やさしさと健康の新世紀を開く 医歯薬出版株式会社

はじめに
 本書は,看護基礎教育における「看護倫理」の教科書ではありますが,「看護倫理」を学びたい,「看護倫理」を教えるすべての人に向けた書籍です.
 「倫理」というと,行動を規制する,間違いを正す,など難しいイメージがあるかもしれません.しかし,わたしは看護職が看護実践の倫理を考えるというのは,看護を必要としている人に対する,まさに人としての温かみのある営みに他ならないと思っています.人の生活,そして人生をも見据えながら,何がその人にとってよいことかを考え続け,専門職として最良の理由あることを行うことなのです.そうはいっても,現実の臨床は複雑で困難の極みであることは,本書の事例にもあらわれています.しかし,仕方がない,これが現実だ,といって決してあきらめないでほしいのです.看護職があきらめることは患者さんの生命,健康,望む生活をあきらめることにつながるからです.
 本書では,意識的な努力による「問う」という行為にこだわりました.なぜなら,それは皆さんが専門職であるからです.看護を必要としている人々のために,自分がどう考え,どう行動すべきかを不断に問い続けることが必要だと思うからです.本書に収められた40事例を通して,「問う」ことの訓練をしてください.
 看護実践の倫理を考えるためには,看護の「科学性」と「倫理性」,どちらが欠けても成り立ちません.本書ではとくに事例を通して,科学的見地から看護の知識やスキルをもとに分析し,具体的なケアを考えることを試みました.双方の重要性について本書を通して学んでほしいと思います.
 本書の特色はおもに次の4点です.
 ・総論編(看護倫理を考える基礎)と事例編で構成され,相互に参照可能
 ・看護倫理を考えるトリガーが散りばめられた具体的なアプローチを含む40事例
 ・看護学の領域別ではなく事例は論点別に構成
 ・グループで検討できる演習用事例の提示
 本書は序章から読まなくても,事例編から読み進めても充実した学習になるでしょう.編者に加え,臨床をよく知り看護学教育に従事する9名による40事例は,ひとつの読み物としても読みごたえがあります.最新の看護学教育モデル・コア・カリキュラム,看護師等養成所の運営に関する指導ガイドラインをふまえ,看護倫理として学ぶべき基礎的な学習内容を網羅しています.
 本書が皆さんのひとつの足がかりとなり,看護実践で倫理を考える思考を鍛え,分析する引き出しを増やし,仲間とともに創造的なアイデアを見出す力の助けになればと思っています.
 本書の出版にあたり,さまざまな人からの支援を受けました.とくに医歯薬出版株式会社の編集者,浦谷隆冬さんのたゆまぬ努力と伴走がなければ本書は完成しませんでした.
 2025年8月 鶴若麻理
第I部 総論編:看護実践で倫理を考える基礎
 (鶴若麻理)
 序章 看護倫理とは何を学ぶことなのか
   1.いかなる力を養い,何を学ぶのか
   2.看護実践には倫理的態度が不可欠
   3.看護倫理をめぐる誤解
   4.日常の看護実践への注目
   5.本書の構成と特徴
 第1章 なぜ看護実践において倫理を考えるのか
  1 看護倫理とは何か
   1.看護倫理とは
   2.看護実践で倫理を考える理由
    (1)看護が害を及ぼす可能性
    (2)個々の患者の価値観
    (3)よりよい看護を提供するうえでのさまざまな障壁
   3.看護倫理の特徴とは
    (1)医療上のジレンマのみを扱うものではない
    (2)看護場面が日常的であるがゆえの倫理性
   4.看護の専門職化とともに発展した看護倫理
    (1)キリスト教を背景とした中世の看護
    (2)ナイチンゲールによる近代看護の確立と初期の看護倫理
    (3)倫理綱領の策定と発展
    (4)戦後の人権運動の高まりと生命倫理の発展
    (5)権利擁護者としての現代の看護師モデル
  2 看護師の倫理的・法的責任と倫理的行動の基盤になる概念
   1.法と倫理の違い
   2.看護師の倫理的責任
   3.倫理的行動の基盤になる概念
    (1)アドボカシー(advocacy)
    (2)責務・責任(accountability/responsibility)
    (3)協力(cooperation)
    (4)ケアリング(caring)
   4.看護師の法的責任
