はじめに―人工冬眠研究の現在地と,その先にある問い
砂川玄志郎
理化学研究所生命機能科学研究センター冬眠生物学研究チーム
はじめに―SFから科学,そして医療へ
“人工冬眠”という言葉は,長らくサイエンス・フィクション(SF)の専売特許であった.恒星間航行における老化の抑制や,不治の病の治療法確立を待つための生体保存―.物語の中で描かれてきたその技術は,しかし今,生物学と医学の進展により,現実的な科学の対象としてその姿を現しつつある.
これまで冬眠は,リスやクマなどの特定の動物種にみられる特権的な生存戦略であり,人間には不可能な現象であると考えられてきた.しかし近年の研究は,哺乳類に潜在する“低代謝・低体温”へのスイッチが,ヒトを含む非冬眠動物にも保存されている可能性を強く示唆している.
本特集「人工冬眠がもたらす次世代医療に向き合う」は,単なる知的好奇心の充足を目的としたものではない.われわれが目指すのは,人工冬眠を,再現可能かつ制御可能な“医療技術”として定義し,現代医療が直面する限界を突破するためのロードマップを提示することである.
“体温を下げる“医療から“代謝を下げる”医療へ
現在,臨床現場において冬眠に近い概念として実践されているのが,体温管理療法(targeted temperature management:TTM)である.心停止後症候群や重症脳損傷に対して,体温を一定の水準よりも低く保つことで脳保護を図るこの手法は,一定の成果を上げている.しかし,そこには生理学的なパラドックスが存在する.恒温動物であるわれわれの身体は,過度な冷却に対してシバリング(身震い)や熱産生亢進といった強力な抵抗を示すためである.これらを抑制するために鎮静・鎮痛薬を用いねばならない現状は,生体に過大な負担を強いる.
ここで,冬眠研究が提示するパラダイムシフトが“能動的低代謝(active hypometabolism)”である.冬眠中の動物は外的要因で体温が低下するのではなく,積極的に生体のエネルギー需要を低下させ,結果として体温が下がる―この順序の逆転こそが,生体防御反応を回避し,安全かつ長期的な生体保存を可能にする鍵となる.
本特集の冒頭(山田・大鶴の稿)では,まず現行のTTMが到達した地点と,そこから代謝制御療法へと移行することの臨床的意義について,救急・集中治療の最前線から論じていただく.これは,基礎研究の成果をどの“医療ニーズ”に接続すべきかを明確にするための,極めて重要な視点である.
多角的なアプローチと生体防御の謎
では,具体的にどのようにして代謝を制御し,生体を守るのか.砂川の稿,齊藤・櫻井の稿では,その技術的基盤と生物学的メカニズムに焦点をあてる.
筆者らが報告した視床下部のQ神経(Q neurons)は,刺激することで冬眠様状態(QIH)を誘導できる中枢のスイッチである.しかし,アプローチは脳への直接介入だけではない.本特集では,超音波刺激を用いた,より非侵襲的な刺激による冬眠誘導の可能性についても第一人者に解説を願った(Chan・片山・竹内の稿).これらは,将来的なヒトへの臨床応用を考えるうえで極めて有望な選択肢となりうる.
また,冬眠動物が持つ驚異的な“耐性”も無視できない.数カ月に及ぶ不動状態でも筋肉が萎縮せず,極低温下でも細胞が死滅しないのはなぜか(宮﨑の稿および曽根の稿).さらに,体内時計は停止しているのか,それとも動き続けているのか(塚本の稿).これらの分子機構を解明し,ヒトに応用することができれば,寝たきり高齢者のサルコペニア予防や,移植用臓器の長期保存といった,救急医療以外の広範な領域にも革命をもたらすであろう.
時間,倫理,そして人間観の更新
人工冬眠技術が社会実装されたとき,それは単に“新しい治療法“が増えること以上の意味を持つ.なぜなら,代謝を制御することは,生物学的な“時間の流れ”を操作することと同義だからである.
これまで人間は,死ぬまで止まることのない不可逆な時間を生きてきた.しかし,もし人生のなかに“活動しないが生きてはいる“という一時停止期間が挿入可能になったとき,われわれの死生観や社会制度はどう変わるべきか.本特集では,哲学,社会制度設計,医療倫理の専門家(谷川の稿および井上の稿),そして作家の瀬名秀明氏を迎え,この技術がもたらす人間観の変容について議論を深める.技術が確立してから倫理を問うのでは遅すぎる.われわれは今,科学と人文知を総動員して,きたるべき“冬眠社会”の設計図を描きはじめる必要がある.
おわりに
“人工冬眠”は,もはや遠い未来の夢物語ではない.それは,医学,生物学,工学,そして人文学が交差する最先端のフロンティアである.本特集が,読者諸賢にとって,既存の生命観を揺さぶり,次世代の医療をともに創り上げるためのインスピレーションとなることを願ってやまない.
