やさしさと健康の新世紀を開く 医歯薬出版株式会社

序―一人の矯正臨床家として,読者の皆さまへ
 歯科医師となり,矯正歯科の道を歩み始めてから今日まで,多くの患者さんと出会い,多くのことを学ばせていただきました.そして,私が大学にて学んだ歯科矯正学を取り巻く環境は大きく変化しました.診断にはCBCTやデジタルスキャナーが用いられ,AIやデジタルシミュレーションは日々進歩しています.治療装置も飛躍的に進化し,以前では想像もできなかった矯正装置による治療が可能となりました.
 しかし,その一方で,私は臨床において1つの懸念を抱くようになりました.
 便利な時代になればなるほど,私たちは「どの装置を使うか」「どのように歯を動かすか」に目を奪われ,「なぜこの患者さんはこの不正咬合に至ったのか」「どのような人生を歩み,どのような未来を目指すのがこの患者さんにとって最善か」という,本来最も大切な問いを軽視するようになってしまったのではないでしょうか? 歯科矯正治療は,歯を並べる医療ではありません.患者さんの成長発育を理解し,骨格,咬合,口腔機能,顔貌の調和を考え,生涯にわたり安定した口腔環境を築くための医療です.そのためには,診断こそがすべての出発点であり,診断なくして適切な治療目標も,適切な治療メカニクスも存在しません.
 私はBioprogressive Philosophy(現在はZerobase Bioprogressive Philosophyへと発展)に出会い,多くのことを学ばせていただきました.しかし,その哲学から学んだ最も大切なことは,特定のテクニックではなく,「生体を尊重すること」,その一言に尽きます.成長には成長の法則があり,機能には機能の意味があり,生物学には決して越えてはならない限界があります.臨床家の役割は,それらを支配することではなく,理解し,尊重し,患者さんが本来もつ生物学的な可能性を最大限に引き出すことだと私は考えています.
 本書には,小児から高齢者まで,骨格性不正咬合や咬合崩壊を伴う難症例を数多く収載しました.しかし,私が本当にお伝えしたいのは,症例写真でも治療結果でもありません.
 “なぜ,その診断に至ったのか?”
 “なぜ,その治療法を選択したのか?”
 その思考の過程です.
 どうか本書を,症例集としてではなく,一人の臨床家が長年の診療を通して考え続けてきた「臨床との対話」として読んでいただければ幸いです.
 患者さんは,歯ではありません.
 一人の人生を歩む“人”です.
 その人の背景に耳を傾け,その人の未来を思い描き,その人にとって最善の医療を考え続けること.それこそが,歯科矯正学の本質であり,私がこの本を通して最も伝えたかったことです.
 本書が,皆さん一人ひとりの臨床を見つめ直すきっかけとなり,患者さんと向き合う時間をより豊かなものにしてくれることを,心より願っています.
 2026年初秋 文野弘信


推薦のことば
 このたび,私にとって有能な後輩であり,現在は東京・銀座にて矯正歯科専門医として研鑽を積まれた文野弘信先生が,かねてより歯科専門誌『歯界展望』において連載されてきた論考を一書に集成され,刊行の運びとなりました.
 文野先生は,1990年東京歯科大学を卒業後,ニューヨーク大学大学院にて矯正歯科の専門研修を修了し,1994年より京都の永田賢司先生の診療室(永田矯正歯科)に勤務されました.そこで,バイオプログレッシブの理念を体得し,現在の臨床に実践されています.
 現在,文野先生は矯正医としての臨床の傍ら,われわれ「歯科矯正研究会 バイオプログレッシブ・スタディクラブ(BSC)」の会長を務めておられ,また,地域歯科医師会の発展に尽力する中核的役割も担い,多忙を極める日常を送っておられます.そのなかで,多岐にわたる症例に向き合い,その本質的問題を見出し,治療方針およびその具体的手技について,精緻な記述をもって詳述することは,決して容易な取り組みではありません.加えて,日々の診療に携わりながら,2017年1月号~同年12月号,さらに2022年1月号~6月号に至るまで,のべ1年半にわたり連載を継続されたという事実は,ひとえに文野先生の並々ならぬ精進と不断の努力の結晶と申せましょう.
 今日の矯正歯科臨床は,先進技術の導入により多彩なテクニックが展開されております.しかしながら,R.M.Ricketts先生やCarl F.Gugino先生が私たちに託したバイオプログレッシブの理念は,患者一人ひとりの保有する解剖,生理,病理学的背景や特性を理解し,個別化された診断と治療計画の構築を最重視する点にあります.そのうえで初めて,各患者に最適化された治療体系と技術が選択・統合されるのです.
 文野先生は長年にわたる臨床経験の積み重ねのなかから,バイオプログレッシブを実践しながら,自らの治療哲学を深め,本書という結実へと昇華されました.本書の刊行は,矯正治療が単なる技術の集積ではなく,厳密な診断に裏打ちされた医療行為であることを再認識する貴重な契機となるに違いありません.
 2026年9月
 根津 浩
 根津矯正歯科クリニック 院長


