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第5土曜特集 生殖医療のすべて
はじめに
 東京大学医学部産科婦人科学教室 堤 治

 昨今“クローン人間の誕生”などのニュースが世間を騒がせ,生殖医療のありかたにも社会的な関心が高まっている.そもそも不妊症の定義は2年間の不妊期間をもつものとされる(WHO:世界保健機関).不妊症の原因としては受精が起こり妊娠が成立する条件,すなわち卵子(排卵因子),精子(男性因子),受精の場(卵管因子)の3つのどこか,あるいはいくつかが重なっていることが考えられる.およそそれぞれが約 1/3 を占めるとされる.不妊症の頻度は従来カップルの10組に1組といわれていたが,最近では7組に1組と増加傾向にあると指摘されている.その要因として女性のライフスタイルの変化に伴う結婚,妊娠年齢の高齢化や因果関係は未解明であるが,内分泌攪乱物質などの影響による男性因子の増加などがあげられる.
 不妊治療にはその原因により種々の治療法がある.また,ひとつの原因についても種々さまざまな治療法があり,かつ日進月歩で進歩を遂げている.いわゆる生殖補助医療(assisted reproductive technology:ART)は“不妊症の診断,治療において実施される人工授精,体外受精・胚移植,顕微授精,凍結胚,卵管鏡下卵管形成などの専門的でありかつ特殊な医療技術の総称である.かつては絶対不可能とされた難治性不妊の治療にも成果をあげている.その適応範囲については生命倫理を含めた新しい問題も提起され,法的整備も進められている”と定義される.ARTを含めて治療法にもさまざまなレベルがあり,通院回数,入院の有無,社会保険適応かどうかといったことから,薬物の副作用などが大きく異なる.もっとも重要なことは患者の正しいインフォームドコンセントのもとで,その選択が決定されることである.例をあげれば,体外受精はすでに広く実施され,日本でも年間10万件が報告され,約1万人が出産している不妊治療の代表的方法である.出産全体の 1%に近い数字である.しかし,いくつかの選択肢のなかで,体外受精が有力な治療法であったとしても,それを望まないという方も当然おられる.他人から精子の提供を受けて行う人工授精(AID)という治療がある.社会的に認められている治療法で,精子がまったくないご夫婦間ではひとつの選択肢でありうるが,かりに他に手段がないとしても,それを選択するかどうかはご夫婦のお考え次第であることは当然である.
 不妊治療技術の進歩はかつては想像もされなかった妊娠も可能にした.非配偶者間の体外受精,胚の提供,代理懐胎,着床前診断など枚挙にいとまがない.非配偶者間の体外受精を例にとれば,夫の精子または妻の卵子に問題があるときに第三者の精子または卵子の提供を受けて体外受精し妻の子宮に移植し妊娠をはかるものである.この場合,遺伝学上の片方の親は第三者になる.これらの技術の適用は生命倫理の面から大きな問題を投げかける.医師と患者の間でインフォームドコンセントが存在すれば許される問題ではなくなる.これら新しい技術の適用は技術的に可能でも社会的に認知されるかどうかは国によっても異なっているのが現状である.わが国でもルールづくりが厚生科学審議会,法制審議会において検討されている.現段階では精子,卵子の提供も条件付きで認められる方向で議論が進んでいる.代理懐胎は認められない見通しである.生まれてくる子供の人権という面からの配慮も必要であり,いわゆる“出自を知る権利”についても検討がされている.広い国民的理解のもとで不妊治療が技術の進歩とともに社会に受け入れられるためにも法的整備は医療の側からも望ましいことであろう.
 本特集は“生殖医療のすべて”というタイトルが示すように,生殖医療を基礎編,臨床編,技術編,社会編とさまざまな面から取り上げていく.基礎編では動物では研究の進んでいるクローン技術や核移植,卵巣凍結保存の現状や課題とその生殖医療との接点を知ることができる.ES細胞をはじめとする幹細胞研究も最先端の研究成果を知ることにより生殖医療,再生医療への展開,発展が期待される.内分泌攪乱物質の生殖機能への影響は野生動物や実験動物では証明されているが,ヒトにおける作用は未解明である.人類の未来に直結する問題だけにここでも取り上げた.臨床編では不妊症の病因と治療をさまざまな角度から取り上げた.出生前診断も経験豊かな4氏に執筆いただいた.技術編では ARTの基本である体外受精・胚移植,顕微授精,凍結胚の実際から HIV除去や未成熟卵子のリクルート,補助ハッチングなど最新の技術まで紹介していただいた.
 本特集のひとつの特徴は社会編にある.生殖医療の問題点を社会的倫理的側面を含めて考えようというものである.生殖医療に携わる医師のみでなく他領域の医師,法学者,メディア関係の方等幅広い範囲で,この問題に造詣の深い方々から寄稿いただくことができた.現時点での生殖医療お謔ムその問題点に対する社会のとらえ方がわかると同時に,あるべき未来像を考えていくうえで意義のあるものと考える.