砂川玄志郎
理化学研究所生命機能科学研究センター冬眠生物学研究チーム
はじめに―SFから科学,そして医療へ
“人工冬眠”という言葉は,長らくサイエンス・フィクション(SF)の専売特許であった.恒星間航行における老化の抑制や,不治の病の治療法確立を待つための生体保存―.物語の中で描かれてきたその技術は,しかし今,生物学と医学の進展により,現実的な科学の対象としてその姿を現しつつある.
これまで冬眠は,リスやクマなどの特定の動物種にみられる特権的な生存戦略であり,人間には不可能な現象であると考えられてきた.しかし近年の研究は,哺乳類に潜在する“低代謝・低体温”へのスイッチが,ヒトを含む非冬眠動物にも保存されている可能性を強く示唆している.
本特集「人工冬眠がもたらす次世代医療に向き合う」は,単なる知的好奇心の充足を目的としたものではない.われわれが目指すのは,人工冬眠を,再現可能かつ制御可能な“医療技術”として定義し,現代医療が直面する限界を突破するためのロードマップを提示することである.
“体温を下げる“医療から“代謝を下げる”医療へ
現在,臨床現場において冬眠に近い概念として実践されているのが,体温管理療法(targeted temperature management:TTM)である.心停止後症候群や重症脳損傷に対して,体温を一定の水準よりも低く保つことで脳保護を図るこの手法は,一定の成果を上げている.しかし,そこには生理学的なパラドックスが存在する.恒温動物であるわれわれの身体は,過度な冷却に対してシバリング(身震い)や熱産生亢進といった強力な抵抗を示すためである.これらを抑制するために鎮静・鎮痛薬を用いねばならない現状は,生体に過大な負担を強いる.
ここで,冬眠研究が提示するパラダイムシフトが“能動的低代謝(active hypometabolism)”である.冬眠中の動物は外的要因で体温が低下するのではなく,積極的に生体のエネルギー需要を低下させ,結果として体温が下がる―この順序の逆転こそが,生体防御反応を回避し,安全かつ長期的な生体保存を可能にする鍵となる.
本特集の冒頭(山田・大鶴の稿)では,まず現行のTTMが到達した地点と,そこから代謝制御療法へと移行することの臨床的意義について,救急・集中治療の最前線から論じていただく.これは,基礎研究の成果をどの“医療ニーズ”に接続すべきかを明確にするための,極めて重要な視点である.
多角的なアプローチと生体防御の謎
では,具体的にどのようにして代謝を制御し,生体を守るのか.砂川の稿,齊藤・櫻井の稿では,その技術的基盤と生物学的メカニズムに焦点をあてる.
筆者らが報告した視床下部のQ神経(Q neurons)は,刺激することで冬眠様状態(QIH)を誘導できる中枢のスイッチである.しかし,アプローチは脳への直接介入だけではない.本特集では,超音波刺激を用いた,より非侵襲的な刺激による冬眠誘導の可能性についても第一人者に解説を願った(Chan・片山・竹内の稿).これらは,将来的なヒトへの臨床応用を考えるうえで極めて有望な選択肢となりうる.
また,冬眠動物が持つ驚異的な“耐性”も無視できない.数カ月に及ぶ不動状態でも筋肉が萎縮せず,極低温下でも細胞が死滅しないのはなぜか(宮﨑の稿および曽根の稿).さらに,体内時計は停止しているのか,それとも動き続けているのか(塚本の稿).これらの分子機構を解明し,ヒトに応用することができれば,寝たきり高齢者のサルコペニア予防や,移植用臓器の長期保存といった,救急医療以外の広範な領域にも革命をもたらすであろう.
時間,倫理,そして人間観の更新
人工冬眠技術が社会実装されたとき,それは単に“新しい治療法“が増えること以上の意味を持つ.なぜなら,代謝を制御することは,生物学的な“時間の流れ”を操作することと同義だからである.
これまで人間は,死ぬまで止まることのない不可逆な時間を生きてきた.しかし,もし人生のなかに“活動しないが生きてはいる“という一時停止期間が挿入可能になったとき,われわれの死生観や社会制度はどう変わるべきか.本特集では,哲学,社会制度設計,医療倫理の専門家(谷川の稿および井上の稿),そして作家の瀬名秀明氏を迎え,この技術がもたらす人間観の変容について議論を深める.技術が確立してから倫理を問うのでは遅すぎる.われわれは今,科学と人文知を総動員して,きたるべき“冬眠社会”の設計図を描きはじめる必要がある.
