やさしさと健康の新世紀を開く 医歯薬出版株式会社

はじめに
 「虫に刺されて,おでこが腫れてしまった」
 このような状態を「発赤・腫脹」しているといいます.私たちにとって身近な歯肉の炎症も同様に「発赤・腫脹」と表現されますが,この「虫刺されの発赤・腫脹」とは様子が若干違います.
 急性発作を起こして痛々しくふくれあがった歯肉なら,「腫脹」ということばがぴったりです.しかし,外見はそれほどふくれていなくても「腫脹」と表現されることがあります.
 「発赤」はどうでしょうか? 思春期性の歯肉炎のように赤く球状に腫れている状態には「発赤」という表現があてはまりますが,歯肉炎を起こしている歯肉の色は赤だけではなく,赤紫色や暗赤色などいろいろです.これらも発赤といってよいのでしょうか?
 「歯肉の発赤・腫脹」とは,いったいどういう状態なのでしょう? 歯肉の何を見ればわかるのでしょうか?
 歯肉の炎症の有無は,「正常歯肉や健康歯肉の状態からどれほど隔たっているか」ということで判定します.つまり,炎症の有無を診断するには,正常歯肉や健康歯肉がどういうものであるかを知っておく必要があります.
 正常歯肉とは,歯周病に罹患したことのない健全な歯肉のことです.一方,病変が改善して炎症が消失した歯肉のことは健康歯肉といいます.しかし,同じ正常歯肉や健康歯肉であっても,正常あるいは健康とされる色や形などには大きな幅があり,年齢や個人,そして人種によってその像は異なってきます.
 「ブラッシング指導の1週間後に,患者さんの歯肉が見ちがえるほど引きしまっていた」という経験をお持ちの方はたくさんいらっしゃると思います.歯肉が改善していくのが確認できたとき,それは患者さんにとっても,私たち歯科医療者にとってもとてもうれしい瞬間です.
 ブラッシングなどのイニシャルプレパレーションが適切に行われると,歯周病に罹患した歯肉はその姿を変えていきます.炎症が軽減するに従い歯周組織の状態が変化して,歯肉の色や形がしだいに変化していくのです. この「治癒過程における歯肉の変化」を知ることが,歯周治療を進めていくうえで大きな武器となります.なぜなら,歯肉の状態を見ることで,歯周病変の回復度や,その時点でどのような処置が必要なのかを的確に判断できるようになるからです.
 また,この治癒過程を前もって患者さんに伝えておくことが,より有効なモチベーションとなります.自分が健康になっていくことがわかるのはうれしいことです.歯肉の変化を自分の目でみて,よくなっていることが実感できれば,ますますブラッシングに対する意欲が湧くというものです.
 本書では,以上のような歯肉を診るポイントや歯周病の治癒過程,そしてこれらを基にして行っている私たちの歯周治療について書いてみようと試みました.
 第1章では,健康歯肉や病変歯肉のみかたについて,色や形などの要素から考えます.第2章では,歯周治療の過程で,治癒に向けて変化していく歯肉の様子を観察します.第3章では,私たちが行っている歯周治療(オーラルフィジオセラピー)に関して,第4章では,その歯周治療の実際についてまとめてみたつもりです.
 第5章では,第1章から第4章の内容を踏まえて,私たちの臨床ケースを提示します.
 「健康歯肉と病変歯肉の判別がよくわからない」とお悩みの新米歯科衛生士さん,「ブラッシング指導やモチベーションが最近ちょっとスランプぎみ」とお感じの歯科衛生士さん,「オーラルフィジオセラピーや非外科歯周治療に多少なりとも興味がある」とおっしゃる歯医者さん,みなさんごいっしょに『歯周と歯肉のワンダーランド』へでかけませんか!
 2004年7月 小西昭彦・小西かず代
オーラルフィジオセラピー 非観血処置で歯周病を治す CONTENTS

第1章 歯肉をみる
 (1) 正常歯肉と健康歯肉
  ・歯肉の名称
  ・正常歯肉
  ・臨床的正常歯肉
  ・健康歯肉
 (2) 健康歯肉と病変歯肉の違い
  ・健康歯肉と病変歯肉
  ・炎症のある歯肉
  ・炎症がほぼ改善した歯肉
 (3) 病変のある歯肉
  ・歯肉炎と歯周炎
  ・歯肉の色を見る
  ・臨床像の表現
  ・歯肉の形・構造物を見る――炎症の始まりと拡大
 (4) 喫煙と歯肉
  ・喫煙者の歯肉
  ・リスクファクター

第2章 歯肉の治癒過程をみる
 (1) 歯周疾患の治癒過程
  ・歯肉の変化
  ・早期歯肉炎
  ・確立期歯肉炎
  ・歯周炎
  ・歯肉のクリーピング
  ・歯肉の退縮
  ・クレーター
  ・歯肉の治癒過程を知る意義
 (2) 歯周疾患の治癒過程とX線像
  ・観察のポイント

第3章 私たちの歯周治療
 (1) 私たちの歯周治療
  ・抜かずに治す歯周治療
  ・オーラルフィジオセラピーを柱とした
 歯周治療
  ・感染症へのアプローチ
  ・生活習慣病へのアプローチ
 (2) 医患共同作戦
  ・医患共同で治す
  ・コンプライアンス
  ・患者さんから学ぶ
 (3) SRPおよび歯周外科に対する考え方
  ・歯肉縁下へのアプローチ
  ・SRP
  ・スケーリング
  ・ルートプレーニング
  ・軟組織の除去
  ・歯周外科
  ・非外科処置の利点
 (4) 非観血処置
  ・急性発作
  ・菌血症
  ・全身への影響

第4章 オーラルフィジオセラピーの実際
 (1) ブラッシングの方法と歯ブラシの処方
  ・オーラルフィジオセラピーのブラッシング
  ・歯ブラシを処方する
  ・歯磨剤は使用しない
 (2) オーラルフィジオセラピー
  ・治療開始期
  ・急性症状消失期
  ・歯間空隙現出期
  ・横一文字期
  ・見かけの治癒期
  ・治癒
 (3) モチベーション(motivation,動機づけ)
  ・臨床でのモチベーション
  ・病状の把握
  ・患者さんの治療参加
  ・治療参加に難色を示す人
  ・病状の改善を望まない人

第5章 症例から
 (1) 患者さんに学ぶ
  ・症例の概要
  ・治療経過
  ・リーダーシップは患者さんが
 (2) 倦まず弛まず
  ・症例の概要
  ・治療経過
  ・たまには励ましもほしい
  ・排膿が止まるまで必死の努力
 (3) 病いとつきあう
  ・症例の概要
  ・治療経過
  ・自覚・自助・自立で体を整える
  ・自然治癒力を信じて
 (4) 家族の支援
  ・症例の概要
  ・治療経過
  ・夫婦でささえあって
  ・劣等感から自信へ
 (5) 自信と信頼
  ・症例の概要
  ・治療経過
  ・歯肉の評論家に

参考文献
さくいん

Column
 ・歯周組織の加齢変化
 ・スティップリング(Stippling)
 ・炎症歯肉の色/充血・鬱血・貧血
 ・内分泌性歯肉疾患
 ・歯周膿瘍
 ・食生活と体の退化
 ・根面処置に関する用語
 ・歯肉の擦過刺激(歯肉マッサージ)
 ・歯ブラシの寿命
 ・歯磨剤の“毒性”成分
 ・歯科とモチベーション