やさしさと健康の新世紀を開く 医歯薬出版株式会社


 今,わが国において虚血性心疾患は年々増加の一途をたどっている.その代表的疾患である不安定狭心症(UA)と急性心筋梗塞(AMI)は,冠動脈プラークの破綻とそれに伴う血栓形成という共通した病因を介する連続した疾患スペクトル上に位置する病態であり,冠動脈の閉塞状況により生じる臨床所見から“不安定狭心症/非ST上昇型心筋梗塞“および“ST上昇型心筋梗塞”の2つに大別され,急性冠症候群(ACS)と呼称されている.
 本書は,このACSについて日々報告される多数の大規模臨床試験から得られる種々のエビデンスのうち,何をどのような基準で取捨選択し,そして,それらを実際の臨床の現場でどのように活用していけばよいのかを示した指針である.試験結果をただ単に解説し,無批判に受け入れるのではなく,随所に著者の見解を盛り込んだ.また,統計学のpitfallとして知られているリスク減少率のマジックを除去すべくNNTを採り入れ,随所でテーブル化し,詳述したことも大きな特徴である.
 EBMに準拠したという意味で表題をつけたが,大規模試験には多くの問題点もある.一部の試験を除き観察期間が短く,重症例,左室機能低下例あるいは高齢者が試験対象から除外されているだけでなく,無作為化といえども,主治医や患者自身の拒否,さらにCAG後にPCIも可能であることという条件がつけば,完全閉塞例やびまん性病変例は対象から除外される.また,angioplastyが血栓溶解療法より優れているという事例は,多数のPCIを実施している一部の施設で経験豊かな術者が施行した場合にしかないといってよい.本書では,大規模試験の結果を統計学的解析を駆使して批判的に検証吟味しつつ,こういった問題点についても指摘した.
 心イベント抑制成績は決して固定的なものではなく,CABGの著しい進歩,PCIにおけるデバイスの改良とステントのルーチン使用,さらに薬剤溶出ステントおよびGP「b/」a阻害剤やLMWHの登場により従来とは比較にならないほど年々向上の一途を遂げている.しかし,これら進歩の恩恵に最も広く浴しているのは,研究開発に成功した米国を主とする国民ではなく日本人であるといっても過言ではない.これは,いうまでもなく一にかかって保険制度による経済的理由のみからである.
 従来,UAとAMIとの鑑別には心筋逸脱酵素値の上昇(通常,ピークCKが正常上限値の2倍以上)が絶対的条件とされてきたが,UA患者の約30%で発症早期にトロポニンの上昇が認められるとの報告があり,その上昇は微小心筋障害などと表現されるようになった.このような報告が相つぐなか,ESC/ACC合同委員会は,AMIにおける心臓マーカーの第1選択を刷新しCKからトロポニンに変更して,トロポニン上昇により検出される微小梗塞(CK上昇2倍未満)や微小心筋障害を伴う高リスクUAをもAMIとして包括すべきであるとした.将来,トロポニンよりもさらに鋭敏な心臓マーカーが登場した暁にはUAという名称は消失するかもしれない.
 また現在,ACSの原因として,炎症,それもあの胃潰瘍と同じように細菌感染が有力視されている.欧米諸国では本疾患の治療に抗生剤を使用する試みがすでにいくつかの施設でなされ,その有用性が論議されているところであり,本書ではこの点についても詳述した.著者が本書をまとめた背景には,元はといえば正常範囲内での酵素変動に着目したことがある.ACSの原因として感染症がクローズアップされ,また,不安定狭心症と心筋梗塞が同一疾患カテゴリーに属するものとして捉えられるようになったことなどは,いずれも教条主義に陥ることなく,些細な点に注目した結果であることを汲み取っていただくことができれば幸いである.
 大規模臨床試験によって得られたエビデンスは,あくまで臨床判断を下すために考慮すべき要素のひとつでしかない.それは従うものではなく,使いこなすものである.杓子定規にエビデンスをふりかざすのではなく,エビデンスの内容を十分に吟味,批判したうえで,上手に利用すべきである.本書がレジデントや若手医師は無論のこと,広く循環器を志向する医師の日常診療に役立つことを願っている.
 最後に,統計学的諸事項に関し,富山医科薬科大学医学部統計・情報科学教室の折笠秀樹教授のご校閲ならびに貴重なご意見を賜りましたことに謹んで感謝の意を表します.また,企画から校正,出版に至るまで労を惜しまずに助力してくださった医歯薬出版株式会社編集部の塗木誠治,青木晶子両氏に厚くお礼申し上げます.
