やさしさと健康の新世紀を開く 医歯薬出版株式会社

訳者序文
 本書“Introduction to Adult Swallowing Disorders”は訳者がRedlandの Groher先生を訪問した際に,先生より直接プレゼントされたものである.この本は,序文にも書かれているように,主に米国の言語療法士(speech-language pathologist,SLP)向けに書かれた入門書である.一読したところ,大変コンパクトに要点がまとまっている上,嚥下障害に対するしっかりした取り組みと考え方が記載されていて,引き込まれた.特に,第7章以降は著者らの鋭い視点と的確な記載が素晴らしい.2007年5月にGroher先生が来日されることを契機として,本書を広く日本の読者に紹介したいと思い,訳出することとなった.
 著者のお二人は共にMichaelであり,大変仲の良いSLPである.欧米ではfirst nameで呼び合う習慣があるが,どのように区別するのかと質問したところ,即座にCrary先生が「bad Mike and good Mike」とお答えになり,お互いを指さして笑いあっていた.お二人の共通点は研究者というよりも,日々実際の患者診療に取り組んでいる実地臨床家というイメージが強いという点であろうか.Crary先生が実際にVF,VEをされる場面をclinicで拝見する機会があったが,検査後その場でスタッフと検査結果をdiscussionして,治療方針を検討している姿が印象的であった.このような日常診療がそのまま記述に反映されていることが本書の強みであろう.
 訳者がGroher先生を知ったのはM.E.Groher編著“Dysphagia Diagnosis and Management”の初版(1984年)である.この本を1989年に翻訳し出版(「嚥下障害その病態とリハビリテーション」医歯薬出版刊)させて頂いた.当時は嚥下障害に関する情報が少なく,得るものは大変多かった.その後,第2版が1992年に出版され,1996年に日本語訳を出した.初版に比べて内容が充実し,嚥下障害の標準的な教科書とも呼べる内容であった.さらに「第4回日本摂食・嚥下リハビリテーション学会学術大会」(1998年,9月12日,13日,浜松)の招待講演で来日の際に,第3版を翻訳出版させて頂いた.その後DRSや来日の折りにお付き合いさせて頂いているが,人柄は優しく温厚,話す内容は多方面に博識で,ユーモアにあふれ味わい深い,何より日本と日本人への理解があり,刺身や日本酒の大好きな点がうれしい.一方のCrary先生は訪問したときとDRSでお会いするときだけのお付き合いであるが,生き生きはつらつといったイメージで何しろ明るい.「静のGroherに対して動のCrary」といった感じであろうか.いつかCrary先生も日本にお呼びしたいと考えている.
 さて,作業をしていると翻訳の難しさを痛感する.原著はストレートでわかりやすい英語で書かれているが,本書で読みにくい部分も多くなってしまったことは,訳者の責任である.医療現場やリハビリテーションにおけるアメリカと日本の違いに思った以上に難渋した.また,文化の違いともいうべき壁も感じた.一つ例を挙げると“head flexion”をどう訳すかという問題がある.訳者は「頸部前屈」と以前から訳して来たし,日常の臨床でも「頸部前屈」を使用しているため,そのまま「頸部」と訳したが,直訳すれば「頭部前屈」となる.なぜ以前から“head flexion”を「頸部前屈」と訳して何の疑問も持たなかったのであろうか?これには日本人が歴史的・文化的に「頭部」を「首」と呼んできた無意識の言語感覚が影響したと思われる.「首実検」という言葉のように,日本人は首から上を「首」と考えるし,欧米人は“head”と捉えている.神経内科の疾患でも「首さがり」と本邦で呼ぶ疾患は“dropping head syndrome”と同様らしい(高橋 明:首下がり.神経内科51:1-12,1999).その他“behavioral therapy”と“rehabilitation”の使い分けなど,日本と大きな違いがある用語などに関しては注釈を付けたので参考にして頂ければ幸いである.
 冒頭にも述べたが本書は米国のSLP向けに書かれた本である.しかし,内容は広く嚥下障害の臨床に関わるコメディカル,さらに医師や歯科医師にとって大変役立つ情報が満載されている.わが国の嚥下障害の臨床は急速に進んでいるが,本書から学ぶことは大変多い.多くの読者のお役に立てば幸いである.
