance our understanding of the underlying basis of these common but mysterious difficulties.
 Although the textbooks sometimes imply that language disorders are distinct from other conditions,it is clear that in practice one sees many children with a clinical presentation that overlaps with autism and/or dyslexia.The chapter by Bishop looks at evidence for a genetic contribution to all three conditions,and to their overlap.Many of those working in educational fields assume that language and reading disorders are the result of bad parenitng or poor teaching.However,there is ample evidence that a child's genetic make-up affects how easy it is to learn to speak or read,and it seems likely that some genes increase the risk for several neurodevelopmental disorders.
 Psychological investigations frequently find impairments of verbal memory underlie language difficulties in children.The chapter by Maggie Vance considers the different kinds of memory impairment that can affect language learning,and ends with some useful strategies that can be used at home and at school to help overcome memory problems.
 One question that concerns all parents of a language-impaired child is what the long-term future holds.A unique study by Gina Conti-Ramsden provides some answers to this question from a study of a sample of language-impaired children first recruited at7years of age and followed up to school-leaving age at17years.The point she stresses is the considerable heterogeneity in outcomes:some children continue to struggle with language,but others do well.Interestingly,her study looked at psychosocial outcomes as well as language levels,and found again a mixed picture,but with many children doing well on measures of friendship and self-esteem.
 Three chapters focus on intervention.Susan Ebbels focuses specifically on grammatical difficulties,which affect comprehension as well as language expression,and discusses how making grammatical relationships visually explicit can provide a route in to help children gain understanding.
 Catherine Adams describes a pioneering study designed to evaluate intervention for children with pragmatic language impairments.These children typically speak in complex,fluent sentences,but their use of language is inappropriate,with utterances that are tangential,hard to follow,or poorly matched to the listener's needs.In addition,these children may misunderstand others because they take what is said too literally,or fail to use contextual cues.Adams has made an important start in identifying approaches to intervention with this neglected group,and adopts a rigorous approach to evaluating efficacy.
 Snowling and Hulme focus on tackling the literacy problems that frequently co-occur with language difficulties in children.As with the other chapters on intervention,they combine clinically-inspired insights with awareness of the importance of demonstrating effectiveness through properly controlled studies.
 The final chapter by Michael Rutter brings together major themes of the book,and looks ahead to the future.It is clear that we have come a long way in our understanding of developmental language disorders in the past few decades,but there is still a great deal we do not understand.
 We hope that readers of the Japanese version of this book will find it as inspiring to read as we have done,and that this might be reflected by a strong Japanese presence at the next Afasic International Symposium!
 Dorothy Bishop & Courtenay Frazier Norbury
 監訳者の序文(田中裕美子)
 日本語版への序文(Dorothy Bishop & Courtenay Frazier Norbury)
 はじめに
 用語の解説
第1章 言語発達障害児のための医学的評価や検査
 構音と言語の発達
 構音や言語に問題があるとは
 構音や言語の問題の分類
 保健センターや小児科などで初期診療にあたる者の役割
 言語聴覚士の役割
 複数の専門家による評価が必要な子どもとは?
 小児科や小児精神科の役割
 発達相談チーム(CDT)の役割
 二次的に言語障害を生じる要因
 染色体異常
 遺伝子の欠陥
 母体からの影響
 脳の構造的異常
 後天性の中枢神経系の障害
 てんかん
 構音に影響する構造的な欠陥―口蓋裂,粘膜下口蓋裂
 言語発達が阻害される症候群
 体系的な医学的評価や言語の問題についての検査
 構音や言語の問題についての原因解明の確率
 知的障害が疑われるときの検査
 構音や言語の退行
 構音や言語の問題についての医学的検査のまとめ
 文献
第2章 言語発達障害児の短期記憶の問題
 はじめに
 記憶を説明するモデル
 言語発達障害児における記憶の弱さは臨床的なマーカーとなるか?
 評価
 指導
 結語
 文献
第3章 MRIを用いた言語発達障害の研究
 MRIを子どもに使用する場合の利点と課題
 MRIを用いた言語発達研究
 言語発達障害についての脳イメージング
 ノート
 文献
 付録:MRIのメカニズム
第4章 SLI,ディスレキシア,自閉症の遺伝学からみた関係
 SLIの原因と考えられがちだが,そうではないこと
 遺伝学的リスク要因
 SLIとディスレキシアは,同じ障害(原因)の異なる表現型か?
 自閉症とSLIは同じ起源をもつか?
 研究の臨床的意義
 ノート
 文献
第5章 青年期のSLIにみられる多様性
 マンチェスター言語研究(MLS)
 青年期の症状は SLIについて何を示しているのか?
 文献
第6章 SLIの文法スキルの指導法
 はじめに
 指導効果を示す研究で重要なこと
 指導方法
 指導効果に影響する要因
 今後の研究への示唆
 臨床的な示唆
 要約
 文献
 付録A〜F
第7章 言語学習障害児の読み指導
 読み(書きことば)と話しことばの障害の関係
 読み(書きことば)と話しことばの評価
 読みの指導
 研究の積み重ねからわかってきたこと
 文献
第8章 語用性言語発達障害児の評価と指導
 はじめに
 PLIのための言語指導における最近の展望
 ソーシャルコミュニケーション指導プロジェクト
 RCTを用いたソーシャルコミュニケーション指導の効果測定
 結論
 文献
第9章 発達障害のリスクと診断
 診断の概念
 リスクや原因の概念
 リスクという概念をもつことの臨床的意義
 結論
 文献

 索引