やさしさと健康の新世紀を開く 医歯薬出版株式会社


 あらゆる補綴治療の目的は,解剖学に基づいた,自然(天然歯)に調和した干渉のない修復の実現である.その目的を達成するためには,機能的要求を満たした各歯牙構成部の形成が何よりも重要であるだけに,まずはその各歯牙構成部を分析する必要性が生じる.
 たとえば,上下顎歯牙間のコンタクト領域が挙げられる.この領域をつぶさに観察することによって,歯牙と歯列とが複雑なメカニズムを有する運動経路を示すことがわかる.また,機能経路に応じた歯牙表面の圧痕からは,自然な運動時の対合関係を写しとることができる.それらを分析し,「オクルーザルコンパス」と呼ばれる座標に置き換えることで,機能運動経路およびその方向性を視覚的に捉えることが可能となる.そして,各機能運動方向をカラー化(色分け)し,国際カラーコードとして整理する.そのカラーごとにカラーワックスで分類することによって,日常臨床において自然に適ったワックスアップテクニック(NAT)を理論的に駆使することができるのである.
 NATの臨床応用は,顎運動に常に適応した歯冠修復物の基本切片単位ならびに構造的切片単位を明確化することに繋がるうえ,その各工程を正確に進めることで,干渉のない,対合歯との調和がとれた相関関係を確立し,ひいては天然歯列を基調とした咬合面形態を付与することができる.本書ではこのような考え方を「構造形態学」と位置づけ,その理解を促している.
 一般的には,「機能」は主に臼歯部修復において言及され,前歯部修復では「審美」が重視されることが多い.多くの文献などにおいても前歯部の審美性については非常に多くの理論展開が見られるがゆえに,前歯部の機能的観点については十分な学術的知見が積み重ねられていないように見受けられる.前歯部の機能──この意義が十分に評価されていないことが昨今の歯科界における世界的な問題であり,現代の歯科医療従事者たちはこの理論構築の本質と重要性を早急に理解すべきであろう.そして,その理論を実践に落としこむ作業の基準は,天然歯に見出すことができる.言い換えるならば,機能経路の詳細な知識なしには,前歯部修復の“壁”を克服することはできず,患者の満足度を向上させることは不可能である.前歯部においても,その機能を入念に観察することによって,審美的な形態が付与されるのである.これからの歯科界を担う多くの若い歯科技工士に,オクルージョンというきわめて多様性の高い分野における一つの指標を示す意味で,本書は価値あるものとなるであろう.
 すべての書物には出版社が欠かせないのと同様に,書物の著者にも“家族“が不可欠である.筆者にとっての“家族”とは,日々の臨床で協力を惜しまない歯科医師,歯科技工士の友人たち,そして心から信頼するRalf Suckert氏と,彼の仲間であるteamwork media社である.そして日本語版の発刊にあたっては,友人である大畠一成氏に多大な尽力をいただいた.常に著者を理解し,サポートしてくれた実際の家族や,多くの友人を含め,本書の実現に力を与えてくれたすべての人たちに,心からの感謝の意を表したい.
 2008年11月吉日
 Dieter Schulz

訳者序
 1999年,ドイツのナソロジーの大家,M.H.Polz氏は永い眠りについた.Polz氏は天然歯を基本とした形態機能的咬合面を推奨し,オクルーザルコンパスを発案・完成させた人物である.Polz氏の哲学が日本で紹介される機会は稀であったが,ヨーロッパ全土では,咬合理論に対して絶大な影響を与えている.
 D.Schulz氏は,そのPolz哲学の継承者であり,彼が確立したのはその哲学をもう一歩進化させたものであるが,実はその基盤は,数億年前の哺乳類の歯牙発生学にある.それは,哺乳類特有の咬頭3点接触に深く関連する,3つのマメロン咬頭(koni;コニー)の嵌合関係に起因する.
 この3咬頭の構成単位および顎運動によって生じる咬頭,嵌合部の動きを,同様に2次元的な“オクルーザルコンパス”として表し,国際規格のカラーコードに分類してワックスアップするものが「NAT=NaturgemZUe Aufwachs-technik/自然(天然歯)に適ったワックスアップテクニック」と呼ばれるものである,Schulz氏の理論はいまや,ヨーロッパのニューナソロジーのなかでも最も理論的かつ実践的なワックスアップテクニックの一つとして絶大な定評を得ており,わが国でも『D.シュルツのワックスアップテクニック』(G.Seubert著・R.Suckert制作・大畠一成訳/医歯薬出版)として広く知られている.そして,同書を引き継ぐ形で,これまで歯科技工士の経験と勘に頼りがちであったワックスアップを「誰にでも等しい精度で実現できる」ことを目指したシステマティックな術式体系として,その前歯部形成パートについて理論,材料,器材から具体的手技までをSchulz氏自身がまとめあげたものが本書である.そこで事細かに示されるSchulz氏のNAT理論を用いることによって,咬合面におけるすべての隆線から副隆線,または裂溝から副溝に至るまでが,咬合上は一定の規則性を帯びている事実を学ぶことができる.
 本書中にもあるように,機能については前歯部よりも臼歯部にその主体を置きがちであるが,実際には前歯部と臼歯部および顎関節と運動経路の自然な調和こそが重要であり,言い換えるならば,本書を通じて前歯部形成の基本と実際を理解することは,同様に臼歯部の機能と形態を理解する扉を開くことにほかならないのである.そして,臼歯部への正確な処置があってこそ前歯部においても機能を伴った真の審美が達成されることになる.なお,本書の後続書として今後,臼歯部編が発刊される予定である.
 本書が,読者諸氏の明日の臨床に多大なる影響を与えることを祈ってやまない.
 2008年11月吉日
 大畠一成
ChapterI ワックスアップを標準化するNATへの誘い
 審美と機能
  審美と機能を考える
  自然に適ったワックスアップテクニック
  “美しい歯”とは!?
  機能とは!?
  前歯の全体像
ChapterII NATオルジナルメソッドを知る
 1.オクルーザルコンパスと前歯誘導板の臨床応用
  オクルーザルコンパス
  NAT用カラーコーディネーション
  前歯部におけるオクルーザルコンパス
  オクルーザルコンパスの臨床応用例
 2.模型装着と咬合器調節
  模型装着
  調節用マテリアルとその可能性
  咬合器の調節
 3.NATの補助器具とインスツルメント
  補助器材,マテリアルの取り扱いおよび前準備の方法
  モデルシステムと模型製作
  ワックス類とワックスアップおよびワックス形成のためのインスツルメント
ChapterIII ワックスアップの実際手技
 1.コーヌスのワックスアップ
  united colors of function機能的に結合したカラー;前歯
  コーヌスのワックスアップ
 2.構造的切片単位に基づく具体的ワックスアップ──犬歯,中切歯,側切歯の形成から仕上げまで──
  構造的切片単位のワックスアップ
  犬歯形態修復の完了
  前歯部における最初の構造的切片単位形成
  構造的切片単位の最終形成
 3.臨床における実践的対応について
  臼歯部の平衡側干渉における患者の臨床記録
  臨床例の追加的考察
Extra Chapter NAT理論を反映させた新規開発人工歯
 総義歯症例におけるシステマティックな人工歯排列法
  データ伝達
  データ取得
  人工歯排列

 索引
 参考文献
 著者略歴・訳者略歴