やさしさと健康の新世紀を開く 医歯薬出版株式会社

(ちょっとながい) はじめに
 筆者は九州大学歯学部を卒業して3年ほど経った1999年に,思いがけず居抜き開業のチャンスを得た.親は公務員であり,歯科業界とは縁遠く,自分が何かを始めなければならなかったこともあり,思い切って開業医になる道に進んだ.実質の修行期間は短く,明らかに実力不足ながら,保険治療を中心に「いわゆる“小さな町の小さな歯医者さん”としてこの街に微力ながら貢献していこう」と希望に胸を膨らませた.
 しかし,そんな経験不足が通用するほど現実は甘くない.地域の患者さんの口腔内の状況はことさら過酷に感じたが,そう感じる理由は私自身の知識や経験のなさ以外の何物でもなかった.
 開業から5カ月が過ぎたある日,受付で前日にブリッジを仮着した患者さんが声を荒げていた.治療中の私は手を止めて受付に行き,「どうされましたか?」と訊いた.
 彼は「お前が昨日つけたやつだ!」と怒りのままにブリッジを投げつけてきた.ブリッジは私の額に当たった.
 パニック!
 歯科医院の院長たるもの毅然と対応すべきところを「ひい」と声が漏れた.彼は「負担金を返せ!」と怒鳴り続け,私は謝罪とともにその要求に応じた.
 やり取りを隣で見ていた受付スタッフは「情けない……」とため息をつき,そのあと辞めていった.
 私の心は萎え切った.歯科医師としての自分は救いようがなく思え,帰りにパチンコ屋でただただ玉を打っていた.当時は独身で実家暮らしだったので,母親が起きていて「こんな遅くまでお疲れね,シンイチが歯医者さんで院長先生とはねぇ.私は嬉しいよ」と唐突に言ってきた.実は患者に罵倒されてパチンコで自分を慰めて帰ってきたとは言えず,「ああ」などと言ってやり過ごすしかなかった.
 その夜,布団のなかで悶々とした.そもそも仮着ながらすぐに脱離するブリッジを施した私が悪かった.そして,仮着の意味するところをしっかりと伝えきれていない私が悪かった.
 でも,なぜあのブリッジはすぐ取れてしまったのだろうか?
 思えば支台歯は低く,スピーカーブで強く湾曲し,顎を動かすとテコの原理で揺れていたかもしれない.でもそれをじっくりと確認していない.反省点や気になる点が次々と頭をよぎり眠れなくなった.
 同時期に患者から信頼を失う経験も一度や二度ではなく,当然ながらスタッフからも見限られることになった.失意というより,こんな状況にもかかわらず「先生」と呼ばれていることが恥ずかしかった.
 それでも歯科医院と名乗っている以上,患者さんは来てくれる.「こんな私でも信頼してお越しいただく患者さん方に,これからも不義理を続けていくのか」と自分に絶望した.絶望しながらも,相変わらずパチンコ屋が身の置き場だった.
 自分はもう終わってしまう.何のために歯科医師になって,歯科医院を始めたんだろう…….そんな気持ちで景品交換所に並んでいると,同じく歯科医師になった高校の後輩が通りかかった.隣には,風格を漂わせた大人の人がいた.惨めな姿を見られたくなくて,私は思わず身をかがめた.
 通り過ぎていった人は,景品交換所の2軒隣りにある歯科医院の院長先生――医療法人昌学会まさき歯科・中川昌樹先生――だった.あのとき声を掛けられなかったが,後輩は私に気づいていたらしく,後日連絡してきて中川先生を紹介してくれた.先生からは,「歯科医師は勉強することで救われるよ.うちに来なさい.」とお声がけいただいた.
 惨めな境遇に救いの手が差し伸べられることになった.医院を見学し,歯科治療のイロハを教えていただき,院長たる心構えや医院をまとめ上げるキャプテンシー,とりわけ確実なステップを踏んで治療を進める治療の流れの重要性を教えていただいた.それは検査,診断,治療計画という治療の進め方,そして審美,機能,構造,生物学的安定という要素を満たす治療ゴールを設定することにあった.
 また,中川先生が所属する勉強会について行き,勧められる研修に足を運んだ.口腔内写真やX線写真に気を配り,とにかくできることを一つ一つ増やしていこうと思った.初期衝動は歯周病治療にあった.患者の気持ちを動かした分だけ結果として表されることに気持ちが上がった.そして,そうした取り組みを歯科衛生士と歩調を合わせて勧めていくことが,歯科医院として本来あるべき姿に近付くような気がした.
 あの日,中川先生に出会ったことでみえた一筋の光.それはまるで不勉強だった自分が変わるために仏から垂らされた蜘蛛の糸のようだった.もしこの出会いがなければ,いまだに歯科技工士との連携の真髄を知らず,矯正専門医が意図する問題の重要性がわからず,他職種と協議することがどれほど患者利益に資するかを理解しなかっただろう.
 思えば一口腔単位の包括的歯科治療は,患者さんにとって“人生を懸けた冒険”に乗り出すに等しい.そして治療中だけに留まらず,治療後に起こりうる変化のすべてを受け入れて,歯科医療者たちと歩みをともにする.「この医療チームと巡り会えたからこそ今がある」と心から思ってもらえるプロセスであり結果でなくてはならない.だからこそ患者さんには特別な愛着があり,歴戦の同士と呼ぶべきチームのメンバーに対しては,敬意と安心感を持つ.それだけではない.今日もまたお互い,専門領域を担う者同士に生じる緊張感のなかにいる.
0章 補綴治療はこうして歯科治療を前進させる!
 1 はじめに~インターディシプリナリーアプローチについて~
 Column 一歯単位の治療法と一口腔単位の包括的治療法について知ろう!
 2 歯および顎口腔系の経時変化からみた成人矯正の問題点と対応策とは??
 3 歯の磨耗・修復治療済み歯・歯内療法に関わる問題点について目配りしよう!
 4 補綴前処置とは??
 5 連携治療の構成メンバーを信頼しよう!
 6 構成メンバーの相互関係~補綴担当医がなぜ総責任医となるのか?~
 Column 連携しやすい矯正専門医
1章 《理論編》チームで補綴医が果たすべき役割とは?
 1 検査・診断・治療計画はどうやるか?
 2 “治療のスタートポイント”である下顎位について知ろう!
 Column 治療基準としての咬合診断
 3 診断を持ち寄って問題点を共有! 治療計画を協議しよう
 4 治療計画立案上の留意事項を知ろう
 Column 予後見通しが不透明な歯に対する考え方
 5 「治療を断念するとき」はこんなとき
 6 治療計画と治療の流れ,タイミングについて
 Essay 公言しづらいお金の話
2章 《実践編》“ワンチーム”で歯科治療を進めてみよう!
 1 歯科矯正治療との関係
 2 インプラントが果たす役割を知ろう
 3 患者への説明・患者の意思決定サポート
Case Presentation
 case1 前処置としての咬合治療の重要性が強調される症例
 case2 補綴を必要としない場合
 case3 スペースマネジメント(先天欠損・矮小歯)接着ブリッジ修復・歯冠修復
 case4 スペースマネジメント(上顎両側側切歯先天性欠損)
 case5 歯軸に忠実な矯正前プロビジョナルレストレーション・前処置(歯周治療)により生体との調和を図る
 case6 外科矯正・う蝕管理・MI
 case7 噛み合わせの不調と審美障害
 case8 咬合支持がないまま矯正治療ができない