やさしさと健康の新世紀を開く 医歯薬出版株式会社

はじめに
 近年,子どもたちを取り巻く環境の急激な変化により,子どもたちの健康面にも多くの問題が起きています.歯科が長年にわたって取り組んできた齲蝕・歯周病などの感染症に関しても,貧困・教育・文化など,生活環境や経済の問題が複雑に絡み合い,二極化・多様化しています.本書で取り上げる「口腔機能発達不全症」は口腔の発達にかかわる疾患として,2018年に公的保険制度に組み込まれました.これにより,子どもの口腔機能に対して公的保険で対応することが可能になり,歯科において子どもの健康に関与できる幅が今まで以上に広がったと言えます.
 「口腔機能」は食べることを通した段階的な学習によって獲得されるものであり,口腔機能の発達のためには「食」や「遊び」といった日常生活への関与が重要です.ところが,この「口腔機能発達不全症」は,患者である子どもはもとより保護者もほとんど気づいていないことが多いようです.そこで,歯科医療職が口腔機能の問題を発見し,保護者に気づいてもらえるように工夫することが必要です.
 本書では,口腔機能の発達不全の基本的な知識や診療の流れを「その1 知る」でまとめ,口腔機能の具体的な評価のポイントを「その2 みる」で解説しました.さらに,「その3 対応」では,具体的な対応方法を写真やイラストを多用してわかりやすくまとめるよう努めました.また,「その4 ケースから学ぶ」では,口腔機能発達不全症の評価から対応までの流れを症例を通して解説しました.巻末の付録や本書中の写真・イラストは,患者さんへの説明用媒体としても活用していただきたいと願っています.
 本来ならば,正常な口腔機能の発達は,家庭生活のなかで「正しく食べる」ことを通して培われるものです.しかし,現在の家庭において,「正しく食べる」ことが十分にできていないのであれば,「食べる」ことを専門職としている歯科医師・歯科衛生士がそのサポートをするべきではないでしょうか.
 そのためには,歯科保健教育などを通して,ときには保健・保育・教育・福祉などの専門職と協働することも必要です.子どもは「社会全体で育てる」ものであり,口腔機能を育てることは子どもの心身の発達と親の子育てを支援する,つまりは子どもの生活全般を支えることにつながる社会貢献と考えています.かかりつけ歯科医として継続的にかかわることで,その子の生涯のQOLの向上が図られ,ひいては医療費の削減にもつながるのではないでしょうか.
 しかしながら,口腔機能発達不全症への取り組みに対する客観的評価は,現段階では不十分な部分があることは否めません.そこで,一人でも多くの先生方がこの疾患に対応し,治療のエビデンスを構築してくださることを望んでいます.
 本稿執筆中の今の時代,社会は新型コロナウイルスの感染拡大により,かつてない苦境に立たされています.先が見えない閉鎖的な家庭環境のなかでは,子どもとおしゃべりを交わしながら食を楽しむこと,そして子どもの笑顔が私たち大人の心を癒してくれることでしょう.新しい生活様式のなかで,私も歯科医師として社会に対しできることを考え続けようと思います.子どもを取り巻く社会が明るいものとなるためにこの本が少しでも役に立てれば幸甚です.
 2020年7月
 千葉歯科医院 浜野美幸


推薦のことば
 この度,医歯薬出版から「診療室で今日からできる! 子どもの口腔機能を育てる本」が発刊されることとなりました.「口腔機能発達不全症」は,平成30年の診療報酬改訂の際に新病名として公的医療保険による診療の対象となりました.さらに令和2年4月には,口腔機能発達不全症に対する指導と管理は「小児の口腔機能管理」として独立した項目となり,「口唇閉鎖力検査」も保険収載されています.また,それとともに乳歯萌出前の授乳や離乳に関する指導についても対象となりました.
 このように歯科医療の分野において,高齢期の「口腔機能低下症」とともに口腔内の器質的な病態のみならず,口腔の機能的な異常への対応が公的医療保険の対象となったことは画期的な出来事であるといえます.口腔機能発達不全症が新病名として保険診療の対象となってから,これまで全国各地において,その基本的な考え方と歯科的対応に関する研修会が多数開催されています.本書は,その研修会において解説されるように「口腔機能発達不全症」が新病名として導入された経緯に始まり,症状,検査方法,評価と診断,さらに症状別の細かい対応に至るまで,豊富な写真と図版が掲載されており,一般臨床家にとってはまさにバイブルと言えるような内容となっています.
 そして,一般臨床家が口腔機能発達不全症の診断や対応を行ううえで最初に抱く疑問とそれに対する回答が非常に順序よく解説されている点は特筆すべきであり,執筆された浜野美幸先生の小児の口腔保健にかける熱意の表れであると言えます.
 健康長寿社会の実現に向けて,オーラルフレイルを予防するためには,乳幼児期における健全な口腔機能の獲得が必要不可欠であることは言うまでもありません.本書は,小児期から口腔機能の発達を支えるための役割を果たす歯科医療関係者にとって,待望の一冊になるものと確信しています.
 神奈川歯科大学大学院口腔統合医療学講座小児歯科学分野 教授
 木本茂成