    (1)看護師の業務範囲と法的責任
    (2)保助看法で定められた処分:行政処分
    (3)守秘義務
    (4)個人情報保護
    (5)SNS上での情報の不適切な取扱い等
    (6)医療事故と看護師の法的責任
  3 看護職とプロフェッショナリズム
   1.プロフェッション/プロフェッショナリズムとは
   2.社会的使命としての倫理綱領
    (1)ICN看護師の倫理綱領(2021年版)
    (2)看護職の倫理綱領(日本看護協会,2021年版)
 第2章 看護倫理を考えるための基盤
  1 倫理学の基礎
   1.倫理とは何か
   2.倫理学/規範倫理学
    (1)功利主義
    (2)義務論
     (1)自律性
     (2)人格の尊重
    (3)徳倫理
  2 生命倫理とは何か
   1.生命倫理の成り立ち
   2.生命倫理の4原則
    (1)自律尊重の原則
    (2)無危害の原則
    (3)善行の原則
    (4)正義の原則
   3.生命倫理と伝統的な「医の倫理」の違い
    (1)ヒポクラテスの誓いとパターナリズム
    (2)患者を中心とした医療
  3 倫理原則と看護
   1.誠実性の原則
   2.忠誠の原則
  4 基本的人権の尊重と患者の権利
   1.人権/基本的人権
   2.患者の権利
  5 インフォームドコンセント
   1.インフォームドコンセントはなぜ必要なのか
   2.インフォームドコンセントの要素
   3.インフォームドコンセントの法的・倫理的基盤
    (1)法的基盤
    (2)倫理的基盤
   4.インフォームドコンセントの歴史的ルーツ(患者の権利/被験者保護)
  6 社会的に脆弱な人々と看護
   1.社会的に脆弱な人々
   2.社会的脆弱性と看護/権利擁護
   3.高齢者/新生児・子ども/障害のある人々
    (1)高齢者
     (1)エイジズム
     (2)認知機能や身体機能の低下と脆弱性
     (3)高齢者虐待とは
     (4)身体拘束/身体抑制
    (2)新生児・子ども
     (1)新生児
     (2)インフォームドアセント
     (3)プレパレーション
     (4)児童虐待
     (5)子どもの権利擁護と発達・自立支援
     (6)親による治療拒否・医療ネグレクト
    (3)障害のある人々
     (1)法律の面から
     (2)精神障害のある人々
 第3章 倫理的課題をとらえる思考とアプローチ
  1 看護師が直面する倫理的課題
   1.倫理的ジレンマ/倫理的課題
   2.看護師が直面する倫理的課題の特徴
    (1)患者の知る権利に関する課題
    (2)患者の意思の尊重と権利擁護に関する課題
    (3)患者の人格を尊重することに関する課題
    (4)守秘義務や個人情報保護に関する課題
    (5)安全確保に関する課題
    (6)看護管理上の課題
    (7)同僚や他職種との連携・協働に関する課題
  2 倫理的課題をとらえるための思考
   1.倫理を考えるための思考ポイント
    (1)独断に陥らない
    (2)権威や権力に訴えない
    (3)規則を疑う
    (4)「みんながそうしている」ことを疑う
    (5)「である→べきである」としない
    (6)「あれかこれか」という二極化をしない
    (7)不可能でも目指すべき理想をまずは考える
   2.事実と価値を区別する
   3.問いを立てること
   4.具体と抽象を行き来する思考
  3 言語化と対話
   1.言語化
    (1)言語化の重要性
    (2)言語化のために必要なこと
   2.対話
  4 分析ツールの活用と課題
   1.臨床医療で活用される分析ツール
    (1)4分割表
    (2)4ステップ事例検討シート
    (3)臨床倫理検討シート
    (4)MCD(moral case deliberation:ジレンマ・メソッド)
   2.分析ツールの利点
   3.分析ツール使用の留意点
   4.分析ツールとの上手な付き合い方
  5 意思決定に関するアプローチ
   1.意志と意思の違い
   2.意思決定能力とは
   3.意思決定が倫理的であるとは?
