やさしさと健康の新世紀を開く 医歯薬出版株式会社

はじめに
 私が歯科医師となったのは,1988(昭和63)年でした.この時期の日本の高齢者の人口は全人口の11.2%を占め,急速に進む「高齢化社会」の只中にいました.当時の日本はいわゆるバブル景気に沸き,景気のいい話が飛び交っていました.そんな時代に私は日本歯科大学を卒業し,その前年に附属病院に開設された高齢者歯科診療科に入局したのでした.
 東京都千代田区という東京の一等地に立地する附属病院には多くの高齢患者が訪れました.時勢ゆえか経済的に余裕のある患者が多く,快適性を求めて,大学病院ならではの“高度な“医療を求めて来院されました.当時の診療科長で歯科補綴の権威であった稲葉繁先生からは,「治療内容や義歯の設計などを行う際に,保険が利くか利かないかの基準を考慮してはいけない.まずは,患者にとって最も良いと思われる診療を提案しなさい」と教えられました.私は大学病院でそれを実践し,多くの患者は保険診療にこだわることなく“高額な”診療を受けていただくことができ,患者の笑顔を作ってきました.
 一方で,大学病院での歯科診療は大学病院に来院できる人たちへの医療であり,高齢者のなかでも健康な人たちへの限られた医療であるといえました.私は,それとは違ったステージの高齢者への歯科医療の場を求めて,老人病院やリハビリテーション病院に歯科診療室を開設して,歯科医療の実践を行いました.そうした場所で目の当たりにする患者の状況は,大学病院のそれとは大きく異なっていました.
 大学病院における歯科医療には,いわば「勝利の方程式」が存在していました.つまり,しっかりと適合した義歯を提供できれば咀嚼機能は回復し,患者の満足も得ることができていたのです.しかし,老人病院やリハビリテーション病院では,たとえ良好な義歯を提供できても,咀嚼機能の改善は認められないのです.ときとして,義歯の製作すらも困難な場合もみられました.これまで歯科医療が触れてこなかった,触れようとしてこなかった領域だと感じました.
 また,高齢患者の「脳血管疾患の既往」といえば,これまでの歯科医療では歯科治療中の再発や服用薬剤による外科処置後の出血などに配慮するべきであると捉えられてきました.しかし,同じ既往のある患者でも,リハビリテーション病院での課題は大きく異なりました.脳血管疾患とは,顔面神経,三叉神経,舌下神経をはじめとする咀嚼に関与する神経の障害を示す疾患であり,また,咀嚼機能に大きく関連する高次脳機能障害の原因となる疾患でもあるのです.すなわち脳血管疾患は,咀嚼障害の原因疾患であったわけです.しかし,当時の歯科ではこうした問題への対応は十分に行えていませんでした.もちろん,それを詳しく記述した書籍もありませんでした.動きを失った口に義歯は十分な効果を発揮しないばかりか,義歯はないほうが良いと考えられる場面もみられたわけです.「治すための医療」をひたすらにしてきた歯科医療の矛盾が見えた気がしました.
 数年経ち,附属病院の組織改革に合わせて,口腔介護・リハビリテーションセンターを発足させました.ここには,訪問診療先で出会った西脇恵子言語聴覚士に参加を求めて,私たちのチームに加わってもらっていました.リハビリテーション医療の意味を十分に理解できないままにリハビリテーションを名乗った私たちにとっては大変心強い援軍でした.“リハビリテーション”には,歯科が最も足りないところを補う重要な要素を含んでいると確信していました.このリハビリテーションセンターでは,徐々に訪問診療による摂食支援や摂食嚥下障害のリハビリテーションを手掛けるようになっていきました.施設におけるミールラウンドとカンファレンスを実践し,その武器として嚥下内視鏡検査を用いだしたのもこの頃でした.
 口腔機能の問題は私の専門である高齢者だけの問題ではありません.発達期の子どもたちにも同様の問題があり,子どもから高齢者までの全世代に対して取り組みを広げる必要性を感じていました.その後,田村文誉先生がチームに加わることになり,私たちの代名詞である“0歳のお子さんから100歳を超えるお年寄りまで”に対する支援を目指すことになりました.