 子どもの齲蝕が激減し,小児の歯科診療の主体が齲蝕治療から予防管理に移行してきているなかで,口腔機能の大切さがあらためて注目されてきています.このような歯科の現状を反映して,平成30年から小児の「口腔機能発達不全症」が新病名として保険収載されました.
 従来の歯科では,歯列・咬合や顎発育の視点から口腔習癖や呼吸,口唇・舌の状態などへのアプローチがなされてきました.しかし,子どもの発育からみると,哺乳・離乳期からの「食べる」「話す」「呼吸する」などの機能が,その後の口腔の形態発育や機能発達に大きく関係することがわかってきており,乳幼児期からの口腔機能の発達支援の重要性が明らかになってきました.
 しかし,口腔機能の発達不全は自覚症状がないことが多く,保護者も気づいていないことが多いものです.そのため,これを「主訴」として歯科医院に来院することは少なく,改善の必要性などもすぐには理解してもらいにくい面があります.かかりつけ歯科医として,低年齢から継続的に子どもを診る機会が増えた今だからこそ,“子どもの健康を守る”意識を保護者と共有し,口腔管理をしていくなかで,子どもの口腔機能にも目を向けていきたいものです.
 本書は,口腔機能発達不全症という病名が保険収載されるずっと以前から,ご自身の診療のなかで多くの子どもたちの口腔機能の改善に取り組んできた浜野美幸先生の臨床の集大成ともいうべき書です.口腔機能発達不全症の知識から,口腔機能の診かた,対応のしかたまでもが「知る」⇒「みる」⇒「対応する」という構成でていねいに解説されています.特に,実際の症例を提示しながらの説明は,読者にも理解しやすく,納得がいくものと考えます.
 冒頭の「本書の対象となる読者はこんな方です」のなかに書かれているように,小児の患者さんの口腔機能が気になっていても,“どのように診断・対応したらよいかわからない”という歯科医師,歯科衛生士の皆さまにぜひお読みいただきたいと思います.
 本書は「口の機能を通じた子育て支援」の最初の一歩を踏み出していただく際の,力強い支えを与えてくれる一冊となることでしょう.
 昭和大学歯学部小児成育歯科学講座 客員教授
 井上美津子
 はじめに
 推薦のことば
 皆さんのクリニックに,こんなお子さんが来ていませんか?
 Introduction
  求められる口腔機能発達不全症への取り組み
  まずは挑戦してみましょう
  取り組みの前に……口腔機能発達不全症への対応Q&A
  Column 本書で主に扱う子どもの年齢
その1 口腔機能発達不全症を「知る」
 口腔機能とは?
 口腔機能発達不全症とは?
 まずは診療室で気づくことから!
 口腔機能発達不全症による負のスパイラル
 診療室で口腔機能発達不全症に取り組む意義
 口腔機能の発達は「器質」と「機能」の両輪
 口腔機能発達不全症の診療の流れ
 口腔機能発達不全症の対応〜保険の流れ
 口腔機能発達不全症への対応のゴール
 Column
  ・本当に偏食?〜食の問題へのかかわりは,“子育て支援”
  ・正しい機能の獲得が上顎骨の成長を促す〜舌の挙上と鼻呼吸がキーポイント
  ・小児の口腔機能に関する検査法
  ・「歯で困ったら」ではなく,「食べることで困ったら」歯医者さんに相談してもらおう
  ・私が子どもの口腔機能の育成に情熱を傾けるわけ
その2 口腔機能発達不全症を「みる」
 患者さんは目の前にいる! まずは察知して気づくこと
 気づいてもらうために〜デジタルデバイスの活用
 「みる」検査のフローチャート
 チェックリストに沿った口腔機能発達不全症の評価
 食べる機能の問題
  C-1 歯の萌出に遅れがある
  C-2 機能的因子による歯列・咬合の異常がある
  C-3 咀嚼に影響する齲蝕がある
  C-4 強く咬みしめられない
  C-5 咀嚼時間が長すぎる,短すぎる