推薦のことば
 このたび,私のオフィスに勤務していただいていた文野弘信先生が,全18回にわたるシリーズをもとに矯正臨床報告をまとめられ,本書を出版される運びとなりました.私にとりましても,大変喜ばしく,実に痛快な出来事であります.
 文野先生は東京歯科大学をご卒業後,ニューヨーク大学大学院を修了され,当時,東京歯科大学歯科矯正学講座に勤務されていた末石研二先生のご紹介により,当院(永田矯正歯科)に勤務していただくこととなりました.
 当院は大学病院での臨床とは異なり,1日の患者数が非常に多いため,当初は戸惑われていたことを記憶しております.しかしながら,半年も経たないうちに期待以上の実力を発揮され,その卓越した能力に大きな安心と信頼を抱いたものでした.文野先生の臨床能力はきわめて高く,適切な診断と治療において決して手順を省略することなく,常に確実性を重視した診療を実践されています.その姿勢と実力は,本書においても遺憾なく発揮されております.当院での勤務経験が,少しでも先生のお役に立てているのであれば幸いです.
 現在,文野先生は歯科矯正研究会「バイオプログレッシブ・スタディクラブ(BSC)」の会長を務められ,さらに本会が企画するグジノコースのインストラクターとしても活躍されています.バイオプログレッシブ・スタディクラブは,Carl F.Gugino先生の「Zerobase Bioprogressive Philosophy」の理念のもと活動している研究会です.近年の矯正歯科治療においては,患者個々の特性が軽視され,診断そのものの重要性が薄れつつある傾向も見受けられます.しかし本研究会では,患者がもつ個々の特性を最大限に抽出し,その患者に最も適した治療法を選択・実践することを理念としております.文野先生の臨床もまた,この理念に基づいて行われており,近年ではその治療選択肢として新たなるファンクショナルアプライアンスにも応用されています.本書は,矯正歯科を学ばれる先生方にとって,必ずや有益な知見と示唆をもたらす一冊となることでしょう.
 最後に,文野先生のますますのご研鑽により,日本の矯正臨床ならびに教育がさらに発展されることを心より期待しております.
 2026年9月
 永田賢司
 永田矯正歯科 院長


