やさしさと健康の新世紀を開く 医歯薬出版株式会社

この本を監修するにあたって
 私が大学を卒業したのは,1986 年で,今から約32 年以上も前になる.当時の根管治療を振り返るとステンレス製のファイルやリーマーを用いて手指にて拡大・形成を行い,ガッタパーチャとシーラーにて側方加圧充填を行っていた.もちろん拡大鏡すらない時代であったため,髄腔内を肉眼で覗き,あとはひたすら盲目的に手指の感覚だけを頼りにファイリングやリーミング操作を繰り返していた.抜髄処置も感染根管処置も同じ手技であることに何の疑問も抱かず,「どうやって開けて,どうやって詰めるか」だけに思考を巡らせ,まさしく機械論的な根管治療に終始していたことが思い出される.
 根管治療のゴールは,根管充填後のデンタルX線写真で,オリジナルの根管を逸脱せずに,いかに根尖部までフレアーで均一なテーパーのついた不透過性の像が得られるかということであり,それが根管治療の質の優劣の評価になっていた時代であった.そのため,02 テーパーのステンレス製のファイルのみで,理想とする形成を行うためのトレーニングをすることが根管治療の質を高めることと認識され,ひたすら技術向上のために修練することがエンドドンティストと呼ばれる人たちに与えられた使命であった.
 その後,1990 年代の後半からさまざまな種類のNi-Tiファイルが登場し,それに見合った種々のエンジンも開発され,より効率的に,より安全に根管治療が行われるようになってきた.また,マイクロスコープも導入され,盲目的な治療から明視下での治療へと大きな変化を遂げ,その後も現在に至るまでさまざまなテクノロジーが進化してきた.テクノロジーの発展自体は,素晴らしいことであり,これらを否定することではないが,ますます機械論的な根管治療に拍車をかける結果になってきたように思う.
 そのような根管治療が正当化されている時期に,私の生涯の師と仰ぐ月星光博先生と出会い,根管治療の本質を見誤っていたこと,生物学的見地に立った根管治療が必要なことを教えていただいた.生体の治癒を最大限に引き出すことが治療の最大の目的であり,われわれ歯科医師はそれを阻害せずに,いかに助けることができるかが最も重要であること,つまり私の中で機械的な根管治療から生物学に則った根管治療へとパラダイムシフトが起こった時期でもあった.
 そして,その頃にもう一つ臨床で大きな課題が突き付けられた.根管治療後に起こる「痛み」である.自分では適切な治療をしていると思うのであるが,治療後に理解しがたい痛みが残るケースに遭遇することを少なからず経験してきた.いろいろと原因を探るのではあるが,答えが出ない.そんな際,長谷川誠実先生と出会うのである.
 長谷川先生の日本歯内療法学会でのご講演を初めて拝聴した際に,「これが答えだったんだ」と長年の悩みが霧が晴れたように解消されたことは記憶に新しい.そしてこの答えこそ,同じ悩みを抱えている多くの歯科医師にいち早くお伝えしないといけないという使命感にかられ,長谷川先生に執筆依頼を申し出たところ,快く承諾していただくことができた.痛みの機序という非常に難解なテーマはあるが,できるだけやさしく,わかりやすく解説していただくことをお願いして,見事にその期待に応えていただいた待望の書である.今後本書が,根管治療後の痛み(これを本書のタイトルでもある「エンド由来歯痛」と呼びたい)に関するバイブル本として,多くの先生方の礎になることを期待している.
 最後に,開業から日も浅く,日々の臨床に追われる忙しい時期に本書の執筆のため多くの時間を費やしていただいた長谷川誠実先生に心から感謝の意を表すものである.
 2018 年12 月
 福西一浩