 なお本書を一通り訳した後,当院の嚥下チームのメンバー(敬称略,順不同:北條京子,前田広士,小島千枝子,戸倉晶子,森脇元希,片桐伯真,橋本育子,石橋敦子,西村 立,佐藤友里,大野友久,藤島百合子)に分担で各章を読んでもらいご意見をいただいた.感謝いたします.
 2007年3月吉日
 藤島一郎

原著者序文
 この15年間,言語療法士(speech pathologists)訳注1),作業療法士(occupational therapists),理学療法士(physical therapists),栄養士(dietitians)などのリハビリテーション専門職が協力して嚥下障害患者のケアに取り組んできた.医療現場において,言語療法士が扱う患者の70〜80%は嚥下障害者である.言語療法士は先頭に立って,嚥下障害患者の臨床管理を成功に導く研究の土台を築いてきた.嚥下障害患者に最も効果的なケアを提供するため,各種専門職がチームを組み,多くの言語療法士がそのチームリーダーの役割を果たしてきた.嚥下障害患者の管理に必要な研修はたいていの場合,嚥下障害患者を治療する医療現場で体験して獲得するものである.嚥下障害患者のケアを完璧に学べる研修機関はほとんどなく,研修生がその知識を実際に試すことのできる医療現場はさらに限られている.本書はリハビリテーション専門職,特に言語療法士を目指す人たちを対象に基本的な入門書として著したものである.言語療法士の需要は急速に高まっているにもかかわらず,これまで適切な入門書がなかったために言語療法士の研修に必要な基礎知識の習得に遅れや断片化が生じたと考えている.
 本書は診断と治療の両面を扱い,適切な患者管理に求められる診断と治療を結ぶ橋渡しとなるように心がけた.診断面に関しては疫学,正常な嚥下,症状の特徴,身体的評価と機器を用いた検査について説明する.治療面に関しては治療法の選択,実施,効果の判定について述べる.診断と治療の重要ポイントは別売りのビデオで説明している.ビデオには嚥下造影と内視鏡検査による正常像と嚥下障害像の例や,嚥下機能に対する訓練の効果の例が収録されている(ビデオ“Crary and Groher,Video introduction to Adult Swallowing Disorders.”販売元・Butterworth-Heinemann)*.
 教育に役立つように,各章のはじめに「問題」(focus questions)を掲げている.これを見れば読者は,ディスカッションのテーマに関して中心となる問題点の概略がつかめる.本文中太字で表示した用語は訳注2)専門用語であり,各章の最後に「本章に登場した用語」(chapter terms)としてその定義を述べた.また各章にまとめ「復習」(take home notes)があるので,クラスディスカッションに利用したり,最重要ポイントに的をしぼって復習したりする際に利用できる.さらに「症例」(case example)も記載されているので,各章で学んだ基本的な概念を総括するのに役立つ.
 入門書として必要な内容をまとめた本書と別売りのビデオが,嚥下障害患者のケアに初めて接する人たちの勉強に役立てば幸いである.これまで嚥下障害の専門職を目指す人たちに向けて書かれた教科書はなかった.多くの点で実践が理論をリードし上級者向けの教科書は作られているが,入門者向けの需要が伸び続けていることが忘れられている.
 別売りのビデオには,広く用いられている2種類の嚥下機能検査,内視鏡検査,嚥下造影検査の正常例と異常例を収載している.
 異常例は診断別でなく,実際に遭遇すると思われる機能障害の種類別に説明することにした.具体的な診断名と嚥下造影や内視鏡検査の結果を関連付けると,初心者には誤解を生じさせ,画像の解釈に対する理解を妨げることになりかねない.本文を補うために多くのビデオ画像が用意されている.
 入門書というコンセプトにしたがって,簡潔かつ適切な用語を用いた.各章では幅広い内容を取り上げているが,必ずしも完全に網羅しているわけではない.学びやすいように全体的に簡単明瞭にしてあるが,学んだことを忘れないように刺激的かつ取り組み甲斐のある内容も盛り込んでいる.読みやすいように専門書や論文等の参考文献の紹介は最小限にとどめ,各章の末尾にその章の内容に関連する読んでほしい「推せん文献」(suggested readings)の一覧を挙げておいた.
