やさしさと健康の新世紀を開く 医歯薬出版株式会社

序文
 古来より,日本と中国の間では,国境や人種を越えた医学交流が推し進められてきた.両国間には長き歴史のもとで築かれた伝統医学があり,とりわけ鍼灸学は近年,国際的にも現代医学を補い,科学的な検証が進められてきた.中国医薬学のなかで鍼灸学は重要な役割をもち,体表より刺激した経穴が経絡の流れを変え,気血を調節して複数に発生する疾病の改善を行うものとされている.
 紀元前3~5世紀に成立した古典医書『黄帝内経』には295個に及ぶ経穴が記録され,『素問・診要経終論篇』には“凡刺胸腹者,必避五蔵.中心者,環死.中脾者,五日死.中腎者,七日死.中肺者,五日死(胸腹の間を刺鍼する場合は,五蔵を刺して傷らないように注意する.もし,心の蔵にあたって傷ってしまうと,経気は心身の身体を一周して死亡する.もし,脾の蔵にあたって傷ってしまうと,五日にして死亡する.もし,腎の蔵にあたって傷ってしまうと,七日にして死亡する.もし,肺の蔵にあたって傷ってしまうと,五日にして死亡する).”
 さらに同篇で,“刺避五蔵者,知逆従也.所謂従者,鬲与脾腎之処.不知者反之(胸腹部を刺鍼するときに,五蔵にあたって傷ってしまう事態を回避するために大切なことは,鍼の逆従を知ることである.いわゆる「従」とは,膈膜と脾腎などの所在を必ず明白にして,回避すべきである.もし,それらの部位を知らず避けることができなければ,刺して五蔵を傷ってしまう結果となり,これがつまり「逆」ということである)“と記載され,“刺鍼必粛(刺鍼によって病を治すときには,安静,厳粛に注意する)”と,すでに経穴への刺鍼時に対する心構えが『素問』で明確に論じられている.
 本書は,経穴の形状と構造,鍼のさし方,主治範囲および断層解剖による組織部位の論述を施し,臨床家のために特に危険とされる経穴を取り上げ,経穴の解剖を断面より詳しくとらえることにより,医療事故を事前に防ぐための体表解剖の補助として著した.とくに鍼灸臨床を学ぶ者の一書として活用して頂き,鍼灸過誤への防止を期待するものである.
 2011年6月
 上海中医薬大学終身教授
 厳 振国

安全で効果的な鍼灸治療のために
 明治以来,西洋医学を中心に進んできた日本の医療は,高齢化とともに三大疾患であるガン,心臓疾患,脳疾患が増加し,それらの治療に伴う移植医療,再生医療,遺伝子治療などの先端医療による医療費高騰が問題となってきている.その医療費を抑制するために,いろいろな施策が講じられているものの,なかなか思うような効果は得られていない.予防医学が重要となるこのような状況の中で,新しく設立された日本統合医療学会や国際統合医学会が,臓器別医療の限界を認識しながら,伝統医療や民間医療の治療効果を科学的に検証し,西洋医学を中心に据えて,からだ全体の臓器相関から治療方針を立てていく「統合医療」という新しい医療概念を提唱している.
 その統合医療を支える伝統医療や民間医療の中で,科学的根拠に基づく治療として,国内的にも国際的にも注目されているのが鍼灸治療である.
 日本でも中国医学を基礎にした独自の鍼灸治療が発達してきたが,科学的根拠に基づく治療効果を十分に発信できていない,保険適応がなされていないなどの点から,国民的な支持を得られている状況に至っていない.
 現在,日本には鍼灸師養成施設として盲学校以外に専門学校が89校,大学が10校存在し,毎年4500名近くの鍼灸師の有資格者を輩出している.にもかかわらず,国民的認知度が低いのはなぜか?鍼灸にはそれぞれの鍼灸師が経験で得た治療方法があり,後続の鍼灸師にその独自の優れた技が広く伝えられていないのではないか?また,一定の治療効果があるけれども,からだに鍼をさすので痛いのではないか?危険はないのか?など,多くの問題点が指摘できる.
 そこで,今回,危険性について,上海中医薬大学解剖学教研室で危険経穴の層次解剖を長年研究してこられた厳振国教授を著者に加え,その断面解剖のアトラスを著した.
 「どのような医療においても,医療過誤は起こり得るものである」という原則に立ちながらも,鍼治療においては,それをいかに回避し,安全で効果的な治療に結びつけていくかが問われる.大血管や中枢神経の損傷に加え,肺への誤った進鍼による気胸が,特に重要課題となる.
 本書には,いくつかの経穴における体表からの深度を計測し,安全な深度を数値化してある.ただし,男女,若年,老年,肥満,痩身などによる個体差が大きいので,あくまでも標準値であることに留意していだだきたい.また,深度だけではなく,進鍼方向も重要である.
 本書が,統合医療におけるチーム医療に貢献できる鍼灸師養成に,また鍼治療がさらに安全で安心できる治療法として確立され,その結果として,医療過誤の減少に貢献できれば,著者一同この上ない喜びである.
 沖縄統合医療学院学院長 高橋研一
 序文
 安全で効果的な鍼灸治療のために
第I部 鍼灸医療事故の現状とリスクマネジメント
 はじめに
 1.事故は繰り返す
  1.風化させてはいけない,御巣鷹山は事故防止の聖地
  2.航空機,鉄道,スペースシャトル,船舶および原子力発電所などの事故は繰り返している
  3.あとを絶たない医療事故
  4.100%安全な医療を提供できるのか?
  5.リスクマネジメントへの取り組みは遅れている
 2.最近の鍼灸界における医療過誤とその対策
  1.鍼灸医療過誤の時代変化
  2.鍼が原因となった医療過誤377件の内訳
  3.鍼が原因となった医療過誤の時代変化
 3.気胸
 4.折鍼・埋没した鍼
 5.中枢神経・末梢神経・血管などの損傷
 6.化膿・感染
  1.化膿とは
  2.感染とは
 7.脳循環不全による失神(いわゆる脳貧血)
 8.関西医療大学付属鍼灸治療所におけるリスクマネジメント
  1.ヒヤリ・ハットなど情報システムの流れ
  2.鍼灸医療における事故防止の取り組み
  3.鍼灸医療事故発生防止のための注意事項
 9.関西医療大学付属鍼灸治療所における事故に関する報告
  1.鍼に関する報告
  2.灸に関する報告
  3.鍼灸以外のインシデント・アクシデントの報告
   用語の解説
第II部 危険経穴の断面解剖アトラス
  1.刺鍼を避ける部位と注意
  2.顔面部の刺鍼の注意
  3.部位別の危険経穴
 1.任脈・督脈
 2.腎経の流注
 3.膀胱経(1行線)の流注
 4.膀胱経(2行線)の流注
 5.あ門/大椎
 6.兪府
 7.気戸/期門/日月
 8.睛明
 9.風府/風池
 10.人迎/扶突
 11.承泣/四白
 12.天突
 13.だん中
 14.歩廊
 15.鳩尾
 16.中かん
 17.曲骨
 18.肺兪/魄戸
 19.心兪/神堂
 20.膈兪/膈関
 21.肝兪/魂門
 22.脾兪
 23.腎兪
 24.肩ぐう
 25.尺沢/曲沢
 26.内関
 27.神門/太淵/大陵
 28.環跳
 29.殷門

 索引