 2005年8月
 川崎 建市
 ・序
 ・凡例
 ・本書で使用した主な統計学的用語
 ・略語一覧
 ・臨床試験一覧
第1章 急性冠症候群の概念
 I 急性虚血性心疾患の新しい考え方
  A.急性冠症候群とは
  B.不安定狭心症と非ST上昇型心筋梗塞の鑑別
  C.不安定狭心症と心筋梗塞の相違
   1.分類からみた相違
   2.形態からみた相違
  D.まとめ
 II 急性冠症候群の原因
  A.既存プラーク上の非閉塞性血栓
  B.進行性機械的閉塞
  C.冠スパスム
  D.2次性不安定狭心症
  E.炎症あるいは感染症
   1.プラーク破裂と炎症
   2.動脈硬化の原因としての感染症
   3.炎症説の起源
   4.炎症説の現況
   5.血管炎症のトリガー ─非感染症因子と感染症因子─
   6.動脈硬化発生原因としてのC.pneumoniae
   7.C.pneumoniae感染の証明
   8.動物実験モデル
   9.C.pneumoniaeの感染メカニズム
   10.C.pneumoniae感染と脂質異常
   11.凝固亢進状態
   12.自己免疫反応
  F.まとめ
 III 急性冠症候群の病態
  A.プラークの破綻機序
   1.プラーク脆弱化の内的因子
   2.プラーク破綻促進の外的ストレス
    a.壁張力(wall stress)/b.ずり応力(shear stress)
  B.プラーク破綻後の血栓形成
   1.フィブリン溶解の障害
   2.血栓形成の律速過程
  C.不安定プラークおよび内皮細胞の安定化
   1.不安定プラークの安定化
   2.線維性被膜菲薄化の阻止
   3.平滑筋細胞の生合成機能増進とアポトーシスの防止
   4.炎症進展過程の阻害
   5.脂質コアサイズの縮小化
   6.メタロプロテアーゼ誘発マトリックス変性の防止
   7.内皮細胞の安定化
   8.内皮依存性血管拡張
   9.内皮依存性血管収縮
   10.ライフスタイルの改善
   11.膜安定化への新手法
    a.スタチン/b.ACE阻害薬/c.抗酸化物質/d.ホルモン置換療法/e.インターベンション
   12.アスピリンの1次予防効果
  D.まとめ
第2章 非ST上昇型ACS
 I 非ST上昇型ACSのリスク評価
  A.基本的臨床特性からみた予後決定因子
  B.臨床所見からみたリスク評価
   1.自覚症状
   2.理学的所見
  C.無症候性患者のリスク評価
  D.胸痛患者の鑑別診断
  E.検査所見からみたリスク評価
   1.胸部X線像
   2.心電図
    a.診断精度の向上/b.心電図波形からのリスク評価
   3.炎症マーカー
    a.CRP/b.Tリンパ球/c.マクロファージ/d.好中球/e.リンパ球/f.血清アミロイドA蛋白質/g.単球
   4.一般血液検査からみたリスク評価
   5.生化学マーカーからみたリスク評価
    a.CK,CK-MB/b.トロポニン/c.ミオグロビン/d.マトリックスメタロプロテアーゼ(MMP-9)/e.尿フィブリノペプチドAと活動性血栓/f.活性化プロテインCおよびvon Willebrand因子/g.ヒト心臓由来脂肪酸結合蛋白(H-FABP)/h.ホモシステイン/i.各種心臓マーカー特性を配慮した診断法の必要性
  F.まとめ
 II 非ST上昇型ACSの治療
  A.抗心筋虚血療法
   1.一般療法
   2.抗狭心薬
    a.ニトログリセリン/b.β遮断薬/c.Ca拮抗薬/d.アンギオテンシン変換酵素阻害薬(ACE阻害薬)およびアンギオテンシンII受容体拮抗薬(ARB)
  B.抗血小板療法
   1.血小板活性化阻害物質
    a.アスピリン/b.チエノピリジン(チクロピジンおよびclopidogrel)/c.血小板GPIIb/IIIa阻害剤
  C.抗凝固療法
   1.短期抗凝固療法薬
    a.へパリン
   2.直接的トロンビン阻害剤
   3.長期抗凝固療法薬.(ワルファリン療法)
  D.ワルファリン投与に関する臨床試験の総合評価
  E.血栓溶解療法
  F.まとめ
 III 非侵襲的または侵襲的検査法によるリスク評価
  A.非侵襲的検査法
   1.目的
   2.検査法の選択
    a.発症時心電図検査/b.負荷心電図検査/c.心エコー図検査
  B.侵襲的検査法
   1.目的
   2.冠動脈造影の適応
 IV 早期保存的あるいは早期侵襲的治療戦略の選択
  A.一般原則
   1.早期保存的治療戦略の原則
   2.早期侵襲的治療戦略の原則
    a.immediate angiography/b.deferred angiography
  B.臨床試験の総合評価
  C.まとめ
 V 冠動脈血行再建術
  A.PCI
  B.CABG
  C.退院後のケア
   1.退院前後の治療法
   2.退院後慢性期の治療法
  D.まとめ
 VI 特殊病態への対応
  A.糖尿病
  B.高齢者
  C.女性
  D.異型狭心症
  E.まとめ
第3章 ST上昇型心筋梗塞
 I 検査所見とリスク評価
  A.臨床所見
  B.検査所見    1.心電図
   2.左室機能
   3.不整脈
   4.運動負荷試験
  C.まとめ
 II 発症早期のリスク評価と処置
  A.CCU入院とリスク評価
   1.CCU入退院基準
   2.CCU入院直後の処置
  B.一般処置および薬剤療法
   1.酸素
   2.ニトログリセリン
   3.麻薬などの鎮痛剤
   4.アスピリン
   5.アトロピン
   6.β遮断薬
   7.Ca拮抗薬
   8.ACE阻害薬
  C.まとめ
 III ST上昇型心筋梗塞と再灌流療法
  A.血栓溶解療法
   1.血栓溶解療法の適応と有用性
   2.血栓溶解療法の適応外施行/適応内非施行
   3.血栓溶解剤の選択
   4.補助療法─抗血小板・抗血栓療法─
  B.angioplasty
   1.primary angioplasty
   2.primary angioplastyによる死亡率改善効果
   3.primary angioplastyにおけるステントおよびGPIIb/IIIa阻害剤の使用
   4.心外膜側動脈および心筋内微小血管の再灌流
   5.rescue angioplastyとfacilitate angioplasty
   6.冠動脈内抗血小板薬注入療法
   7.angioplastyのための搬送
   8.特殊状況におけるAMI患者に対するangioplasty
   9.primary angioplastyの制約
  C.血栓溶解療法は過去の治療法か
  D.薬剤溶出性ステント
  E.まとめ

 ・索引