 全体として初心者のやる気を損なわず,未知なる医療分野に親しみを感じられるような教科書にすることを心がけた.勉強する皆さんが研究から得られた知識と臨床判断の基礎を固め,臨床の役に立つ経験的教訓を本書から学ぶことによって,未知なる分野に自信を持って参入できるよう願っている.嚥下障害患者の管理においてどのように臨床判断がなされるのか,その過程を伝えることが我々の目指すところである.
 Michael A.Crary
 Michael E.Groher
 訳注1):speech pathologistsおよびspeech-language pathologistsともに本書では言語療法士と訳した.本邦では平成10年に法律で定められて言語聴覚士と呼ばれているが,事情の異なる欧米の用語に用いることは適当でないと考えた.
 訳注2):本書では太字で示すとともにアンダーラインを付した.
 *ビデオ“Video Introduction to Adult Swallowing Disorders(Pal),2nd edition”については,以下のアドレスをご参照下さい.
 http://intel.elsevierhealth.com/catalogue/title.cfm?ISBN=0750673583)
 訳者序文
 原著者序文
第1章 嚥下障害とは
 定義
 罹患率/有病率
  脳血管障害
  頭頸部癌
  頭部外傷
  進行性神経疾患
  パーキンソン病
  筋萎縮性側索硬化症
  多発性硬化症
 ケアレベル
  急性期医療施設
  亜急性期医療施設
  リハビリテーション施設
  慢性期医療施設
  在宅医療施設
 嚥下チーム
  言語療法士
  耳鼻咽喉科医
  消化器科医
  放射線科医
  神経内科医
  歯科医
  看護師
  栄養士
  作業療法士
  呼吸器科医/呼吸療法士
    復習
    本章に登場した用語
    推せん文献
第2章 正常嚥下
 概要
 解剖学的構造
  口腔準備期
  口腔期
  咽頭期
  食道期
 嚥下の整理
  食塊の移動
  嚥下のメカニズム
 嚥下の神経支配
  末梢神経支配
  脳幹支配
  中枢神経支配
 嚥下と加齢
  生理的変化
  口腔期
  咽頭期
  食道相
    復習
    症例
    本章に登場した用語
    推せん文献
第3章 嚥下障害の徴候と症状
 嚥下障害の症状
  問診
  閉塞
  液体か固形物か
  胃食道逆流症
  食習慣
 嚥下障害の徴候
    復習
    症例
    本章に登場した用語
    推せん文献
第4章 神経疾患患者の嚥下障害
 予備知識:神経障害と嚥下症状
 人の嚥下機能に関わる神経の概要
  大脳皮質の機能
  大脳皮質の機能と嚥下障害
  嚥下機能に関わる大脳皮質領域
   片側大脳半球病変と両側大脳半球病変での問題の相違
  大脳半球脳血管障害における嚥下障害
   脳血管障害患者の嚥下障害に対する治療上の問題点
  認知症患者の嚥下障害
   認知症患者の嚥下障害に対する治療上の問題点
  外傷性脳損傷患者の嚥下障害
   TBI患者の嚥下障害に対する治療上の問題点
  皮質下の機能
  皮質下の機能と嚥下障害:パーキンソン病
   パーキンソン病患者の嚥下障害に対する治療上の問題点
  脳幹の機能
  脳幹の機能と嚥下障害
   脳幹の脳血管障害患者の嚥下障害に対する治療上の問題点
   嚥下における小脳の役割
  下位運動ニューロン疾患と筋疾患
  下位運動ニューロンの機能と嚥下障害
  筋疾患と嚥下障害
   多発性ニューロパチー
   重症筋無力症
   多発性筋炎,強皮症,全身性エリテマトーデス
   筋ジストロフィー
   下位運動ニューロン障害および筋疾患の患者に対する治療上の問題点
  神経原性嚥下障害に類似する医原性嚥下障害
    復習
    症例
    本章に登場した用語
    推せん文献
第5章 嚥下障害と頭頸部癌
 癌という疾患
  癌とは何か
  癌は人にどんな影響を与えるか
  癌の診断
  病期診断
 頭頸部癌の治療
  手術
  放射線治療
  化学療法
 頭頸部癌患者の嚥下障害
  術後の嚥下障害
   口腔癌の手術
   中咽頭癌の手術
   下咽頭癌の手術
   喉頭癌の手術
  放射線治療による嚥下障害
   放射線治療後の嚥下障害の特徴
  頭頸部癌患者の嚥下障害に対する治療戦略
  食塊送り込み障害に対する治療
  気道防御の問題に対する治療
  放射線による粘膜や筋の変化に対する治療
    復習
    症例
    本章に登場した用語
    推せん文献
第6章 食道・食道咽頭接合部疾患
 食道・食道咽頭接合部疾患
 胃食道逆流症
  胃食道逆流症とは?