    (1)自律的な人間として認められること
    (2)患者の価値観や生き方の尊重
    (3)プロセスとしての意思決定であること
    (4)意思決定内容や考えの共有
   4.看護実践における倫理的意思決定
    (1)個人的信念と価値観
    (2)看護実践のための倫理的概念
    (3)倫理への接近法
    (4)倫理的行動の規準
   5.意思決定支援のプロセス
    (1)倫理的問い
    (2)状況のアセスメント
    (3)倫理的課題を見極める
    (4)倫理的課題への行動プラン(アプローチ)を考える
    (5)行動プランの実行
    (6)実施した行動の倫理的成果の評価
   6.意思決定能力がない場合の判断基準
    (1)医療における事前指示
    (2)代行判断
    (3)最善の利益
 第4章 医学・社会の発展と倫理
  1 性や生殖に関する倫理
   1.性や生殖をめぐる概念
    (1)セクシュアリティ
    (2)リプロダクティブ・ヘルス/ライツ
   2.生殖補助医療
   3.人工妊娠中絶
    (1)人工妊娠中絶に関するわが国の法律
    (2)障害を理由にした中絶と優生思想
    (3)人工妊娠中絶に関する倫理的側面
  2 遺伝/ゲノム医療と倫理
   1.遺伝医療/ゲノム医療と遺伝情報の特性
    (1)遺伝医療とゲノム医療
    (2)遺伝情報の特性
   2.ゲノム医療における倫理
    (1)ゲノム情報に基づく差別の禁止
    (2)ゲノム編集による遺伝子改変の課題
    (3)遺伝学的検査をめぐる倫理的課題
   3.遺伝看護
  3 移植医療と倫理
   1.死の概念と定義
   2.移植医療の歴史と法律
   3.臓器提供と意思表示
   4.臓器移植と看護師の役割
  4 エンドオブライフケアと倫理
   1.ホスピス・緩和ケアの考え方
   2.エンドオブライフの治療方針をめぐって
    (1)医療の高度化と延命治療
    (2)蘇生不要(do not attempt resuscitation:DNAR)指示
   3.医療における事前指示とアドバンスケアプランニング
   4.死と死亡診断
  5 研究の倫理
   1.なぜ研究倫理を考えねばならないのか
    (1)医療と研究の違い
    (2)看護の研究活動と倫理
    (3)研究倫理の起源
   2.被験者保護のための倫理原則と必要な要件
    (1)倫理原則の面から
    (2)倫理的研究に必要な要件
   3.研究におけるインフォームドコンセント
   4.責任ある研究活動を行うために
    (1)特定不正行為
    (2)二重投稿
    (3)不適切なオーサーシップ
    (4)利益相反(conflict of interest:COI)
  6 プラネタリーヘルス
   1.プラネタリーヘルス
   2.ワンヘルス
第II部 事例編:倫理的看護実践を考える―態度・思考・行動
  事例編の構成と活用の方法(鶴若麻理)
   1.事例編の構成
   2.事例検討の流れと活用方法
    (1)倫理的問いとその分析(=看護実践で生じる価値の対立や矛盾への倫理的気づき)
    (2)倫理上の着眼点(=価値観が分かれる状況における倫理的課題の明確化と分析)
    (3)倫理的判断を踏まえたアプローチ(=専門職としての判断に基づいた行動の検討)
 第5章 患者と看護師の関係性
  1 人に敬意を払う・人格の尊重
   事例1 交通事故により意識障害のある患者のおむつ交換(永野光子)
   事例2 「違う」と言ったきり動かないパーキンソン病の患者(永野光子)
   事例3 着せ替え人形を投げつける子ども(髙橋花子)
  2 プライバシーを守る
   事例4 高齢者が裸で一列に並ぶ入浴介助(永野光子)
   事例5 カーテンで仕切られたICU室内で交わされる医師らの会話(永野光子・鶴若麻理)
  3 秘密を守る/個人情報の保護(永野光子・鶴若麻理)
   事例6 芸能人の○○が入院したらしいと電子カルテを閲覧
   事例7 「すぐ行きます」と患者に約束したものの
   事例8 患者から秘密を打ち明けられた看護学生
  4 誠実性(村井孝子)
   事例9 18歳の青年,両親は深刻な診断を知らせないでほしいと言う
   事例10 遷延性意識障害の患者の足爪を傷つけたがインシデント報告をしない
  5 公平性(村井孝子)
   事例11 あまりかかわりたくない患者
  5章グループ演習用事例1(村井孝子)
  5章グループ演習用事例2(鶴若麻理)
 第6章 知る権利を守る
  1 意思決定能力のある成人の場合(白鳥孝子)
   事例1 医師の説明を理解しないまま同意書にサイン
   事例2 なぜか看護計画に沿った清拭をいやがる患者
  2 意思決定能力や身体能力が低下しつつある場合(白鳥孝子)
   事例3 どうして酸素マスクをつけているのか?