推薦のことば
 文野弘信先生,このたびは本書のご出版,誠におめでとうございます.
 本書のなかで一貫して流れているのは,「技術としての矯正歯科」ではなく,「治療学としての矯正歯科」という思想です.診断,治療目標,治療計画を軸に,骨格,咬合,機能,審美,さらには成長発育や全身状態までを,包括的に捉えながら治療へと結びつける診療哲学が随所に示されています.とりわけ,不正咬合を単なる歯列不正としてではなく,呼吸,舌位,嚥下,口腔周囲筋機能などとの関連のなかで理解しようとするバイオプログレッシブ治療理念からの視点は,本書全体を貫く大きな特徴といえるでしょう.
 近年,デジタル技術やアライナー矯正の急速な発展により,矯正歯科治療は大きな変革期を迎えています.しかしながら,どれほど装置や技術が進歩しても,適切な診断なくして良好な結果は得られません.本書では,診断に基づき個別の治療目標を設定し,患者ごとに最適なメカニクスを選択することの重要性が愚直なほどに繰り返し説かれています.これはまさに矯正歯科治療の本質であり,長年臨床の第一線に立ち続けてきた著者だからこそ語ることのできる,重みのあるメッセージです.
 また,本書の魅力は,その対象領域の広さにもあります.成長期の骨格性下顎前突症例への対応,機能的問題を伴う難症例の診断と治療,さらには重度歯周病による咬合崩壊症例や成人矯正,そして近年注目を集めるアライナー矯正に至るまで,多彩な症例を通して矯正歯科医の思考過程が具体的に示されています.そこには単なる治療テクニックの解説ではなく,「なぜその治療方針を選択したのか」という根拠が明確に記されています.
 私自身,大学病院において教育・研究・臨床に携わる立場として,本書が若い矯正歯科医にとって優れた学習書であるだけでなく,経験を積んだ臨床家にとっても,自らの診断や治療方針を改めて見つめ直す機会を与えてくれる一冊であると確信しています.目の前の歯だけを見るのではなく,患者全体を診ることの重要性を再認識させてくれるからです.
 本書は,長年にわたり臨床の最前線で数多くの患者と真摯に向き合い,矯正歯科治療の本質を追求し,そして現在,バイオプログレッシブ・スタディクラブ(BSC)の会長としてご活躍をされている文野弘信先生の経験と知見の集大成です.これから矯正歯科治療を学ぼうとする一般の歯科医師,矯正歯科専門医を志す若い先生はもちろんのこと,矯正治療というものがわかりかけてきた矯正歯科医に大きな学びがある名著として,ここに推薦いたします.
 2026年9月
 西井 康
 東京歯科大学歯科矯正学講座 主任教授
 序
 推薦のことば
I編 概論
  1 歯科矯正治療における「目的」「診査」「診断」の重要性
  2 歯科矯正治療における「治療目標」「治療計画」「治療メカニクスの選択」の重要性
  I編 参考文献
II編 症例解説
 成人期の歯科矯正治療
  Case 1 ガミースマイルを伴う成人Angle I級 上下顎前突症例
  Case 2 叢生を伴う成人Angle I級 非抜歯症例
  Case 3 過蓋咬合を伴う骨格性上顎前突症例
  Case 4 前歯部開咬を伴う骨格性上顎前突症例
  Case 5 骨性癒着歯をもつ側方歯開咬症例
 小児期(成長期)の歯科矯正治療
  Case 6 予防および抑制矯正としての早期治療のメリット
  Case 7 過蓋咬合を伴うAngle II級1類 小児非抜歯症例
  Case 8 成長と機能的問題を伴うAngle III級 フルクロスバイトの小児非抜歯症例
 中高年世代の包括的歯科矯正治療
  Case 9 重度歯周病症例への本格矯正治療による咬合再構築・1
  Case 10 重度歯周病症例への本格矯正治療による咬合再構築・2
  Case 11 審美補綴治療における本格矯正治療の介入症例・1
  Case 12 審美補綴治療における本格矯正治療の介入症例・2
 アライナー型矯正装置を用いた歯科矯正治療
  アライナー矯正の特徴
  Case 13 アライナー型矯正装置による矯正治療・1―Angle I級,叢生症例
  Case 14 アライナー型矯正装置による矯正治療・2―Angle I級,過蓋咬合症例
  Case 15 アライナー型矯正装置による矯正治療・3―Angle III級,前歯叢生症例
  II編 参考文献

 参考資料
  1 正常咬合と不正咬合の考え方―臼歯部および犬歯のI級関係
  2 Zerobase Bioprogressive Philosophy(ゼロベース・バイオプログレッシブ法)とは
  3 側面セファロ分析における主な計測点と計測平面
  4 Ricketts分析における主な計測点および分析平面
  5 Ricketts分析(12 Factors)における日本人9歳児標準値
  6 Ricketts分析における分析項目
  7 Zerobase Bioprogressive Philosophy(ZBP)におけるCBCTの活用
  8 Zerobase Bioprogressive Philosophy(ZBP)における代表的な治療装置
  9 Zerobase Bioprogressive Philosophy(ZBP)におけるワイヤーデザイン

 Column
  1 セファロメトリクスの臨床的意義
  2 アンロッキングコンセプトとは
  3 カウンセリングの重要性
  4 早期治療におけるトレーナーの応用
  5 抜歯・非抜歯の考え方
  6 アウェアネストレーニング(awareness training:AT)とは

 索引
 あとがき
 著者略歴