  C-6 偏咀嚼がある
  C-7 舌の突出(乳児型嚥下の残存)がみられる
  C-8 哺乳量・食べる量,回数が多すぎたり,少なすぎたり,ムラがあるなど
 話す機能の問題
  C-9 構音に障害がある
  C-10 口唇の閉鎖不全がある
  C-11 口腔習癖がある
  C-12 舌小帯に異常がある
 その他
  C-13 やせまたは肥満である
  C-14 口呼吸がある
  C-15 口蓋扁桃などに肥大がある
  C-16 睡眠時のいびきがある
 Column
  ・スマートフォンの有効利用
  ・食べる時間と食べるための条件
  ・舌突出とほかの病態との関連
  ・安静時の舌の正しい位置と姿勢
  ・授乳・離乳の支援推進と歯科医師
  ・「構音」とは?
  ・広義の口腔習癖と「態癖」とは?
  ・鼻呼吸を促進しよう
  ・扁桃肥大とその影響
その3 口腔機能発達不全症に「対応する」
 管理計画の立案と患児・保護者への説明〜わかりやすい説明を心がける
 口腔機能発達不全症対応の基本的な流れ
 チェアサイドでこれだけでも! 口腔機能発達不全症対応のファーストステップ
 STEP1 生活指導
  姿勢の改善
  食事のアドバイス
 STEP2 器質(形態)への対応
  萌出遅延への対応
  咀嚼に影響する齲蝕の治療・予防
  歯列・咬合の治療
  舌小帯付着異常への対応
 STEP3 機能への対応
  口腔習癖の中止支援
  運動訓練
   (1)口唇閉鎖訓練
    口唇のストレッチ
    イー・ウー
    りっぷるとれーなーを用いた訓練
    ボタンプル
    木べら・定規などを使ったトレーニング
    うがいトレーニング
    ガラガラうがい
    遊びのなかで行う口唇閉鎖訓練
   (2)咀嚼・嚥下訓練
    MFTの応用
    デンタルガムを利用した咀嚼・嚥下訓練(ガムトレーニング)
   (3)構音にかかわる訓練
    構音機能の改善に有効なMFT
    ことば遊びによる運動訓練
   (4)呼吸にかかわる訓練
    鼻深呼吸
    あいうべ体操
    遊びのなかで行うトレーニング 風車まわし
 参考:チェックリストに応じた対応のフローチャート
 Column
  ・生活改善はすべての子どもを対象に!
  ・口腔機能の発達は「よく遊び・よく食べる」ことから
  ・食べることも筋肉運動! スポーツと同じ良いフォームで!
  ・乳幼児期の母子健康手帳を利用した食生活指導
  ・学校での取り組み〜おいしく,安全に食べることを体験授業のなかで伝える
  ・口腔機能の評価にも応用できる「ブクブクテスト」
  ・練習を続けるコツ〜親が必要性を実感して一緒に取り組むこと!
  ・口腔機能発達不全症で扱う構音障害の範囲
  ・口腔機能発達不全症への対応から取り組めることばへのアプローチ
その4 ケースから学ぶ 診療室で取り組む「口腔機能発達不全症」への対応
 Case1 舌小帯付着異常から構音・咀嚼障害が起きていたケース
 Case2 本人の意思で吸指癖を中止,その後の運動訓練で歯列・咬合の改善が図れたケース
 Case3 自覚のない口唇閉鎖不全に対応したケース
 Case4 口唇閉鎖不全が改善せず,歯列・咬合の異常に移行したケース
 Column
  ・舌小帯付着異常へのアプローチ

 付録 チェアサイドで使える! 患者さん向け説明用媒体
  (1)お口のトレーニング がんばりシート
  (2)正しい姿勢・鼻呼吸,できていますか?
  (3)食べるときの正しい姿勢,できていますか?
  (4)うがいトレーニング
  (5)ワンポイントMFTトレーニング
  (6)噛む・のみ込むトレーニング(ガムトレーニング)
  (7)ことばのトレーニング
  (8)参考資料

 おわりに