   事例4 車椅子でヘルパーに付き添われた患者への検査結果説明
  3 精神疾患を有する成人の場合(寺岡征太郎)
   事例5 主治医はADHDの自分には就職は無理と決めつけている
  4 小児の場合(髙橋花子)
   事例6 緊急手術が必要な7歳男児へのインフォームドアセント
   事例7 両親の意向で病名を告知されないまま化学療法を受ける中学3年生
  6章グループ演習用事例(白鳥孝子)
 第7章 意思決定における倫理
  1 意思決定能力のある場合
   事例1 生命の短縮につながっても胃ろうを拒否する患者(竹之内沙弥香)
   事例2 人生の最終段階での療養場所に関する本人と家族の意向の違い(竹之内沙弥香)
   事例3 「わたしは産みたいって言っているじゃない!」(寺岡征太郎)
  2 意思決定能力のない場合
   事例4 本人が残した事前指示と家族の意向が違う(竹之内沙弥香)
   事例5 夫が登山中に滑落,治療の決断を迫られる妻(内山孝子)
   事例6 18トリソミーの重症新生児,父親は治療を望まないというが(髙橋花子)
  7章グループ演習用事例(竹之内沙弥香)
 第8章 身体拘束:人権保護と安全確保のジレンマ
  1 急性期病院での場合(内山孝子)
   事例1 認知症のある患者には手術後に身体拘束しないと危険?
  2 精神病床での場合(寺岡征太郎)
   事例2 希死念慮のある患者の身体拘束を外してほしいと訴える家族
  3 小児患者へ治療・処置を行う場合(髙橋花子)
   事例3 採血時の身体抑制を拒否する子ども
  8章グループ演習用事例(内山孝子)
 第9章 患者への害を防ぎ生命や安全を守る
  1 高齢者虐待(鶴若麻理)
   事例1 目の周りにあざのある高齢者,本人と長男は転んだと言うが
   事例2 老老介護,夫は「ちゃんと看ている」との主張
  2 セルフ・ネグレクト疑い(鶴若麻理)
   事例3 近隣住民から「ゴミが溜まって火事になっても困る」との通報
  3 児童虐待(髙橋花子)
   事例4 家族による加害か? ソファーから転落し頭蓋骨骨折した乳児
   事例5 定期受診に現れず喘息発作で夜間救急外来受診が増える7歳児
  9章グループ演習用事例(髙橋花子)
 第10章 看護管理と倫理の交点
  1 医療資源の配分
   事例1 未知の感染症によるパンデミックで人工呼吸器が足りない(勝山貴美子・鶴若麻理)
   事例2 夜勤帯,トイレ介助のさなかにナースコールが鳴り響く(勝山貴美子)
  2 組織のルールに従う(勝山貴美子)
   事例3 病院の決まりごととしてすべての患者に渡される入院パッケージ
  3 労働者としての権利(村井孝子)
   事例4 患者から暴力を受けたがリーダー看護師は意に介さない
   事例5 患者の前で叱られる新人看護師
  10章グループ演習用事例(勝山貴美子)
 第11章 多職種との連携・協働
  1 職種間で異なる価値観(長尾式子)
   事例1 余命6カ月の患者の治療をめぐる医師と看護師の意見の相違
   事例2 認知症高齢者の直腸がんの手術とストーマ造設をめぐる合意形成
  2 看護職の専門性と自律性(長尾式子)
   事例3 訪問看護指示書には書かれてないから…という新人訪問看護師
  11章グループ演習用事例(長尾式子)

 巻末資料
 索引