おわりに
“人工冬眠”は,もはや遠い未来の夢物語ではない.それは,医学,生物学,工学,そして人文学が交差する最先端のフロンティアである.本特集が,読者諸賢にとって,既存の生命観を揺さぶり,次世代の医療をともに創り上げるためのインスピレーションとなることを願ってやまない.
特集 人工冬眠がもたらす次世代医療に向き合う
はじめに─人工冬眠研究の現在地と,その先にある問い(砂川玄志郎)
体温管理療法から代謝制御療法へ─救急集中治療における休眠療法の応用展望(山田博之・大鶴 繁)
冬眠がもたらす臨床応用の可能性(砂川玄志郎)
経頭蓋超音波照射による生理機能制御─自由行動動物への冬眠様状態の誘導に向けて(Michele Chan・他)
冬眠様状態を制御する中枢神経機構─低体温・低代謝を導く神経回路とその応用(齊藤夕貴・櫻井 武)
冬眠動物に学ぶ“衰えない筋肉”─低代謝状態による筋恒常性維持機構(宮﨑充功)
冷やしても死なない細胞の仕組み─冬眠哺乳類の低温耐性メカニズムの解明に向けて(曽根正光)
冬眠における時計遺伝子発現の再編成─シマリス肝臓にみる深冬眠-中途覚醒サイクルと末梢時計の部分再起動(塚本大輔)
人工冬眠技術をめぐる哲学的論点の整理と,“同期”の崩壊について(谷川嘉浩)
低体温・低代謝の人工的導入と医療倫理─いわゆる“人工冬眠”と倫理の接点(井上悠輔)
[コラム]人工冬眠を描いたフィクション作品群の発展(瀬名秀明)
TOPICS
免疫学 日本人COVID-19感染回復者で誘導・維持される強力なHLA-C拘束性キラーT細胞応答(本園千尋)
感染症内科学 見逃してはいけないマダニの被害(小泉陽介・泉川公一)
連載
医療にいかす行動経済学(25)
日本における幸福/ウェルビーイングの現状と要因について─医療行動経済学への示唆(石川善樹)
知っておくと役に立つ!臨床医のための臨床検査医学講座(13)
糖尿病代謝関連検査(佐藤麻子)
ネオ免疫学 生命進化に学ぶ免疫学のパラダイムシフト(2)
自己と非自己の識別─タスマニアデビルの受難(新田 剛)
FORUM
分子生物学の臨床応用 “分子“から“疾患・患者”へ(12) ミトコンドリア病新規検査法の開発─包括的遺伝子検査からマルチオミクス診断への展開(岡﨑康司・村山 圭)
次号の特集予告
はじめに─人工冬眠研究の現在地と,その先にある問い(砂川玄志郎)
体温管理療法から代謝制御療法へ─救急集中治療における休眠療法の応用展望(山田博之・大鶴 繁)
冬眠がもたらす臨床応用の可能性(砂川玄志郎)
経頭蓋超音波照射による生理機能制御─自由行動動物への冬眠様状態の誘導に向けて(Michele Chan・他)
冬眠様状態を制御する中枢神経機構─低体温・低代謝を導く神経回路とその応用(齊藤夕貴・櫻井 武)
冬眠動物に学ぶ“衰えない筋肉”─低代謝状態による筋恒常性維持機構(宮﨑充功)
冷やしても死なない細胞の仕組み─冬眠哺乳類の低温耐性メカニズムの解明に向けて(曽根正光)
冬眠における時計遺伝子発現の再編成─シマリス肝臓にみる深冬眠-中途覚醒サイクルと末梢時計の部分再起動(塚本大輔)
人工冬眠技術をめぐる哲学的論点の整理と,“同期”の崩壊について(谷川嘉浩)
低体温・低代謝の人工的導入と医療倫理─いわゆる“人工冬眠”と倫理の接点(井上悠輔)
[コラム]人工冬眠を描いたフィクション作品群の発展(瀬名秀明)
TOPICS
免疫学 日本人COVID-19感染回復者で誘導・維持される強力なHLA-C拘束性キラーT細胞応答(本園千尋)
感染症内科学 見逃してはいけないマダニの被害(小泉陽介・泉川公一)
連載
医療にいかす行動経済学(25)
日本における幸福/ウェルビーイングの現状と要因について─医療行動経済学への示唆(石川善樹)
知っておくと役に立つ!臨床医のための臨床検査医学講座(13)
糖尿病代謝関連検査(佐藤麻子)
ネオ免疫学 生命進化に学ぶ免疫学のパラダイムシフト(2)
自己と非自己の識別─タスマニアデビルの受難(新田 剛)
FORUM
分子生物学の臨床応用 “分子“から“疾患・患者”へ(12) ミトコンドリア病新規検査法の開発─包括的遺伝子検査からマルチオミクス診断への展開(岡﨑康司・村山 圭)
次号の特集予告