  胃食道逆流症と食道
   食道炎
   狭窄を伴う食道炎
   バレット食道
  胃食道逆流症と咽頭食道接合部
   輪状咽頭筋の突出
   PESの線維化
   ツェンカー憩室
   PESのウェブ
  胃食道逆流症と喉頭
  胃食道逆流症と口腔
    復習
    症例
    本章に登場した用語
    推せん文献
第7章 診察による評価
 理論的根拠
 病歴
  要素
   先天性疾患
   神経疾患
   手術
   全身疾患,代謝疾患
   呼吸器疾患
   食道疾患
   過去の検査結果
   事前指示
 診察
  臨床検査
   栄養チューブ
   気管切開カニューレ
   呼吸パターン
   精神状態
  脳神経検査
   顔面筋
   咀嚼筋
   舌筋群
   口腔
   口腔咽頭
   咽頭
   喉頭
  嚥下テスト
  摂食評価
   環境
   摂食
   姿勢
   食事
   介助
 臨床検査の定型化
    復習
    症例
    本章に登場した用語
    推せん文献
第8章 嚥下機能の検査法:嚥下造影と嚥下内視鏡
 嚥下機能検査に関する考察
  機器を用いる嚥下検査の意図
   嚥下検査の目的
  機器を用いた嚥下検査の適応
  まとめ
 嚥下造影
  検査名の意味
  嚥下造影の目的
  嚥下造影の進め方
   患者の体位
   嚥下造影に使用する造影剤
   嚥下造影検査の具体的手順
   評価項目
  嚥下造影の利点と欠点
 嚥下内視鏡検査
  嚥下内視鏡と嚥下造影の違い
   類似点
   相違点
  嚥下内視鏡検査の具体的進め方
  嚥下内視鏡の利点と欠点
 嚥下造影と嚥下内視鏡の直接比較
    復習
    症例
    本章に登場した用語
    推せん文献
第9章 治療上考慮すべき点,治療法,治療法の選択
 嚥下障害の治療で一般的に考慮すべき点
 患者に即した治療を行う上で考慮すべき点
 治療法の選択に関して考慮すべき点
  治療法の選択についての考察
 嚥下障害の治療法の概観
  嚥下障害の内科的治療
  嚥下障害に対する外科的治療
   声門閉鎖の改善
   気道防御
   咽頭食道接合部の開大と改善
   嚥下障害のリハビリテーション
   食品の調整
    レオロジー
    一口量
    温度
    味と匂い
    見た目
   摂食行動の改善
   患者側の調整
   嚥下機構の改善
   嚥下の修正
 治療法を決定する手順の概略
  治療計画を立てる際の情報
  疑問を持ち意味のある問いかけをすること
  個別の治療計画の策定
  治療計画を立てるための体系
    復習
    症例
    本章に登場した用語
    推せん文献
第10章 リハビリテーションによる治療戦略
 エビデンスに基づいた医療
  エビデンスに基づいた医療の定義
  エビデンスのレベル
  エビデンスの適用に関する問題
 訓練法の選択と考慮すべき事項
  体位の調整
  頭位の調整
  気道防御:息こらえ嚥下と強い息こらえ嚥下
  嚥下の延長:メンデルゾーン手技
  努力嚥下
  舌突出手技(マサコ手技)
  等張性/等尺性運動:頭部挙上訓練,シャキア訓練
  温熱触覚刺激
  補助療法としてのバイオフィードバック
 エビデンスの利用について
    復習
    症例
    本章に登場した用語
    推せん文献
第11章 嚥下障害と倫理
 医の倫理
  事前指示
 経管栄養
  経腸栄養
  経鼻胃チューブ
  胃瘻チューブと空腸瘻チューブ
  経静脈栄養
 経管栄養の適用
 誤嚥性肺炎
  誤嚥性肺炎のリスクファクター
 医学的側面以外のリスクとメリット
  医学的側面以外のメリット
  医学的側面以外のリスク
 多くの倫理的ジレンマ
 最も多い倫理的ジレンマ
    復習
    症例
    本章に登場した用語
    推せん文献