 はじめに 堤 治

基礎編
■動物からヒトへの提言
 1.クローン技術の現状と課題 細井美彦
 2.顕微授精と核移植クローン技術―その比較からなにがみえてくるか 小倉淳郎
 3.核移植と生殖医療―生殖医療における核移植技術の可能性と問題点 河野友宏
 4.卵巣組織の凍結保存 杉本実紀・他
■幹細胞
 5.ES細胞と生殖医療 野瀬俊明
 6.ES細胞と再生医療 末盛博文
 7.ES細胞の多能性を維持する分子機構 小川和也・丹羽仁史
 8.間葉系幹細胞と生殖医療―生物学的特性からみた治療戦略を意識して 梅澤明弘
■内分泌攪乱物質
 9.胚の発生・発育に及ぼす内分泌攪乱物質の影響 高井 泰・堤 治
 10.ヒト胎児の複合曝露に対する新しい影響評価法の開発―トキシコゲノミクスを用いて 森 千里
 11.ダイオキシンと子宮内膜症―免疫学的メカニズム 伊藤直樹・玉舎輝彦
 12.プレグナン Xレセプター―新しいステロイド・Xenobiotics代謝調節機構 増山 寿
■その他
 13.ゲノムインプリンティングと生殖医療 金児-石野知子・他
臨床編
■出生前診断
 14.着床前遺伝子診断 片山 進
 15.胎児診断 鈴森 薫
 16.遺伝カウンセリング 福嶋義光
 17.出生前における遺伝性疾患の遺伝子診断 小須賀基通・奥山虎之
■不妊症―病因と治療
 18.不妊症と子宮筋腫核出術 武内裕之・他
 19.卵管通過障害―形成手術か ARTか 末岡 浩
 20.視床下部-下垂体-卵巣系異常による女性機能性不妊症の病態と治療 後山尚久
 21.不妊症,不育症に対する漢方療法の有用性 早川 智・他
 22.子宮内膜症合併不妊症における病態と治療 大須賀 穣
 23.造精機能に関する遺伝子―Y染色体上の微小欠失との関連 小森慎二
 24.排卵誘発剤 苛原 稔
■その他
 25.自己抗体を介したカリクレイン-キニン系の破綻と不育症 杉 俊隆
 26.多胎妊娠―ヒトの生殖様式が変わってきた 瓦林達比古
技術編
 27.体外受精の応用と実際 久保春海
 28.顕微授精の現状―卵細胞質内精子注入法 瓦田 薫・佐藤 章
 29.HIV感染と生殖医療―HIV除去精子による補助生殖医療 原田 省
 30.胚凍結―凍結の臨床応用や今後の問題点 齊藤英和・中川浩次
 31.胚盤胞移植法 高橋克彦
 32.未成熟卵子のレスキュー法 田中 温
 33.補助ハッチングによる妊娠―補助ハッチングの実際 矢野浩史
 34.内視鏡下手術―不妊症における腹腔鏡・子宮鏡・卵管鏡 西井 修
社会編
 35.生殖医療の研究面における倫理 青野由利
 36.生殖医療におけるコーディネーションの必要性 藤間芳郎・矢内原 巧
 37.生殖補助医療のあり方―法学的・私的管見 丸山英二
 38.メディアからみた生殖医療―社会的合意は成立するか 迫田朋子
 39.不妊治療と医療保険 白須和裕
 40.生存することのできない胎児の妊娠中絶―異常胎児の妊娠にどう対応するのか 新家 薫
 41.胎児の細胞移植・臓器移植 福嶌教偉
 42.非配偶者間の体外受精と代理懐胎―匿名性と出自を知る権利 吉村■典
 43.海外におけるヒトへのクローン技術の適用状況 館林牧子
■サイドメモ
 エピジェネティクス
 配偶子・胚を用いた研究における種間差の問題
 Vasa遺伝子
 全能性と多能性
 無脊椎動物にみられる幹細胞からの生殖細胞誘導
 細胞系列の互換性
 微小環境
 内分泌攪乱物質による卵母細胞傷害
 トキシコゲノミクス
 核内受容体
 個体発生におけるゲノムインプリンティング
 着床前診断の倫理社会的問題
 臨床遺伝専門医
 胎児治療
 治療技術の修得と成績
 無月経あるいは月経周期異常の治療における温経湯の作用機序
 子宮内膜症の次世代薬物療法
 Y染色体の欠失の検査法
 遺伝子組換え型 LH製剤
 内因性血液凝固系は生体内には存在しない
 ヒト IVF
 卵細胞質移植法
 倫理委員会
 Vitrification
 ART(生殖補助医療)における一卵性双胎の発現率
 内視鏡検査・手術の時期は
 提供者の匿名性
 出産育児一時金
 母体保護法
 臍帯血移植
 生命はいつからはじまるか