やさしさと健康の新世紀を開く 医歯薬出版株式会社


 「私,失敗しないので」という台詞で有名な医療ドラマがあります.いつも痛快な内容で笑わせてくれますが,現実ではまずあり得ません.おそらく,あの女性外科医も,以前はたくさんの失敗を経験してきたのだと推察します.
 矯正治療において不足の事態が発生した場合,診断時や治療中に見過ごした情報の存在を認識し,視点の異なる他者の意見に耳を傾けてこそ,そのメカニズムに迫ることが可能となります.そして,想定外の状況に陥ったときには,あらゆる知識を総動員し,創造力を発揮してリカバリーしなければなりません.それが専門医であるか否かにかかわらず,矯正治療を担う者の矜持ともなります.
 しかし,どこの国においても,問題症例や失敗を学会や学術誌で知る機会は多くありません.紹介される症例は,美しい写真の,素晴らしい結果を得たものがほとんどです.術者には,きれいに治った症例だけを見せたいという心理が働くからかもしれません.私自身もそうでしたので,それはとても理解できます.
 ただ,そのような状況が続けば続くほど,真理は遠ざけられ,問題点を改善できないまま,有益な技術がやがては見向きもされなくなる危険性も生じます(出版バイアス).特に,アライナー矯正では,未だにそのメカニクスに不明な点が多く存在しているにもかかわらず,劇烈な普及速度のために患者からのクレームや診療過誤が著しく増加しております.
 そろそろ,我々はさまざまな問題点を整理し,臨床の現場から治療法の具体的な改善策を考えなければならないステージに入ったものと思われます.そこで,数年前に有志を募り,昭和大学歯学部歯科矯正学講座を主幹として「アライナー医療研究会」という小さな研究会を立ち上げました.専門医や一般臨床医の区別なく,医療としてのアライナー矯正を考え,問題症例を持ち寄ってリカバリー手法や有効な診断情報を検討することを目的とした,とても質素な会です.その討議は非常に正直かつ有意義で,毎回,新しい発見に驚かされます.本書にご寄稿頂いた先生方ともこの研究会で知己を得ました.どの先生もアライナー矯正の未来を確信しながらも,間違った普及や危険な診療に深く憂慮されています.
 本書では,その中から典型的な症例とリカバリー方法を紹介しています.本書が少しでも読者諸氏の臨床に役立つことを願い,ようやく誕生したコンピュータ支援技術を応用するこの治療法が正しい方向に成長することを祈念しています.
 最後になりますが,研究会の運営や本書の編集に時間を惜しまず協力してくれた医局の先生方と,本書を企画・発行した医歯薬出版に深く御礼申し上げます.
 2021年11月
 槇 宏太郎
 アライナー矯正におけるトラブルとそのリカバリー
Part 1 アライナー矯正トラブルを避けるためのポイント
 (槇 宏太郎)
 1 アライナー矯正における移動の様相の特徴とチェックポイント
 2 臨床上の難易度判別
Part 2 アライナー矯正リカバリーの実際
 Case 1 部分矯正を行ったが歯軸の制御が困難であった抜歯症例(槇 宏太郎)
 Case 2 アライナー治療中に咬合位に関する不定愁訴が生じた症例(槇 宏太郎)
 Case 3 上顎臼歯部の近心移動を必要として歯軸傾斜の制御が困難となった症例(中納治久・槇 宏太郎)
 Case 4 抜歯スペースの閉鎖にともない臼歯部が傾斜し咬合しなくなった症例(窪田正宏)
 Case 5 片側の臼歯部咬合関係の改善に苦労した抜歯症例(窪田正宏)
 Case 6 鋏状咬合の改善にブラケットと交叉ゴムを併用した症例(窪田正宏)
 Case 7 前歯部の叢生と7の埋伏を部分矯正の併用により非抜歯で治療した症例(陳 健豪)
 Case 8 上下顎前突の抜歯治療におけるアライナー単独でのリカバリー症例(尾崎桂三)
 Case 9 下顎前歯部の重度叢生改善時に起こった歯肉退縮に対してリカバリーを試みた症例(尾崎桂三)
 Case 10 アライナー治療中に歯根露出が発生した上顎犬歯低位唇側転位症例(牧野正志)
 Case 11 ボーイングエフェクトにより臼歯部の開咬が発生した上下顎小臼歯抜歯症例(牧野正志)
 Case 12 片側のみの臼歯部近心移動を必要として部分矯正を併用し治療が長期化した症例(槇 宏太郎)
 Case 13 アンカースクリューの併用により前突感の改善を試みたが長期間を要してしまった非抜歯症例(槇 宏太郎)
 Case 14 前歯部のバイトコントロールに苦慮した症例(槇 宏太郎)
 Case 15 前歯部のバイトコントロールに長期間を要した症例(後藤真理子・槇 宏太郎)
 Case 16 下顎劣成長の骨格性II級,オーバージェットが大きく過蓋咬合の患者で7萌出中に咬合干渉が起きた症例(陳 健豪)
 Case 17 アライナー治療前にマルチブラケットでレベリングを行ったことにより難易度が上がってしまった症例(尾崎桂三)
 Case 18 拡大装置による治療で問題が生じアライナーでリカバリーを行った症例(文野弘信)
 Case 19 臼歯部の垂直的なコントロールに苦慮した症例(後藤真理子・槇 宏太郎)
 Case 20 クレンチングとブラキシズムを有する軽度叢生の臼歯部離開をリカバリーした症例(常盤 肇)
 Case 21 混合歯列期後期から側方歯開咬の治療を開始した長期発育管理症例(天野錦治)
 Case 22 上顎の著しい叢生を伴う下顎後退の患者への治療で5近心傾斜が改善しなかった症例(東野良治)
 Case 23 アライナー治療により臼歯部の開咬を招いた症例(文野弘信)
 Case 24 歯列の側方拡大に注意を要した鋏状咬合症例(塩濱靖宜)
 Case 25 アライナー治療中に下顎位の大きな変化を生じた症例(槇 宏太郎)
 Case 26 治療途中で咬合が不安定になった小臼歯抜歯症例(窪田正宏)
 Case 27 重度の捻転の改善に時間を要した症例(槇 宏太郎)
 Case 28 小臼歯の捻転改善に苦慮した上顎前突片顎抜歯症例(牧野正志)
 Case 29 叢生,過蓋咬合の患者で,7を抜歯し8を近心移動したことにより治療を困難にした症例(陳 健豪)
 Case 30 顎変形の外科的な改善が不十分であった症例(槇 宏太郎)
 Case 31 長期のマルチブラケット治療から患者の希望によりアライナーでリカバリーした症例(常盤 肇)