知る喜びよりも知らぬ恥を知れ
 これは,敬愛する兵庫医科大学放射線医学教室教授の上紺屋憲彦先生のお言葉である.
 本来,除痛処置であるはずの抜髄を行ったが,歯痛が持続する.主治医はその歯痛と戦うことなく,然るべき医療機関を紹介する.そしてその患者は,抜髄を行った本来の主治医のもとを離れ,抜髄を行ったわけではない新しい主治医のもとを訪れる.本来の主治医は,その患者のことを振り返ることなく日々を過ごし,その痛みの原因を知ることなく日々の臨床を続けていく.新しい主治医はひたすら患者の情動の波に翻弄され,あくせくとした日々を過ごす.
 痛みの原因は間違いなく本来の主治医が作った.知らないことが完治しがたい歯痛を作りあげ,今後も作り続けるのである.本書はそんな主治医に,痛みを作り上げた責任を考えていただき,そして自ら戦う意志をもってもらう,そんな思いで執筆した.
 新しい知識を得ることは,たしかに喜びが多い.本居宣長曰く,学問に手を出せば抜け出られなくなる.しかし,治療学においては知らない恥のほうが数段重要であろう.
 それにしても,私が経験してきた歯性慢性痛や非歯原性歯痛の多くに,歯内療法を専門に掲げた歯科医が関与していることにも驚かされる.これは歯内療法の目指す方向性に原因があると思えてならない.たしかに歯内療法は近年長足の進歩を遂げた.マイクロスコープやCTのおかげで,根管の状態を手に取るように把握できるようになった.
 ただ,頭痛治療の世界的権威である坂井文彦先生も,その著書のなかで「痛みの治療においては,MRIなどで脳の中を見るより,問診が重要,目より耳を澄ませよ」といったことを述べておられる.私の主張も「歯内療法よ,歯髄の声を聴け」である.歯内療法は,まだ目の発展で止まっている.いまだ耳の発展がないことを日々憂いている.
 そんな折,これまた私が敬愛してやまない大阪梅田で開業されておられる福西歯科クリニック院長福西一浩先生から,慢性歯痛治療の経験を本にしないかとのお話があった.そのとき,従来の「そこにある慢性痛」の本ではなく「これから作られる慢性痛」に対する指南について文字にできたらと思い立った.そしてその思いは……
 文末ながら,最高の師であった父,心から恩師と呼べる岐阜歯科大学歯内療法学教室(校名は変わったが,私にとっては永遠にこの名称である)の関根一郎先生,口腔生理学の基礎を教えてくださった朝日大学元学長の船越正也先生,海馬研究の道を開き,さらに休日まで潰して文字通り手取り足取りご指導くださった兵庫医科大学医系物理化学教室元教授で現在枚方療育園医師の秦 順一先生のお顔を何時も浮かべつつ,文字を綴ってまいりました.そして執筆の機会から完成まで多大なエネルギーをいただきました福西一浩先生に,御礼申し上げます.
 2018 年12 月
 長谷川誠実
 Prologue
第1章 エンド由来歯痛という考え方
 私の前に歯痛があった
 歯痛の難症例に次々と出会う
 キーワードは「ある特定の歯」
 歯内療法で対応する
 痛みの原点
 痛みのメカニズム
 痛みを難解にするメカニズム
 痛みからみた歯内療法
 除外診断の重要性
 そして痛みの歯内療法
 関連痛としての歯痛
 非歯原性歯痛も歯痛である
 非歯原性歯痛は非歯原性か
 「この歯が痛い,非歯原性歯痛」とは?
 非歯原性歯痛の診査
第2章 医原性歯痛
 歯内療法の基本の不思議
 根管治療は慢性痛の標的を生む
 「完璧な治療」が「エンド由来歯痛」をもたらす
 現代歯内療法に対する慢性痛からの不満
 そして歯内療法は診断に立ち返る
 あらためて慢性痛と現代歯内療法の向かうべき方向
第3章 非歯原性歯痛といわれるもの
 非歯原性歯痛で最も重要なこと
 あらためて非歯原性歯痛とは
 非歯原性歯痛とエンド由来歯痛
 問診から非歯原性歯痛を知る
 歯痛は苦痛の「よりどころ」
第4章 抜髄と慢性痛,そしてエンド由来歯痛
 虚血性歯髄炎による歯痛
 2 つの症例の共通点
 問診から診断,症例の解析
 症例1 および症例2 から学ぶべき点
 2 症例のその後の経過
 慢性痛という視点での分析
 抜髄における先取り鎮痛の意義
 抜髄処置が慢性痛を引き起こさないために
第5章 感染根管治療はエンド由来歯痛を招来するのか
 感染根管治療で経験する慢性痛
 現在の歯内療法における問題点を再確認する
 問診から情報を得る
 後医は名医たらん
 不測の事態が感染根管治療と慢性痛を関連づける

 Epilogue
  はじめの重大な診断のポイント
  なぜ次々と抜髄・抜歯されたのか
  問診と処置
  やはりあった「エンド由来歯痛」
  治療開始と次なる問題点

 索引