 そしてこの頃に,今でいう地域包括ケアシステムの生みの親である全国国民健康保険診療施設協議会の歯科部会の先生がたにお誘いいただき,さまざまなモデル事業のお手伝いをさせていただきました.国が本協議会にならい「地域包括システム」を提唱しだしたのもこの頃でした.先進的な先生方が地域と一体となって進めていた歯科医療の実態を目の当たりにし,とても感動しました.そこで実践されている地域全体を巻き込んだ取り組みや多職種連携は,私たちにはとても手の届かない内容でした.それは,大学病院に居たのではけっしてできない仕事でありながら,この道を実践しなければ私たちが目指す歯科医療はないと確信しました.
 地域医療を実践したい.それができなければ,多職種連携を基本とする摂食嚥下リハビリテーションは成り立たないし,既存の歯科サービスから見放された多くの要介護高齢者に対する歯科医療が実践できない.私の想いは募るばかりでした.
 歯科はこれまで,健康な成人や健康な高齢者といった限られた人に対して診療を行ってきました.そもそも,歯科医院に来る患者は「歯科医院に来院可能である」というフィルターにかけられていたのです.その狭い現場から,「口の機能の維持は,健康長寿の源である」という論理を展開してきたのかもしれません.しかし残念ながら,誰もが目指す「最期まで元気でいること」が困難なことは多くの統計で明らかになっており,実際に最期まで歯科医院に通院できる人は少ないといえます.ひとは口腔機能を獲得し,その機能を成熟させることで,食や会話を楽しむことができます.一方で,年齢とともに口腔機能は低下し,ときとして何らかの疾患によって急激にその機能を失うこともあります.そして,やがて終末期を迎えることになります.歯科は,これらすべてのステージにおいて,患者とその人生に寄り添う必要があると考えます.しかしすべてのステージに対するかかわり方は,ほぼ未解決のままであり,適切な対応と適切な考え方の整理はできていないと考えています.
 本書では,ちょっと過激とも思える表現が出てきているかもしれません.この本は私の講演を一度でも聴講いただいた方には,「あー,菊谷らしいな」と思って苦笑いで済ませてくださるかもしれません.講演会はその場だけですが,言葉となるとしっかり残るので,誤解を生むリスクがあるのは承知で書きました.私もあと現役でいられるのも9年を切りました.残りの9年間で,ここで書き連ねた文句に対して,自分なりの答えを出していかなければと思っています.
 2023年5月 新緑の富士山中湖湖畔にて
 菊谷 武
 はじめに
第1章 高齢者への向き合い方─医療モデルから生活モデルへ
 01 今日の高齢者歯科医療の典型像
 02 考えるべきは「医療モデル」から「生活モデル」への転換
 03 高齢者歯科医療において「生活モデル」の目指すもの─「痛くなく食べる」から「楽しく食べる」へ
 04 事例:生活モデルにおける歯科「治療」の実際
第2章 生活モデルのための歯科の視点─フレイル,オーラルフレイル,口腔機能低下症の考え方
 01 「年のせい」をどう伝えるか─歯科医院に舌圧計を!
 02 フレイル,オーラルフレイル,口腔機能低下症を理解して活用しよう
 03 患者の予後を見据えた歯科医療─次に会うときは枕元かもしれない
第3章 「噛めない」に立ち向かう─義歯から食事の提案まで
 01 噛めない理由の二つの咀嚼障害を理解する─噛めないのは年のせい?
 02 舌接触補助床(PAP)の意義
 03 食べられる食事を探す─歯科医院でこそできる食形態の提案
 04 ミールラウンドをうまく行うには
 05 事例:生活モデルのアプローチができる歯科医院の評判
第4章 栄養の話─歯科医院で考える栄養とは
 01 歯科医院で考える栄養─「過栄養」より「低栄養」が重要になる
 02 「体重」を診る─歯科医院に体重計を!
 03 歯科医院での食事指導の実際─「ちょい足しモデル」の提案
第5章 訪問診療と外来診療─多職種連携の意味と診療の場の使い分け
 01 高齢患者に対する「次の予約」の考え方
 02 地域に根ざさない歯科医院
 03 事例:「訪問」と「外来」での診療を使い分けると患者と家族への負担が減る
第6章 歯科が終末期にできること─看取りにかかわる
 01 終末期に向かう軌道
 02 終末期の病態と口腔内の様相─がんの場合
 03 終末期の病態と口腔内の様相─心疾患,肺疾患の場合
 04 終末期の病態と口腔内の様相─認知症,老衰の場合
 05 全身状態の尺度からみた歯科介入の方向性と終末期にかかわる職種
第7章 「食べる」を支える─終末期の「食べられない」に立ち向かう
 01 終末期の「食」を支えるには

 索引